休憩室の自販機がガシャコンッ、と音を立てて飲み物の缶を吐き出した。
私は其れを受け取って、暫し手を温めつつ、備え付けのベンチへと座った。
任務帰り、雪降る寒い外から戻ってきたばかりの躰は芯から冷え切っていた。
何でも良いから、少しでも温まりたかった。
ついでに、疲れて何か甘い物を口にしたい気分だったから、お汁粉を選んで買った。
きっと五条先輩以外の誰も買わないだろう其れを選んだのは、単なる気紛れである。
悴んで赤く染まっていた指先が感覚を取り戻すくらいになるまでずっと缶を握ったままぼんやりと座っていたら、いつの間にか側に来ていたらしい夏油先輩が私服姿で傍らに立っていた。
「や。任務帰りかい?寒い中お疲れ様だったね。」
『…あ…っ、夏油先輩…すみません、すぐに気が付かなくて。』
「別に構わないよ。其れだけ疲れてるんだろう?」
『ははは…っ、はい…此れくらいでへばるとか、情けなくてダメですよね…。』
「そんな事無いさ。莎草は何時も私達の知らないところで努力して頑張っているんだから、あまり自分を追い込む様な事を言ってはいけないよ。」
夏油先輩は、何時も優しい言葉を投げかけてくれる。
だから、例え任務で疲れて心が尖っていたとしても、彼の言葉一つで和らぎ安らいで落ち着きを取り戻せるのだ。
私は其れに甘えて、彼に優しい言葉をかけてもらえるのを何処か心の底で期待し待っている気がする。
別に、彼の事が特別好きだとかの感情は無いけれど。
私は短く彼に礼を言って、ずっと持っただけのままだった缶を少しだけ振って蓋に指を掛けて開けた。
蓋が口を開いた瞬間、缶からは甘い和の小豆の薫りと湯気が立ち昇って疲れた脳を刺激した。
まだ熱いかな。
其れを確かめる為に、一度試しにくぴり、と口を付けて含んでみる。
長い事冷えた手で包む様にして持ち続けていたせいか、外の気温が低いのも相俟って適温くらいに冷めて丁度良くなっていた。
なので、今度は味わう為に口一杯に含んで飲むと、小豆の程好い甘さが鼻に抜けていった。
お汁粉なんて物飲んだの、何時振りだったっけ。
最後に飲んだ日は何時だったか、記憶を遡りつつ思考していると、何故か私の様子を眺めていたらしい夏油先輩が意外な物でも見たかの様に目を小さくして驚いていた。
「ソレ…買う人居たんだ…。」
『…嗚呼、このお汁粉の事ですか?』
「うん。悟以外誰も買う人居ない物だと思ってたけど、違ったんだね。」
『あははっ、さっきコレ買う時、私も夏油先輩と全く同じ事思ってました。皆思う事は似たか寄ったかなんですね。』
「…何でソレ買ったのか訊いても?」
『単なる気紛れですよ。疲れたから、何かちょっと甘い物が飲みたいなぁ〜って思って自販機目指して向かったら、偶々偶然お汁粉缶のパッケージが目に入りまして。丁度冷え凍ってて早くあったまりたかったのもあったんで、ぽちりと。』
「へぇ…甘い物なら他にもあっただろうに。ココアとかミルクティーだとか。其れもあってついまじまじと物珍し気に見てしまったのだけど…すまないね、嫌な気分にさせたりとかはしていなかったかい?」
『いえ、そういうのは全く無かったんで安心してください。ぶっちゃけ、夏油先輩になら何れだけ見つめられてても平気ですから。…五条先輩は別ですけど。何かあの人にジッと見つめられるのダメなんですよね…何でだろ?あまりの顔面偏差値の差でヘコみそうになるからとかですかね?実際のとこはどうか分かんないですけど。』
「……へぇ、其れは初耳だね。」
私の返事を聞いてそう返してきた夏油先輩が静かに目を細めたのに、私はその意図が何故か分からなくて内心首を傾げた。
一瞬湧きかけた曖昧な感情には気付かぬ振りをして、また一口、二口とお汁粉を口にして言葉を続ける。
『夏油先輩は、何の飲み物を買いに来られたんですか?あ、差し支えなければ、で構いません。』
「当初は無難にお茶か珈琲辺りを飲もうと思って買いに来たのだけどね…気が変わったよ。君が飲んでるソレにしようかな。」
『え……コレ、ですか…?』
「そう、ソレだよ。全部飲む気は無いのをわざわざ買って飲むのも面倒だから…ソレ、少しだけ頂戴。」
『え?私のを…ですか?』
「うん。君のが良いな。」
『……分かってると思いますけど、一応確認の為言いますよ…?コレ、私の飲みかけですよ…?本当に良いんですか?』
「私は別に気にしないよ。莎草が気にするのなら話は別だけど。」
今度は私が驚く番だった。
夏油先輩にも意外な時ってあるんだな…。
可も不可も無かった私は了承して、手に持っていた缶を彼に手渡した。
もうだいぶぬるくなってしまっていたが、大丈夫だろうか。
そんな些細な不安が一瞬だけ脳裏を過った。
しかし、そんな心配は杞憂だった様に気にする様子も無く缶に口を付けて少しだけ中身を飲んだらしい彼が感想を漏らした。
「…うん、まぁまぁな味かな。呪霊の不味さに比べたら、決して不味くはない味だよ。寧ろ、ずっとマシな美味しさでもある。でも、やっぱりわざわざ買ってまで飲みたいと思う代物ではなかったかな…?」
『すみません…買ってから随分と経っていたのもあって、だいぶぬるくなってましたよね?』
「うん?その点についての心配は要らないよ。端から私は寒かった訳ではないから。…あ、はいコレ、返すね。分けてくれてどうも有難う。」
『いえ、どういたしまして。』
彼から何気無く返された缶を受け取って、再び手の中に収める。
まだ微妙にあったかいから、カイロ代わりには丁度良い温度だ。
そんな私の様子を眺めていた彼が、ふと腰を屈めて私の顔に影を落とす様に顔を寄せる。
其れに気付いて顔を上げた瞬間、冷えた唇に温かな柔らかいものが触れた。
目の前に居る夏油先輩のものだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
けれども、何で突然キスなんかされたんだろうって事までは分からなくて、理解が追い付かずに思考を停止させた。
彼はそのまま目を細めて、動揺で動けなくなっている私の唇を割って口の中へと舌を差し込んできた。
その瞬間、初な生娘らしくビクリッ、と無意識に肩を跳ねさせて躰を固くする。
ついでに、視界から入ってくる情報量に堪え切れずに目を瞑った。
其れが逆効果だったと後から気付き後悔するも、もう遅い。
視界が制限された分、感覚が鋭く研ぎ澄まされてしまってアウトだなんて、よくよく考えずとも分かっただろうに…私は馬鹿か。
内心色々とテンパる私とは異なって、彼は変わらず気にした様子も無く舌で歯列をなぞったり、まるで生き物の様に私の舌を翻弄していった。
気付けば、私は呼吸の仕方も忘れてだらりと口端から飲み込み切れなかった唾液を垂らして骨抜きになっていた。
キスなんてもの自体されたの初めてだったし、ましてやディープキスなんていきなりされて慣れる訳もないのは当然の話だろう。
彼と交わしたキスの味は、お汁粉の甘い小豆の味の他に、何だかよく分からない味が混ざっていて複雑な味がした。
もしかして…此れが夏油先輩が何時も任務先で口にする呪霊の味だったのだろうか。
思いはすれど、今彼に問いかける余裕なんてものは無かった。
最後に舌先をちゅ…っ、と吸われて離れていく。
当然だけれども、舌が絡む様な濃厚なキスだった為に、二人の間を厭らしい銀糸が糸を引いて繋いだ。
其れを、キスする前と変わらず余裕綽々な様子で唇を離した彼は自身の唇を舐める事で切り離し、淡々と感想を零した。
「うん…やっぱりこっちのがもっとずっと美味しいね。御馳走様。」
さっきとは異なって明らかに機嫌良さげに声音を弾ませる彼に、まだ息が整っていなかったのもあって無言のまま首を傾げて視線のみで問いかける。
どうして今私なんかにキスなんてしたんですか、…と。
たぶん、彼の事だから、気紛れ程度の事だったかもしれないけども。
彼は其れに対して口角を上げながら答えてくれた。
「単純にちょっと意地悪して揶揄ってみたくなったのもあるけど、あまりに莎草が私に対して無防備にしていたものだから…つい、ね。――まぁ、この際だから、さっきの悟に対しての発言に妬けてしまったのもあった、という事も白状しておくよ。」
『……………、は…?』
完全なるキャパオーバーな内容だった。
え、待って、ちょっと待ってください。
は、え?何時からです…?
そんな思いが顔に出ていたのか、子供の様にべ、と舌を出した彼は愉快そうにおどけて笑った。
「さあ?何時からだと思う…?たぶん、どんなに頑張っても莎草自身では答えを出す事は無理だろうと思うけど、一応頑張って考えてみてごらん。そして、その間は私の事だけで頭いっぱいになれば良いさ。そうすれば、全て私の思惑通りになる。」
いつの間にやら彼の手に渡っていたらしいお汁粉の缶がベンチの空いたスペースへ、カン…ッと音を立てて置かれる。
其れすらにも気付かなかっただなんて、余裕無さ過ぎでしょ自分…っ。
ついでに口端を伝っていた唾液も拭われて、目の前でニヒルに笑んだ彼の目が物語る。
飛びっきりの獲物が罠に引っ掛かったと。
差し詰め、私は彼にとっての獲物となるのであろう。
「返事は何時でも構わないよ。好きな時に好きな手段を使って伝えてくると良い。…敢えて応えないまま、という選択肢もあるよ?全ては君次第さ。莎草自身の意思に任せるよ。では、私は此れで…――良い返事、期待してるから。じゃあね。」
最後の最後に耳元へそう言い残して去って行った彼の真意は分からない。
けれども、少なからず、今後私は彼の事を意識せざるを得なくなった事は確かだし、既に彼の事で頭いっぱいになっている時点で彼の思惑通りに事が運んでいるのは明らかだった。
AFTERWORD
執筆日:2020.12.27