安寧の場所に至り


疲労の溜まった躰を横たえたら、まるで何かに飲み込まれる様に沈み込んだ。

思わず伏せた視界を再度薄ら開いてみると、頭の奥がぐるぐるとした感覚に襲われてちょっと神経に来た。

堪らず細く長く息を吐き出していたら、自分の横たわるベッドが自分以外の存在を認知して軋む音を上げた。


「何時から寝ていないんですか?」


至極端的な問いかけ。

傍らに優しく寄り添うべくして来たのだろう恋人から、ほぼ確信を得た風に問われる。

ついでに、然り気無く疲れの滲み出る額を労る様に撫ぜられ、髪を梳くみたく前髪を浚われた。

そんな温かくて小さな気遣いに、敢えてその事は指摘せぬまま、あからさまに甘える如くその手へと擦り寄った。

己の仕事を終えて完全オフモードの彼は、そんな私すらも受け入れて尚慈しむ様に労る。


『…まだ一徹だから、大した事ないよぉ。』
「嘘は良くないですよ、莎草さん。その顔はどう見ても確実に二徹目はいってる顔ですよね?隈、酷い事になってますよ。よくそんな状況で私を誤魔化せると思いましたね。…全く、貴女はただでさえ躰丈夫じゃないんですから、ちゃんと休んでください。――其れとも、何か夜きちんと眠れない事情でもあるんですか…?」
『いやぁ?そういうのでは全くないんだなぁ〜…。』
「でしたら、ちゃんと寝てください。じゃないと…貴女、冗談抜きで何時か本当に倒れますよ。」


純粋に仕事が溜まってた事による過重スケジュールでの睡眠不足だったのだが…まぁ、半年間ほぼほぼ不眠状態くらいで何とかやってた時期もあったから、少しくらいの無理なら利くと思っての無謀な真似だった。

お陰様で、彼からの怒りを買ってしまったらしい。

此処は大人しく彼の説教を受けておくべきかな。

そう思って、本気で心配してくれているんだろう彼の険しく顰められた眉間の皺に指を伸ばして触れた。


『御免て…反省はしてるよ。』
「其れは今に至ってからの話でしょう……っ。――仮眠は…?少しは休憩入れてたんでしょうね?」
『ん〜…まぁ、数時間とちょっと其処らくらいは…。』
「其れじゃ休まる訳ありませんよ。馬鹿なんですか、貴女は?勝手に一人死に急がれては困るんですよ。少しはパートナーである私の身にもなってください…。取り敢えず、理由が何であろうと私は今すぐ無理矢理にでも貴女に休息を取らせます、良いですね?異論は認めませんのでそのつもりで。」
『相変わらず手厳しいなぁ…休息なら、今現在進行形で取ってる最中なんだがね…?』
「今のこの状況を休息と言うのでしたら、引っ叩きますよ。冗談ではなく。」
『ん゙ん…っ、七海は私を甘やかしたいの、叱り付けたいの、どっちなの……?』
「………そんなもの、初めから分かっている癖に敢えて訊くんですね、貴女という人は。」
『だって…私、馬鹿だから。はっきりと口にして言われなきゃ分かんないよ…?』


そう口にすれば、サングラスのブリッジに手を掛けて素顔を晒す様に直接目を覗き込んできた彼が、ぽつり、静かに零した。


「―少しでも良いですから、その草臥れた躰、今だけは私に預けて休んで頂けませんか…?」


私の上に覆い被さるみたく顔に影を作った彼から金糸の耀きが降ってきた。

相変わらず、彼も苦労が絶えない生活を送ってきたのだろう。

私よりは幾分もマシだが、やはり彼からも同様に疲労の色が窺える。

…といっても、今の私と比べたら歴然とした遥かな差で、僅かな程度という具合でしかなかったが。

静かに目を細めた彼がそのまま顔を寄せてきたので、私は大人しく目を伏せて彼からの労りの口付けを額に受けた。

其れだけで、心に重く伸し掛かっていた蟠りが溶けて解れていくのを感じた。

やっぱり、愛しい人からの施しって、不思議な力でも宿っているのだろうか。

そんな子供じみた事を何となく上手く働かない頭で思った。


「…今のを無言の肯定という事で受け取っても構いませんね…?」
『うん…良いよ。』
「では、直ぐ様きちんと横になり直してください。そのままだと、ただ布団の上に寝転んでいるだけですし、寝るならせめてちゃんと布団の中に入って寝ましょうか。…もし、一人が無理だと言うのであれば、私が側に付いていれば問題はありませんよね?」
『ほぉ、成程、所謂添い寝というヤツですな…?』
「此れ以上、貴女が無駄に働かない様にの監視の意味合いも込めて、になりますがね。私が横に居ては嫌ですか…?」
『いや…ふふふっ、其れで良いよ。不満は無いし、異論も無い。七海が側に居てくれるのなら…其れだけで十分だから。』


そう答え終わると同時、ベッドの上に投げ出す様に預け切っていた躰は彼に抱き上げられ、きちんと布団に入れる様そっと優しく寝かし直された。

次いで、隣のスペースに彼も一緒に滑り込めば、きちんと肩まで布団を掛けられる。

そして、元リーマンだったにしては逞しい腕に胸元まで引き寄せられて対面位で抱き竦められた。

丁度、彼の心臓の位置に私の頭が来る感じなのが、私の何よりの安堵と眠りやすさを謀った感じで、本当参っちゃうなって思う。

厳しそうでいて、その実はこんなにも優しく甘やかされてしまっているのだから世話ない。

だけども、そんな彼の不器用な、でも確実な優しさに救われて、溺れて、今に至るのだ。

彼の居る処が最早私の安らぎの場所になっていただなんて、今更気付いたところで恥ずかしくて誰にも言えなさそうだから黙っておくけど。


「…何笑ってるんですか?」
『んふふ……っ、何でもないよ…。ただちょっと…凄く疲れてる時にこうされるのが、堪らなく安心するなぁ〜…って思っただけ。』
「……そうですか…、其れは良かったです…。私の存在が、貴女の寄す処よすがと成り得るのでしたら、何時だろうと幾らでも支えてあげますよ。私の知らないところでポキリと折れられても困りますから…――だから、どうかあまり無茶はしないでくださいね。」
『はぁい、気を付けまーす…っ。』
「出来れば、今後一切しないとまで約束出来たら一番良かったんですがね…流石の其れはお互いに呪術師をやっている以上は無理な話になりそうだったので譲歩します。…兎に角、今は少しでも良いので寝てください。そして、起きたら軽くでも良いので何か食べてくださいね。人間の三大欲求の内の二つを疎かにし過ぎるのも大概にした方が良いですよ、莎草さん。」


彼に呼ばれる名前がこんなにも心地好いとは…既に早くも微睡んでいく思考の端で思った。

嗚呼、本当に参っちゃうなぁ…。

何もかも見透かされていて悔しいという気持ちも少なからず湧かない事もなかったけれど、彼より与えられる安堵感に包まれて、あっという間に私は意識を落とした。


「―お疲れ様です、莎草さん…良い夢を。」


眠る夢の淵で、彼の服から香る淡い香水の香りが鼻先へ掠めた気がして、また心の内が溶かされたのであった。


AFTERWORD

執筆日:2020.12.28

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