フォーリン・フォーリン
休日の朝、八時を回った頃だった。
貰っていた合鍵を使って部屋の鍵を開け、勝手に上がっていく。
勿論、アポなど取っている訳も無く、予約なんてのも入れていない、勝手気儘な訪問だった。
「めっぐみぃ〜、遊びに来たぞぉ〜……っ」
ガチャリ、玄関のドアを開けた先で覗き込んだ部屋は、案の定真っ暗であった。部屋の主が、まだお眠で、ベッドの中に居たからだ。
気にせず、私は部屋まで上がり込み、手探りで電気を点け、窓のカーテンを開く。
途端、容赦無い日光が寝床で毛布に
其れまで暗かった部屋に、突如として明るい眩しさが入り込んできた為か、顔を顰めた彼が呻いて寝返りを打ち、布団を引っ被った。
朝に弱い恵は、いつもこうである。構わず起こしに掛かった。
「恵ぃ、起きてぇー。朝だよ〜。ついでに、彼女が遊びに来ちゃったよ〜。構えーっ」
「………ぅ゛う゛ん゛……っ、うるせぇ…もう少し寝かせろ……っ」
「あー、可愛い彼女が起こしに来てやったのに、つれない事言うんだぁ?恵ったら酷いんだぁ〜」
「……ん゛〜ぅ゛……っ、休みの日くらいゆっくり寝かせろ………」
「今日お天気良いよ?絶好のお洗濯日和だよ?恵、洗濯物溜まってんでしょ。今日みたいな日に纏めて洗っちゃおうよ〜?あと、玉犬の散歩は?しなくて良い訳?」
「……………分かった…分かったから、起きる……」
「よし、偉いっ!」
もそもそと布団の塊が身動いで、遂に目を覚ましたらしき恵が眠たげな
「ふふっ……おはようさん、眠り姫な恵さん」
「………俺が眠り姫なら…目覚めのキスが欠けてんじゃねーの……?」
「おや、そうだったね。じゃあ、改めまして、おはようのキスでもしてあげよっか?」
「……ん」
「あははっ……まだ寝惚けてんでしょ、恵ったら。もう、可愛いなぁ〜しょうがないなぁ〜っ。……寝惚けた可愛い恵には、特別だよ…?」
まだ完全には目覚め切っていないのだろう、ぽやぽやとした惚けた顔で可愛い事を言ってくれた彼氏に対し、デレデレな気持ちになりながら身を乗り出して、未だベッドの上で寝転ぶ眠り姫(男)に“おはようのキス”を送った。
ほんのちょっと触れ合うだけの軽いキスだ。
お利口な恵なら、此れで起きてくれるだろう。
しかし、意外や意外、予想に反して、彼は欲張りだった。
一回だけのつもりでしたキスに“おかわり”を所望され、気付けばベッドの中に引き摺り込まれて、朝からするには熱いキスをお返しされた。
堪らず押し返し、「目が覚めたんなら起きる…っ!」と叱り付ける。
全く、盛んなお年頃だからって油断も隙も無いなぁ!
一先ず、お目覚めらしい彼をベッドから出るよう急かして、洗濯物を回収する事にする。
「寝起きから誘われるような事言われりゃ、そりゃスるだろ……?ベッドの上だし、据え膳じゃね」
「誘ってないよ、馬鹿ァ!!お寝坊さんな恵起こしに来たら、寝惚けて可愛い事言うから、意趣返しのつもりで
「男の部屋に来るってそういう事だからな」
「開き直るんじゃない!!ったく……ほら、服着替えて顔洗ってきな?私、その間に洗濯に出す物纏めといてあげるから」
「寒ィ……」
「こらっ!私を湯たんぽにするんじゃない!動けないでしょうが…!」
起きたら起きたで、今度は寒いと
いや、正直可愛いし、思わず許したくなっちゃいそうになるけども。
其れじゃ甘やかすだけになっちゃうからと、引き剥がした。
まぁ、恵は聞き分けの良い子だから、一瞬叱られた後の子犬みたいにシュンとした顔をしたけども、大人しく顔を洗いにベッドから出た。
うん、今のちょっとだけ心に刺さって痛かったな……。
でも、恵の健康の為、時には心を鬼にしてちゃんとしなくちゃ…っ。
気持ち改め、洗濯物を回収し、コインランドリーに持っていく準備を行う。取り敢えず、色物とそうじゃない物とで分けておけばオッケーかな。
そうこう色々と考えている内に、洗顔も着替えも済ましたらしき彼が、ランニングジャケットを着込んで玄関へと向かう。
「走ってくるの?」
「あぁ。ついでに、玉犬の散歩も兼ねて行ってくる」
「じゃあ、私、その間に洗濯物コインランドリーに持ってって、朝御飯も作っとくね」
「ん、助かる」
「ふふっ、いってらっしゃい!気を付けてね」
「いってきます」
まるで新婚さんみたいな会話だなぁ、と思いつつ、微笑んで彼を見送った。
さて、ならば私は良妻宜しく、旦那様が帰ってくるまでに遣る事全部済ませちゃいますかぁ…っ!
気合いを入れて、洗濯物を入れた籠を持ってランドリーコーナーまで移動する。洗濯物は、洗濯機の中に突っ込んでおけば、後は自動でやってくれる。スイッチを入れて、コースを選択すれば、後は暫く放置だ。
私は恵の部屋まで急いで戻って、今度は朝御飯の支度に掛かる。
恵は御飯派だから、主食に白米を用意するのは当然として、後は何を用意しよう?一先ず、お味噌汁は付けた方が良いだろう。
おかずは何が良いかな?冷蔵庫にある物で作れそうな物を頭の中で構成しつつ、朝食のメニューの献立を決めていく。
卵があったから、手っ取り早く目玉焼きにしよう。
ついで、スパムも焼いて添えれば、おかずは揃うかな。
あと、レタスにトマトにツナ缶があったから、簡単なサラダでも作れば完璧か。
コンロに火を点けて、お味噌汁を作り始める準備に取り掛かる。
お味噌汁の具は、シンプルにワカメと豆腐とお麩に、最後にネギを散らせば良いよね。
あ、後で玉犬の御飯も用意しなきゃかな……?
まぁ、其れは恵自らやると思うからいっか。
タンタン、コトコト、台所で調理の音が鳴り響く。
途中、機嫌良さげな鼻歌まで歌っちゃって、完全に自分だけの世界へ入り込んでいた。
手際良く進めていけば、順調に料理は出来上がっていき、仕上げに炊き立ての白米を茶碗に盛れば完成である。
「よし…っ、ザッとこんなもんかな」
綺麗に整えたテーブルへ完成した朝食を並べ、一息
調理は終わったと、エプロンを外しているところで、お腹を空かせた愛しの旦那様のご帰宅である。
「おかえりなさ〜いっ!」
「ただいま」
「朝御飯、丁度出来たとこだったから、良かった!早く一緒に食べよ!」
「ん。手洗いうがい済ませてきたら、食べる」
二人揃ったところで、互いに手を合わせて食事を始める。
「頂きまぁーっす」
「頂きます」
部屋には、二人の食事をする音が響き始める。
「何か、結構しっかりしたメニュー並んでて吃驚した……」
「んふふっ、走ってお腹空かせてきたであろう恵の為に頑張っちゃいました…!お味噌汁は、シンプルな具にしたけど、味どう?お口に合ってる?」
「うん、美味い……空腹に染み渡ってく感じするわ…」
「うん、分かるよ。朝から飲むお味噌汁って、何か染み渡ってくよねぇ。日本人だからかな……」
「米が進む」
「おぉ、好きなだけたらふくお食べ。育ち盛りな男の子は、食べるのが一番よ」
「お前は、いつ、俺のおふくろになったんだ…?」
「あら、ダメだった?」
「……母親だと、結婚出来なくなんだろ…」
「恵のデレが尊い……っっっ!!」
急なデレを見せてきた彼の態度に、思わず心臓の部分を押さえた私、大袈裟じゃないと思う。不意打ちでそんな事言われたら、普通に悶えるわ。
――なんて、他愛ない会話を紡ぎながら、穏やかな朝の時間は流れていく。
「おかずは、適当に冷蔵庫にあった物とかで有り合わせで作ったから、そんな豪勢な物じゃないけども…一応、バランス考えて作りました!あっ、目玉焼きは好きなの掛けて食べてね。ソースか醤油か、はたまた塩か、目玉焼きの食べ方って人によってかなり好み分かれるから。私は、作る時はシンプルに味塩胡椒パパッと軽くだけ振り掛けといて、食べる時は基本醤油なんだよなぁ……。つって、掛けるの黄身食べる時だけなんだけど」
「あー…まぁ、添えてあるおかずにもよるな。味の濃いおかずと一緒に出て来た場合は、其れと一緒に食ったりもするし」
「分かる。結局は、別個味付けすんのめんどくなったら、他と一緒くたに食べちゃうよね。食べちゃえば
「言いたい事は分かるが、言い方雑過ぎんだろ……っ」
「でも、事実だし、伝わってんだから良いのである…!」
「お前なぁ……」
好きな人と一緒に食べる御飯って、何でこんなに美味しいんだろうな。
気付けば、二人共笑いながら食べてるし。
此れが、幸せな風景って事なのかな……。
将来結婚なんてしたら、きっと毎日こんな風景が広がってるんだろう。
なんて素敵で、なんて平和で穏やかな未来なんだろうか。
そんな未来をリアルに描けたら、幸せだろうなぁ……。
ふと、彼と朝食を共にしながら、そんな事を思った。
美味しい御飯を食べつつ、幸せを噛み締めるみたいな顔をして箸を動かしていたら、不意に箸を止めて此方を見てきた恵の視線に縫い止められた。
「……なんて顔して飯食ってんだよ」
「えっ……?」
「何だよ…その如何にも幸せそうな顔……っ、可愛いかよ……」
「えぇっ……変だった?」
「いや……ただ、あんまりに幸せそうな笑み浮かべて食ってっから…何か、その………」
「んふふっ……何、また狼な本能が顔でも見せてきたの?」
「………飯食った後、抱く……」
「やだもう、恵ったらエッチなんだから…っ」
まぁ、半ばそう反射的に照れ隠しの言葉を口にするも、実際のところはそんなに嫌じゃないのだ。
好きな人に求められる事程、素敵な事って無いじゃない?
故に、いつ死ぬかも分かんないんだから、会える内に言葉を交わせる内に愛を伝え合っておかなくては…。
「そういえば、恵って、目玉焼きの“白身”と“黄身”どっち好きかって問われたら何て答える?」
「え?……んー、どっちかっつーと、“黄身”の方か?目玉焼きの主役って、目玉の部分の“黄身”だろ。だから、俺は“黄身”のが好きだな」
「うん、期待通りの反応を有難う!私も、恵の事大好きだよ!」
「――…、は?」
一拍遅れて返事を返してきた彼が、此方を怪訝な顔で見てくる。
私は、悪戯が成功した子供みたいな顔で、ニコニコと微笑みながら口を開いた。
「“どういう事だ?”って言いたげな顔してるね、恵。今の話の真実を教えてあげるとね……単に恵からの“好き”って言葉を聞きたいが為に仕掛けたトラップだった、という訳さ!」
「……どっから何処までだよ?」
「今、目玉焼きの話したじゃない?ソレだよ。“黄身と白身どっちが好き?”って質問、アレ、実は“黄身が好き”と答えた場合、“あなたの事が好きですよ”って意味に変換されるお遊びだったの。いつぞやに巷で流行ったネタらしいんだけど…知らなかった?」
「そういうの、興味無ェから知らねぇよ……」
「あははっ、だと思った!まんまと引っ掛かってくれたんだもん…!いやぁ〜、予想通りの反応返してくれて嬉しいね!」
「こっちは嬉しかねぇけどな……人の事
「拗ねないでよ〜。ちょっと
「そんなに聞きたきゃ、幾らでも言ってやるっつーの」
「えっ」
気付いた時には、テーブル越しに身を乗り出した彼に口付けられていて、その一瞬の事に呆けていたらば、耳元で声低く囁かれるのだった。
「――好きだ、莎草」
一言だけだったのに、耳朶や首筋に掛かった吐息や何やらに思考を溶かされて、すっかり余裕など消え去ってしまった。
反対に、恵の方は、元の位置に腰を据え直していて、平然と食事を再開していたのだった。狡い、そんなの反則でしょ。
結局何も言えぬまま、私は耳元を押さえて顔を真っ赤に茹だらしていた。彼は不敵な笑みすら浮かべている。
う゛ぅ……っ、恋人が格好良過ぎて敵いません…!
取り敢えず、何とかその後私も食事を再開したけれど、最後の方はどんな味だったか分からなかった。
く…っ、いつか絶対、私が恵を翻弄してみせるんだからぁ……!
決意新たに挑むも、惨敗続きな乙女心なのであった。