熾烈を極めていた歴史修正軍との戦が終わった。

戦が終わったと同時に、数多と存在していた本丸は解体され、其処に所属していた俺達刀剣男士達も処分という名目で刀解される事が決まった。

本丸を纏め上げる為に将として据えられていた審神者達も例に漏れず、その全てが職を解雇。

本丸で得た記憶や想い出は後の歴史に影響が出ないようにの措置で全て抹消される運命にあった。

全部が全部、政府の都合の良いように作り上げられた末路だった。

だが、俺も主も、其れに何の不平不満も言わずに此処まで付いてきた。

そもそもがそうなるであろう事を分かった上で、今まで共に戦乱を駆け抜け頑張ってきた。

その最後の最後が、記憶の消去が代償とは切な過ぎるだろうという声も無くは無かったが…俺達は長きに渡った戦に勝利出来ただけで満足だった。

戦が終わって、もうじき俺達の本丸は解体される。

その手続きが踏まれれば、俺達の主である審神者も記憶を消され、元居た時代へと返される。

全てを忘れ、日常へと戻る事が出来るのであった。

其れは、喜ばしい事な筈だった。

けれど、本音は…全然嬉しくなんてなくて、寧ろ真逆の感情に胸を締め付けられていた。

もう、明日明後日には、この本丸ともお別れで、俺達はただの物言わぬ刀に戻った後、刀解されて御霊は本霊へと還る。

主は、審神者であった間の全ての記憶を忘れ、元居た時代へと帰する。

事は順調に進められていたし、本丸の片付けもほとんど済んでいたから、後は最後の日を待つだけであった。

俺と主は、最後を惜しんで、夕暮れの縁側で二人きり、庭の景色を眺めていた。

この美しく穏やかな景色とももうすぐお別れで、主は名残惜しそうに本丸から見える景色を目に焼き付けていた。

直に失われる事になろうとも、短い間でも目に焼き付けていたいのだと、主は暮れ往く空を眺めて言った。

夏の季節の事であった。

俺達の本丸が始まったのも夏の事で、終わりを迎えるのも夏の季節とあって、何だか清々しい気持ちだった。

夕暮れ時の涼しげな風が吹く中で、庭に咲き誇る花々は揺れ、山から飛んできたのだろう蜩がカナカナ…ッ、と物悲しい鳴き声を響かせていた。

傍らに置かれたコップからは、溶けた氷がカラン…ッ、と静かな音を立て、表面は中の麦茶に冷やされて露を滴らせていた。

物静かな空間が其処には広がっていた。

ふと、隣に居る主が口を開いて呟いた。


『私達の本丸も、もう終わっちゃうのかぁ〜…。でも、色々と頑張ってきたよね、此処まで来るのに。』
「…嗚呼、そうだな。」
『此処で作った沢山の想い出が全部失くなっちゃうのは、やっぱり寂しいもんだねぇ〜…。』
「そうだなァ…。」
『ふふ…っ、本当色々あったよね、私達。時には喧嘩もして殴り合って、けど…その最後にはちゃんと和解して。皆で助け合って、此処まで大きくなったよね。』
「嗚呼…あん時、アンタに張っ倒されて吹っ飛ばされた時は、流石の俺もビビっちまったなァ。あん時のアンタ、本気でぶちギレてて、泣いてんのか怒ってんのか分かんない顔で怒鳴り散らしてたよな〜。」
『ふは…っ!そういえば、そんな事もあったねぇ〜。もう随分と昔の事だけど。』
「おう…ありゃ、確か本丸始まって初期の頃だったな。俺が無茶して敵陣に突っ込んでって、部隊の皆ボロボロになる程戦って…何とか勝利して帰るも、重傷食らって全身血塗れで息も絶え絶えだったところを主に激怒されて。おまけの最終的には、言う事聞かねぇ俺の胸倉掴んで吹っ飛ばしたんだったよな…?俺、あん時正直立ってるのもやっとっていうくらい意識朦朧としてるレベルだったのに、アンタ容赦も無く壁に叩き付けてきたよなァ〜。アレ、本気で一瞬死ぬかと思ったんだぜ…?リアルに折れる手前だったしよ。お陰でギリギリ保ってた意識もぶっ飛んじまって、強制的に伸された後は手入れ部屋に突っ込まれて、暫くの間出陣も遠征も禁止食らったんだっけか。」
『あっはは…!そんな事もあったっけ…っ?』
「あったよ。忘れもしねぇぞ、あん時の恐ろしいアンタの馬鹿力。」
『本当アレは私も吃驚だったなぁ〜。幾ら頭に血が上ってたとは言え、大の男(其れも一般成人男性よりは重い)を持ち上げただけでなく吹っ飛ばすなんてねぇ…っ!いやぁ〜、アレは後の伝説になったなぁ…!』
「笑えねぇ語り草の、だけどな。」
『ふふふふふ……っ!本当、色々あったねぇ〜…。』


そう、沁み沁みと零した主の目が潤んでいた事には、敢えて気付かない振りをして、ただ側に寄り添ってやった。

どちらも同じ気持ちなのだ。

俺も、主も。

寂しい想いが胸を占めている事に触れないようにして、お互い笑って過ごしているのだ。

―最後のその日まで、笑顔で居る為に。

寂しくても辛くても、出来る限りは泣かないと決めた主の意向に沿って、俺も直接そういう事は口にしないよう気を付けた。

感傷に浸るが故に浮かんでくる涙に、主がわざとらしく上向いて空を仰いだ。


『審神者じゃなくなったら、私何しようかなぁ…?一般職業に就いてたの、もう随分と昔の事だから…普通の役職就いても、やっていけるか心配だなぁ〜。』
「大丈夫だろ…アンタならさ。此処での事を乗り越えたアンタなら誰にも負けねぇし、何が起きても折れねぇし、どんなに厚い高い壁だって破っていけるって。そう心配すんなよ。今のアンタには其れだけの強さが身に付いてるって知ってるだろ…?」
『…ははは…っ、長年近侍と第一部隊隊長を務めてきたたぬさんに言われたら説得力が違うね…!言葉の重みが違うわ〜っ。』


揶揄い混じりにそう告げたら、笑って返してきた彼女が此方を見つめて小さく微笑んだ。

その如何にもな愛おしさ溢れた笑みに、俺は迷わず腕を伸ばして主の身を引き寄せた。

引き寄せて、腕の中に閉じ込めて、互いが密着する程に抱き締める。

この温もりが、もうじき失われるなんて、夢か嘘だと思いたかった。

けど、現実っていうもんは常に残酷で、その残酷さをまざまざと俺達に突き付けてきた。

この温度を、感触を、匂いを、忘れたりなんかしたくなかった。

そんな想いを滲ませるように、俺は主を強く抱き締めて主の肩口に顔を埋めた。

そしたら、主の口から短く「暑いよ。」と愚痴を漏らされた。

だが、抵抗はされないし、其れ以上の言葉も言われない。

小さな建て前としての台詞に、本当はただ恥ずかしくて照れただけなんだという事がバレバレであった。

だから、俺は何も言わないまま主の身を抱き締め続けた。

暦上、四季に合わせて夏の景趣にしていたから、本音を言うと少しだけ暑かった。

けれども、其れ以上に主との残りの短い時間を大切にしたくて、俺は主の事を腕の中に閉じ込め続けた。

俺は…主の事が大層なくらいに好きだった。

初めて、人間の一人の女を心の底から愛しく想った。

其れは、俺だけじゃなく、主の方も同じで。

俺が想いを告げた時、主は必然的といった風に受け入れ、俺の手を取ってくれた。

俺は見てくれが良い訳でもなければ、ただの武器で刀という存在でしかなかったのに。

主は、ただ純粋に俺の強さと俺という存在に惚れ込んで、己の一等大切な位置に俺を据えてくれた。

其れから、今に至るまで、ずっと寄り添ってきた。

恋人らしく、人の真似事のように手を繋ぎ、唇を合わせ、時には躰を重ねて睦み合う事もしてきた。

その何れもが、何事にも代え難い強み、慈しみとなった。

俺は、きっと何があろうと、此れからもその先も主の事を愛していると思う。

其れだけは絶対に変わる事は無いだろう。

例え、この身が本霊へと還ろうとも、この想いだけは忘れずにいたい。

主自身も、きっと其れは同じで。

だから、今、俺の胸に静かに寄り掛かって、愛しそうに目を瞑っているんだろう。

離したくなどなかった。

でも、俺は御上に逆らえる程の力を持たない、所詮は一介の付喪神に過ぎなかったから、彼女を何処かに隠して連れ去る事も出来なかった。

そして…其れは、主も望んじゃいない事だった。

故に、俺は在るがままの現実を受け入れ、此処に居る。

ただ簡単に消えてやる気は無かったから。

俺は主に言ってやった。


「…例え、アンタが俺の事を忘れちまったとしても、俺だけはアンタの事を憶えていてやるから…何も悲しまなくて良いぜ。大丈夫だ…。俺は、きっとアンタの側からずっと離れやしねぇから。アンタが分からなくなってても、ずっと側で見守っててやるから…変に泣いたりすんなよ。」


腕の中の主が身動いで、俯けていた顔を上向かせ、俺の方を見た。


『其れ…本当?』


今言った事を、その場を遣り過ごす為の嘘でも方便だとでも思ったのか。

純粋な疑問を抱いた目を俺に向けてそう問うた。

嘘っぱちなんかじゃないさ。

俺は本気のつもりで言った。


「嗚呼…本当だよ。俺は、絶対にアンタの元から離れてやんねぇよ。例え、アンタが離れろと望んでも、絶対に離してなんかやらねーから、向こうの世界に帰ってもそのつもりで居ろよ。」
『………そっか。…なら、此れからもずっと安心して居られるね。向こうでも、変わらずたぬさんが守っていてくれるなら…何も怖くないや。ふふ…っ、何よりも強い味方且つ御守りが出来ちゃったな…っ。』


嬉しそうに笑った彼女が愛おしくて、俺は自然と彼女の顔に己のものを近付けていた。

その意図に、彼女も気付いたのか、そっと目蓋を閉じると俺の接吻を受け入れた。

お互いの唇が柔く触れ合って、次第に深く重なり合う。

息をも飲み込んでしまうように彼女の口を塞いで、彼女の存在を掻き抱く。

自然とお互いがお互いを求め合うように暫くそうして唇を触れ合わせていたら、流石に息の続かなかった彼女が腰砕きになり、俺にしな垂れ掛かるようにして凭れ掛かってきた。

何時やっても変わらぬその初心な様子に、俺は思わず吹き出して声に出して笑った。


「ふは…っ、アンタって、結局何時になっても接吻の一つも慣れねぇまんまだったな?」
『…ぅ゙ぅ…っ、こんなの慣れる訳がないよ……ッ。』
「ふ…っ、そうだなァ…アンタはそのまま変わらずに居てくれよ。」


眦に浮かぶ生理的に溢れた涙を優しく指で拭ってやりながら、そう口にした。

彼女はこくり、と一つ頷いてされるがままの姿勢を保った。

全部が全部愛おしかった。

なるべく傷付けないよう優しい手付きで触れて慈しむ。

すると、彼女は決まって擽ったそうに思わず漏れ出たみたいな笑みを零して笑うのだ。

その柔らかで自然な笑みが、一等大好きだった。

愛しさを伝える為に涙を拭った手で彼女の顔を包み、額や目蓋、こめかみに頬や鼻にかけて口付け。

最後には、やはり唇に触れるだけの口付けを落とした。

此れっきりが最後だなんて言わせない為に。

俺の好きな笑みを浮かべた彼女が、此れからも変わらず幸せで居られるようにと願った。


『…向こうに戻っても、たぬさんの事、ずっと好きで居るね。…っていうか、もうたぬさん以上に好きになれる人居ないと思うから。またたぬさんに出逢える日をずっとずっと待ってるね。』
「嗚呼…当たり前だろ?もし、俺以外の奴に惚れたりなんかしたら、張っ倒すからな。」
『ふはっ!張っ倒すだなんて、そんな無茶振りな…っ。』
「無理な話じゃねーよ。俺は付喪神だからな…。出来ねぇ話じゃねェーから、油断すんなよ。」
『んふ…っ、そうだね。私が惚れたのは、戦の神様とも呼べる、折れず曲がらずの実戦刀の同田貫様だもんね?大丈夫、安心して…っ。私、そう簡単に心靡くような軽い女じゃないから。…私の相手は、何処まで行ったってたぬさん一人しか居ないよ。』
「…ん、上等だ。」


名残惜しみながらも躰を離して、お互いにまた本丸の景色へと視線を移した。

例え、この身が失くなったとしても、俺は主という一人の人間の元から離れない。

だから、此処本丸が失くなっても、彼女が審神者でなくなりただの人へと戻ってしまっても、俺は彼女の元に居続ける。

“さよなら”なんて台詞は一切言うつもりなんて無ければ、言わせるつもりも無かった。

故に、俺達は代わりの言葉を用いて別れた。

“またね”という台詞を告げて…。


―幾つかの季節が巡って、幾つかの時が過ぎた。

俺は、規則に則ってその身を刀解された後、本霊へと還ってただの刀に戻り、現世の俺が生まれた地で歴史的保存物として扱われながら狭苦しい透明の箱に収められていた。

時折、誰かが俺の前を横切っては、俺の様を眺めて行った。

退屈そのものだった。

だが、元より刀であり物であった俺は、本来在るべき姿に戻っただけだと思う事にして、其処に佇んでいた。

数多の分霊の意識が戻った俺には、様々な本丸での記憶を一同に保持していた。

元々集合体であった身故に、その量は膨大で、その一つ一つを思い出して過去の今までの己と向き合うには丁度良い時間だった。

全てを思い返している内に、とある一人の人間の存在に思い至って、酷く懐かしく思う。

彼女は、あれからどうしているのだろうか。

存在自体は微かに意識下で感じていたものの、細かなところまでは知り得ない。

元気にやっているのだろうか。

そんな風に外の景色を気にして見遣っていると…、不意に見覚えのある姿が視界に映り込んだ。

本丸に居た頃と然して変わらぬ様子で佇む彼女の姿が、すぐ其処の近くに在ったのだ。

俺は堪らず普段は控えていた己の霊力を駆使して、その身を嘗て顕現させていた姿へと形作る。

そして、ずっと逢いたくて焦がれていた存在に声をかけた。


「―久し振りだな、主。…いや、李鞠。達者にやってたかよ…?」
『ぇ…………っ。』


久方振りに取った姿を見た彼女が、驚きに声も失って固まり、瞠目する。

そりゃいきなり物言わぬ筈の刀が喋りかけたら驚いちまっても仕方がねぇか。

彼女に嘗ての記憶は無いのだから。

俺の事は塵の一つも憶えちゃあいないんだろう。

しかしながら、こんな刀しか置いてないような処にやって来たという事は、少なからず期待しても良いという事なんだろう。

俺は嬉しさが滲み出た顔で彼女に言った。


「…ずっと、アンタに逢いたくて堪らなかったよ。」


そう告げたら、彼女が戸惑ったような声を上げて呟いた。


『………え…何、で刀が喋って……って、あれ……?何で、私泣いて……っ、え、やだ、何か止まらな…………ッ、』


自然と勝手に溢れてきた涙に加え、喉を堰上ってくる嗚咽に、ただ戸惑うしかない彼女は混乱したように涙を溢した。

ぼたぼたと床を濡らす透明で温かな其れを、今は拭ってやる事も出来なくて。

代わりに、硝子越しに手を付いていた彼女の手に己のものを重ね合わせるようにして告げた。


「悪いな…今はただの刀に戻っちまったから、その涙を拭ってやれる肉を纏える程の力が無ェんだ。だから、こうして語りかける事しか出来ない俺を許してくれな…?」


痛く大事にしてきた存在の彼女だからこそ、変わらずの姿のまま居てくれた事に感謝した。

意識を探ってみれば、俺以外が付けた印は無い事を確認して、安堵する。

別れる前に交わした約束は、どうやら忘れられても守られたままであったらしい。

嬉しいその事実に、俺は堪らず笑みを漏らして言葉を伝える。


「また逢える日が来て良かったぜ…愛しい愛しい俺の主さんよォ?」


ピタリ、彼女の涙が止まって、嗚咽も止まる。

次の瞬間には、柔く笑む彼女が愛しげに目を蕩けさせて俺を見つめていた。


『………どうしてか分からないけど、貴方と逢えて、私凄く嬉しいみたい…。ずっと何処かで感じてた意識が、漸く分かったかもしれない…っ。』


硝子越しに触れる彼女の手が、意図的に俺の掌がある位置へと重ねられる。


『…ずっと、私の事待っててくれてたんだね…、有難う………っ。』


また一つ、彼女の目から涙が溢れ落ちる。

その愛おしい涙に俺は温かな気持ちを感じながら微笑んだ。


「―嗚呼…、来るのがおっせぇんだよ。」


そんな小さな小言に、彼女は俺の一等大好きな笑みでもって応えるのだった。


執筆日:2020.07.28

【後書き】
今回参加した企画のテーマが、「ただでは生きない」または「僕はさよならを云うつもりはない」というものでしたので、今回は後者の意味を選んで書かせて頂きました。
ざっくり雰囲気だけでも伝われば幸いに思います。
ついでに、ぶっちゃけますと…選んだお題が「赤い意図」というものでしたので、もう此れは互いを繋ぐ“赤い糸”という意味を含めて書くしか無いだろう!と安易に思い付いて選んだお題でした(笑)。
主人公へと抱く意図と、互いを結んだ赤い糸が繋がっているならば、例え地の果て地獄の果てまでも彼女の側で彼女を愛し尽くす…的な意味合いを含ませながら描きました。如何だったでしょうか…?
少しでも読んだ方がお気に召して頂けたら、其れだけで書いた私は嬉しい限りです。
…ついでのついでに、私の推しに少しでも惚れて頂けたら此れ幸いとニヤ付いときますね(確信犯)w
後書きを締め括るにあたりまして、素敵な企画を用意してくださったドア子様には、大変感謝致します。
この場をお借りして、改めて御礼申し上げたいと思います。
この度は、素晴らしき企画にて私の稚作な作品を並べてくださり、誠に有難うございました。
※尚、当作品のタイトルは、企画サイト様指定のものをそのまま使用させて頂きました。