放っておけない人
仕事を終えて、ボスへ報告をした後、今回拠点として泊まり込んでいたホテルへと戻る。
慣れないながらも、着実に組織の一員として染まりつつある彼女を心配して、その方を見遣る。
当人は、ホテルへ戻ってきた途端、張り詰めていた緊張が解けたのか、それとも慣れない事をした事で疲れたのか…。
恐らく、両方であるだろうが、部屋に入るなり座り込んだソファーの上で半分伸びていた。
「キティ…、そんな所で伸びないでください。」
『………んにゃ…っ、』
「…はぁ…っ。疲れているなら、先に風呂にでも入ってきてください。僕は、後でも構いませんから。」
『…ぅーん……っ。』
肘置きに頬杖を付いて、思い切りうつらうつらと舟を漕いでいた彼女に声をかける。
だがしかし、既に眠りの淵…夢の世界にでも片足を突っ込んでしまっているのか、返事はするものの全く動こうとはしない。
僅かながらに反応を示し俯けていた顔を少し上げたが、それだけ。
開いているのかも怪しい視界をぼんやりと見つめていた。
「眠たいんですか…?」
『…はぃ…っ。』
「なら、せめてその顔のマスクを取ったらどうです…?帰ってきてから直ぐに取り外せば良いのに、部屋に戻ってきてからも付けっぱなしですよ?」
『……ぁ、』
「あと、寝るならソファーではなくベッドで寝てください…っ。」
僕がそう言った事で漸く思い出したように素面を覆う組織の一員としての仮面を剥ぎ取った彼女。
緩慢な動きで剥ぎ取られた裏の顔の下に覗くは、年相応とした女性の顔。
米化大学に通う女子大生の顔。
それは、僕と同じように隠されていた表の顔。
但し、僕と違う点は、その顔こそが彼女の本当の顔であるという事。
僕の今のこの顔の下には、まだ二つの顔が潜んでいる。
「マスクを取ったら終わりじゃないですよ…。今度は、今着てる服を脱いでおく仕事が残ってます。さっさと服を着替えてきてください。…僕は此処で待ってますから。」
『…んぅー…っ。』
「だから、其処で寝ないでくださいってば…!」
言っても聞こえていないのか、もはや眠気に負けて聞く気が無いのか、取ったマスクの残骸を身近な所にあったゴミ箱へ捨てただけで再び伸びる。
今度は、肘置きを枕に顔を伏せていた。
今度こそ本気で寝ようとする体勢に入ってしまった彼女を見て、溜め息を吐く。
一々注意するのも面倒になるし、疲れる。
仕方なく、服はそのままに、膝裏に腕を差し入れ、横に抱えた。
横に抱えた体勢が気に食わなかったのか、多少暴れはしたが、気にせず抱え込んでベッドまで運ぶ。
まぁ、今回の任務は、然程服が汚れるような事でも無かったので、そのまま寝たとしても差し支えは無いだろうと思いつつ、腕に抱えた彼女を降ろす。
ベッドへと横たえて遣れば、すやすやと気持ち良さそうに表情を緩め、もぞもぞと動いて、寝心地の良い場所に落ち着く。
そっと上から布団を掛けてやれば、完璧なまでの就寝体勢だ。
「…全く、良い御身分だな君は。僕なんか、苦労してこの地位まで上り詰めたというのに…。」
何の努力も無しに、ベルモットのお気に入りというだけで、ただボスのお眼鏡に叶ったというだけの存在で。
皮肉を伴った言葉が、つい口を突いて出たかのように零れる。
「…汗でも流すか。」
くだらない事を考え始める前に思考を打ち切って踵を返し、自身はシャワーでも浴びようとシャワー室へと向かう。
蛇口を捻って、頭から思い切り水を被る。
少しは頭がスッキリする気がした。
それから、少し汗を流して、部屋へと戻る。
まだ濡れた頭を拭きながらベッドルームの方へ向かってみると、すっかり夢の中へと落ちてしまったキティが、いつの間にか寝返りを打って横向きに眠っていた。
何気なく側へ歩み寄り、布団の空いたスペースに腰掛けて、彼女の顔を覗き込んでみる。
すれば、何とも警戒心の欠片も無い、無防備そのものの寝顔が晒されていた。
こんなので組織の人間をやっているのだから、驚きだ。
どんな神経をしているのか…。
「…寝顔こそ、普通の大学生の…ただの女の子の寝顔なんですがね…。何で、こんな子が組織に関わってしまっているのか。」
もう一つの日本警察としての顔が、そう考え始めようとする。
重力に流れた前髪へ、さらりと触れる。
ふと、顔に垂れた横髪が気になり、優しい手付きで耳へと掛けてやる。
顔に掛かっていた横髪を払った事で、顔がよく見えるようになる。
露になった寝顔は、実に綺麗で、少し幼げに見える顔だった。
ぐっすり熟睡してしまっているのか、それはそれは穏やかに寝入っていた。
本当に、警戒心の無い子だ。
「君という人は…一体、何者で、何故この組織に居るのか。」
無防備に寝入る素の彼女の頭を、起こさないよう気を付けて撫でる。
「キティ、組織より与えられしコードネーム……これの意味が分かるか?」
完全に寝入ってしまっている彼女から返ってくる言葉は無い。
「………まぁ、期待はしていないけれどね。」
寝返りで出てしまったであろう手を甲斐甲斐しくも布団の中に仕舞ってやって、肩まで掛けてやる。
「さて…僕も髪を乾かした後、何か少し腹に入れてからでも寝ますか。」
ギシリとスプリングの音を軋ませて腰を上げる。
彼女に背を向けて、数歩歩いた先で、微かに聞こえた呟き。
『………と、ぅさん……っ。』
小さく紡がれた、彼女の寝言。
だが、その一言に、彼女の組織に関わる意味の答えを聞いた気がした。
(安心しろ…僕達日本警察が、必ず解決してみせるさ。そして、いつの日か、組織の根源を潰してみせる。)
立ち止まっていた足を再び動かし始める。
「…君は、ゆっくり休める間に休んでおけば良い、キティ。その間の事は、全て此方に任せておけ。きっと…全部、その内僕達が終わらせてやるから。」
さぁ、次の仕事は、僕の本職だ。
日本警察としての、降谷零としての顔で。
執筆日:2018.08.16
加筆修正日:2020.05.23
加筆修正日:2020.05.23