アナタは何色に染まる



―私が組織を抜けて、彼等に見張られるように匿われる事になったのは、あの事件で奇跡的にも助かってから。

黒色に染まり切っていた筈の私の心に、光を射してくれた子供達を救う為…。

初めて組織に逆らい、己の命をも捨てて、軸を失った観覧車を止めようとした。

どうせ、奴等の鉄の雨で崩れた足場から落ち、鉄骨の刺さった身で致命傷を負っていたのだ。

どう足掻いても、どの道死ぬ運命だったのだから、結末はどちらに転んでも変わらなかった。

ならば、せめて何の罪も無い無関係な子供達だけは助けなくてはと、工事現場にあったクレーン車を使い、観覧車を押し止める事を選んだ。

私は、あの時…確実に圧し潰されて死ぬ筈だった。

だけど、突然現れた彼女とその彼女にまつわる人物が、間一髪というところで救い出してくれたのだ。

私は、彼女と、その彼女に付いている者達に生かされた。

あの後、FBIの管轄にある病院に入れられた私は、強制入院させられた。


―そして、今は…彼の事件の日以来、それまで組織の人間として生きてきた記憶を失ったという設定で、FBIに監視されながらの生活を送っている。

決して外には出してもらえないが、必要最低限の生活は出来ているし、それなりに自由も許されている。

以前までの生活と比べれば、至って不自由は感じなかった。

欲しい物があると言えば、買って持ってきてくれるし。

暇があれば、誰かしら部屋を訪れてくれる(私を監視する為であるというのが、前提ではあるが)。

だから、特に不平不満などは無かった。

ただ、唯一心残りなのは…助けた子供達に、もう一度逢って御礼をしたかったぐらいだろうか…。

事件に関わった人物達に、接触する事は許されていない。

組織の人間であった以上、当たり前の事だが…その想いだけは、ずっと心の片隅で疼いていた。

けれど…誰よりも逢いたいのは、彼女…此瀬梨トだった。

組織の中では、キティというコードネームを名乗っていたが、彼女が組織に入隊した後、どうにも気になって、個人的に彼女の素性を調べた。

調べて驚いたのは、まず彼女が、かつて組織を裏切り消された男の娘だった事。

さらに裏を調べたら何か出てくるかと思えば、本当にただの大学生という事実だけで…組織とは何の関わりも無い普通の女の子だった事。

なのに、彼女は、何故かベルモットからの引き入れを受け、組織に居た。

変わった子だった。

お酒も飲めない未成年で、殺しも出来ない…。

かと思えば、仲間がピンチに陥れば、身を挺して庇う。

アナタは、一体何者なの…?

その根本的事実を知ったのが、あの事件での日だった。

私を救出しようとしてくれた彼女のバックには、FBIとBKAの存在があったのだ。

何処の所属もしていないと、ノックのデータを盗み出した際に調べ済みだったのに…。

彼女は単独で、たった一人の男の為に、地獄の海の中に飛び込んでいたのだ。

そして、彼女は必死になって、私を救い出してくれた。


―だから、彼女に直接逢って、御礼を言いたい。

暗闇の底に溺れていた私を、引っ張りあげてくれたアナタに…。


―今日は何やら賑やかで、部屋の外から楽しげな声が聞こえた。

気になって、入口のドアを僅かに開け、顔だけ外に出して様子を窺ってみる。

すれば、オフィスに隣接した休憩スペースから明るい声が響いているのが分かった。

どうやら、何人かの人が集まって、何かをしているようだった。

首を傾げて様子を見ていると、オフィスとは反対方向から、聞き慣れた声が聞こえてきた。

自分の名を呼ばれたので、振り返れば、そこにはFBI捜査官である女性と元組織のメンバーである赤井秀一が立っていた。


「調子はどうかな…?」
「特に、これといった変化は無いわ。」
「それは、何よりだ。」
「それより…何かあったの?やけに賑やかな声だけど…。」
「あぁ、アレね。アレは、今日が“七夕”だから、はしゃいでんのよ。」
「タナバタ……?」


疑問に思った事を彼に問うていたら、ジョディが私の見つめていた方角を指して、苦笑した。

私はというと、新たに耳にする単語に再度首を傾げ、「何かの記念日か?」と問うと、日本の事をよく知る彼女達が教えてくれた。


「知らない?日本の七月七日は“七夕”といって、年に一度だけ…夜空に星の川が浮かび上がる日なのよ。」
「その星の川の事を世間一般では“天の川”と言うんだ。付け加えて、昔からの神話で…織姫と彦星が唯一出逢える日とされている。まぁ、お伽噺だがな。」
「へぇ…。」
「それも今日ならではの話だけど、日本では七夕の日に、笹の葉に願い事を書いた色紙を吊るす風習があるの。それで、私みたいに日本が好きな捜査官が他にも居て、ソイツ等が今話した事をやってて、はしゃいでんのよ。」


「全く、良い大人が何やってるのかしらね?」と呆れたように溜め息を吐く彼女だが、その表情は楽し気である。


「…ただそれだけの事で話しに来たの?」
「いや、君に用があったのは、コレの為だ。」


そう言って目の前に出された、何枚かの細い色紙。


「何これ…。」
「今しがた、彼女が言っていた色紙だ。これは、短冊と言ってな。君にも渡すように言われたから、持ってきたんだ。」
「え…、私に……?」


可愛らしい色鮮やかな色紙を数枚渡された私は、驚いて固まり、彼の手元にあるそれらを見つめた。

ただ、ずっとそうしている訳にはいかないので、取り敢えずといった形で受け取る。

すると、その様子を見ていたジョディが、申し訳なさそうな表情をして口にした。


「アナタにも願い事…あるでしょう?アナタは今や、組織の輪から外れた身…。普通の人と同じような事をしたって、誰も文句言わないわよね?だから、まだ皆には嫌われてるかもしれないけど…アナタにもそれを渡したかったのよ。」


言われている意味の中に、彼等としては、まだ自分を疑っている部分もあるが、組織に利用されてきたなどの過去も含め、同情の念もあるのを感じた。

特に、彼女は優し過ぎる性格なのか、眉根を下げていた。

少しばかり戸惑っていると、赤井が僅かに口角を上げ、口を開く。


「今すぐに思い付かなくとも、まだ時間はある。好きなように書けば良いさ。」
「好きなように………。」


彼の言葉を言霊のように復唱する。


(―私なんて人間が、何かを願って良いのだろうか…?何かを望んでも、許されるのだろうか……?)


ふと、そんな想いが心の奥底に浮かんだ。

用が済んだのか、赤井は背を向けて、颯爽とオフィスの方へと戻っていく。

ジョディもその後を追い、オフィスへと戻っていった。


「私が願う、願い事…。」


一人残された廊下で、ポツリと呟かれた声が反響した。

部屋へ戻ってから、先程渡された例の代物を眺めてみた。


「………こんな紙切れに書いて、願いなんて叶うのかしら?」


いまいち信じ切れない現状と、目の前に掲げた短冊とを眺め、ふぅ…っ、と息を吐く。

日本の事にあまり詳しくない私にとって、日本で起こるイベント事など全くと言って良い程無知だ。

…だが、彼等がせっかく厚意でくれた物だ。

彼等の気遣いに感謝しつつ、私は、色紙と一緒に渡された鉛筆を手に取り、サラサラと流れるように書いていった。


―書き終えた数枚の短冊を持ち、部屋を出ると、先程賑やかであった部屋へと入っていく。

あんなに賑やかであったのに、今は皆、業務に戻ってしまったのか、誰一人として居なかった。

それを好都合と捉え、静かな部屋で一人、短冊を笹の葉に吊るす為、枝に腕を伸ばす。

出来るだけ人の目に付きにくい場所を選び、自身が書いた短冊を吊るした。

慣れぬ行為に、周りにある結び目を倣って、紐を枝に括り付けていく。

吊るし終えて眺めれば、少し不恰好に結ばれた短冊が目に入った。

自身よりも高い所に結んだせいか、上手く結べず、結び目が歪んでしまっている。

全部直すのも面倒に感じて、そのまま部屋を後にした。


「…私の願いたい事なんて、きっと叶わないだろうから。在り来たりな事を書いたけど…これで良いのよね。」


一つだけ、私が今最も願っている事を書いた色紙があった。

誰にも見付からないような、そんな場所に。


(私も馬鹿ね…。叶う訳無い事を、願うなんて。)


自嘲気味に笑んだ寂しげな背の後…一人の男が、口許に不敵な笑みをたたえていた。


―翌々日、赤井に呼び出され、何も知らされる事無く、何処かへと連れて行かれた。

連れて来られたのは、FBI本部の何処かの部屋で、そこに着くなり彼は。


「此処で待っていてくれ。」


…と、理由を訊く暇すら与えずに、私を残して何処かへ去って行ってしまった。

何なんだ、一体…。

訳も分からず、彼に言い付けられた通り、閑散とした部屋の椅子に座り、彼が戻ってくるのを待った。

数分が経った頃…。

部屋の外から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。

誰かが言い合っているような雰囲気である。

一つは赤井の声だが、もう一つの声も聞いた事のある声だと気付き、頭を捻った。

しかも、その声は男性のもので、あの赤井に対して、苛立たしげに怒号を飛ばしている。

それを平気で慣れたようにかわす赤井。

しかし、足音はもう一人分の音が聞こえていたのだった。

私に関わる人物か誰かだろうか…?

じっ、と扉を見つめていると、ガチャリと音を立ててドアが開かれる。

最初に入ってきたのは、勿論赤井で、その後にすぐ続いて入ってくるかと思えば、相手は尻込みするかのように足先だけを見せて踏み止まった。

今しがた聞こえた男の声が、相手を促すような言葉を、先程とは打って変わって優しげに投げかける。

それに押されて、おずおずといった様子で顔を覗かせたのは、私が逢いたいと希ってきた相手だった。

それぞ、正しく、彼女…此瀬梨トであったのだ。

私は、驚きに言葉を失い、ただただ呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。


―これは、夢なのだろうか……?


しかし、決して夢などではなくて、彼女は今、目の前に存在した。


『―久し振り、キュラソー。こう言うのもアレかと思うけど…元気にしてたかな?』
「………本当に…、アナタなの……?」


はにかみつつ微笑むのは、紛れもない、つい最近まで共に組織の仲間として接してきたキティこと彼女。

脳裏に、彼女と共に行った任務や自身に笑いかけてくれた彼女の記憶が駆け巡る。

組織の人間であり、そうでない振る舞いをしてきた彼女と再会出来、涙が溢れ始めた。

感情の赴くまま、彼女に抱き寄り、嗚咽を堪える。


『…おかえり、キュラソー。よく頑張ったね。生きて、こうして逢えて良かった。』
「…………ッ!私の方こそ…、助けてくれて、感謝するわ…っ。ありがとう。そして、裏切ってごめんなさい……ッ!」
『ううん…良いの。もう良いんだよ、キュラソー。アナタは、自由の身。誰にも縛られる事は無いんだよ…?それに、私の方こそ…騙しててごめんなさい。本当の組織の人間じゃなくて。』


ゆっくりと私を落ち着けるように背中を撫でてくれる彼女だが、これでは、一体どちらが完全なる大人なのか分からない。

久し振りに聞く彼女の声は、いつも聞いていたものより、少し高く感じた。


「…全く、僕が居なければ、アナタと逢わす事なんて出来なかったんですからね。感謝してくださいよ?キュラソー。」
「…バーボン…。」
「どうせ、僕の素性は例の一件で把握済みなんでしょう?」
「日本の警察庁が握るノックのデータを盗み出したのは、彼女だったからな。」
『…でも、ノックと分かった上で、最後は私達に加担してくれたし、組織に反抗してくれたじゃないですか?だから、この件はもう終わりにしましょう!』
「そうだな。」
「…ったく、FBIもFBIですよ…。突然連絡を寄越したと思ったら、明日アメリカに来いとか抜かしますし。既にチケットは用意したとか、彼女の護衛を頼みたいとか、冗談かと思いましたよ。」
『ははは…っ、赤井さんらしいや…。まぁ、かくいう私も、急な話で驚いたのは事実ですけど。』


苛立ち気味に赤井に牙を剥くバーボン。

平然とした様子で受け流し、然り気無く彼女の身を引く赤井。

頬を掻きながら苦笑いを浮かべつつも、嬉しそうに笑う梨ト。

叶う筈の無い事と諦めていた願いが、今叶っている…。


―私は、何かを望んでも良いの?

誰かと共に笑い合ったりなんて日常を、望んでも良いの…?


そんな感情が渦巻く中、彼女の瞳を見つめていた。


『―アナタはもう、独りじゃないよ。』


強い意志の込もった眼差しが、揺らぐ私を繋ぎ止めてくれた。

アナタが居るなら、私ももう迷わないわ。

アナタの心の側で、見守らせて…。


執筆日:2016.07.17

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