始まらない初夜



僕には、付き合っている女性がいた。

名前は、此瀬梨ト。

ちょっと毒舌で、サバサバとしたところがあるが、自分にとっては、とても魅力的な相手だ。

ポアロの客として来ていた彼女に、何とかアプローチを掛け、アタックし、付き合い始めてから、幾月が経っていた。

告白したのが半年前で、漸く結ばれる事が出来たのが、数日前。

嬉々として、前々から準備していた式を早々と執り行い、こうして幸せな日々を送る事が出来ている。

そして、今日は、待ちに待った初夜の日である。

この日をどれだけ待ち望んだ事か…。

愛しい彼女を抱き、共に眠る…男としては、かなり前から願っていた事だった。

食事を終え、歯磨きも終え、後は風呂に入って眠るだけとなっていた。

ベッドの用意は、既に済ました。

同居し始めてから、大分経つこの家だが…彼女を自分の妻として迎えれる事を誇りに思っている。


『透さーんっ。お風呂沸きましたけど、どうしますー?』
「梨トさんからお先にどうぞ。女性が先に入った方が良いでしょうからっ。」
『はい。んじゃ、お先に失礼しまーす。』
「ええ、どうぞっ。ゆっくり温まってきてくださいね!」


愛しい彼女からの呼び掛けに、僕はにこやかに返した。

結婚してからも、相変わらずサバサバとしている梨トは、必要最低限の事だけを聞くと、壁越しに出していた頭を引っ込めていった。

気を緩めているせいか、間延びした言葉に、可愛らしく思う。

何もしていなくても、彼女の事を考えると、自然と顔がニヤケてしまっていけないいけない…。

ついこの間も、本来の仕事をしている際に、一人でニヤケて、部下の風見に「降谷さん、気持ち悪いです。」と微妙な顔をされたんだったな…。

しかし、顔がニヤケるという事は、それだけ幸せである証拠なのだ。

制御しろと言われても無理がある。

まぁ、彼女から変に見られても困るので、ある程度はコントロールするつもりだが。


『透さーん、上がりましたよー。お風呂どうぞー。』
「はーい!」


彼女が風呂に入って、暫く自己会議を繰り広げていると、風呂から出た彼女から声をかけられた。

返事をして、読む予定で開いていた雑誌(結局読まずして終わる)を閉じ、立ち上がる。

出口へと向かおうとした矢先、風呂上がりで上気した彼女が部屋へ戻ってきた。

まだしっかりと拭ききれていない濡れた髪から滴が垂れ、上気した肌はしっとりと濡れていて、赤みを帯びた頬など、何とも言えない色気を漂わせている。

おまけに、風呂上がりのせいか、上はキャミソールだけで、下はハーフパンツという薄着かつ大胆な露出をした格好だった。

そんな姿を目の当たりにし、思わず、生唾を飲み込んだ僕は、男なら当然の反応だと思う。


『……透さん…?どうかしたんですか?』
「…っ!あ、いえ、何も…っ。」
『ふーん…。変な人。』


今の彼女と視線を合わせる事が出来ず、ぎこちなく視線を彷徨わせた。

すると、疑問に思った彼女が首を傾げて問うてきたが…その仕草はマズイから止めて欲しい。

本当、理性ギリギリで襲いそうな状態なので。

そんな風に切実に思っていたら、特に用が無かったのだと分かり、「あっそ。」という雰囲気でその場を動いていった。

僕だけなんだろうか…?

此処まで意識しているのは…。

ちょっぴり傷付きながらも、いつもながらのやり取りなので、さっさと風呂を済ませてこようと浴室へ向かった。

汗を流してさっぱりしたところで、浴室を出ると、髪を乾かしきった彼女が目に入った。

途端に、今夜の事を思い浮かべてしまい、胸を高鳴らせた。


『あ、透さん。おかえんなさい。お風呂、気持ち良かったですか?』
「はい、とてもさっぱりしましたよ。やっぱりお風呂は良いですねぇ…。疲れも取れますし。」
『そうですねっ。あ、何でしたら…。今度、透さんの休みが上手く取れたら、温泉にでも行きませんか?良い所知ってますんで。』
「わぁっ、それは嬉しいです…っ!是非とも、一緒に行きましょう!!近い内に、無理矢理にでも休みを入れときますね!!」
『あははっ。安室さん、そんなに温泉好きなんですか…?って…、あ。ごめんなさい、つい前の呼び方に…。』
「ふふ…っ、構いませんよ、梨ト。まだ結婚してから、そう経ってませんから。」
『…透さん…不意打ちの呼び捨ては反則です…。』


あぁ、そうやって照れる姿は堪りませんね。

可愛過ぎて、今にも襲ってしまいそうです。

何とか理性を保ち、彼女の隣へ座った。

すると、ふわりと香った彼女のシャンプーの匂いが鼻腔を擽る。

余計に煽られて、ぐっと気持ちを堪えた。

まだだ…。

彼女の同意を得るまでは、耐え抜くんだ…!

必死に格闘して、気持ちを鎮めてから、彼女に寄り添い、話しかける。


「何を観ていらっしゃるんですか…?」
『んー…、今話題の刑事ドラマですー。』
「(まさかの僕の本職系…。)梨トさんは、刑事物がお好きなんですか?」
『あー、はい。子供の頃から、よく観ていたので…。だって、格好良いじゃないですか?警察の人って。』


そう聞いた瞬間、感情よりも先に身体が動いていて、彼女を抱き締めていた。


「…本当、貴女って人は…可愛い人だ。」
『透さん…?どうしたんですか、いきなり…。』
「何でもありませんよ。ただ…なんとなく、貴女を抱き締めたかっただけです。」
『…甘えたですか?子供っぽいですね……。』
「子供っぽい人は、嫌いですか…?」
『いいえ。可愛らしくて好きです。だから、透さんが甘えてきてくれるのは嬉しいです。』


はにかんで微笑む彼女は、実に愛らしく、色々なものが沸き上がってきて、堪らず強く抱き締めた。

それに対しても、くすくすと笑う彼女は、どこまでも愛おしかった。

だから、そのままの勢いで、ソファーを背に組み敷いた。

突然の視界反転に、きょとんと瞬きを繰り返す梨ト。

頼むから、これ以上僕を煽るのは止めてくれ…。


「梨トさん…もう、良いですか…?僕、限界なんです。」
『え…?透さん…?』
「貴女からの同意を得たいので訊きます…。風呂を済ませた今、この後に待っている事は、何ですか…?」
『は…?寝るだけに決まってるじゃないですか。』


彼女のあっさりとした回答が返ってきて、予想はしていたが、それなりのショックを受けて、思い切り肩をガックリと落とした。


「ですよね…。貴女ならそう思いますよね…っ。」
『あの、大丈夫ですか?顔、疲れてますよ?』
「原因は貴女なんですがね…。」
『早く寝た方が良いですよ?ほら、髪の毛乾かしてあげますから、大人しくしといてくださいね。』


通じない思いに項垂れていた僕は、いつの間にか、彼女に髪を乾かされていたのだった。


『はいっ、終わりました!さっ、早くベッドに入って、寝ちゃいましょう?』
「誘ってるんですか?それは。」
『は…?何言ってるんですか?早く寝ますよ。疲れてるんでしょう?』
「ねぇ、気付いててそんな事言ってます…?もう、限界なんですが…?」
『眠気がピークなら、早く布団に入っちゃってください。ほら、お隣空けましたから。』
「全然元気なんですが…。むしろ、貴女からそんな風に誘われたら、襲わない自信無いんですが?」
『寝惚けた事ごちゃごちゃ言わないで、さっさと寝る!』
「処理の仕様がない…っ。」


結局、彼女の同意を得る事は出来ず、その日の夜もヤル事は出来ずに、一人で元気になってしまった下半身をトイレで処理する羽目になったのだった。


執筆日:2016.07.24

PREVNEXT
BACKTOP