こんな怒涛な日が幾度とあって堪るか。
――レオが半猫化して三日が経過したその日、事件は起きた。
昨日と同じく、飼い猫の様子見にジェノスがレオ宅を訪れると、
一先ず、ジェノスは彼女の自宅内を隈無く調べてみたが、猫の影一つ掴めなかった。家に居ないとなると、自然と捜索範囲は外へと移るだろう。直ぐ様、彼は近辺のみに捜索範囲を絞り、生体反応が無いか検知してみる。だが、予想とは反して、自宅近辺には既に居ない事が分かっただけであった。
取り敢えず、捜索範囲をもっと拡大する事へ変更し、捕獲用のキャリーバッグとケージをそれぞれの手に携え、彼女の自宅から勢い良く飛び出す。事の旨を伝えるべく、向かうはサイタマの元である。携帯端末を所持しない主義の師の為、緊急時と言えどすぐに連絡を付ける事が出来ぬのだ。その代わりにと、ジェノスは出せる限りの全速力で自宅への道のりを引き返した。
すると、道中で検知中だった生体反応に突如巨大なエネルギー反応を捉える。方角は、今しがた離れてきたばかりの郊外よりも、より中心部の方である方角の様だ。恐らく、怪人が出現したのであろう。
離れた位置からも確認出来る立ち昇る砂埃と建物を破壊する轟音に、一瞬立ち止まってしまっていた彼は舌打ちをしながら再びトップスピードで走り始め、家路を急ぐ。
そうして、師匠との自宅にベランダから帰宅するなり、急ぎ早口で事の次第を告げた。
「ベランダから失礼します、先生! 今、彼女の自宅を確認してきたのですが、飼い猫のボスが脱走している事が判明しました!! 一応、自宅内全て隈無く探してみたんですが、居らず。試しに、生体反応の捜索範囲を拡大してみたところ、Z市中心部の方でどうも怪人が発生した模様で、巨大なエネルギー反応を検知しました!! ので、急ぎ捕獲用のキャリーバッグ等を持って先生の元まで知らせに戻ってきた次第です!」
「そうか。んじゃ、ヒーロースーツに着替えて出動と行きますか。あっ、そういや今回の規模ってどんくらいなんだろ?」
「パッと見の見解としては……恐らく、警戒レベル・虎は確実でしょう。場合によっては、鬼へと引き上げられる可能性も捨て切れません。俺は、先に現場へ向かいますので、先生は向かう道中でのボスの捜索をお願いします。ケージは移動の邪魔となる為、此処へ置いておくとして……捕獲用にキャリーバッグは持って行った方が良さげですね。加えて、誘き寄せの餌にオヤツの●ゅ〜るも持って行けば効果的でしょう」
「なぁ、怪人倒しに出掛けるのは全然良いんだけど、レオの存在どうしよう……。この三日間、誰か一人確実に留守番して様子見てたから何も無かったけども、今回みたく二人揃ってウチを空けるって事は初めてだから、レオを一人残していくってのは凄く不安なんだけど」
「あっ……すみません、完全に失念していました。しかし、彼女も元々はちゃんとした人間で且つ成人した人間です。幾ら精神共に意識が半猫化していようとも、きちんと言い聞かせればちゃんと言う事を聞く筈ですので、そう心配せずとも大丈夫だと思いますよ」
「そっか。ならいっか」
「では、俺は先に行ってますので、後の事は先生へお任せしますね」
「おう。俺もすぐに追っ駆けるからなぁー」
手短な説明を済ますなり、手に持っていた捕獲用道具を置いて急ぎその場を去るジェノス。直後、ヒーロー協会から近隣住民へ向けての避難警報が鳴り響き始めた。其れを片手間に聞きつつ、弟子が開けっ放しにして行った窓を軽く適当に閉め、ヒーロースーツへと着替える。その間、映るテレビの報道番組でも怪人出現の情報が流れており、ライブ映像で被害の出た地域の被害状況を伝えていた。
突然大きな音で鳴り始めたサイレンに吃驚したレオは、机の下に逃げ込み、イカ耳モードで警戒を露わにする。其れに対し、素早く着替えを終えたサイタマが、努めて穏やかな声を意識し、頭を撫でながら言い聞かせる。
「サイレンの音に吃驚しちまったか。大丈夫、大丈夫だぞー。怖いのは今から俺達が片付けてくるから、レオはお家で大人しく俺達が帰ってくるまで待っててくれ。大丈夫、此処なら安全だし、何かあってもすぐ飛んでくっからさ。一人でお留守番、お前なら出来るよな……?」
普段とは異なるサイタマの真摯とした表情と声音に、イカ耳モードで怯えていたレオは頷き、そろり机の下より這い出て「なぉう」と鳴いた。其れを返事と見なしたサイタマは一つ頷き、今度こそ弟子の後を追うように「行ってきます」の一言の次には、キャリーバッグ片手に家を出て行った。
一人ぽつねんと家へ残された彼女は、ふすんっ、と一つ息を
というのも、玄関の鍵は施錠していたものの、うっかりミスなのか、窓の鍵は掛かっていなかった為だ。完全にサイタマの失態である。戸締まりのし忘れ箇所があった事が仇となり、結果的、半猫化したレオの脱走原因となったのだった。
まさか彼女が脱走していようとは露も知らぬ彼等が怪人の出現場所まで奔走中、更なる事件は起こる。
なんと、駆け付けた現場にて、
逸早く黒猫ボスの存在に気付いたジェノスが、直ぐ様保護しようと近付きかけるも、敵の攻撃が行く手を阻み、なかなか思うように行かない。そうこうしている間に、敵と猫との距離が縮まり、迂闊に手を出せぬ状況に陥る。
ジェノスは歯噛みするが、諦めずに相手を引き離そうと挑発し、己へと注目を引き付けようとした。だがしかし、その一歩手前で、怪人の視界が猫の存在を捉え、注意が彼より逸れる。
「あ゛ーん? 何でこんな所に猫なんて畜生が居るんだよ? 俺ァ爬虫類派なんだよ。家で飼われるだけの畜生風情が、俺様の邪魔をすんじゃねぇ」
「しまっ……!」
「ウゼェ。消えろ」
怪人の魔の手が振り下ろされようとした瞬間、もう駄目かと一瞬諦めかけた時だった。
「正義の自転車乗り、無免ライダー参上……!」
突如怪人との間に割り込んできた男が自転車ごと体当たりをかまし、相手を怯ませたのだ。予想外の相手の出現に、怪人側には大きな隙が出来る。この機を逃すまいと、体当たりで少しばかり引き離されたところを狙い定め、彼は遠慮無しに焼却砲から凄まじい威力の炎を放った。更に、その隙に猫の存在を回収したらしき無免ライダーが、怪人より離れた安全地帯の範囲まで後退する。完璧な連携プレーであった。
今の攻撃で一旦弱体化したらしき事を確認したジェノスは、その場から背後を振り返り、感謝の言葉を告げた。
「すまない、助かった無免ライダー。流石に、今のは危なかったと思っていたところだ。礼を言う」
「いやいや、偶々近くに居たから駆け付けれたに過ぎないさ。礼には及ばない。寧ろ、君の力になれた事を光栄に思うよ」
「其れでも、今のは間一髪のところだった。本当に礼を言う。助かった」
「そういう事なら、どういたしまして。其れはそうと……この猫、彼女――レディー・キャッツの飼っていた猫のボス君だろう? また脱走していたんだねぇ。相変わらず困った猫君だ」
「
「あれ、彼女から聞いた事無いかい……? この黒猫のボス君、元は野良猫で此処Z市のゴーストタウンでレディー・キャッツ自ら保護した子なんだ。保護した後、そのまま飼い猫にしたまでは良かったらしいんだけど、彼、飛んでもない脱走癖があってね……。度々脱走しては、彼女が探しているところに遭遇して手伝った事が数十回あるんだよ。極稀に脱走する程度ならマシなんだろうけど、彼の場合は、三日に一度の頻度で脱走するから、本当に困ったものだよ」
「そんなに高確率な頻度で脱走していたのか、その猫……ッ!? 最早、家飼いには向かないんじゃないか……? というか、そもそもが懐いてすらいないんじゃ……」
「はははっ、其れは無いよ。何せ、彼は定期的に脱走する事はあっても、必ずと言って良い程彼女の元へ帰ってくるらしいからね。しかも、彼には不思議な噂が付き纏うんだ。其れは、こんな話だ……彼が脱走した暁に捕獲された先々では、いつも怪人と遭遇するんだとか。だから、ボス君が脱走した際は、事件発生の合図と認識するようになったとかで、その都度戦闘準備を整えて家を出るのが癖付いたって、前に彼女本人が言っていて…………」
突然、二人の間を裂くように、鎌鼬のような斬撃が飛んできた。此れに、会話に夢中になっていた二人はハッとし、臨戦態勢へと構え直す。すっかり油断し切っていたところを狙い澄ましたかのように仕掛けられた攻撃に、再び辺りは緊張状態と化した。
先の焼却で弱ったかに見られたのだが、どうも判断を見誤っていたらしい。怒り心頭、完全怒髪天な様子でぶちギレた様子の怪人は、先程よりも凄まじい殺気を放ちながら首を
「もう怒ったァ。テメェ等全員処刑にしてやるゥ……!!」
爬虫類じみた見た目をした怪人が、怒りに目を血走らせながら先程よりも強化された鋭い一撃を二人へ向けてお見舞いする。此れを何とか回避した二人は、それぞれに自身の役割を理解した様で、互いにアイコンタクトを送り合うと、頷く次の瞬間には動き出していた。
「俺は此奴を倒す事に集中する! そっちは任せたぞ!」
「了解した! では、俺は残った市民の避難を誘導しつつ、ボス君を彼女の自宅まで送っていくとするよ!」
「言い忘れていたが、今彼女は先日の猫好き怪人の攻撃を食らった影響により半猫化状態にある! よって、一時的保護に置き、俺達の家で預かっている! ついでに言うと、その猫の件はサイタマ先生に委任してある! 先生も現在此方へ急行中の筈だから、道中会ったら先生から捕獲用キャリーを受け取ってくれ!! あと、更に頼んで悪いが、出来れば、家で留守番中の彼女の面倒も頼む……っ!!」
「なっ、何だって……!? 其れは一大事だ! 急いでサイタマ君の元へ向かうよ!! すまないが、この場は君に任せた!! どうか、無事で居てくれよ……っ!!」
言い終えぬ内にペダルを漕ぎ出した無免ライダーは、あっという間にその背を遠くにし、その場に残されたジェノスは改めて敵と対峙する。
「待たせたな。此れで、不安要素や概念の類いは無くなった。今度は油断せずに早々に片を付けてやる」
「ヘッ、そう言ってられんのも今の内ってなァ!!」
直後、サイボーグ一体と怪人一体がぶつかり合い、辺りは砂塵が舞い上がった事で視界不明瞭となった。
――一方、遅れて現場へ急行中のサイタマは、凄まじい速さで駆けながらも辺り一帯を見回す余裕を持って首を捻っていた。
「猫どころか、鳥一匹すら姿見えねぇんだけど……此れじゃ、現場に着くまでに見付けんのは無理そうだなァー」
絶望的な閑散さに、現場急行中の片手間での脱走猫の捜索を半ば諦めかけていたところ。すぐ近くの距離から自転車独特のブレーキ音が聞こえる。間髪入れず、その自転車に乗っていた主から声をかけられた。
「サイタマ君……! 君が探していた猫はこの子だろうっ?」
「おーっ! 無免ライダーじゃん! 良いところに来たな!!」
「ジェノス君から頼まれて、この子の保護に来たんだ。彼から、捕獲用のキャリーを預かるよう言付かっているんだが……っ」
「あー、たぶんコレの事だな。ほれよ」
「有難う、助かるよ。何せ、この猫ボス君は、三日に一度の脱走の高さを誇る困ったさんだからね。荷物カゴにリードも無しでのままは不安でしか無かったから、無事サイタマ君と合流出来て良かったよ」
「おぉ……其奴、そんな高確率で逃げんのかよ。マジか。滅茶苦茶面倒臭ェ奴だったんだな、レオの飼ってた猫って……。しかも、雄猫……っ」
「あぁ、ボス君の件とは別に、先日の怪人による影響で半猫化現象を起こしているらしいレディー・キャッツの事も頼まれたんだが……彼女は、現在進行形で君達の自宅に居るとも聞き及んだんだが、本当かい?」
「えっ、うん。本当だけど……もしかして、ジェノスに留守番で残してきたレオの世話頼まれたとか?」
「その通りだ。なので、君の家の鍵と家の在処を教えてもらいたいんだが……」
「うん、良いぞ。玄関の鍵はコレな。家出て来る前、ちゃんと言い含めて出て来たから、たぶん言い付け守って部屋で大人しく寝てるか何かして留守番してくれてると思うけど。あっ、俺ん家の場所は、こっから真っ直ぐ行った先のアパートだから、すぐ分かると思うぜ」
「有難う。彼女の事は、僕が責任を持って面倒を見ておくから、君達は安心して怪人を倒してきてくれ! だが、油断は禁物だ! 鬼サイボーグ、彼の強靭な一撃を食らったにも関わらず再び暴れ始めたような相手なんだ! 僕なんかが忠告するのも烏滸がましいが、どうか気を付けて立ち向かって欲しい!!」
「おー、忠告ありがとなぁーっ。んじゃ、俺急ぐからさ。レオの事宜しくな!」
「ああ! ご武運を……っ!」
無免ライダーに後の事全てを一任すると、此れで心置き無く戦えると放っていた空気を一変させて、一瞬の瞬きの内に去ってみせたサイタマ。正義の最強ヒーローが去った後、其処は砂埃が立ち込め、砂塵が舞った。
そんなヒーローの去った先を見つめ、無免ライダーは己に課されたミッションを遂行すべく、脱走猫ボスをキャリーバッグに収納すると、再びペダルを漕ぎ出して目的地への道のりを急いだ。
程無くして、問題無く案内を受けた
ベランダの窓が全開になっている事に――。
刹那、無免ライダーは戦慄し、腕に抱える猫の飼い主たる彼女もまた、脱走してしまったのだと悟った。直後、急ぎ携帯を取り出し、目的の番号へ電話を架け始める。携帯片手にアパートの外付け階段を駆け下りながら切に願う。どうか、一秒でも早く相手へと繋がりますように、と……。
そうして、数回のコールの後通話は繋がり、緊迫した状況下の中からの返答が返ってくる。
『――ハイ、此方ジェノスだが……っ、現在敵と交戦中の為、急ぎでない用件ならば後にしてくれ。もし、急を要するという事なら、可能な限り手短に頼むッ……』
「もしもし、ジェノス君!? 此方、無免ライダーだ! 大変な事態が起きてしまった! 急ぎ手短に状況を説明すると、向かった先の自宅に彼女は居なかった!! ジェノス君に言われた通り、サイタマ君と合流した後、君達の自宅へと向かったのだが、留守番中であった筈と思しき彼女の姿は無く、
『何だと……!? くっ……俺が一度引き返した際に使ったのがベランダからだったが故に、その時にうっかり閉め忘れてしまったのが原因か……! 恐らく、先生も急いでいた為に、玄関の施錠までは意識が行っても、窓の戸締まりまでは忘れてしまったのかもしれない……っ。クソッ……俺とした事が、一生の不覚……!!』
「すまない、君から一任されていたにも関わらず任務を果たせなくて……っ。一先ず、僕も出来る限りの力を尽くすよ! その為にも、兎にも角にも彼女の行方を捜索する為、手短な近辺を当たってみる事にしよう! 戦闘中で忙しい最中に連絡してすまなかった!! でも、一刻も早く君に伝えねばと焦ってしまったんだ! 本当にすまないと思っている! 未だ交戦中である様子だし、どうか引き続き頑張ってくれ!! 健闘を祈る……っ!!」
状況を掻い摘んで、言葉短めに事の次第を説明して通話を終了した。再び、無免ライダーはサドルへと跨がり、己の足たる自転車を猛スピードで走らせ始める。
「うおぉおおーっ!! 唸れジャスティス号ォーッ!! この命に代えても、行方不明となったレディー・キャッツを探し出すんだァー!!」
咆哮を上げながら、無免ライダーは凄まじい勢いで砂埃を立てつつ自転車を走らせていく。その空気はとても必死なもので、何とも心強い仲間思いの感情故から来るものだった。
――一方、怪人と未だ交戦中のジェノス側は、予想以上にも苦戦を強いられていた。
というのも、彼が相手している怪人がなかなかにしつこい相手で、ぶちギレてからというもの、一向に倒れてくれないのだ。怒る程に力の増すタイプの怪人だったようで、一度油断した事が仇となったようだ。
思ったよりも手強い敵に、防戦一方となっている事も相俟って、悔しげな顔で舌打ちをした。
「クソッ……まさかこんなにも粘り強い敵だったとは……っ。誤算だったか」
「う〜ん? もうお終いかァ〜? なら、コッチから行っちゃうけど、良いのかなァ〜??」
「上等だ、糞野郎め……っ!」
「ヘヘヘヘヘッ……この状況下でそんな減らず口を叩くとは良い度胸だ……お言葉通り、テメェを血祭りに上げてやんよ。精々あの世で後悔すんだなァ!!」
戦闘を開始して暫く経過した今、戦況はすっかり傾き、軍配は敵側へと上がっていた。つまり、現状のジェノスは、不利な状況に立たされていたのである。
その原因は、彼の悪癖たる学習の足らなさから来る、油断によるものだった。“油断大敵”という言葉が存在する通り、戦いに於いての一時の油断は命取りとなり兼ねない。自身がどんなに壊れようとも己の身を省みない未熟者故の果てでもあった。
そんな油断が招いた敵の鋭い斬撃が、今、彼の片腕を断ち斬ってしまった。此れで、彼は更なる危機的状況に追い込まれる事となるだろう。
頼みの綱である頼れる師は、まだこの場に姿を見せていない。どうやら、予想以上に到着が遅れている模様だ。きっと、道中合流予定の脱走猫の件で足止めを食らわざるを得なかった為だろう。脱走猫ボスへの恨み辛みがまた一つ積み重なってしまった。
――奴が脱走なんて真似をしなければ、また、己が最後まで油断せずにトドメを刺していれば、こんな事には……っ。
途端、後悔の念が彼の中で渦巻いた。雑念が増えていく度に、集中力も途切れ、攻撃の手が緩み、更なる追い打ちを食らってしまう。
近くに在った高層マンションへと思い切り吹っ飛ばされると同時に、かなりの衝撃を受けたせいで頭部と背面を損傷する。また更なる追撃として光圧ビームを食らった事で、更なる損傷を受け。半身の機能不全を起こし、まともに立ち上がる事すら儘ならなくなった。
(クソッ……先生もまだ到着していないというのに、レオの件も片付かぬ内に此処で倒れる訳には……! しかし、思った以上に体が、損傷が酷過ぎて、言う事を聞かないッ……!! もしや、これ迄なのか……っ!?)
あまりの自分の芳しくない状況と戦況に、半ば心折れかけた時だった。
不意に、瓦礫の上に仰向けで倒れ伏す自身を庇う如く、一つの影が目前へと現れた。そして、とてつもない殺意を漲らせた咆哮を上げ、盛大な威嚇を示してみせる。
「
その影とは、この場には居ない筈の……現在行方知れずと連絡を受けたばかりのレオの存在であった。彼女は、意識共に精神が半猫化している状況下ながらも、普段“自分は限り無く一般人である”と言っていたにも関わらず、仲間の危機に駆け付ける意思は変わらず健在であった様だ。その証拠に、身動きの取れぬ状態のジェノスを庇う姿勢を崩さず、その場から一歩も動かず、全身の毛を逆立たせて怒りに瞳孔を鋭く縦にかっぴらいて吼えている。
突然の妨害者に、怪人は鬱陶しそうに顔を顰め、あからさまに面白くなさそうに唾を吐き捨て口を開く。
「ぁ゛あ゛……? 今更テメェみたいな雑魚出て来たところで、既に結果は決まってんだよ。畜生擬きはとっとと下がってな。控えめに言ってお呼びじゃねぇーんだよ。ウゼェ、引っ込んでろ」
「ッぐ…………な、で来たんだ、レオ……ッ。此処は、危険……だッ……! 俺の事は、良いから……早く、逃げ、ろッ…………!」
「ハハッ、もう動けもしねぇ馬鹿が何かほざいてっぞ! ホラホラ、今なら俺様のご慈悲で見逃してやるから、畜生擬きは何処にでも好きなトコへ逃げなァ! じゃなきゃ、テメェを先に八つ裂きにすんぞ? ゴルァ」
「レオッ……! 構わず逃げろ……!! お前は、良い子なんだろうッ……!? 分かったならっ……俺の言う事を聞いて……早く、逃げて…………ッ」
あまりの損傷の酷さに、尚も彼女へ訴えかけようと無理矢理体を起こそうとして失敗し、破壊された損傷部分や寸断された腕等の部分から嫌な音が響く。
怪人の魔の手が迫ろうとする中、全くと言って良い程聞く耳を持たぬ彼女は尚も退かず、唸り声を上げていたのとは別に口を開くと、半猫化して以来初めて猫語以外の口を利いた。
「――オレハ、大事ナ仲間ヲ置イテ、逃ゲタリナンテシナイ。ソンナ、卑怯者ニナルクライナラ、此処デオ前ト心中シタ方ガマシ。ダカラ……勝手ニ死ノウトスルナンテ、絶対ニ許サナイ」
刹那、彼女は地面を蹴り上げ、高く跳び上がったところで、迫り来ていた怪人の横っ面へ鋭い蹴りをお見舞いした。瞬く間に怪人は吹っ飛び、近くのコンクリート群へと突っ込んでいった。
普段の戦闘下とは明らかに異なる状態であった。
本来ならば、ヒーローランクC級である彼女が、S級を誇る彼でも勝てなかった相手に一撃を入れる事など、叶わぬ筈なのだ。しかし、そんな予想の範疇なぞ超えるように、現在の彼女の一撃は成功した。しかも、その一撃は確実に効いている模様で、敵の体力を大幅に削った事が目に見えて分かる。先程とは、明らかに場の空気が好転した事を、肌に触れる感覚で認識した。
彼女の参戦により、一時は絶望的なまでにも追い詰められていた戦況が、劇的なまでに引っくり返された。此れに、驚きのあまり現状に付いて行けずに思わず呆けて固まっていたところから復活し、また生気を取り戻した半壊状態にあるジェノスは、口許に笑みを浮かべる。
(そうだ……っ! レオも、嘗てサイタマ先生を師に仰いでいた一人……! そして、彼女は過去の暴走事件の一件より力をセーブする様、制御式チョーカーで力を半減させていたのだったか! 現在、意識が半猫化している為に、理性の箍が一時的にリセットされている状態にあるとすれば……っ、今の彼女はいつもはセーブしている能力を解放した完全体という事になる! 此れは、確実に勝てる!! 何せ、彼女も先生と同様に内に秘めた強さを持つ人だ……!!
確信めいた感情に突き動かされたジェノスは、堪らず声を上げて叫んだ。
「俺の分まで、遠慮無くぶちのめせ――……ッ!!」
離れた位置に居たにも関わらず、その声を聞き届けたらしき彼女は、至極淡々とした口調で応える。
「――言ワレズトモ、最初カラソノツモリダ」
怒り狂った怪人が再び向かってくる中、彼女は静かに拳を構え、一言口を開いた。
「――必殺、殺戮猫パンチ」
目にも止まらぬ速さで繰り出した重い一撃は、正確に相手の頭部へと叩き込まれ、敵の首から上の部分を跡形も無く消し去る。体へと指示を出していた脳味噌を失ったからか、途端に動きを静止させた怪人は、数秒間程その身をビクビクと痙攣させていたが。次第に活動力を失うと、グシャリとその場に倒れ伏した。
瞬間、現場を中継していた画面の向こう側で、勝鬨の鐘が鳴り響く音がした。次いで、彼女の活躍に対する称賛の声が嵐の如き勢いで沸き立った。
敵影が去り、外敵が居なくなった事を確認したレオは、暫し辺りを警戒するように聴覚と嗅覚に意識を集中させていたが。難は去った事を改めて認識すると、半壊して動けないジェノスの元へ駆け寄りに行く。
無事、彼がまだ生きている事を確認すれば、“此処まで良くぞ持ち堪えた”、“懸命にも頑張ったお前は偉い”と褒め称えるように彼の頬をペロペロと舐めた。其れを受け入れるがままでしかないジェノスは、擽ったさに目を細めながらも自身を庇って戦ってくれたその雄姿と敵の殲滅へ対する礼を述べる。
「こ、な……ボロボロの姿になった時にまで、お前は俺を励まそうと……してくれる、だな…………っ。俺より、強いのは、先生しか居ないとばかりに、思っていたのに……こうも、あっさりと引っくり返されるとは、思わなかった……。有難う、レオ…………今回ばかりは、お前のお陰だな……っ」
若干の悔しさを滲ませて呟けば、其れすらも愛おしげに受け止めた彼女は、生き抜いた彼に誇らしげな笑みを浮かべた。次いで、もっと嬉しさが伝わるようにと頬や鼻の頭などまでペロペロと舐め始める。此れには流石の彼も堪え切れなくなったか、眉間の皺を寄せて、彼女の猫特有ムーブを止めさせようと、動かない腕を何とか動かそうと藻掻いた。しかし、結局のところ体は動かせぬまま、仕方なく何とか発声出来る口を動かして意思を伝えようと言葉を紡いだ。
「オ、イ……いい加減、舐めるのを、止めろ……ッ。さっきから、擽ったくて敵わないんだ……っ。……其れと、さっきは口を利いた癖に……戦闘が終わるなり、元の猫状態に戻るとは、一体、どういう理屈なん、だ…………ッ」
本当は、喋る事にも非常に気力を使う為、此れ以上の会話は避けたかったが、喋る以外に彼女を制止する術が無い故に、仕方なく言葉を紡いでいた。其れを察したらしき彼女が静かに舐める事を止めると、はむりと彼の頸部へ柔く噛み付く。彼を傷付ける意図は無いと示す為であろう。殆ど歯を立てぬように噛み付かれた其れは、俗に言う甘噛みで、言外に其れ以上無理に喋るなとの制止の意でもあった。
この行為には、流石の彼もギシリッと身を硬直させる他無く、思考も停止させた上で、亀裂の入った頭部からプスプスと細く煙を立ち昇らせた。完全なる敗北である。
そうこうすれば、遅れて駆け付けた師のサイタマが、盛大にぶっ壊れ地面へ倒れ伏す弟子の姿に気付き、驚愕の声を上げてやって来る。
「うっっっわ!! おまっ、また派手に壊れてねェーか!? つーか、まだ生きてんのかソレ!? あと、レオ! 手前ェ何で此処に居んだよォ!! 家で大人しく留守番してろって俺言った筈だよなァ!? 言う事聞かない悪い子にはオヤツ抜きにすんぞ!!」
「すみません、先生…………っ、俺が不甲斐無いばかりに……今回のような事態を招いてしまって…………。面目、ありませッ……」
「いや、ジェノスはよく頑張ったんだから気にすんなって! ……ところで、怪人の奴は何処行ったんだ? ジェノスが倒したのか?」
「怪人でしたら……レオが、俺の代わりに倒してくれました…………。倒した怪人の残骸なら、数十メートル先の、離れた場所に……転がったままに、なっている、かと……っ」
ギギッ……と鈍い音を鳴らしながら何とか頭だけを起こして、視線を残骸のある方向へと向ける。その視線を追ったサイタマが、彼の見つめる先に映る物体を見遣って頷く。
「あー、アレかぁ……うん、何か既に生き絶えてるっぽい奴が転がってるのを今確認したわ。にしても、まさかレオが殺るとはなぁ〜……お前もなかなかやる様になったじゃん。前はスッゲェ弱かったのにな。俺、確かに以前レオに稽古付けたっつーか、護身術レベルの事は教えてやったと思うけどさ……此処まで育ってるとは正直思わんかったわ。実は、お前も陰で頑張って努力してたって事だよなぁ。……前言撤回。お前もよく頑張ったよ、レオ。偉い……!」
戦闘が終了してからずっと、身動き取れぬ弟子の側を片時も離れず見守っていた彼女の頭を撫でたサイタマ。その顔に浮かぶ表情は、何処か誇らしげなものであった。
撫でられたレオは、誇らしげに胸を張り、嬉しそうに喉を鳴らして反応を返す。
しかし、一番頑張った自分を差し置いて褒められた挙げ句、師匠に頭なでなでまでしてもらった事に嫉妬したジェノスは、あからさまにムッと眉を寄せ、再度言葉を発そうと口を開いた。
「貴様……っ、俺を差し置きながら、先生から称賛を受けるとはッ…………ッぐぅ、」
「あー、コラコラ、無理して喋ろうとすんなって……。取り敢えず、半端無い程に壊れて動けなくなったお前を回収しに来るドローンが来るまでは付いていてやるから、其れ以上動こうとすんな。下手に動いて更に壊れても大変だからさ」
「し、かし……この程度で甘えていては、先生に申し訳が立たな……――ッんむ゛!」
「うん? ジェノス……? 大丈夫か、お前――って、えっ。レオ!? おっ、おおおまっ、こんな公衆の面前で何やってんの!? 幾ら半猫化してるからって、やって良い事と悪い事があるからな!??」
最初の内は状況説明の為に渋々許していたが、あまりに喋るのを止めない彼に痺れを切らしたのか。彼が喋るのを確実に止めさせる為に、強引にも直接口を封じる事にしたらしい。猫故に、マウスtoマウスで。
此れには、流石のサイタマも動揺を隠し切れなかった様で、盛大に狼狽えた様子で一度はその場を離れようとしたところを引き返してきた。そして、彼の呼吸を奪う彼女を急いで引き剥がし、大慌てで彼の状態を確認する。
すると、やはりと言うべきか、今しがたのがトドメとなったのか。オーバーヒートからの完全に意識がシャットダウンしてしまった様だった。よって、とうとうウンともスンとも言わなくなった彼は、本当の本気で完全に沈黙してしまったのである。尚、応答しろと声をかけるも、勿論返ってくる反応は無のみだ。
仕方なく、サイタマは彼女を彼の元に残し、破損して何処かに転がっている筈の彼のパーツを探しに動き始めた。
集め切れるだけのパーツを回収し終わった頃には、半壊状態の弟子を回収しに来た専用の巨大ドローンが到着する。後の事は、そのドローンの向かう先で待っているクセーノ博士に託す事にし。事は片付いたと砂埃を
帰宅の道すがら、レオと合流出来ていた事を知らずに未だ自転車を走らせ探し回り続けていた無免ライダーと遭遇した。無事、彼女は保護し、また、
今季一を争うのではないかと言うくらい、飛んでもなく怒濤の一日であった。
加筆修正日:2023.02.23