誘蛾灯に寄る羽虫


れは光だ。己が惹かれ、導かれ、求めるもの。
 光。気付けば、其れは、自分の居るすぐ近くの場所にあって、己は其れに誘われるように導かれるように近付いていった。
 光は、何か透明な壁越しの先に存在した。此れは、何だ。窓だ。自分と光との間を阻む其れは、人間界で言うところの窓と言うものだった。もどかしい。己は、もっと光の近くへ寄りたいのに。光がある所の側へ行きたいのに。窓と言う透明な硝子壁は、己の行き先を阻んだ。
 どうにかして光の元へ行けないか。己は考えた。取り敢えず、ただ真っ直ぐに突き進んでみるとしよう。そうしたら、何時いつしか、この邪魔な壁を突き破れるかもしれない。そう思って、己は透明に阻む壁へ体当たりをかますように突き進んでみた。破れない。進めない。ただ只管ひたすらに自分の躰を痛め付けているだけだ。此れでは先へ進めない。
 どうしたものか。別の方法を考えてみた。何処かに自分が入り込めるような隙間は無いか。どんなに細く狭くたっても構わない。己の躰を捩じ込めれる隙間は無いだろうか。探してみたが、見付からなかった。
 どうしよう。なら、次の手を考えてみるのはどうか。早速別の方法を試してみた。壁の先に居る人間へ自分の存在を気付かせてみよう。己の存在を知らせて、中へ招き入れてもらう作戦だ。此れなら、どうだろうか。
 己は、また再び透明の壁に体当たりして音を立て、壁の向こう――家の中に居る人間へ存在を知らせてみた。今度こそ、どうだ。そしたら、壁の向こうに居た人間が自分の存在に気付いてくれた。だが、予想に反して、人間は己の存在に対して嫌うような反応を見せ、己を追い払うみたいな仕草を取って見せた。次いで、威嚇のつもりか、自分が体当たりしていた部分を小突いて脅かしてきた。
 ――“私に近寄るな”。そういう意味合いだろうか。成程。今、己が取っている姿を好まないのか。そうか……。人は、蛾と言う存在が嫌いなのだな。ならば、別の姿なら受け入れてもらえるのだろうか。
 己は考えた。もっと、今よりももっと自由に、近くに、光の側へ行きたい、と――。光に気に入られるような姿形すがたかたちを取れば、受け入れてもらえるのか。試してみる価値は有りそうだ。
 己は、一度、其処から離れて他所へと向かった。近場を見て回って、沢山のものを観察してみた。そして、人が恐れぬような形を真似て、先程までの場所へ戻り、透明な壁の先を覗いてみる。
 光は相変わらず透明な壁の向こうにあった。近くを人間が横切る。
 己は、また自分の存在を知らせる為、窓を引っ掻いて音を立ててみた。次いで、自分は今、動物の姿を真似ていたので、鳴き声を上げて、より存在感を主張してみる。人間が気付いた。己の存在を認知して此方に歩み寄ってくる。しかし、人間は興味深そうに眺めるだけに留まり、すぐにその場を離れる。己の存在に興味を失ったのか。
 また振り出しに戻った。まだ、己は、この透明な壁の先には行けていない。カツリ、己の手の先に伸びる爪が窓に当たって空しく音を立てた。
 どうすれば、この先へ進める。己は、また考えた。考えて、考えて、考え抜いた思考の果てに、思い付いた。やはり、光に好かれる姿を取るべきだと……。屹度きっと、この姿は望むべきものじゃなかったのだ。ならば、別の新たな形を取らなくては。
 次は、どの姿を真似る。またその場を離れて辺りを観察してみた。そして、行き着いた考えに、己は人の姿を取った。人の姿を真似て、またあの場所へと戻る。今度こそ、どうだろうか。じっと待ってみる。
 光は絶えず其処にある。受け入れてもらえるか。不安と期待が入り交じって、そわそわと落ち着かないような浮かない気持ちになる。しかし、堪えるように透明な壁を挟んだ手前で待ってみた。じっと見つめたまま、大人しく、誰かに気付いてもらえるように。
 暫くして、誰も居なかった空間に人がやって来る。そして、己の存在に気付く。同時に、何か驚いたような表情を向けて此方を見つめてくる。あと、もう少しの辛抱だ。
 己は、自身の行き先を阻む透明な壁の前に居座った。人間が動く。目の前の窓が開く。人間が口を開く。
「あの……ウチに何か御用ですか?」
 己に対して、初めて人間が口を利いた。己は、初めての其れに非道く感動して驚いた。己の反応に対して、人間が不思議そうに首を傾げたのち、再び声を発する。
「あの、失礼ですが、何か御用があってウチの前に立たれてたんですよね? もし、そうじゃないのでしたら、他所へ行ってくださいませんかね……? じゃないと、気味が悪いので……っ」
 人間が不安げな気持ちを声に乗せてそう言った。
 嗚呼、このままではまた嫌われてしまう。私は、焦燥に駆り立てられて、咄嗟に自分の声を発してみた。
「――アナタに、出逢えて良かった……!」
 生まれて初めて出した声は、凡そ目の前に居る人間が出したものよりも低く太いものだった。其れが、私がこの世に生まれて初めて発した声であり、言葉であった。
 人間は、虚を突かれたような驚いた表情を浮かべて瞬きをする。次いで、意味を理解出来ていない意図を表す言葉を発した。
「は――?」
 私は漸く理解した。彼女こそ、私が求めて止まなかった光の存在であったのだと。
 私は、徐ろに彼女の手を取り、微笑む。
「アナタは、ワタシの光だ。ずっと、ずっと探し続けていたものだ。此処で、漸く出逢えた。ワタシの光……。どうか、ワタシがアナタの近くに、側に行く許可をくださいませんか……?」
 彼女は戸惑いながらも、私の問い掛けにどう応えたものかと考えあぐねている様子だった。私は、その様子をつぶさに見つめて、彼女の取る一挙手一投足全て忘れぬよう記憶してしまおうと観察する。
 すると、彼女は迷いながらも、私の手を払わずにおずおずといった口調で口を割った。
「……えっと、よ、くは分かりませんけど……っ。一先ず、お話をするなら一旦、中へ入りませんか? 玄関なら向こう側にありますので、彼方からぐるっと回って来てください。鍵は、開けておきますので……」
 嗚呼、私はやっと光に受け入れてもらえたのだ。感動を覚えずには居られなかった。
 私は彼女に言われた通りに従った。案内された通りに建物の裏手へと回り、招かれた側であるこの建物で言うところの正式な入口――玄関先へと向かう。
 其処で、光は――彼女は待っていた。途端、愛しいという感情が胸に込み上がってくる。逸る気持ちを抑えて彼女の元へ急いだ。
 再び彼女の目の前までやって来ると、戸惑いながらも彼女が控えめに口角を上げて微笑む。其れが、彼女が私へと初めて見せてくれた笑顔というものであった。
「どうぞ、此方へ……っ。まずは、立ったままではなく、楽に話せるように椅子にでも腰掛けてお話しましょう。大したおもてなしとかは出来ませんけども、お話くらいなら出来ますから。……えぇっと、まず手初めに自己紹介からしましょうか。お互い、初対面の筈ですし……ね? じゃあ、言い出しっぺの私から……っ。えっと、私の名前は■■です。貴方のお名前は、何と言うんですか?」
 彼女が私へ問い掛ける。
 私は少し逡巡した後に答えを発する。
「……ワタシの名前は――、」
 其れが、私が彼女という存在と初めて交わした会話である。
 凡そ、人間らしい言葉を扱い、発したのは、生まれて初めての事だった。でも、とても楽しかったのは確かだし、とても有意義な時間だったと思う。それまで、己にとって時間というものは其れ程気にするようなものではなかった。否、気にする事の無かった概念であったが。生まれて初めて得た感覚に、私は全身全霊でその感情を喜びとして受け取り、また表現した。
 言葉を扱うのもまた初めての事であったが、何とか頑張って懸命に彼女へと思いを伝えた。すると、彼女は、一つ一つに対してとても丁寧に応じてくれた。
 彼女はとても優しく、親切だった。慈愛というのは、こんな時に感じるものなのか。彼女を永遠に見つめ眺める事に、私は幸福を見出していた。
 彼女へは、只管ひたすらに慈しみのメッセージを乗せた瞳で見つめた。暫くすると、彼女がその視線に気付き、少し照れたように気恥ずかしそうに身動ぎをして私から距離を取る。私は彼女へと近付く。そうして、離れた分また近寄って、彼女へ慈愛の視線を送った。
 出来る事なら、彼女に受け入れてもらいたい。あわよくば、その先も望みたい。今抱くこの気持ちを受け入れてもらいたい。彼女の事が愛しくて堪らないのだ。嗚呼、そうだ、此れこそが慕情。恋い慕い、焦がれ、其れだけしか考えられなくなる、恋情なるもの……。人間が持つ感情の一つを、今、この時に、目の前に居る彼女へと向けているのだ。
 私は、屹度きっと、彼女に出逢うべくして生まれてきたのだ。出来る事なら、彼女と愛し合いたい。
 私は望み、再び求めた。ずっとずっと手に入れたいと思っていた感情から光を求めて。
 そして、手に入れた。光を愛で慈しむ姿を……。
 彼女こそ、私の光――求めて止まなかった存在であったのである。


後書き
※原文は此方より。
初出日:2021.05.09/加筆修正日:2024.05.08