匂いと相性
戦力拡充イベが始まった為、目標のノルマを目指して当本丸も周回を開始したのは良かった。……が、その周回で疲労したのか、主が唐突にこんな事を言い始めた。
「ねぇねぇ、長谷部、藤の花の匂いってどんな匂いだったっけ?」
「はい……?」
その日、近侍を務めていた長谷部は、突然振られた会話に首を傾げた。ちなみに、某会話を投げられたのは、周回中の部隊に指示を出しながらの執務の最中である。主に忠実且つ真面目な長谷部は、突然振られた会話にせよ期待に応えようと頭をフル回転させ、最適解であろう答えを口にしてみせた。
「えぇと……何故、そのような思考に思い至られたのかを訊いても?」
「近侍が長谷部で、長谷部って言ったら藤の花のイメージが強かったから……?」
「成程。主、疲労が溜まってきているのでしたら、程々で休憩を挟んでくださいね。本日の周回ノルマを早くこなし切りたいお気持ちは分かりますが」
「いやいや、別に疲れたから思考回路ぶっ飛んだとかじゃないからね……っ!」
「すみません、いきなりそんな事を言われたので、てっきり疲労しての発言なのかと……」
「紛らわしい反応して御免ね!! 俺はまだ大丈夫だから! ただふと気になったから振ってみただけだったの! 単なる好奇心での話よ!? 困らせたのならすまんかったけど!!」
全力で謝られた側の長谷部もよく分からないなりに彼女の思考回路を理解しようと、先程振られた話を噛み砕いて考える。
「藤の花の匂いが気になる、という事でしたが……どのような経緯でそう思ったのですか? あ、俺が切っ掛けであるとはお聞きしましたが、根本的な意味でお訊きしてます」
「んっとねぇ……実は、俺が小学生……えーっと、分かりやすく言って、俺が短刀の子等みたく幼かった頃の話ね? 小学校の敷地内に藤棚があって、時季になると綺麗に花を咲かせてたんだけど……子供ん頃はあまり関心が無くて、寧ろ藤の花咲いてる時季は、その辺り一帯に蜂が飛んでたりしてたから怖くて近寄らなかったのよ。でも、大人になってからふと思い出してみるとさ、藤の花身近に咲いてたんだなぁ〜って事に感慨深く思えて。何となく懐かしく思えちゃって、どんな匂いだったっけなぁ〜? って思っちゃったのよ」
「嗚呼、そういう事だったんですね……。でしたら、俺の匂いを嗅いでみますか? 聞くところによると、俺からは藤の匂いがするんだとか。自分ではよく分かりませんが、主さえ嫌でなければどうぞご確認ください」
「え、逆に訊いちゃうけど……本当に良いの?」
「はい、主がお望みとあらばお好きなように」
そう言って、“如何様にしてくださっても結構です”と言わんばかりに腕を広げてにこやかな笑みを浮かべた長谷部。端から聞いていたらば可笑しな会話だったろうが、今離れの間の執務室に居るのは審神者の彼女と近侍である長谷部だけだった。故に、この会話へ突っ込む者など誰一人として居ない。よって、彼女は誘われるがまま彼の懐に近付き、ふんふんと鼻を利かせて匂いを嗅いだ。そして、ぱちぱちと瞬きをし、顔を上げて笑顔を見せる。
「本当だ……! 何かお花の匂いがする……っ!」
「ねっ? 言ったでしょう、俺からは藤の匂いがすると」
「にゃるほど……藤の花ってこんな匂いだったんだぁ〜。うん、素敵な匂いだね!」
「四季的に言えば、藤はもう時季から外れてしまいましたので、現世の方でも見る事は叶いませんが……見ようと思えば景趣を弄れば見れなくもありませんよ。あと、もしリアルに藤の花をご覧になられたいのでしたら、来年の四月中旬から五月初頭頃に、俺の地元である福岡の方へ行ってみては如何でしょう? 毎年美しい藤の花を咲かせる名所が数多くありますので、気になるようでしたら、俺の方で調べて来年の年間予定に組み込んでおきますよ」
「流石、長谷部。仕事が出来る男……!」
「お誉めに与り恐悦至極です。もっと誉めてくださっても良いんですよ?」
「じゃあ、疲労回復の癒しに、後で頭ナデナデさせろください。ついでに、もっと藤の花の匂い嗅ぎたいので、長谷部さえ嫌じゃなけりゃハグさせろください」
「主命とあらば、如何様にでも……っ」
大好きな主に構ってもらえるのが嬉しいせいか、忠犬へし公は大層嬉しげに桜の花弁をぶわっぶわっにさせるのであった。
お昼時の事である。
一旦仕事を切り上げた主は、長谷部と共に母屋の厨を訪れた。
「お腹が減る美味しそうな匂いがするのだぁ〜!」
「やぁ、主、午前のお勤めお疲れ様……!」
「今日のお昼は何です?」
「今日は冷やし中華だよ!」
「おぉっ! 夏の風物詩たる冷やし中華の時季が今年も来ましたか……!」
「麺類なら、食欲そんなに無い時でも入っていくだろう?」
「そだね、比較的麺類は入っていきやすい方やね。まぁ、一番は汁物系が入っていきやすいけども、麺類ってちゅるちゅる〜っと入っていくから不思議なんだにゃ」
「お仕事切り上げたんなら、御飯食べるでしょ? 今、用意してあげるから、ちょっと待っててね!」
「冷やし中華と言うが、見たら飯も炊かれているようなんだが……?」
厨の端で存在感を示す業務用炊飯器の蓋を開けて中身を確認した長谷部が呟く。其れに対し、冷やし中華を盛り付けながら燭台切が答える。
「麺だけじゃ足りない子達用に一応はね〜。後でお握りにでもして出す予定だから、つまみ食いしちゃ駄目だよ?」
「主の御前でそんなはしたない真似するか」
「俺の前じゃなかったらするのかい?」
「えっ、いや、そういうつもりで言った訳では……っ」
「はははっ、冗談だよ! 別にそんなちっちゃい事で叱ったりとかしないから……! 育ち盛りの男は皆
「だからってつまみ食いは許しちゃ駄目だからね、主?」
微妙にズレた感想を零す彼女へ冷静なツッコミを入れた燭台切は苦笑を浮かべて笑った。そんな彼の背後へ近付き、手元を覗き込みながら訊ねる。
「そういえば話変わるけど、伽羅ちゃんてどんな匂いするの?」
「えっ、どうしたんだい唐突に?」
「いや、何となく気になって? さっき長谷部の匂い嗅いだら藤の花の匂いしたから、同じ小宮刀の伽羅ちゃんはどんな匂いするのかなって」
「何で長谷部君の匂い嗅いだの、君……」
「えーっと、藤の花ってどんな匂いだったっけ? って話になって、長谷部曰く、自分の匂い藤の花の匂いするらしいから嗅いでみる? ってな感じの流れになりまして、其れで。詳細知りたいなら長谷部に訊いてくれ」
「分かったよ。長谷部君、後でその流れに至った経緯の詳細聞かせてね」
「別に構わんが……言っておくが、他意は無いからな? 悪まで俺は主命に応えたまでだ。俺は亀甲貞宗ではないのでな、馬に蹴られる趣味は無いぞ」
「うん、知ってる」
一瞬呆れた空気を漂わせて彼女を振り返り見た燭台切だが、先に振った会話の回答を待っているらしき彼女の空気を察し、盛り付け終わった冷やし中華の器を盆に乗せながら答えた。
「えっと、伽羅ちゃんの匂いについての話だったよね……? 伽羅ちゃんだったら、お香とかである白檀に近い匂いがすると思うよ。特別お香を焚き染めてる訳とかでは無いけれど」
「其れはもしや、名前に“伽羅”が付くからなのです……?」
「いや、そういう訳でも無いと思うけども……っ。取り敢えず、訊かれた事には答えたよ! ハイ、お待ちどお様! 主の分の冷やし中華だよ!」
「わぁーいっ、有難うみっちゃん! ところでみっちゃんは、清潔感溢れた匂いがしますね?」
「待って!? 今のちょっとの間に僕の匂い嗅いだのかい、君!?」
「あ、引いたのなら御免ね。別にわざと嗅いだ訳じゃないの。偶々近くに居たから、ふと鼻先に付いた匂いを嗅いでみただけ。そしたら、御飯の匂い以外でみっちゃんの匂いらしき匂い嗅いじゃっただけなのよ。他意は無いよ?」
「主、君ってばねぇ……匂いフェチだか何だか知らないが、下手な真似は
「御免て。ちょっと知的好奇心が疼いた結果なのですよ。ちなみに、歌仙や宗三さんとかお爺ちゃん達からは雅な匂いがするよね」
「其れは、僕達が毎日香を焚き染めてるからだろうね。気に入ったのなら、今度香を専門に取り扱う店にでも行ってみるかい?」
「ん〜……香水とか化粧品系統のお店は色んな匂いが混じってて苦手だけど、お香ならまだ身近な感じだからいっかな……? 俺ん家の実家だと毎日お仏壇にお線香上げるからさ、よく言う“お爺ちゃんお婆ちゃん家の匂いがする”感じで慣れてんだよね」
「あー、まぁ、主さんから言えば、お香の匂いもお線香みたいな感じですよね〜」
「そう言う堀川君からは石鹸の匂いかな……? あつきからは、お菓子みたいな甘い匂いがするんだにゃあ」
「あははっ、わたしはいつもすいーつをつくってるからだね! きょうはあずきをつかったおやつをつくるよていだから、たのしみにしているのだぞ!」
「やったぁ! 小豆系の御八ツもスッキ! 午後からのお仕事も頑張りまっす! 長谷部も一緒にお仕事頑張ろうねー!」
「えぇ、勿論です。主と一緒に仕事が出来るのでしたら、期待以上の働きと成果をご覧に入れてみせましょう……!」
主からの激励(?)に歓喜した長谷部は、大広間へと向かう道すがらちらほらと誉れ桜を舞わすのだった。
お昼時、皆と仲良く食事をしている最中でも、彼女の中での話は続いていたのか、匂いフェチによる話は継続していた。
「さっきお香の話が出たけど、数珠さんとか辺りもお香の匂いするよね?」
「数珠丸恒次も、確か香を焚き染めていたかと」
「あ、其れでか〜。他の子で言うと、短刀の子達は基本子供特有の匂いがする感じだよね。例えば粟田口の子達なんかは、いつもシャンプーとか柔軟剤系のふわふわとした匂いがするよなぁ〜。いち兄も其れ系の
「しかし、乱や加州などからは主みたいな女性の方に近い匂いがしますよ?」
「其れは、普段使ってるシャンプーとかのせいじゃない? あの子等、俺より女子力高いから……最早どっちが女子なのか分からなくなるくらい……ハハッ」
「大丈夫です、主も十分魅力的な女性ですよ」
「あ、うん。励まし有難う、長谷部」
意味不明な励ましを受けるも、まぁいつもの事だから……という風に適当に返す彼女。大してへこむような事では無いというか、今更な事なので割り切っていると言った方が早いだろう。
ちゅるちゅると下手くそに麺を啜りながら咀嚼し、会話を続ける。
「匂いで言うと……桑君からは畑というか、土の匂いがするよね。いつも土弄りしてるからかな? 偶に、鶴さんからも土の匂いするけど……アレはたぶん穴掘った直後だからなんだろうなぁ」
「僕の事呼んだぁ?」
「おっ、噂をすれば何とやらだ」
「二人共何の話してたの?」
「お前からはいつも土の匂いがするよな、といった感じの話だ」
「まぁ、僕、いつも畑耕してるからねぇ〜。あっ、そうだ! 畑で思い出したけど、今日は良い感じのトマトが収穫出来たよ〜!」
「わしトマト嫌いじゃ……っ」
嫌いな物の話題が出た瞬間、露骨に顔を顰めた彼女は素直である。その様子に、桑名は笑って反応を返した。
「トマト美味しいのに〜」
「俺、トマトはマジで無理なんよ……っ。特に生は無理! あの食感と酸味のある味が駄目……っ! 加工済みの物ならまだ何とか食えるけども……」
「好き嫌いは良くないよ? ちなみに、明日は胡瓜とピーマンを収穫する予定だよ」
「胡瓜は好きだけど、ピーマンは嫌いじゃ」
「主って苦い食べ物嫌いなの?」
「うーん、まぁ……たぶんそうなのかも? ゴーヤとか山菜系も同じ理由で苦手だし。あと、同じ夏野菜系で言うと、茄子も嫌いです。あのグニャッとした食感が無理……っ」
「ふむふむ……じゃあ、今度、主みたいに苦手な子でも食べれるように加工調理してみるね!」
「アッ、そういった努力は別にしなくてもオーケーよ……? というか、控えめに言ってしなくてもヨロシ……、」
「楽しみにしててね!」
「アッ……此れは話聞いてくれないや〜つ……」
些か強引な流れを感じた主は、瞬時に察して此れ以上余計な事は言いまいと口を閉じた。
その後は、時折他愛無い話をするくらいの程度に落ち着き、器を空にする事に集中した。
厨組特製の冷やし中華はとても美味で、皆あっという間にペロリと完食してしまった。斯く言う主も綺麗に完食し、器を空にした。他の皆は、食べ盛りというか、大食漢が多いせいか麺だけでは物足りなかったようで、付け合わせに用意されていたお握りの山を空にしていた。流石はよく食べる男達である。主は感心しながら、食べ上げた食器を下げようと大広間を出た。
其処で、入れ違いとなった琉球組三人とすれ違う。
「おや、三人は今からお昼かい?」
「そうさぁ〜。今日のメニューは何だろう?」
「冷やし中華だよ〜。足りない人用にお握りも作ってあるらしいから、厨に行けばまだあると思うよ」
「冷やし中華かぁ……! 其れは美味しそうだなぁ!」
「沖縄では、“ソーミンチャンプルー”って言って豚肉とか野菜を素麺と一緒に炒めた料理があるんだけど、今度作ってみても良いかねぇ?」
「あ〜、今朝ドラでやってるアレ?」
「そうそう! いやぁ〜、アレ見てると、俺も料理の腕
「ははっ、ちぃ
「アレを見てると、俺はお腹が減ってくるけどなぁ〜」
「分かる。ところで話変わるけど……何か一瞬三人から潮の匂いというか、海の匂いみたいなのが香った気がしたんだけど……気のせい?」
主は、ふと香った匂いについて、疑問に思うまま問うた。すると、三人は揃って小首を傾げ、顔を見合わせて呟く。
「さぁ〜何でだろうなぁ?」
「俺達が琉球刀だからかねぇ〜?」
「あんまり気にした事無かったから、気付かなかったなぁ〜」
「え……その理論で言うと、浦島君やむっちゃんからも海っぽい匂いするのでは?? ちょっと気になるから、此れ片付けて確かめてみる……!」
「おー、気を付けてなぁ〜っ」
パタパタと駆けていく彼女を見送る三人は、何ともユルい空気を放っていた。
思い付いたが吉日を地で行く彼女は、食器を片した後、即目的の男士を探して本丸内を彷徨いた。そうして見付けた陸奥守の姿に、主は喜色満面の笑みを張り付けて声をかける。
「むっちゃーん!!」
「おん……? どういたがよ、主?」
「ちょいとむっちゃんの匂いが気になったので、嗅がせてください!」
「はっ!?」
「という訳で、ちっくと失礼……っ!」
「おおの!? 急にどういたんじゃ主!??」
驚く陸奥守に構わず、彼女は彼の懐に近付いてふんふん、と犬のように鼻を動かした。内番を切り上げてきたばかりだったのか、農具を肩に担いでいた陸奥守は、一瞬動きを止めて身を固める。
「驚かせてすまんね。さっきすれ違い様に琉球刀から海の匂いしたから、もしかしたらむっちゃんとかからも似たような匂いするんかなぁ〜思うて、確かめてみとうなってにゃ!」
「主の偶ぁ〜に起こす気まぐれ言うんか、奇行には驚かされるぜよ〜」
「あははっ、すまんちや〜」
「ほいで、わしからはどんな匂いがするんかの?」
「桑君みたいな土の匂いがしました」
「そら、畑当番こなしてきたばっかのとこやったきねぇ〜。土
「ちっとくらいじゃったら、
「おまさんは相変わらず警戒心の緩いこっちゃにゃあ〜。大包平が気にする気持ちも分かる気がするのぉ……」
「何で其処で大包平が出て来るんじゃ?」
「おまさんも、恋刀が居るっちゅー自覚があるがやったら、ちっくとこがな真似控えた方がえいぜよ。わしかて、嫉妬の対象で八つ当たり食らいとうは無いきね」
「そもそも、彼奴そんな物理的なヤキモチ妬くんか? こないだの演練の時も、ベターなテンプレ的可愛いヤキモチなら妬いてる様子はあったけども」
「少のうとも、彼奴も男やき……其れなりの独占欲っちゅーもんはある思うぜよ。忠告はしたきに、後はおまさん次第じゃ。怖い思いや痛い目見たくないがやったら、下手な事せんちょきや」
「ウッス……肝に銘じとくッス」
「いまいち不安が残る反応じゃのぉ〜……っ」
分かってるような分かってないような微妙な反応を返した彼女に、呆れの態度を返した彼は一抹の不安を抱き浮かない顔をした。しかし、其れに気付かぬ天然主は、お昼のメニューの内容を告げるだけ告げて去っていった。言い逃げも良いところである。一先ず、陸奥守は、肩に担いだままの農具を仕舞いに納戸の方へ向かうのだった。
午後のお勤めに戻るべく、母屋から離れの間を目指していると、道中、通りすがりの山鳥毛と出くわした。非番である彼は、今日はゆったりとした内番着姿であった。部屋へと戻る途中だったのだろう、上着のジャージを肩に揺らめかせる彼の背に向かって声をかけた。
「ちょーもさんっ!」
「おや、小鳥か。私に何か用だったかな?」
「うんにゃ、ただ通りすがりに後ろ姿見掛けたんで声かけただけッス! ちょもさんは、もうお昼食べました?」
「嗚呼、今しがた頂いてきたところだ。小鳥も、ちゃんと昼餉は食べたか?」
「はい! しっかり栄養補給して、午後からもお仕事頑張ろうかなと思ってる所存です……っ!」
「うん、その意気で頑張りなさい。私も、何か力になれる事があれば協力しよう」
「有難うございます! ところで……ちょもさんって何か香水とか使われてます?」
「ん? 確かに、紳士たる者の嗜みとして、毎日ではないが、香水を纏う事もあるが……其れがどうかしたかね?」
「あ、いや、今しがた後ろから声かけた時、目の前で上着がふわっと揺れたからかな……? ちょもさんの匂いだと思うんだけど、香水っぽいような匂いがしたから、ふと気になって……」
「そ、そう言われてしまうと、何だか気恥ずかしくなってしまうな……っ」
「あ、何か御免ね……? 俺、ちょもさんの匂い嫌いじゃないよ? だから、変に気にしたりとかしなくて良いからね」
思わぬ事を言われ照れてしまったのだろう、仄かに顔を赤らめた彼は恥ずかしげに顔を逸らし、口許を隠すように手を当てた。何とも可愛らしい反応である。彼女は心の中でほっこりしつつ、軽く手を振って部屋へと戻っていった。
其れから暫く経っての事である。
またもや周回疲れから脳死モードに入ったらしき主は、一度端末から離れて畳の上に伸びた。流石の数時間ぶっ続けの作業では、眼精疲労が溜まる一方である。眉間に深い皺を寄せてだれた様子を見せる彼女に、見兼ねた長谷部が口を開いた。
「お疲れの様子ですし、一旦休憩を挟みますか?」
「う゛ん……そうする〜……っ」
「でしたら、俺は糖分補給用の甘味を用意してきましょう。お飲み物は、お茶で宜しかったですか?」
「うん……有難う長谷部ェ……。俺、目薬
「肩が凝ったのでしたら、マッサージを施しましょうか?」
「いや……其処までじゃないから大丈夫。気遣ってくれてありがとね。んじゃ、ちょっくら行ってきますわ……。数十分したら戻る」
「分かりました。では、俺は主が戻られるまでに雑務をこなしておきますね」
「長谷部も、適当なとこで休むのよ……?」
「はい、有難うございます。主のお気遣い痛み入ります」
目薬を点した後、一言断りを入れてから離席した主は、疲れた顔を張り付けて適当に本丸内をぶらつく事にした。道中、非番の古備前組がお茶をしている場面に出くわし、その緩やかな空気に誘われるまま彼女は二人の元へ近付いていった。
「やっほ〜……お二人共揃って日向ぼっこですかい?」
「おや、此れは此れは主、随分と疲れた顔をしてるじゃないか」
「戦力拡充イベも、周回続けてると脳死すんのよ……」
「周回に努めるのは良いが、きちんと休憩を挟んでいるのか?」
「挟んでるからこうして気分転換がてら本丸内お散歩に来てるんじゃない……。労う気持ちが少しでもあんなら癒しをくだせぇ……っ」
「おっと、此れは其れなりに疲労が溜まってきてる時の感じだな。どれ、俺の茶でも飲んで一服するか? どうせ、作業中は眠気覚ましにとずっと珈琲ばかり飲んでいただろう?」
「う゛〜……っ、其れよりも物理的な癒しを求めますぅ〜……っ」
「しょうがない奴だな……此れで良いか?」
偶々手前側に居た鶯丸の背に額をグリグリ押し付けていたらば、その隣に居た大包平に引き寄せられてぽふんっ、と懐に抱き締められた。所謂、抱擁というやつである。緩く抱き締められた彼女は、疲労のせいで一瞬脳内での処理が追い付かなかったのか、呆然とされるがままで居た。しかし、次第に状況を読み込んだのか、「ぅみ゛ぃ゛〜……っ」と甘えた声を出して懐に擦り寄る様子を見せる。其れに対し、大包平は満更でも無さげな勝ち気な笑みを浮かべて、甘える彼女の背をポンポンと叩いた。
「偶には、こうして甘えられるのも悪くはないな……!」
「あ゛〜、優しさと労いが沁みるんじゃ〜……っ」
「爺臭いぞ、主……っ」
「すまん、疲れてるのよ……大目に見てちょ」
「時に主よ……君、長谷部や燭台切なんかの匂いを嗅いだりという奇行に走っていたらしいが、本当か?」
「え……? あー、うん……そうッスけど、何か?」
「いや、お前何やってるんだ??」
「事の発端は長谷部からなので、詳細知りたきゃ長谷部に訊け。あと、色んな子達の匂い嗅いだりしたのは通りすがりの偶々だし、知的好奇心からなるものだから。ちょっとばかし、匂いフェチという名の性癖が疼いただけなのよ? 他意は決して無いので悪しからず」
「さては、お前、疲労マーク出てないだけで結構疲労してるな?」
「そうなんかな……? 自分じゃよく分からんというか、そんな疲労してる感無いと思うてんねやけど……。ところで、うぐの匂いは、やっぱりお茶の香りがするのねぇ」
「オイ、人の話を聞け」
「反対に、大包平の匂いは、何て言うのかな……? よく分かんないんだけど、良い匂いがするよ。思ったより、清潔感溢れた感じの匂いだったから意外だったわぁ〜」
疲労からか、些か頭の
一方、自分の匂いがどうのこうのと評価された大包平は、平常時のまま言葉を返した。
「美の結晶たる俺が、身嗜みを整えぬ訳が無かろう……? 常に清潔感を保つのは当然の事だ」
「うん、だから良い匂いすんだねぇ〜。大包平の事だから、もっと男臭い匂いすんのかと思ってた……」
「お前、俺の事何だと思ってたんだ?? というか、夜も度々こうして懐に抱き寄せてる筈だが、気付かなかったのか……?」
「いや、夜は寝間着だし、お風呂入った後だから石鹸とかシャンプーの匂いして当然やん? って思ってさぁ……。あと、夜に逢う時は基本眠気勝ってるから匂い云々の前に寝落ちてんのよ」
「健康的と言えば良いのか何と言うか……いやはや、あまりに健全的お付き合いなようで、鶴ではないが俺も吃驚だ」
茶化しを混ぜて言われた言葉に、ムッとした顔を浮かべた大包平は反論の言葉を返した。
「仕方がなかろう! 此奴のペースとやらに合わせていたら、無理に迫れぬのだから……!」
「別に、俺はこのまま清い関係性のままでも全然良いんですけどね?」
「逆に良いのか? そのまま行くと、百夜目を迎えた日、後悔するのは主だと思うんだが……。多少は今の内に慣れていた方が身の為になるんじゃないか?」
「え、あ、まぁ……そう言われるとそうかもしんないッスけども……」
「野暮な真似はしたくはないが、やきもきした大包平の八つ当たりを受けたくも無いんでな。助言として言っておくが、接吻くらいには慣れておいた方が良いんじゃないか?」
「…………すんませんが、ノーコメントでオナシャス」
「何故其処で照れる?」
「いや、寧ろ何で照れないと思ったのお前ェ……っ!?」
んにゃんにゃと甘えの姿勢を見せていた主が、突如がばりと身を離して照れムーヴを起こす。其れを、最早慣れた手付きで
「お前が慣れぬ内は、下手に手は出さん……が、
「あい……善処しまっす……」
「まぁ、イチャつくのは出来れば二人きりの時にしてくれ。口から砂糖を吐きそうなくらい甘い空気で何とも言えん……」
「えっ、今の間に其れ程甘い空気漂ってたか??」
「君は俯いていたから気付かなかったんだろうが、大包平の君を見つめる視線がな……こう、如何にもな感じがして、甘ったるかったぞ」
「マジかよ。つか、そういう事は実況してやるなよ……大包平が可哀想じゃん」
「すまん。他意は無いから許せ」
含み笑いを零す鶯丸に、仕方がないなぁと言わんばかりの笑みを向けた主は呆れ半分の反応であった。
少しばかり疲労が和らいだらしい彼女は、徐に立ち上がって伸びをすると、大包平の方を振り向いて一言礼を述べた。
「有難う、大包平。ちょっと回復したから仕事戻るわ」
「もう良いのか?」
「うん。数分でも、十分疲労回復出来たしね。うぐの方はどうか分かんないけど、大包平の方はカンストしてから一年くらい経つから、暇で退屈してしょうがないとかって事なら、道場行って誰かと手合せして来たら? 先日、毛利君と内番で手合せ組んだら、スッキリしたって言ってたじゃん? まぁ、あまりにもフラストレーション溜まってるとかなら、イベント周回の編成に組む事も考えなくはないけども……」
「今のところは、然程溜まっては無いから安心しろ。俺は適度に鍛練して体を動かしているからな。その点の心配は要らん」
「でも、やっぱり刀的には、使われてなんぼだから、不満溜まってたりとかしない……?」
「俺は、お前の采配に不満は無い。お前はきちんと俺達の事を見てくれているし、ちゃんと分かってくれているとも理解している。だから、そう不安に思わずとも大丈夫だ」
「其れなら良いのだけれど……もし、本当に不満抱いたりとかフラストレーション溜まってきたりとかしたらちゃんと言ってね! 俺、なるべく考慮した編成組むようにするから……!」
そう言い残して、彼女は離れの間へと引っ込んでいった。
残された二人は、変わらずお茶をしながら呟きを零す。
「ふふふっ……やはり、お前にやるには勿体無き相手だな」
「やらんからな」
「ふふっ、今更横恋慕などせんさ。お前相手に横取りしようものなら、逆に伸されてしまいそうだしな。事実、俺はまだ修行から帰ってきてから日が浅い身だ……本気のお前を相手に真剣を交えた場合、怪我をするのは俺の方だろう。まっ、そんな真似、端からする気など無いんだが。……彼女は悪い意味で天然だ、他所の奴が惚れないとも限らん。実際、この間の演練の件があるしな。警戒するくらいが丁度良いだろう」
「その為の策を今改めて練っているところだ」
「いっその事、まじないを掛けた組紐より分かりやすい形でお前の神気を掛けてみたらどうだ?」
「あまり彼奴の迷惑になるような事は避けたい……が、彼奴も彼奴でかなり鈍いからな……っ。お前の言うように、もっと分かりやすい形で“俺のもの”だと示した方が良いのかもしれん……。だがしかし、百夜迎えるまでは手を出さんと誓った身だ……どうしたものか悩むな……」
「まぁ、大いに悩め。焦る事は無いからな、ゆっくりと考えていけば良いさ」
そう言って茶を啜った鶯丸は、梅雨が近いと言うに晴れ渡った空を見上げて“今日も洗濯物がよく乾きそうだ”などと平和で暢気な感想を一人ごちるのであった。
再び仕事モードに切り替わって周回を繰り返して数時間後、今日のノルマは此れくらいにしようと区切りを付けた主は、出陣部隊に帰城の指示を飛ばした。ぶっ続けで周回を繰り返したお陰か、予定よりも早い段階で目標値のノルマを達成出来そうである。
夕餉も近い事だ、今日のところは仕事を片してしまうとしようか。思い至った主は、近侍の長谷部へ本日の仕事は終了する旨を告げ、今日一日ご苦労様でしたとの労いと感謝の念を伝えた。すると、長谷部は、忠犬へし公の名が付く通りに慇懃な態度で返してきた。……が、嬉しさを隠し切れないのか、桜の花弁が視界の端で舞った。可愛い部下である。
端末の電源を落として机の上を片した彼女は、一度部屋を後にした。夕餉の時間が近いのは事実だが、大広間へ向かうのも少し早過ぎる時間帯だろう。少し悩んで、彼女は道場の方へ向かう事にした。この時間帯ならば、まだ誰かしらが居る頃だろう。夕餉の時間までの暇潰しの体で向かえば、丁度道場入口の手前で手拭いを肩から提げた大包平とかち合った。
「やっほー大包平。体動かしてきたん?」
「嗚呼、主か……。まぁな。お前の方は、仕事終わったのか?」
「うん、今日のとこはね。イベント周回的進捗を申すと、前回や前々回ん時と比べてかなり順調どころか、早めに目標ノルマまで到達出来そう。事実、今日だけで易コースの最終ノルマぐるっと回り終えちゃったもんね! ので、明日からは他のコースを回る予定で〜す! このまま行けば、修行セットの手紙まで余裕の早さでGET出来そうで嬉しみ……っ!」
「其れは良かったな。任務を順調にこなせているのも、お前の采配が良いからだろう。流石は俺の主だ……っ」
「いや〜、其れ程でも〜!」
素直に褒められた事が擽ったくて軽口を叩いて誤魔化していれば、其れを察した大包平が「ふっ……、」と笑う。
「この俺が見初めたのだ……もっと自信を持って良いのだぞ?」
「あぅ……っ、そう言われるとちょっと照れるというか何というか……っ」
「何だ、はっきり言え」
「ぐっ…………控えめに言って、今のお前の視線眩しくって目合わせらんないっつーか、直視出来ないッス……」
「ふんっ、軟弱者め」
相変わらずの慣れなさ加減で
「大包平、鍛練とかしてた訳だから普通に考えて今汗かいてるんだよね……?」
「嗚呼……お前に言われてから今しがたまでずっと非番で
「あ、いや、そういう訳でなくて……寧ろ、全然臭くなくて驚いたというか……えっ、何でだ?」
「いや、俺に訊かれてもな……っ」
「あえ〜……何でだろ……? 臭くないどころか、何となく良い匂いのように思えてきたのですが……え、待って、ちょっと待ってくれ……っ」
「別に急かす気も無いから待たぬ事も無いが……お前、さっきからどうしたんだ? とうとう周回による疲労で頭馬鹿にでもなったんじゃないのか?」
「……もしかしたら、そうかもしれん……っ」
「は??」
「うわぁー、どないしょ……俺の嗅覚狂った訳でもないのになぁ……っ。何でか、汗かいた大包平の匂いが好きなタイプの匂いみたいで絶賛頭混乱中ですわ……っ」
唐突に落とされた爆弾発言に、其れまで普通に耳を傾けていた彼の思考が止まった。次いで、顔を覆って俯き、盛大な溜め息を吐き出すと、何かしらの感情を堪えた風な調子で言葉を紡いだ。
「おっっっ前なぁ……ッ、そういう事をこんな処で言うな、阿呆が……ッ!」
「えーっと……何かすみません、御免なさい。悪気は無かったんです、ハイ」
「尚悪いわ……!」
「御免て……っ。俺も自分の性癖というか新たに気付いた事に混乱してて訳ワカメ状態なのよ、許せ」
「初心が抜け切らずに恥じらうばかりと思っていたらコレだからお前という奴は……ッ!」
「幻滅した……?」
「貴様、俺を煽っとるのか?」
「ヒッエ………ッッッ!? 御免なさい、わざとじゃないんです!! 今の素で言った事だったんです、すみません……!!」
「今宵、少しばかり今までの仕打ちを返してやるから、覚悟していろよ……?」
「お゛ぁ゛ッッッ……死刑宣告待った無しやないですか、やだぁー……っ」
そんなこんな時間は進み行き、夕餉の時間を挟み、お風呂や何やかんやの用を済ませての就寝時間はやって来る。
再掲載日:2023.04.15