甘やかに溶けた視線の向く先は
とある日の朝の出来事であった。
共寝しているが故に共に寝起きするが、その日彼女は寝起きから調子が悪かったのか、いつもなら二人揃って大広間へと向かうのだが、彼だけを先に向かわせる事にした。特に理由を告げる事もしなかったが、察しの良かった大包平は“まぁ、そういう日もあろう”と素直に受け入れ、言われた通りに一人で先に大広間へと向かった。
すると、当然ながら注目を受ける故に誰かしらから疑問の声が飛んでくる。
「あれ……? 今日は主さんと一緒じゃないんですか?」
「嗚呼。理由は聞かなかったが、先に行けと言われたのでな。まぁ、彼奴も女である以上色々と事情があったりするのだろう。下手に訊くのも野暮かと思ってそのまま来た」
「喧嘩でもしたのか?」
「いや、喧嘩したとかでは一切無い故にその心配は無いと思うんだが……」
特に理由が思い浮かばぬ大包平は、そう言葉を濁して一瞬悩むような顔付きを作った。仮に心当たりがあれば其れが理由かとも思うが、今回は本当に何も心当たりが無い。故に、彼は首を傾げて、自分は何かしただろうかと記憶を遡った。
そうこうしていれば、遅れて姿を現した主が顔を見せる。
「おはよぉ〜」
「あっ、主さん! おはよう!」
「今日は大包平様と一緒に来られなかったので、喧嘩でもされたのかなと心配致しました……!」
「ありゃ、そうだったの……? 別にそういう訳とかでは全然無いから、安心して良いよ〜。何か変に心配掛けちゃったみたいで御免ね。今日は寝起きから体調微妙そうだったから、ちょっと様子見るので支度に時間掛かりそうだなぁ〜って思って先に行かせただけだったのよ。勘違いさせたのなら御免なさいね」
そう言って笑った彼女の髪型は、いつもと違う髪型だった。其れに逸早く気付いた短刀達がそれぞれに声を上げる。
「あっ! 今日の主君、いつもと髪型が違いますね!」
「本当だ! 今日は全体的に上の方に纏めてる……っ!」
「何かその髪型だと、パッと見大包平っぽい感じするよな!」
「あー、確かに! ツンツン逆立った風なところが旦那っぽいな!」
「今日の主は、頭から
「鶏冠言うな。上にぴょこっと出とんのは、跳ねっ毛の部分じゃ」
「でも、その髪型珍しいよね。どうしたのさ?」
珍しくアップな髪型に反応を示してきた加州が訊ねる。其れに、彼女はあっけらかんと答えた。
「いや、別にどうもしないけども。強いて言うなら、ゴムで縛ると余計頭痛くなりそうだったから、代わりにクリップ型の髪留めで纏めただけ」
「ぶっちゃけ、其れどうやって留めてんの?」
「えっ、簡単よ? 全部の髪の毛一つに纏めたのをグリッと上に捩ったら、良い感じの位置でバチンッとクリップで固定するだけ。俺は髪質柔くて細いし、量も少なくて長さもそんな長くないからバレッタとかクリップ一つで留まるけども、落ちにくいように固定したい場合は、やっぱりゴムで一旦結わえた方が留まりやすいし崩れにくい。完全に全部の髪上げたい人は、更にピン留め使って固定していけばおkよ」
「へぇ〜っ。似合ってるし、可愛いよ」
「ありがと」
「首元涼しげで良いんじゃない?」
「まぁ、本格的に暑くなるまでには切りたいけどね。真夏にこの長さは鬱陶しいし、蒸れて暑いから。何より手入れが面倒」
「あははっ、其れはまぁしょうがないよね! 髪の毛長い人の宿命というか、何というか」
「でも、その逆立ったフォルム、マジであの大包平とそっくりじゃない?」
「そんな似とるか、此れ?」
頭の上の方でぴょこんっと顔を見せる立った髪の毛へ触れながら彼女は首を傾げた。其れを見つめる周りの皆の空気は微笑ましげである。
一先ず、いつも通り皆の注目を集めながら適当な位置へ腰を下ろして朝餉を食べ始める。そんな彼女の隣に座って共に食事を摂り始めた彼からは、ちらほら桜が舞っていた。その様子に気付いた彼女が口を開く。
「あれ……お前、何で朝から桜舞わしてんの……? 何か良い事でもあったん?」
「別に、何でも無いから気にするな……っ」
「はぁ……?」
「其れよりも、体調が優れぬのならあまり無理はするなよ」
「あ、うん。今のとこそんな重症じゃないから大丈夫よ。流石にキツくなったりしんどくなったら一言言うわ。体調微妙言うても、片頭痛起こしとるだけやし」
「そうか。だが、本当にキツくなったら俺を頼れよ」
「アザッス」
淡々と相槌を打って言葉を返す彼女の普段と何ら変わりの無い反応に、内心ホッと安堵の溜め息を
主はというと、片頭痛を起こしていた為に、食後に薬研から処方された薬を飲んで苦さ故に思い切り顰めっ面を作るのだった。
薬を飲んだ効果で暫くした後頭痛は治まったが、後々副作用からか眠気が来たらしい主は、執務の最中に舟を漕ぎ始める。元々、弱い薬にもどうしても眠くなってしまう体質である。おまけに、現在進行形でイベント周回中且つ脳死周回に入っていた為、余計に眠くなりやすい環境が揃っていた。
よって、主は進軍の指示を出しつつ画面を見つめるも、時折かくんっと頭を揺らしていた。その日近侍だった大包平は、様子を見兼ねてそっと声をかける。
「おい、主。あまりに眠たげな様子ならば、一度仮眠を挟んではどうだ……? 一秒でも早く仕事を片付けてしまいたい気持ちは分からんでもないが、このままではあまりに効率が悪かろう。おまけに、さっきからずっと舟を漕いでばかりで手が止まっているぞ?」
「あ゛い……サーセンぬ……っ」
「今の周回が本陣までクリアしたら、一度切り上げて休め。でないと、
「ウッス……その節はすんませんっした……。とりま、次のボス行ったら帰城させよう、そうしよう……。めっちゃ眠い……っ」
「もう全身から眠たげなオーラ出とるぞ、お前……」
思わず呆れのコメントを漏らすも、眠気が凄まじ過ぎてリアクションすらも返す余裕が無いようだ。言われるまま、出陣させていた部隊を一度引き上げさせ、休息を挟む旨を伝え、落ちる主。端末をスリープさせると、そのまま後ろにバタンキューと倒れて伸びた。眼精疲労も溜まっていたのだろう、眉間にギュッと寄った縦皺が凄かった。
「おい、そのまま寝るな。寝るならせめて何か掛けねば風邪を引くぞ」
「う゛み゛ぃ〜……っ、づかれた眠い〜…………っ」
「ったく、仕方のない奴め……。ほら、この俺が膝と上着を貸してやるから、もう少しだけ動け」
「ん゛〜……っ」
のそのそと体を起こした彼女は、言われるまま大包平の元まで這って行き、目的地まで辿り着くと直ぐ様猫のようにごろりとその身を横たえた。普段の彼女ならばまだ理性的というか、膝枕など恥ずかしがって受け入れぬだろうが、今の彼女は眠気で頭が馬鹿になっているのだろう。思考力が極端に低下しているせいで、すんなり受け入れてしまった。あまりの無防備さに、彼は溜め息を吐き出して口を開いた。
「俺から言い出した事だから、休息を取る事にした件についてはまぁ良かろう……。だが、寝るならせめて眼鏡は外しておけ。フレームが歪むだのどうのと言っていたのはお前だろう……? あと、髪留めも外しておかんと、寝づらいのではないか?」
「ん゛〜……じゃあ、外すから……眼鏡は机の上にでも置いといて……っ」
「分かった。髪留めは俺が外してやるから、大人しくしていろ」
「み゛ぃ゛〜……っ」
一つに捩って留めていたクリップをバチンッと外してやれば、途端にしゅるりと弛み解けていく髪の束。自身の膝上に散らばった柔らかな髪の毛に、つい自然と手を伸ばしていた。
「外したぞ。髪留めも眼鏡と同じ場所に置いておけば良いのか?」
「うん……アザーッス……」
「お前は眠気が来ると途端に駄目になるな……。まぁ、其れで甘えられるのは
「ん゛ぅ゛〜……其れは無理な相談なんだにゃあ〜……っ」
「何故だ?」
「ん゛ん……っ、だってこんな超絶イケメンで格好良い奴に、んなあからさまにユルい様見せらんないでしょ……っ。ただでさえ俺はそんな美人でもなくて劣ってるっちゅーに…………。せめて、通常時くらいはしっかりしたとこ見せてたいと言うか、にゃんと言うか……主らしく威厳を保ってたいと言うかにゃあ…………まぁ〜そんなとこにゃんだなぁ……」
ユルユルとした手付きで撫でられるのが気持ち良いのか、猫のように擦り寄って頬を緩ませた。まんま猫みたいである。そんな彼女の愛らしい甘えに内心悶えた彼は、一瞬だけグッと何かを堪えた風な表情を作って固まった。既に眠気に負けて目を閉じている彼女は気付かなかったが。
その内、彼のお腹の方を向いて健やかな寝息を立て始めた彼女の何とも無警戒なところ……。男として意識されていないのかと一瞬落ち込みかけるも、寝落ちる前に暴露された彼女の本音を聞いたが故に、実際のところは単に眠気が勝っての事だったと思い直す。
無防備にも愛らしい寝顔を曝す彼女が愛しくて、堪らず欲情しかけるも、寸でで堪え、そっと口付けを落とすだけに留めた。
暫くして、休憩用のお茶と茶菓子を持ってきた鶯丸が顔を見せに来た。
「茶と菓子を持ってきた……が、今はお邪魔だったかな?」
「鶯丸か……。悪い、今主は仮眠中でな。起きたら伝えておこう」
「ふふっ……随分と緩み切った事だな」
「
「
「ふんっ……此れだけ愛らしければ当然だろう」
「そうかそうか。では、俺は早に退散するとしよう。邪魔したな」
「嗚呼」
彼の何時に無き緩められた
部屋を出てある程度離れた場所まで着いてから一度離れの方を振り返った鶯丸は、一人ぽつりと呟いた。
「“ほととぎす 鳴くや五月のあやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな”――と言ったところか……? 五月はもう既に過ぎてしまったが、ふふふっ……アレでは邪魔をするのも忍びないくらいだな。彼奴も、一人の男であったという事か……。いやはや、
開け放たれた先に見える仲睦まじき空気に、微笑ましく笑んだ鶯丸は、兄弟分の恋路を応援してやるべく、暫し離れの間へ誰も近付かぬよう人払いをしてやるのだった。
※使用した和歌……詠み人知らずの作品。現代語に訳すと、『ほととぎすが鳴く五月に飾るあやめ草。あやめ(物事の道筋)を見失うぐらいの恋をしているのだ。』という意味だそう。古今和歌集に収録されている一つらしいです。
再掲載日:2023.04.15