俄か雨


 それまでずっと日が射し、暖かな陽気を感じていたのに、突然空が暗く曇り始めたかと思うと、一気にザアーッと雨が降り始めた。俄か雨というやつだろう。春から初夏にかけての気候は不安定なものだ。特に、このところの近年は予想が付けにくい気候変動を見せている。
 急な雨音に、目の前の仕事に集中していた意識を移し、端末から顔を上げて障子戸の外を見た。
「おや……今日は一日晴れでなかったかいね?」
 審神者としての勤めを果たす為に、昼餉を食べた後も執務室に籠って仕事を片付けていたのだが。外の様子が気になって、彼女は離れの間にある自室からひょこり顔を覗かせる。すると、母屋の方から何だか慌ただしい声が聞こえてくる。外の方へ意識をやると、内番に出ていた者達だろう、慌てて屋内へ駆け込んでいく姿がちらほらと見られた。バケツをひっくり返したかのような雨だ、畑当番に出ていた者達は大丈夫だろうか。洗濯物は、遠征組は……と、次々に気になる事柄が頭に浮かんでは心配になってしまう。
 そうこうしている内に、遠くの方で雷まで鳴り始めたらしき音が此処まで轟いてきた。彼女は一度室内へと引っ込むと、衣類やらを仕舞い込んでいる箪笥の引き出しから何枚かのタオルを引っ張り出してきて、パタパタと早足で母屋の方へ向かっていった。
 いざ、母屋の棟へ行き着けば、玄関へと行くまでの道中である縁側や勝手口なんかから慌てて戻ってきた者達等が雨滴を滴らせながら、やれ雨に濡れたやら何やらと騒ぐ賑やかな声があちこちから上がってきているのを聞く。急な雨を察知していた者達が居たのだろう、既に手は足りているという風で、駆け込んできた皆の手や頭にはそれぞれの手拭いやらタオルやらが渡されていた。完全に出遅れた感である。
 彼女は持ってきたタオルを持て余しながらも、一応はまだ他に拭く物が行き届いていない者は居ないかの声を上げた。
「急な雨で吃驚したねぇーっ。皆ぁ、拭く物足りてないとかあるー?」
「あっ、主さん! こっちは大丈夫だよー!」
「外に出てた子達大丈夫? 畑当番組とか、あと洗濯物とかも大変だったでしょ」
「あっ、洗濯物の事でしたら心配要りませんよ! 兄弟や大典太さんや祢々切丸さんなんかが、雨降る前の空や山を見て事前に察知してくださいましたから! お陰で全部無事です!」
「山伏さんも大典太さんも凄いんですよ……! お空の様子を見ただけで、これから雨が降り出すかもしれないって分かったんです!」
「そりゃ凄いや! 何か其れだと、下手な天気予報見るよりそっちのが当てになりそうねぇ」
「だそうですよ、大典太さん!」
「……まぁ、俺みたいなのでも役に立てたのなら良かった……」
「いやぁー、其れにしても吃驚しちゃったよな〜っ。午前中はあんなに天気が良かったのに、急に降り出しちゃうんだもん! 俺、兄ちゃん等と一緒に畑当番してたけど、雨がぽつぽつ降り始めたのに気付いて大慌てで戻って来ちゃったもんな……っ!」
「まぁ、後は収穫物を持って戻るだけだったから良かったけれどね……っ」
「雨に降られたお陰で、泥を洗い落とす手間も省けたしな」
 どうやら、心配していた洗濯物や畑当番組は大丈夫だったようだ。畑当番組に至っては、ギリギリ間に合わず少し濡れてしまったようだが……。其れでも、濡れた頭を拭く程度で、後は畑仕事で汚れた服を着替える程度で済みそうである。けれど、念には念をと風呂を沸かしに走った者も居るようだ。季節的、今の季節の雨に降られては体を冷やしてしまうだろう。雨に濡れた者達には、後で厨番の者達へ何か温かい飲み物を出すように伝えおいておこう。
「皆お疲れ様ぁーっ。そういえば、馬当番に組んでた二人は……? まだ戻ってきてないの?」
「今日の馬当番って誰だったっけ?」
「古備前のお爺ちゃん達じゃなかったっけ?」
「厩は一番離れた場所にあるからなぁ〜……っ。もしかしたら、急な雨に降られて雨宿りしてっかもな」
「其れは大変だ。今からでも私が傘を届けに行けば間に合うだろうか……?」
「あ、いや、あの二人の事だからたぶんその心配は要らな……、」
 ――とまぁ、噂をすれば何とやらである。玄関口の方でガラリと戸を引く音が聞こえてきた。直前、傘を持っていった方が良いのでは、と動き出そうとしていた山鳥毛を引き留めて正解だったようだ。彼女は急いで玄関の方へと駆けていった。
「お疲れ様ぁー……! って、うわぁ凄いびしょ濡れ……っ!!」
「ったく、少し待てば気を利かせた奴が傘を持ってくるだろうから待てば良いと言ったのに……! 此奴は其れを無視して、この酷い雨の中を突っ切って行ったんだ!! お陰でこっちまでびしょ濡れだ、馬鹿……っ!!」
「馬鹿と言う奴が馬鹿だったんじゃなかったのか……? そもそも、嫌ならお前はあのまま待っていれば良かっただろう」
「お前だけびしょ濡れにさせる訳に行くか、このド阿呆……ッ!!」
 案の定、この雨の中を強行突破して走って戻ってきたらしい二人は、ものの見事濡れ鼠の状態であった。あの大包平の髪さえ、今はぺしゃりと雨に濡れて元気が無い。
 戻ってくるなり言い合いを始める二人の様子に苦笑を浮かべながら、主は手に持っていたタオルを二人へ差し出した。
「ハイ、此れ使って頭拭きな。今、気の利く子がお風呂沸かしに行ってるらしいから、お風呂沸いたら体あっためにおいで」
「すまないな……っ、助かる。……おや、此れは主のタオルか? 良い匂いがする」
「雨降り出した音聞いて慌てて用意したヤツだったからさ〜……っ。皆のとこ来た時には既に出遅れ感半端無くて、内心しょぼくれてたんだよねぇ! やっと使い道出来て良かった……!」
「悪いな……わざわざ主の私物を借りる事になろうとは……っ」
「あいや、別に気にしなくて良いよ。俺が好きで持ってきた物だし。どうせ洗う時は、皆のと纏めて洗っちゃうんだしさ」
 本当は、一人一枚配るつもりで用意した代物だった故に、頭の天辺から足先までずぶ濡れ状態の二人には足らなかったかもしれない。一先ず、持っていた五、六枚のタオル全てを二人へ手渡した。此れは、室内へ上がる前にある程度水気を拭いてしまわねば、床へ水滴が落ちてしまう事だろう。
 どっちみち、これから帰ってくる遠征組の件もある。玄関先の廊下へは、吸水性の良いバスマットや厚手のバスタオルなんかを敷き詰めておいた方が良いだろう。主はそう考えながら、水気を拭う二人の様子をぼんやり眺めていた。其処へ、濡れ鼠状態の鶯丸がぽつりと呟いた。
「せっかくの機会だ。こういう機会も無ければ主には甘えられんだろう。なぁ、主、暇なら俺の頭を拭いてもらえるか? ほら、この通り全身びしょ濡れだ。上がるまでには、ある程度拭わねば上がらせてもらえないだろう? 其処でだ、時折短刀の子等にしているみたく俺の頭を拭いてくれないか? 俺は今、他のところの水気を拭うので手一杯なんだ。暇で手が空いているならば手伝ってくれ」
「お前、何言ってるんだ……? 其れくらい自分でも出来るだろう」
「まぁ、仕事の途中で出て来たから暇では無いのだけれど、良いよ」
「逆に良いのか!? お前は其れで……っ!」
「だって、ただ見てるだけよりかは、手伝ってなんかしてる方がよっぽど落ち着くし。大きい子達からの偶の甘えくらいはいっかなぁ〜って」
「流石は俺の主、話が分かるじゃないか」
「うぐも十分お爺ちゃんだからねぇ〜。偶には、みかちみたいに世話焼かれたい時もあるよねぇ……っ」
「はッ……! あんなのと一緒くたにしてくれるな! 俺は彼奴とは違う!!」
「言うて、君達古備前組も平安生まれなんだから、俺からしたら大して変わんないからね……? 事実、江戸生まれの安光コンビにお爺ちゃん呼ばわりされてたし。巷じゃ、長船の祖たるみっちゃんすらも孫扱いみたいな話だし。今は、みっさんも居るから祖も二人居るけどね」
「長船派の奴等は、皆俺達にとっては可愛い存在だよ」
「彼奴等は俺達の系譜だからな、故に其れには同意見だが」
「ふふふっ……是非とも新入りのみっさんも可愛がってやってくれ! 今はまだ薙刀〜ズと一緒に遠征に出てるけどな」
「勿論だ!」
「可愛がるのは得意分野だからな。帰ってきたら、茶でも飲みながら、労いついでに猫可愛がりしてやるとするか」
 太刀などの大きな刀達から甘えられる機会は滅多に無い。短刀等とは違って、見た目が大人で大きいからと遠慮しているのだろう。故に、鶯丸からの珍しい甘えの頼みに、断わる術など初めから無かった。仕事が残っていると言いつつすんなり受け入れた事に対し、大包平より盛大なツッコミを頂いたが、こんな貴重な機会は滅多に無い。存分に甘やかす体で、いつも短刀の子達へやっているみたくわしゃわしゃと鶯丸の頭を拭ってやった。大人しく頭を傾けて拭かれる彼は、大層ご満悦そうだ。其れを横目に見つめる大包平は、呆れた目付きである。
「まるで子供と変わらんではないか……っ」
「まぁ、俺からしたら、本丸の子達はみぃ〜んな俺の子に等しいと思ってるけどね」
「おや。では、俺の母君は主だったのか」
「んな訳あるか! 何、阿呆みたいな寝惚けた事を言ってるんだ、お前は……っ! 寝言は寝てから言え!!」
「太刀だから大きい子だから〜って遠慮しなくて良いのよぉ〜っ。偶には甘えんなさいね」
「此れは、なかなかに嬉しい事を言ってくれるな。そうかそうか……っ。では、ついでに大包平の奴の事も甘やかしてやってくれ。此奴は見た目通りの性格だからな、他人へ甘えるのが下手なんだ。こういう機会でも無いと甘えたりはせんだろう」
「おい! 俺を勝手に巻き込むな……っ!」
「よっしゃ! うぐからの許可も得たので、早速甘やかしてやろう! 存分に甘えるが良い……!」
「其奴のノリに乗らんで良い!! 俺は自分の事くらい自分で出来る……っ! だから構うな!!」
「そう言いつつも、頭タオル乗せただけで他ばっか拭いてるから濡れたまんまじゃん。早く拭かなきゃ体冷えるし風邪引くよ。其れに、うぐだけやってお前だけ遣らないのは不公平だろ……? ほら、俺が拭いたげるから、ちょっと屈んで……っ。お前デカイから背伸びしただけじゃ届かんのよ……」
「主は小柄だものな」
「そう、俺低身長だから……こういう時苦労するのよねぇ〜。くそぅ……っ、寝る子はよく育つと言うけれど、女子おなごは初経迎えると身長止まるのよ……! 本当は160cmくらい伸びる予定だったのに、早めに来ちまった事が悔やまれるぜ……っ!」
「そういう話は、あまりこんな場所で大っぴらに語るもんじゃ……っ。というか、何故主はそうもナチュラルに何でもかんでも受け入れるんだ……?」
「何でもかんでもという訳では無いけれども……こういう事ぐらいは、ねぇ……?」
「ふふっ……主の中では甘えの内に入らんか。懐が広いな」
「とか言ってたら、しなのん遠征組が帰ってきちゃうよ。ずっと此処で何時いつまでも濡れたの拭ってる訳にもいかんでしょ? だから、ほら……っ、タオルそんままで良いから、頭寄越して、観念して俺に拭かれてろ」
 そう憮然と言い放てば、グッと何かを堪えた風な顔を作ったのちに、降参したかのように口を開いた。
「っ……、仕方がないな……ッ。今回だけだぞ!」
「ハイハイ、照れなくても良いから。もうちょい頭下げて、拭きにくい」
「ぐっ……こ、こうか……?」
「おk。そんままちょっと動かず大人しくしてて」
「お、おい……っ、コレ……擽ったいとかそういう次元の話じゃないぞ……! 無性に恥ずかしくなってくるんだが……ま、まだか?」
「うるせぇ、そう急かすんじゃねーよ。お前のあの逆立ってる髪の毛がぺしゃげてたくらい滅茶苦茶びっちょびちょに濡れてたんだから」
「なるべく早くしてくれ……っ!」
「此れは大包平の観察日記が面白い事になりそうだ……!」
「笑うな書くな見るなァ……っ!!」
 大人しく頭を拭かれながら顔を真っ赤にさせる大包平の可愛い事可愛い事……。此れは、何とも貴重な思い出になったと、主は内心でほくそ笑むのだった。
 そうして、古備前二人の頭を拭いて風呂場へと送り込んでやった後、手の空いている暇な者達と一緒に玄関先へバスマットやら厚手のバスタオルを敷き詰める作業を行う。直後、遠征組の帰還を知らせる声と慌ただしく雨の中駆けてくる音が聞こえてきた。彼女は其れを笑顔で迎えつつ、それぞれへ用意していたタオルを手渡していく。
「遠征お疲れ様、皆……っ! お風呂沸いてるから、ある程度水気拭ったら行っておいで!」
「おおの……っ! こりゃあ有難い! 本丸に帰り着くなり雨が降りゆーき、驚いたぜよ……! ただでさえ任務の後じゃったきに、ことうたにゃあ〜!」
「ただいまぁ〜大将……っ! もうビッショビショだよぉ〜!」
「ふふふっ、お帰りしなのん! 部隊長お疲れさん! はいっ、タオル」
「う〜っ、懐で充電させてぇ〜……!」
「これっ、信濃……! 主の衣服が濡れてしまうでしょう!」
「ああ、良いよ良いよちょっとくらい!」
「すまない、私の弟が……っ!」
「主、お召し物が濡れたままでは気持ちが悪いでしょう。俺が着替えをお持ちして参りますので、後で着替えてくださいね」
「いや、そんな着替える程のもんじゃないから……っ」
「ですが、濡れた服を着たままで主の体が冷えたらいけません」
「遠征組の皆、お帰り……! 任務お疲れ様だったね! 今、あったかいお茶用意してるから、其れ飲んで雨で冷えた体あっためてね!」
「あまいスイーツだってあるぞ……!」
「きょうのおやつは、あんまんなんだぞ! できたてほかほかだから、きっとひえたからだもぬくもるんだぞ!」
「おぉっ! 此れは嬉しい事を聞いたな……! 皆の者、持って帰った資材を片付けたら、風呂場へ行くように……っ!」
「あんまんかぁ〜! 俺、甘いの好きだから楽しみだなぁ……っ!」
 途端、賑やかしくなる玄関先では、皆それぞれに口を開きながらタオルを肩に風呂場へと向かっていく。其れを見送りつつ、懐に抱き付くままの信濃の頭を拭いてやる彼女は、さっきまでの古備前二人と交わした会話を思い出していたのだった。

執筆日:2022.05.02
再掲載日:2023.04.12