吐露と和解
その日、執務の合間の休憩中に遊びに来ていた毛利が、不意に突然こう言い出した。
「主様、大包平様は良い御方ですよ!」
「えっ……何、急に藪から棒に……」
「いえ、最近の主様を見ていると、どうも大包平様と随分と仲良くされているご様子というか、仲睦まじくされているように思えましたので。もしかして、懇ろな仲になられたのかなぁ〜? と……!」
「あー……まぁ、ちょっと色々諸々ありまして……。そのせいで、以前よりは距離感縮まった感はあるかもだけど……其れが何か?」
「いえいえ、何も……! ただ、仲がよろしいようで何よりだなぁ、と。大包平様は、良い殿方ですよ……!」
「言われずとも分かり切った事を何故今更言い出すのかの意味が分からんのだが……っ」
「ふふっ……まぁ、そう仰らずに! 僕は、知っての通り、同じく“トーハク組”として現世で共に管理・保管されている身です。また、僕は、毛利家から池田家に渡り、かの刀剣の横綱と称されるあの方と一時期共に居た身です。最終的、僕は、池田輝政様に帝へ献上されましたけれど……元の主を同じくしていた分、僕はあの方の事を存じております。ですから、もし主様のお相手となる殿方が大包平様ならば、要らぬ心配をしなくて済みますし、お似合いのお相手になるかと……!」
「結局のところ、何が言いたいんだお前……?」
いまいちこの話を投げてきた意図が分からずに顔を顰めていると、彼は意味深な含み笑みを零して口を開いた。
「ふっふっふっ……そりゃあ、勿論決まってるじゃないですかぁ……っ! 主様と大包平様が結ばれた暁には、お二方のお子様が出来るかもしれないでしょう!! 僕は、そのお子様を拝むだけでは飽き足りず、実際にこの手でお世話したいのです……っ!! というか、其れが夢と言っても過言じゃありません!! 僕は、この夢を夢だけに終わらせたくはないのです! ので、もし主様が大包平様とその気になられておいでなのでしたら、全力で応援させて頂く所存であります……っ!!」
「熱意が凄い……っ。そんでもって、欲望に忠実な望みだなぁ〜相変わらず……っ」
「小さい子は、僕にとって生きる糧ですから……!!」
「あーハイハイ、分かったから……取り敢えず落ち着け餅つけ」
何を言い出すかと思いきや、結局行き着くところは其処だったらしい。彼女は呆れて視線を毛利から手元の湯呑みへ移した。しかし、気色ばんだ彼は気にせず彼女へと前のめり姿勢で問う。
「で……? 実際のところ、どうなんですか? やっぱり、既に良い感じの仲に!?」
「うーん……期待してるとこ悪いけど、たぶん毛利君が思ってる感じのとこまでは行ってないと思うよ? 確かに、つい先日俺の好みのタイプ暴露されたり、うっかり告白じみた発言しちゃったり、百夜通いがどうのという話題が出たりしたけれども……結局今までと特に変わった様子無いしなぁ……。流れ的に、百夜通いの件も冗談で終わってるのでは……?」
「えっ、
「えーっと、あの話題出たのは……俺の好みのタイプ暴露された後の事だったな。あの後、部屋に戻って仕事再開しようとしてたら、うぐが俺の好みは
「え………何ですか、ソレ……?? 最早、プロポーズと大差無いのでは??」
「とかって後から考えて一瞬思わなくもなかったけども……アレから結局音沙汰無いので、うぐのノリに乗せられて口走っただけだったのでは? ……と」
「いやぁ……っ、あの方の事ですのでそんな筈は……っ」
「まぁ、でも……もし仮にくっ付いたとしても、俺、子供生む気は一切無いから……」
「何でですか!?」
やたら食い気味に突っ込まれた事に対してはスルーして、問われた事のみに対して主は答えた。
「だって……俺、そんな覚悟も度胸も持てないもん。今の精神状態でも自分の事だけで手一杯なのに、其処に子供の世話やら面倒見なきゃいけないとかの責任云々圧し掛かったら、確実に育児ノイローゼなるの目に見えてる。そもそも、俺みたいな自分の命すら大事に出来ない人間が子育てなんざ更々無理だし、はっきり言って向いてない。第一、前提として、誰かと一生添い遂げれる自信が無い……っ。ので、俺はこの先誰かと
「ん゛ーっ、ん゛ーっ……微妙に気安くツッコミづらい真面目な回答をもらってしまってちょっとアレなんですが……! えっと、最後の質問だけ答えさせて頂くと、恐らくは可能なんじゃないかと……っ」
「根拠とソースは?」
「えぇっ……そもそもが、この日本という国は、神と人の子が契り子を増やした事で八百万の神が生まれた訳でしょう? その線で行くと、我々刀剣男士と人の子の主様が契っても同じ事が言えるのでは……と、僕はそんな風に考えています。だって、僕達、曲がりなりにも神の位持ちの存在ですし……末席であれど、神は神に違いないでしょう?」
「ほぉ、成程ねぇ……まっ、一応筋は通ってるかな」
「今のを聞いても、やはりお考えを変えられる気はございませんか……?」
「うん。毛利君には悪いけどもね。俺には、とてもじゃないけど、一人の人間の命を育て見守るなんて、そんな大変な真似は出来ないよ。そんな尊い権利を持つ事は、俺には出来そうも無い……。別に、体質がどうのという理由では無いよ? 体質的には、たぶん何も問題は無いと思う。けど、根本的な理由で無理ってなだけ」
「どうして無理なんです……? 小さい子、可愛いですよ?」
「可愛いのは認めるけども、な……。俺みたいな人間は、親となる資格は無いも同然なんだ。だって、自分の命すら責任を持てない駄目人間なんだから……命を育てる尊い権利を持つ覚悟も度胸も持てない。自分の事だけで手一杯だからさ……。あと、仮に番う相手が出来たとして、やっぱり最後には置いていく事になっちゃうから……其れが辛いかなって思う。そうなるくらいなら、初めからそうならない方が無難かなぁ……とも思う訳」
「……案外、しっかり真剣に考えていらっしゃったんですね」
「口にしないだけで、俺、意外と結構色々と考えまくってる方よ? 深く考え過ぎる嫌いがあるくらいだかんねぇ……」
そう自嘲気味に言葉を締め括った彼女の想いに触れ、毛利は半分お
「今のを通した上で改めて訊きますけど……主様は、大包平様の事をどうお思いですか?」
真剣な眼差しを受けての問いに、彼女は頬杖を付いていた姿勢を正して真顔を向けた。そして、一拍間置いてから口を開く。
「そうだな……今のところの感情で言うと、まぁ悪くはないんじゃないか、とは思ってる。実際はどうかは知らん。悪までも俺の気持ちはそんなとこ。……向こうが本気でその気で俺を落とすつもりなら、其れでも良いんじゃね? って感じかな」
「つまりは、まぁ満更でもない、という事ですね……! 其れを聞いて、ちょっと安心しました!」
「何……何かそこら辺の問題で心配事でもあった訳?」
「いや、だって、主様が色々と盛大にぶっちゃけてくださいましたからぁ〜……っ。そりゃ心配にもなりますよぅ!」
「ははっ、そりゃすまんね。だが、子育て無理云々については、しょうがない事だと思ってくれ。此ればっかりはちょっと繊細な話になるからさ」
「えぇ、其れは承知の上ですから、無理にとは言いませんとも……っ。でも、主様は、もう少し欲深くなられても良いかと思われます……! 他人の事ばかり気にされていては、主様が幸せになれませんから! 主様だって、幸せになれる権利はあるんですからね! 其れだけはお忘れ無きよう……っ!!」
念を押すようにして言われた言葉に、彼女は一瞬きょとりとしたが、意味を噛み砕いた後には小さく笑ってこう返した。
「俺だって、十分欲深い方さ……。何たって、俺は
そう笑って言った彼女の言葉には、大層な皮肉が込められていたのだった。
その後、主は仕事に戻り、残りの書類を黙々と一人片付けていた。其処へ、休憩前より席を外していた近侍の大包平が部屋へと戻ってくるなり、入口の柱に凭れ掛かった状態で問うてきた。
「今しがた、此方に戻るまでの道すがら毛利とすれ違って、お前との関係性についてやたら真剣な調子で訊かれたんだが……お前、彼奴に何か言ったのか?」
「おや、あの子も口が早い事で。おまけに、行動に移すのが早いと来た」
「おい、どうなんだ?」
「俺は訊かれた事に対して答えただけだよ。懇ろがどうとか訊ねられたから、否と答えただけ……。一応、先日の一件以降にアプローチじみたものを受けなくも無かったけれども、其れ以降特に音沙汰無いから、偶々其れっぽく見えただけじゃない? とだけ」
「他は?」
「あー……まぁ、仮に誰かと番ったとして、子供作るのか否か問題については“ノー”と答えただけだが……何か問題あったかね?」
「いや……。ちなみに、“ノー”と答えた理由を訊いても良いか?」
「毛利君から一通りの話聞いたんじゃなかったのか?」
「お前の口から直接聞きたい」
「嗚呼、そういう事……」
入口の柱に凭れ掛かったまま問うてくる彼と一瞬だけ視線を合わせたものの、すぐにフイッと逸らした彼女は、書類作業を進める片手間に口を開いた。
「端的に言って、俺にその覚悟が無いからだ」
「子を宿し、育てるという事に対してのか……?」
「そうだ。理由は考えずとも分かろう? 俺は、これまでの人生二十数年を生きるだけでも滅茶苦茶苦労してる人間だ。その上、これから先も生きていく事に対して明るい未来を見出だせないでいる。そんな奴に、子育てなんて重荷背負れると思うか……? はっきり言って無理だと断言するぞ。そもそもが、審神者なる前だって死んだように生きてたような奴だぞ……。生きるのに精一杯の手一杯な奴が、んな大層な重荷背負わされてみろ……っ。ただでさえ病みがち精神が、更に病んだのちに育児ノイローゼなって自殺コースまっしぐらだ。ただでさえ未遂やらかした自殺志願者だぞ、分かり切った話を訊くな。わざわざ子供の命奪う真似までしたかないわ、俺かて。けど、実際人間は窮地に立たされたら何しでかすか分からん。
「……其れが、今のお前が出せる答えという事か」
「そういう事……っ。自分の命すらまともに扱えん奴に、んな資格無かろうという話だろう……。まぁ、そもそもがその気が無いからという大前提からされた話なんだがな」
話に一区切り付いたと見て、溜め息を
「どうしてお前はいつもそう自分を卑下するんだ? 加えて、今に至るまで何故俺の方を見なかった?」
「前者については事実しか述べていないし、後者に至っては仕事の真っ最中だからだが? 何をそう怒ってるんだ、お前は?」
「此れで怒らいでか……! 聞いていれば、お前はただひたすらに自分を蔑みおって……っ!! 自己肯定力が低過ぎるのもいい加減にしろ!!」
「いい加減にしろも何も、今更の話だろ……。一度極端に失った自信は、そう易々とは取り戻せねぇよ。俺はそう簡単に出来てないんだから。そもそも、んな容易に割り切れてたら、今みたく人生に悩みに悩んでないし、精神患ってねぇっつーの」
「おまけにだ! 貴様は、この俺を前にしながら、再び自殺を図る可能性が否めないとか抜かしたか? 聞くに堪えん
「こちとら全て大真面目で言った事だったんだが?」
「なら尚更悪いわ!! 命を擲つな! 無駄にするな!! 何の為に授かった命だ!! 例え口だけだとしても、そんな言葉を簡単に口にするものではないぞ、この
「ぁ゛あ゛……? お前に俺の何が分かるってんだよ、気安く分かったような口ほざいてんなよテメェ。其れ以上余計な口叩くようなら、その減らず口一生利けないようにしてやろうか? 仕事の邪魔しに来ただけなら即刻出てけやゴラ」
彼の態度か、掛けられた言葉か、どれが琴線に触れたかは分からないが、語調を豹変させた彼女が下から彼を睨み上げる。その剣呑な視線に、一瞬
「お前がどのような過去を経た上で此処に居ようが関係は無い! どんな過去があろうと、其れはお前が必死に生きてきた証だろう!! その歴史がある上での今があると何故分からん!!」
「んなこた、わざわざ言われずとも分かってんだよ! 何の為に審神者やってっと思ってんだ……っ!! どんなに辛かろうが、其れがあったから今の俺がある事は自分自身でも分かっとるわ!! けど、割り切れない感情だってあるんだよ!! だから俺は現在進行形で苦しんでるんだろォーがっ!! 抱える気持ちが複雑で
大包平の剣幕が彼女の堰を切る発端となったか、とうとう彼女も息を巻いて荒々しく言葉を捲し立ててきた。本音の暴露というやつであった。主は、気持ちが昂った為か、目に涙を溜めた状態で言葉を吐き出し続ける。
「どうせ、強い奴なんかにゃ分かんねぇだろうなァ!! 弱い奴がどれだけ苦しんでようがよ!! 日々毎日平気で生きてる奴には分かんねぇだろうさ!! 死にたい奴の気持ちなんか……ッ!! 俺は今でも生きてく事が怖くて堪んないんだよ! 消えない過去やトラウマに苛まれて消えて居なくなりたくなるなんてしょっちゅうだ!! こんな生きるのも辛くなるくらいの苦しみ抱えて生き続けてくくらいなら、死んだ方がマシだと思ってもしょうがない程限界の断崖絶壁の淵でギリギリの状態で生きてんだよ!!
内に留めてきた事を吐露すると同時に、堰を切って溢れ来る涙をぼろぼろ頬に伝わせて叫ぶ彼女の叫びは切実な思いから来るものだった。何も泣かせるつもりなどは無かったのだろう、思わず言葉を飲んだ大包平は動揺を隠せぬ様子で口を開きかけ、彼女に触れようと腕を伸ばした。だが、其れを拒んだ彼女は咄嗟にその腕を叩き弾いてしまった。瞬間、彼女は自分がやってしまった事なのに傷付いたように表情を歪ませて、また新たな涙を溢した。そうして、ジリリと後退り、彼の腕を跳ね退けてしまった手を握って、あからさまに視線を逸らして告げる。
「ごめ、ん…………っ。今の俺、たぶん、正気じゃないから……暫く落ち着くまで一人にして……っ」
「今のくらいで傷付くようだと思われていたのなら癪だが……、」
「頭ん中ぐちゃぐちゃで混乱してんだ……ッ。頼むから、一旦一人になる時間をくれ…………っ」
「だが、今のを聞いて、ただでさえ不安定なお前を一人きりには出来ん。何をしでかすか知れたもんじゃないからな」
「お前の事物理的に傷付けたくねぇから言ってんだよ! 良いから早く出てって――、」
言葉は最後まで言わせてもらえなかった。おまけに、反射的に振り上げた腕も力強く掴まれてしまっては、其れ以上動かす事は出来ない。言葉途中で逞しい胸元へと抱き寄せられた彼女は拘束されていたのだ。直前まで言い争っていた筈の相手の腕の中に。
一瞬、脳の処理が追い付かなかったのか、彼女は絶句して硬直した。何が起こったのか分かっていない、といった感じである。そんな彼女を腕の中へ抱え込んだ大包平は、極力相手を刺激せぬようにと努めた声音で口を開いた。
「すまんっ……まさかお前が其処まで思い詰めていようとは露知らず、軽率な口を利いた……。お前の事を傷付けるつもりも、そんな風に泣かせるつもりも無かったんだ……っ。許せ」
「な、……で……っ、」
「端的に言って、此れ以上お前を傷付けたくは無かったからだ。すまなかった……っ」
「ッ……! 優しく、しないで……っ」
震える声で彼女は必死に訴えようとし、嗚咽に言葉を詰まらせる。その隙に、彼は言葉を柔く重ねた。
「お前は、この間の話を冗談か何かの類とばかりに思っていたようだが……俺は本気だからな。自ら告白紛いの事をぶちまけてきた奴を今更手放してやれる程、俺は生易しくはないぞ?」
「だ、から……優しくしな、…で……! 離せよ、馬鹿ァ……っ!」
「馬鹿と言った奴が馬鹿なんだ。……せっかく捕まえた好き人を離す訳が無かろう。暫くは大人しく俺に抱かれていろ」
「も、……過ぎる優しさすらも毒なんだよ……っ。頼むから、此れ以上俺に優しくしないで、無駄に期待するのも嫌になるから……!」
「期待するまま望めば良いだろう? 俺はお前を拒みはせんぞ。俺が欲しければ望め。優しさを恐れるな。過去は過去だ、今のお前は此処に居る。其れだけで十分だろう」
次第に緩む抵抗に、彼は静かに彼女の背を優しく叩いた。まるで幼子をあやす時と同じように。半ば
どれだけの期間、沢山の複雑難解な感情を抱えてきたのだろうか。一先ず、短い生の中で抱えるには手に余る、一人の人間が抱えるには重過ぎるものだったのは明確だろう。其れを長き間抱え込んで、誰にも打ち明けれずに居たのであろう。
酷くしゃくりを上げて涙する彼女の痛ましい背中に、彼は辛く苦い感情が胸の内を占めるのを感じた。しかし、彼は彼女を抱き締める手を離さなかった。好いた女の抱える苦しみ諸共全て抱え込んでやる為に。
そうして、彼女が落ち着くまでを静かに待ちながら
「何か母屋の方にまで激しく口論してるような声が聞こえてきてたが……何事だ? 大将は大丈夫か?」
「その声は、薬研か……? あ゛ー、その……すまん、ちょっと俺が要らん口を叩いてしまったせいで主を怒らせてしまってな……っ。そのせいで、その……非常に言いづらいんだが、盛大なまでに主を泣かせてしまったので……今絶賛落ち着くまでを宥めている最中だったんだ……っ」
「おっと、こいつぁすまん。お取り込みの最中だったか。痴話喧嘩は程々にしてやってくれよ」
「本っ当にすまないと思っている……っ。まさか怒りながら泣き出すなんて思ってもみなかったんでな……」
「大将の情緒不安定さが身に沁みたろう? 此れに懲りたら、下手に大将泣かすような真似は控えるこったな。大将は繊細な
「其れは、まぁ端から承知の上というか、泣かせてしまった手前の責任は取るが……」
「取り敢えず、そこそこで水分補給させてやってくれ。あと、過呼吸なりそうな雰囲気見せたら言ってくれ、俺の方が直接対処する」
「既に何か怪しい感じなんだがどうしたら良い?」
「よし、ちょいと待ちな。大将ー、すまんが緊急事態という体で部屋入らせてもらうからなぁーっ」
大包平のテンパりように痺れを切らしたのだろう、敢えて障子越しからの応答しかしていなかった薬研がその身を現し迷い無く入室してくる。そして、泣き崩れたまま酷く泣きじゃくる彼女へ体を起こすよう促し、ゆっくり息を整えるよう声をかける。主はというと、すっかりぐちゃぐちゃの酷い有り様の顔であった。其れ故か、あまり他人に見られたくないのか、両手で覆い隠すようにして俯きがちに泣きじゃくっていた。薬研は気にせず、彼女の引きつけを起こしたようにしゃくりを上げる状態を根気強く宥める。其れを隣で共に宥めながら優しく背を
「悔しがってるとこ悪いが、今は大将の事が最優先だ。下らん自尊心からの嫉妬心とか抱いて自分の事考えるぐらいなら、大将の事はやれねぇからな」
「ぐっ……す、すまん……」
「いや、何、大包平の旦那もまだまだ青かったってだけだろ? 此ればっかはしょうがねぇと諦めてくれや。俺はこの本丸で三番目に顕現を果たしてからずっと、大将と初期刀の加州の旦那に初鍛刀の前田と四人で四人五脚で死線潜り抜けて来たんだ。本丸出来て半年過ぎた辺りの五十七振り目で来た旦那とは格が違うって話さ。何より、俺は極めてから二年の年月が経過してる身だしなぁ……そりゃ心構えも変わるってもんだ」
「ははっ……流石は薬研通し、男前だな」
「まぁ、大将を本気で娶る気なんだったら、全部を引っ括めて受け止める覚悟でないと駄目だぜ? 今みたいに
茶目っ気を含めてそう茶化すように言ってきた薬研に対し、彼は悪までも真摯な姿勢を崩さぬまま答えた。
「ふんっ……望むところだ。俺は、あの池田輝政に見出だされた刀だぞ? 嘗めてもらっては困るな。安心しろ、俺とて徒に女を傷付ける趣味は無い。相手が心底惚れた相手なら尚更な!」
「そうかい。まぁ、頑張れよ。大将はなかなかに奥手なピュアっ子だからな。焦らずゆっくりじっくり時間掛けてやってくれ」
「今回の件、痛く感謝する……っ」
「礼には及ばねぇよ。俺の幸せは、大将が幸せになる事が何よりだ。ちゃんと幸せに出来るって証明出来るんなら、他の奴等に見せ付けてやりな。そしたら、自然と悪い虫の方から避けてくれるようになるから」
二人が穏やかに会話を交わしている内に落ち着きを取り戻したのか、まだ僅かに鼻を啜っていたが、真っ赤に腫れた目蓋はもうそんなに濡れていなかった。未だぼんやり瞳は潤んでいたが、ぐすん、と鼻を言わせつつ世話を掛けた事に対しての謝罪を口にした。
「御免、薬研……世話掛けてすまなんだや……っ」
「なぁに、此れくらい大した内にも入んねぇよ。其れよか、もう大丈夫か……? すっかり鼻声になっちまってるな。大将のすぐ泣いちまう現象は、所謂防御本能とかが働いちまったせいでの事だから、大将は何も悪くないぜ。だから申し訳無く思う必要も無ェ。……沢山泣いたせいで喉渇いたろう? 今、適当な飲み物持ってきてやるから、大将は此処で待っててくれ。大包平の旦那と二人きりになるのが気まずいとかなら、クッション役の奴を呼んでくるが……どうする?」
「ん……いや、良い……。大丈夫だから…其処までしなくても平気」
「そうかい。んじゃま、俺は一旦側から離れるぜ。旦那、後宜しく頼む」
「任せておけ」
部屋に来た初めの時とは打って変わってにこやかな表情で部屋を出て行く薬研を見送って、再び二人きりの空間となる。暫し沈黙の降りた後に聞こえるのは、彼女の鼻を啜る音だけである。すっかり哀れなくらいに真っ赤に腫れてしまった両目蓋の様子を見遣り、大包平は至極申し訳無さそうに改めての謝罪の言葉を口にした。
「色々といきなり強く言って悪かった……。全く、俺でありながら、好いた女を満足に笑わせる事も出来ないばかりか、逆に泣かせてしまう事になるとは……此れでは本末転倒というやつだな」
「……俺の方こそ、いきなり泣き出したりして御免……っ。その、今の精神状態になってから、上手く感情の制御出来なくなっちゃってて……何かあるとすぐに泣いちゃうんだよね……。本当に御免ね。腕払っちゃったりとかしちゃって……。でも、その、嫌いになったとかではないから……誤解はしないでもらえると助かる……っ」
「いや、今回ばかりは軽率な事を言ってしまった俺に非がある……。本当にすまなかった」
「……じゃあ、ま…お互い様という事で仲直りね」
「嗚呼……その、今の状況で不謹慎かもしれんが、もう一度お前の事を抱き締めてみても良いだろうか……?」
「えっ……」
「あっ、いや! 嫌なら良いんだ! 次の機会にまた頼むだけだからな! ふはははっ……」
「……その、あんまり顔見ないでくれるなら……良い、よ……?」
「本当か!?」
「え、あ……うん……。ど、どうぞ……っ」
「で、では、失礼して……っ」
ぎこちなくも頷く様子を見せた彼女に安堵しながら、大包平は主の事を改めて抱き締めた。今度は、きちんと丁寧に真正面から優しく包み込むように、を意識してである。ぎゅっ……と思い切り抱き締められた彼女は、恥ずかしそうに耳まで赤く染めて顔を隠すようにスリリ、と胸元へ寄り添った。其れに、ギュンッと来てしまった彼は更に腕へ力を込めて抱き締める。ついでに、泣かせてしまったお詫びにではないが、先程伝え損ねたとある件を口にした。
「その……お前さえ良ければなんだが、宣言通り、今宵お前の閨へ訪ねても良いだろうか……?」
「え……? 閨って……え、もしかして寝室の事か? えっ? 夜の時間に? わざわざ? 何で??」
「百夜通いせねばお前に俺の誠意は伝わらんのだろう?」
「え……アレ、マジで言ってたんか…………っ?」
「お前……やはり信じていなかったな?」
「や……だって、状況が状況だったし……まさか俺相手にガチにはならんだろう、と…………っ」
「ほぉ……? ならば、俺がどれだけお前を好いているか分からさねばならぬという事だな? ふふっ……此れはじっくり時間を掛けて落として行き甲斐があるという話だ」
「ヒェ……ッ、大包平顔が悪どい顔になっとるよ……っ。其れ、真剣必殺ん時に見せる顔じゃん、やっば……」
「喧しい。其れ以上減らず口叩くようなら、口が利けなくなるように塞ぐぞ」
「えっ、ちょ、待っ……!」
問答無用と言うように、会話をする反射で顔を上げていた彼女の顎を掬い取り固定すると、半ば無理矢理唇を掻っ攫うのだった。驚くあまりに抵抗する間も無かった事に、主はガッチガチに硬直した。途端、そっと離して至近距離で艶やかに笑った彼は宣言する。
「これから少しずつこういう事に慣れさせてやるから覚悟していろ、逢花」
「ングッ……! 今、このタイミングで真名呼ぶとか反則だろ……!? 控えめに言って心臓持たないからやめて!」
「安心しろ、百夜を迎えるまでは本番という名の手出しはせん……! その代わり、軽く触れ合う程度の睦み事には慣れてもらわねば先に進めんからな。お前にも色々と頑張ってもらうぞ?」
「み゜ッッッ」
最終的、変な奇声を上げて頭から煙を上げた主は、顔を覆い隠して全力で恥じる様子を見せた。其れを腕の中へ収めながら、彼は結果的には丸く収まったと機嫌良さげに笑みを浮かべるのだった。
その後、薬研より話を聞いて自分のせいで主を泣かせる羽目になったのではと勘違いした毛利が大号泣しながら飛び込んでくるも、すっかり仲良し(意味深)になっている二人の様子を目にし、飛んでもないお邪魔虫で乱入してしまったと気付き、秒で飛んで逃げるのだった。相変わらず賑やかな奴である。あまりの早さに二人して笑い声を上げて笑い合うのだった。
此れにて、一件落着なり……?
再掲載日:2023.04.12