智己との生活
二階へと続く階段をゆったりとした足取りで上がって行く、シベリアンハスキーの征陸智己。
現在取っている姿は、人間の姿である。
身体の上下する動きに合わせて、ゆらゆらと揺れる尻尾。
それは、何処か嬉しそうな雰囲気を纏っていた。
彼は真っ直ぐに廊下を進み、未有が居るであろう部屋の前まで来る。
其処で、一度、足を止めた。
入り口を開けぬまま、そのまま外側から声をかける。
「ご主人、朝だぜ。起きてるかい…?」
中からは何の反応も返ってこない。
どうやら、まだ寝ているようだ。
智己はそう判断すると、「入るぞ〜。」と短く断りを入れてから部屋の中へと入っていく。
部屋にある布団の方を覗けば、丸い塊があった。
「ご主人…そろそろ起きねぇか?…もうすぐ昼だぞ?」
『……………。』
「…はぁ〜…っ。…年頃の娘相手にやるにゃあちと気が引けるが、我慢してくれや?」
全くの無反応を返した未有に、智己は溜め息を吐くと、真ん丸に包まって寝ていた布団を引っぺがした。
すると、猫のように丸くなって眠る彼女の姿が露となる。
窮屈じゃなかろうかと思う智己は、取り敢えず今遣るべき事を優先した。
「ご主人…。良い加減、起きて飯食ったらどうだ?」
『………ん゙〜…っ。』
「寝起きが悪いのは分かるが…もうすぐ昼なんだ。一日中寝てちゃ、勿体ないだろう?さっ、起きた起きた…!」
『…ぅ゙ゔ〜……っ、…智己ぃ〜……?』
優しく強過ぎない力加減で未有の身体を揺さぶる。
すると、朝が苦手な未有は低く唸りつつも、漸く意識を醒ましたようである。
まだ寝惚け状態である為か、智己の事を何時も呼んでいる呼称の“とっつぁん”ではなく、“智己”と呼んだ。
智己本人は、それを内心微笑ましく思ったが、今はそういう時ではない。
「おーい…っ。飯はとっくに出来てるんだぞ〜…?」
『…ぅみ゙ぃ゙〜…っ。』
「…あ゙〜……。ったく、しょうがねぇなぁ…。」
智己は仕方なしに犬の姿に戻ると、未だ眠たげに愚図る彼女の頬を舐めてやった。
突然やってきたその変な感触に驚き、身を捩らせる未有。
思わぬ擽ったさに、薄目を開いた。
『ん〜、擽ったいよ…智己…っ。』
「漸く起きたかい…?おはようさん、ご主人。」
『ん゙ぅー……ゔ〜ん…?…んーっ、………おはよぅ…?』
「…寝惚けてるな、こりゃ…。」
起きたものの、寝っ転がったままで未だに寝惚け眼を擦っている。
もっさりとした長毛を利用して頭を顔の方へ擦り寄せてやると、擽ったそうに声を上げ、智己の頭を抱き寄せて気持ち良さそうに笑った。
『分かった分かった……っ、今起きる…っ。』
「全く…世話の焼けるご主人様だなぁ。飯は出来てるから、早く着替えて降りてきな。顔洗うのも忘れるんじゃないぞ?」
『…あ〜い…。』
「眠いからって、この間みたくまた寝るんじゃないぞ〜っ。二度寝したら、今度こそ容赦しないからなぁ〜…!」
『流石に起きるって…。』
そんな遣り取りを、智己が来てから三日目になる今日も続いていた。
通信制の高校に通う未有は、特別行事が無い場合は毎日学校へと通わなくても良いので、学校に行かない日は、基本家に閉じ籠っている生活をしていた。
智己が来てからは、少しはその生活を改善しようと、散歩へ行くという目的で外へと外出するようになった。
(智己は歴とした犬なので、散歩は欠かせないのである。)
未有が苦手としている家事などは、全般的に彼が担当してくれている。
その為、毎日美味しい手料理を食べれるので、食の細くなっていた未有の身体にとっては、とても良い影響を与えているのだった。
心の方も、少しずつではあるが、徐々に開いていっていた。
智己の性格がとても優しく、世話好きなのが幸いしているようだった。
おかげで、ほとんど見せなくなっていたと言われる笑顔が自然に出てくるようになっていたのである。
『…ふむ〜っ!とっつぁん、これ、凄く美味しい…!』
「ははっ、そうかい。そいつぁ何よりだ。つって、適当にあった有り合わせの材料で作ったモンだがな…。口に合ったようで良かったよ。」
『ふふふ…っ、めっさ美味い…!』
「そんなに気に入ったってんなら、また似たような物を作ってやるさ。有り合わせのモンで作った物だからな。」
『本当?やったぁ…!』
「んじゃま、手短に今晩の飯は何が良いか。希望はあるか…?」
『…んっと…。じゃあ、ハヤシライスが良いな。私、ハヤシライス大好き…っ。』
「ほう。なんだったら、晩飯は俺と一緒に作るかい?」
『ぅえ……っ?…でも、邪魔にならない?それに…私料理下手、というか苦手だし。自分一人だと、マジでまともな料理作れないんだよ?絶対足手まといになるだけだと思うんですけど…。』
「人が作ったのをただ食べるだけの時よりも、自分も一緒になって作った時の方が飯は旨いってモンだろ…?」
『…うん…!そんじゃ、お手伝いさせて頂きます…っ!』
顔を綻ばせた智己は、少しずつ表情を綻ばせてくれるようになり始めた未有に目を細め笑った。
ここ数日、毎日美味しい御飯が食べれて幸せな未有は、ユルユルと口元を緩ませ箸を進ませるのであった。
遅めの朝食兼昼食を済ませると、二人はそれぞれ読書をしたり絵を描いたりして、お互いの好きなように時間を潰す。
そうして夕方頃になれば、とっつぁんこと智己のお散歩へ、家から少し離れた所に在る公園まで行き、ゆったりとした時間を過ごすのだった。
晩御飯は、お昼話して予定していた通りに、智己と二人でハヤシライスを作り、仲良く談笑しながら和やかに食事を終えるのである。
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