智己とおやすみなさい



引き籠るようになってから、真っ暗な空間を恐れるようになった未有。

口には決して出さないが、一人の夜が怖いのだ。

何時もは無表情に見える表情も、夜になると微かに不安げに眉を下げているのである。

普通の人は気付かないのだろうが、数日生活を共にし、動物的能力を兼ね備え、観察力にも優れていた智己は気付いていた。


―とある真夜中の事である。

暗闇が怖くてなかなか寝付けず、眠気も来ない事から、ちょっとの間、心を落ち着ける為にと彼女が本を読み耽っている時だった。

もうとうに寝ている頃だと思っていた夜更けの時間にも関わらず、彼女の部屋から薄明りが漏れている事に気付いた智己は、完全に閉め切られていなかった入口の戸を引き、中を覗き込んだ。

部屋の隅っこでスタンドの灯りを付けただけの薄暗い部屋で本を読んでいた彼女の様子を認めると、保護者的立場から気になり、声をかけた。


「…うん?何だ、まだ起きてたのか…?もう夜中だぞ。」
『…ん〜、うん…。ちょっと眠れなくて……っ。』
「あのなぁ、ご主人…。そんなんだから、朝起きれないんじゃないのか?」


心配する智己は、未有の頭に手を置き、くしゃりと撫でた。

それに対し、未有はぎこちない笑みを返すだけに留める。

その場を取り繕う為だけの作り笑顔であると、素人が見ても分かる程であるそれに、智己はまだ自身と彼女との間にある心の壁を感じたのだった。

未有は、話したくない事には決まって口を噤む。

ふい…っと視線を逸らすのは、そういった事に関する時や、単に恥ずかしくなったりとかなどである。

今の彼女は、恐らく前者であろう。

何となく察してやるのが、今の彼女の心情にとっては気が楽なのだという事を、数日過ごしてみて分かった。

智己は、未有の隣へ寄ると何も問う事無く、腰を下ろした。

怒られると思ったのか、ビクリと身を縮こまらせた未有。

しかし、彼は怒る気など全く無く、ただその大きな手で彼女の頭を優しく撫でてやり、彼女の心根に巣食う恐怖心を少しでも和らげてやれるようにと祈った。

未有は、段々と気持ちが落ち着いてきたのか、ゆるりと目を細めて笑った。


『……あはは…っ、もう高校生なのに…この歳なのに、夜を怖がるとかさ。ダッサイよね……っ。…本当、どうしようもないな………。』
「……………。」
『…気遣わせてごめんね。…何時もありがとう、とっつぁん…。』
「いや…これくらい、礼を言われるような事じゃないさ。」
『うん…。でも、ありがと…。純粋に、今は誰かが側に居てくれるのが有り難かったから…嬉しかった。………とっつぁんの手って、大きいよね。』
「まぁ…そりゃ、ご主人に比べりゃ大きいわなぁ…。」
『…私、とっつぁんの手、好きだな…。大きくて優しいし…何より、温かいんだもん。私の手と違って、とっつぁんの手は何時も温かい。』


「えへへ……っ。」と小さくはにかみ笑いながら口にした未有。

そんな事を言われるとは思っていなかった智己は、一瞬驚いた表情をしたが、すぐに柔らかい表情になる。


「一人じゃ眠れないってんなら…俺と一緒に寝るかい?」
『え…………?』
「添い寝してやるよ、って言ってるんだよ。」
『ぇ…や、でも……っ。』
「高校生の歳にもなって誰かに添い寝してもらうのは恥ずかしいってか…?なら、ペットと一緒に寝るって考えるのはどうだ?…犬の姿の方で一緒に寝るってぇなら、平気だろう…?」
『………うん。』


智己の提案により、彼と一緒に眠る事となった未有。

元々、寂しがり屋なところがあったので、動物のぬいぐるみが側に置いてあったりする。

幼い頃からぬいぐるみが好きだった事もあり、今も変わらず大切にしているのだ。

其処へ、本物の動物が来るというのは実は嬉しい事なのである。


「…そんなに俺の添い寝が嬉しいかい?」
『へへへ……っ。だって、もしペットを飼えたなら、一緒に寝てみたいなぁってずっと思ってたからさ。』
「はは…っ、そうかい。そいつは夢が叶って良かったな。」


ふわふわで気持ちの良い毛並みに、温かで少し自分よりも高い彼の温度を側に感じ、目を閉じて睡魔が来るのを待っていた彼女は、次第にうとうととしてきた。

一方、彼女に抱き付かれても、嫌な顔一つしない智己。

寧ろ、娘のように可愛がっている未有が、自分を頼ってくれる事に喜んでいた。


「…そういやぁ、昔、息子にもこうして添い寝してやった事があったっけなぁ……?」
『とっつぁんって…息子居たの…?』
「嗚呼…もう、随分立派に大きくなっちゃあいるけどな。同じ職場で働いてるんだが、ちと嫌われててなぁ…。」
『…何で?…もしかして、反抗期とかか何か……?』
「はっはっは…っ!それだったら、だいぶ遅い反抗期になっちまうぜ…?」
『………ぅん〜……。』


最後の方の声が小さくなっていたのに気付き、少しだけもぞりと動いて首を動かし、そっと彼女の様子を窺う。


「…ご主人………?」


隣でひっついていた未有は、いつの間にやら静かな寝息を立てて眠っていた。

抱き締められていた腕の力が抜け切っているのが、その証拠である。

先程までは、あんなに頑なに起きていようとしていたのに、嘘のように寝入ってしまっている。

安らかな寝息を立てて眠る彼女の様子を見て、彼は思う。


(…やっぱり、本心じゃあ眠かったんじゃねぇか。…ったく、しょうのない嬢ちゃんな事だねぇ…。)


完全に寝入ってしまったのを確認し、一旦人の姿に戻ると、彼女の腕を楽に伸ばしてやり、きちんと肩まで布団を被せてやる。


「…ゆっくり休みな、未有。眠れる時に眠っとかねぇと、身体が持たなくなっちまうからな。…どうか、良い夢をな…おやすみ。」


そうして、彼女の頭を一撫でしてから犬の姿に戻り、また一緒に眠ってやるのだった。

彼が側に寄り添って一緒に眠ってくれたおかげかは分からないが、その晩、彼女が見た夢は久し振りに良いような夢で心地好く眠れたのであった。


加筆修正日:2019.03.22


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