夏に至る 今日は日が長いから、少しくらいは大丈夫。午後六時を過ぎてもまだまだ明るい空を見上げながら、私は隣の彼にはにかんで見せた。
「明るいつったって一日が長くなるわけじゃねえだろ」
「そうだけど」
「また帰りが遅いとなんか言われんじゃねえのか? あいつに」
「うーん」
あいつというのは綺礼のことだろう。しかしそれならばむしろ、「未成年者をこんな時間まで連れ回すのが赤枝の騎士団の流儀とはな」とかなんとか……絶対ランサーに飛び火すると思うけれど、それを言うのはやめておいた。わかっていても帰るつもりはなかったし。
「……もう少し! もう少しだけ……そうだ、行きたいところがあるの」
取ってつけたようなお願いに、彼は呆れたようにため息を吐く。そうして少し(いや、大分)嫌そうな顔をしながらも、「何処だよ」と言って頭をかいた。
「海、港の方に行きたい」
「あ? いつも行ってるだろ」
「いいから、行こう」
彼は理由も言わず歩き出した私の後ろを嫌々ながらも着いてきてくれる。それは、なんだかんだ私のことを憎からず思ってくれているからだろうか、それともやっぱり、私がマスターだからだろうか。
……考えると、胸の辺りが痛むような気がしたので、これ以上考えるのはやめておく。
「——で、着いたはいいが、それで、なんだ」
他愛のない話をしながら歩いて行けば、そこは思いのほかすぐに辿り着けた。「夕陽とか、見たくて」と言った私の目の前で、彼は「あれか?」と山の方を指差した。
「……うーん、微妙に水平線外の太陽、残念、海に落ちる夕陽をイメージしてたんだけど」
「阿呆、方角を考えろっつの……何年住んでんだ、ここに」
なんだか失礼だなぁ、私が本当に阿呆みたいだ、と言いながら私はぼんやり空を見つめた。山間に沈むはずの太陽も未だ空で明るく輝いている中、さて、ここからどうしたものかと思案する私の横顔を、半目でじとりと睨みつけた彼はため息と共にこうきいてきた。
「お前、本当に、何がしたいんだよ」
「何が、って……」
どきりとする。本当は海だって夕焼けだってどうでも良いと思っていることが見透かされているようで、ヒヤヒヤした。実際、バレてはいるのだろうが、連れまわされている身分で明確に非難しないのは彼の優しさなのかもしれない。
「理由がわかれば俺だって余計な不平不満は言わねえよ。多分な」
じぃ、と見つめてくるその視線に耐えられず、私は小声でこうこぼした。
「今日、夏至の日だったから」
数秒の沈黙のあと、彼は「それがどうした」と心底意味がわからない様子で首を傾げる。
「……誕生日、ランサーの……英雄クーフーリンの、生まれた日」
「……あ〜……そういえばそんな話もあったな」
カラッと他人事のようにそう言った、彼は不思議そうな表情でさらに首を捻る。
「しかしまぁ、尚更なんでそんな日に俺を連れ回すかね……わざわざバイトまで休ませやがって」
「それは……だって、ランサー、バイトに行ったら女の人に声かけるでしょう」
「まぁな」
あっけからん。悪いなんて一つも思ってない、こういう男だ、ランサーは。
「それは嫌だったから。私と一緒ならランサー、ナンパしないでしょ」
「そりゃそうだろ、ガキ連れてりゃ誘える茶も誘えねぇ」
子供扱いは癪に触るが、一旦それは置いておこう。
「……だから、用事なんてないけど、無理やり用事があることにした」
「はぁ? だからそれがなんでだってきいてんだよ」
なんで、と言われても自分でもよくわからない。
誕生日らしいから、特別なことをしたいなと思って、特別な日には何をするかなと想って、……それで、その特別な日の特別なことを、他の誰かとしていたら嫌だなとも、思って……。いろんな女の人に声をかけるランサーを想像したら、誰でもいいなら私にしてくれたらいいのに、って……。
「……私、ただランサーと一緒にいたかったのかも」
ぽそりと呟いた言葉に返事はなかった。ゆっくり彼の顔を振り返れば、半分くらい口を開けて、驚いたみたいな顔で彼は目を瞬かせている。
「なに? ……いや、わかる、キャラじゃないよ、こんなこと。私らしくない。忘れて」
早口で捲し立て、私は彼から目を逸らした。ほんの少し赤くなってきた空が、熱い私の頬の色も隠してくれるといいのだけど。
彼はそれでも何も言わず、口だけは閉じて、わずかに目を細める。そんな様子を視界の端に捉え、私は「笑いたいなら笑ってよ」と半ばやけっぱちで振り返った。
「お前、可愛いところあるんだな」
「!」
思いもよらない言葉だった。細められた目元は、彼が笑ったためにそうなったようだった。呆れたような少し小馬鹿にするような笑いだったと思う、それでも意外にも不快感がなかったのは、夕陽の差した彼の頬が、私と同じように赤く染まって見えたからなのかもしれない。
「一緒に居たいならそう言えばいいだろ」
「だってランサーバカにしそうなんだもん」
「そりゃあ……するだろうな」
やっぱり……! と憤ろうとした私の右手を、彼の左手が包み込む。彼自身はじっと私の目を覗き込んだまま、真剣な顔で付け足した。
「けど、叶えてやるよ、それくらい」
こんなことで喜んでしまうほど簡単な女にはなりたくなかったけれど。
それでも、手のひらから伝わる彼の熱を感じるだけで、今日の行動の全てが報われるくらいの幸福が、私の中には確かにあった。
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