叶えたい願いは一つだけじゃない



 サーヴァントは霊体である。
 そして、マスターに召喚されるものである。

 その前提から、彼ら彼女らに魔力を送るのはそう難しいことではない、要は契約を交わしてしまえば大抵はマスターからサーヴァントへ魔力供給はなされるのだ。

 しかし、人と人であるのならそうはいかない。それは、『元』人間である私と綺礼の間でも同じことで──

「はい」
「…………」

 私は血の滲む腕を彼に差し出す。彼は眉根を顰めて少したじろぐが、私が退かないのをわかっているのか、渋々とその傷口へと口をつけた。

「うー、慣れたと思ったけど、やっぱり変な感じする」
「……ならばこれ以外の方法にしろ、不快だ」

 心の底から不愉快そうな声でそう言って、彼が赤い口元を拭う。その様が扇状的で少し興奮しそうになるのを必死に堪え、「でも、綺礼がさせてくれないんじゃん」と頬を膨らませた。

「お前には零か一しかないのか」
「……だって私はそれしか知らないもん」

 未だに血の流れる傷口を彼の指がなぞる。微かな温かさを感じた側から傷口がかさぶたへ、かさぶたが新しい肌へと変わっていった。

「せっかくあげた魔力、こんなことに使わなくたって……」
「貰ったものをどう使おうが私の勝手だ」

 血は止まりはしたものの、思ったより深く切りすぎたのか薄っすらと傷跡は残ってしまった。私はこの程度本当に気にしていないのだが、リストカットだなんだと他の人間から心配されるのも面倒なので、周囲にある同じような傷跡もまとめて隠すために新品の包帯へと手を伸ばす。

「貸せ」

 片手ではやりにくかろうと彼がそれに手を貸してくれた。慣れているのか、手間取ることなく彼はしっかりと包帯を巻いていく。

「ありがとう……」
「構わん」

 短い返答、事務的なやり取り──これは定期的に行われる私と彼との魔力供給。

(私の魔術回路を彼に移植してしまえば、こんな手間はかからないんだけど)

 残念ながら、その方法は彼に却下されていた。なので、未だにこんな原始的な方法に頼っている。

 ──そのくせ、私が自分の腕を切るとき、彼は決まって不愉快そうに目を逸らすのだ。

(痛がるのとか、苦しんでるのとか、嫌いじゃないはずなのに)

 自分で自分を傷つける……というのが嫌なのだろうか。彼の神様がそれを禁じていたから? それとも──

 ──彼の奥さんが、そうしたから?

 ちくりと胸が痛む。いまさらそのことに何か感じたところでなんともならないし、なんともできないのはよくわかってるけど。

「どうかしたのか」

 彼の問いかけに、なんでもない、と返そうとして、やめた。「綺礼、」と彼の名を呼んでから、真っ直ぐ彼の瞳を見つめ返す。

「やっぱり──ちゃんと、パスを繋ごう」

 はぐらかされないように、冗談なんかでかわされないように、真剣な面持ちでそう伝えると、彼は「またか」というようにため息をついた。

「何度も言うが、魔術回路というのは」
「魔術を使うにあたって大切なもの、移植も成功率は低い……でしょ、わかるよ、ずっと言われてるもん」
「ならば軽率に人に譲渡すべきものではないことくらいわかるだろう」

 最近、ようやく気づけた事がある。彼が、私との間に魔力のパスを繋ごうとしないのは、そこに至る行為を嫌がっていると言うよりも、私の魔術回路を彼に移植することに拒否反応を示しているようだった。

「ただでさえ聖杯戦争の際、異例のサーヴァントとの契約時に何割かの回路を失っているだろう」
「そう、だけど……」
「それ以上失えば、魔術師として機能しなくなる可能性もある」

 ……自分だって、魔術刻印を全部、桜の治療に(自分の都合で)使ったくせに。
 そう言いたかったが、言ったところで揚げ足の取り合いになるのは目に見えている。そんな無駄なことするつもりはないし、したとしても負ける。だから言わないことにした。

「いいよ、私、根源なんかに興味ないし、自己研鑽の意欲だってないし……私は、綺礼と生きていけるなら、それで」
「ならば一層大事にしろ……魔術が行使出来なくなった時、私との契約がどうなるかわからんぞ」
「…………」

 相変わらず痛いところを突く、それを言われると、私は何も言い返せなくなるのをわかってて言っているのだ。

「わかったな? わかったのなら他の……何か物を介しての補給を」
「やだ」
「…………はぁ」

 何度目かのため息。やっぱり、すごく困っているんだろうな。
 ──でも、それでも、私はこれだけはもう譲らないと決めたのだ。

「……お前が望んでいるのは、私の生存か、それとも──ただの男女のまぐわいか」

 感情の機微を悟られたくなくて、私は息を止める。彼のその先の言葉は聞かなくてもわかる。きっと……きっと、否定の言葉だろう。「もしそうなら、期待するだけ無駄だ」と、「私はお前をそういった対象には見ていない」と。だから、

「もしそうなら──」
「──そうだよ」

 だから、それを言われる前に、私は彼の言葉を肯定した。

「──、」

 言葉を失った彼が、眉間の皺を深くして、目を細める。けれどそんなのはもう、知らない。私は嘘偽りなく自分の気持ちを伝えると決めた。

「綺礼に生きていて欲しいのは、もうずっと大前提、だけど……今は、綺礼と、そういうことがしたくて、言ってる、」

 声が震える。どうせ否定されるなら、建前なんかじゃなくても本当のことを言おう、そう決めたは良いものの、やはり、少しだけ、怖い。

「パスを繋ぎたいなんて無理やり作った理由だもん。本当は、そういうことをしなくても繋げるのわかってるし、繋がなくたって今まで通りでも魔力供給はできるから」

 彼は何も言わずに私の話を聞いていた。

「……私欲張りになっちゃったの。本当は、綺礼が生きてるだけで良かったのに、今はもう、私のこと見て欲しくて、触れたくて……好きって、言って欲しくて」

 彼の顔を見ているのが苦しくて、だんだん私の視線は下がる。呆れられていたらと思うと……いや、呆れられているのだろうな。
 それでも、一度吐き出した言葉は止まらない。

「だから、だから……パスを繋ぐって理由でこじつけてでも、綺礼に触れたいの、触れて欲しいの──綺礼が、いや、でも……」

 わかっている。これはどこまでも自己満足だ。

 性行為というのは、双方の同意があって、双方の好意があって、初めて尊い行為になるのだ。
 私一方の好意と欲だけしかないのなら、それはむしろ──

(それでも)

 浅ましい願いだとわかっていても、それでも──

「私、綺礼に抱かれたいの……──」


 
「──良いだろう」
 


「え…………?」

 彼の声で思いがけない言葉が紡がれて、私は弾かれたように顔を上げる。やっぱり眉は寄せたまま、仕方がないという表情のまま、彼はもう一度ため息を吐いた。

「え、なん、き、きれ、なんて」
「良い、と言った。不毛な願いだと理解しているというのなら、これ以上私が拒む理由もあるまい」

 それは、それは……不毛だと理解した上で、私がなお足掻く姿はそれなりに愉快だとか……そういう、事だろうか。

「それに、今のお前は私の主人だ……断るべくもないだろう」
「あ、そう、か……いやでも、無理強いしたいわけじゃ」
「ほう、理由をこじつけてでもそうしたいのではなかったのか」
「そ、その……」

 そうだけど、と私は膝の上で手を握りしめる。たしかにどんな手を使ってでも……という気持ちではいたが、いざそう言われると、私の決意は鈍った。

「……風呂に入ってくる、私が戻ってきてもその調子なら、次はないぞ」

 そう言って彼が立ち上がり、部屋を後にする。
 私はそれを見届けてから、自分の胸に手を当てて鳴るはずのない鼓動を抑えつけた。
(自分が望んだこと、だけど、どうしよう、本当に、叶う、なんて)

 あぁ、あぁ──
 ──夢なら、どうかまだ醒めないでいて。
 
 



 
 目を開けると、見慣れた天井が目に入る。
 綺礼の……彼の私室の天井だ。それが見慣れているというのも、どうかとは思うんだけど。

「起きたか」
「ん……うん、おはよう、きれ──っひぁ」

 いつものように横で眠っていた綺礼の方へ顔を向ける──と、何故か、上半身の衣服を纏っていない彼の姿が目に入った。
 驚きに小さく悲鳴をあげ、くるまるように布団を引き寄せる……なんだか、布団と自分の肌が触れる感覚もいつもと違う気がする。

「……! な、なんっ……! なんで、私、裸……!?」

 そして、布団の中を除いた私はさらに困惑する。なんと、彼だけではなく私も一矢纏わぬ姿で彼のベッドで眠っていたのだ。

「……覚えていないのか」
「覚え…………っあ」

 呆れたような彼の声で、ようやく昨夜のことを思い出した。
 そう、彼と、体を重ねた時のことを。

「〜〜っ……あ、えと、昨日は、その……」
「……」
「え、えっと、あの……」
「……満足したか」
「! そ、それはもうっ……!」
「それはなによりだ」

 彼は終始無表情のままそう言って立ち上がる。今日の彼はいつにも増して表情が読めない。……私の今の思考がしっちゃかめっちゃかだからかもしれないが。

 ちらりと覗き見た彼の背中に新しい引っ掻き傷をみつけ、「あれはもしかして私がつけたのか」とさらに恥ずかしくなる。あぁもう、どうして、彼の方はあんなに落ち着いたままなのか。

 真っ赤な顔を両手で覆い隠し、昨夜のことをもう少し思い出そうと記憶を辿る。たしか、彼がお風呂から帰ってきて、私もシャワーを浴びに行って、それから、彼の部屋で……

 ……困ったことに、割と行為の最中のことは鮮明に思い出せるようで良かったような良くなかったような。とにかく、恥ずかしいことをたくさん口走ったような記憶がある。
 それでも最後の方はなんだか記憶が曖昧で、いつ私が眠りについたのか(あるいは気を失ったのか)、それは定かではなかった。

「……っそうだ、パスは……! ま、魔術回路の移植は!?」
「できた記憶はあるか?」
「……………………な、ない……けど……」

 ──私は馬鹿だ。馬鹿で無力で……とにかくばか。なんと「こじつけ」だと宣言したとはいえ、第一目的を果たすことなく力尽きてしまったらしい。これでは、本当にそういう事がしたくてそういう事をしただけになってしまう。

 ……でも、それなら「今度こそきちんと繋ぐため」という大義名分で、もう一度彼に抱いてもらえるのでは……? ……なんて、全然考えてないんだから、うん。

「安心しろ、お前の魔術回路の移植は失敗したが、代わりに私の回路の一部をお前に移植した」
「は……えっ……!? な、なにそれ、きいてない!!」
「今初めて伝えたからな」

 驚きに飛び上がった私に、見えるぞ、と彼が服を投げつける。それを胸元に抱きながら私は続けた。

「それじゃ逆だ……! わた、私の回路を移植しなきゃいけなかったのに、綺礼の魔術回路が私の中にあったって、どうにもならないんじゃ……」
「そうとも言えん……理屈を逆にして考えてみろ、私がお前の魔術回路から魔力を取り込むのではなく、お前が私の魔術回路に魔力を通せば良いのだ」

 ……? ええと、つまり、どういうことだ……?

「…………今、お前の中に私の魔術回路がある、わかるか?」

 瞬きを繰り返すだけの私に、彼が目頭を押さえながらそう言った。彼は未だかつてないほどの呆れ顔だ、「この十年の教えは全て無駄だったのかもしれない」とでも言いたげな。

「わ、わかるよ…………多分」

 落ち着いて魔術回路に魔力を巡らせると、一部慣れない感覚の場所があった。恐らく、そこが彼の魔術回路が移された場所なのだろう。

「そこに魔力を通せ、ただしあまり無理にはするな」
「わかっ、た」

 目を瞑り、全神経を集中させる。ゆっくり、丁寧に、ビーカーから試験官に薬品を移すときのように慎重に、私は自身の魔力を慣れない回路へ流し込んだ。
 そして私の身体を巡るはずのその魔力は、不思議とその回路の先から何処かへと消えていく。

「そうだ──……もういいぞ、あまり多くてもこちら側で持て余す」

 それを続けていると不意に彼に肩を叩かれた。どうやら流し続ければ良いというものでもないらしい。
 私はとりあえず閉じていた目を開き、彼の様子を恐る恐る伺う。彼は何度か掌を閉じたり開いたりした後に、軽く息を吐く──どうやら、今ので問題なく彼に魔力は渡るらしい。

「でも、これじゃ綺礼から好きな時に持っていくことはできないんじゃ……」
「構わないだろう、どうせ何も言わずともお前から与えてくるのだから」

 それは、そうなのだが。
 いまいち釈然としない気持ちのまま、手にしたシャツを頭からかぶる。えりから頭を出したところでじっと私を見る彼と目があった。

「……?」

 どうかしたのだろうかと首を傾げると、彼は私から顔を背け、空を見たまま口を開く。

「そもそも……魔術回路の移植など異例中の異例だ、合意であり少数とはいえ、滞りなく成功しているかは保証できん──それ故、定期的な点検や調整は必要だろう」
「メンテナンス……ってこと?」

 彼が小さく頷く。なるほど、それも道理か。しかし私には、それをどうすればいいのかが全く検討もつかない。

「お前は何もしなくて良い、私がお前の身体を開き様子を見よう」
「ひら……っ、それって、痛かったりする……?」
「昨夜と同じだ」

 開く、という言葉にお腹を真っ二つに……というグロテスクな展開を想像してしまったが、どうやらそうではないらしい、私はほっと胸を撫で下ろす。

「よかっ……? …………昨夜と……同じ……?」

 ズボンに足を通しながら、彼の言葉を反芻した。昨夜と同じ、昨夜と同じ、ということは。
 私は、顔を跳ね上げた。

「…………痛みなく開くのであれば共感状態の方が都合が良い。様子を見るだけなら他にも手はあるが…………方法は、お前に任せる」
「……っ!」

 私はベッドから勢いよく立ち上がり、彼の胸へと飛び込む。突然の私の行動に驚きはするものの、彼は流石の体幹で私の抱擁を受け止めた。

「……綺礼それって、それってさ」
「なんだ」
「それって、その……また、昨日みたいなこと、しても良いってこと?」
「……必要があるからそうするだけだ」
「! うん、……うん!」

 ぎゅう、と彼に抱きつく腕の力を強めると、彼が宥めるように私の背を撫でる。彼らしくはない優しい手だ、昔から、よく触れていた彼の大きな手。
 嬉しかった。彼と一つになれたこともそうだが、なにより、彼が私を、私の気持ちを、否定しないでいてくれることが。

(嬉しい──)

 力の限りで抱擁を続けていると、真上から「朝食にするぞ」という低い声が聴こえてくる。私は大きく「うん!」と返事をしてから背伸びをして彼にキスをねだった。

「……強欲だな」
「だめ?」
「行為自体は受け入れたが恋仲になったつもりはないぞ」
「う……! あ、挨拶、挨拶のキスだもん……!」

 食い下がる私に彼は苦笑をこぼし、そして、観念したかのように私の額に唇を寄せる。「口が良かった」「そうか」といういつも通りのやり取りの後、なんだかそれがおかしくて私は笑った。

 ──幸せ、だなぁ。

 できることなら彼も、同じように幸福を感じていて欲しいけれど……それは、どうしたって過ぎた願いだ。
 だから、これは私のエゴのままでいい。
 その分……私が満たされた分、彼のことも満たせるように、私、頑張るから。

(だから、どうか、私の隣で生きていて欲しい)

 それが、唯一ではないけど、一番の、私の願い。
 
 ──そして、新しい私の日常が、始まる。




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