小さな幸せ



 はぁ、と吐いた息は……まだ白くはない。
 けれどたしかに寒くなってきた今日この頃、教会前の掃除を終えた私は両手を擦り合わせながら礼拝堂の中へ入った。

「掃除終わりました〜」

 彼の部屋の方へそう声をかけると、カツ、カツと固い足音がこちらへと歩いてくる。

「ご苦労、思っていたより早かったな」
「真面目にやったもん」

 ふふん、と胸を張ると、「いつもそうなら良いが」と彼は短く息を吐く。私なりに毎日まじめにしているつもりだったが、彼にはそうは映らないらしい。

「……んん」

 ぶるり、と体が震えた。それはそうだ、建物の中に入ったとはいえ礼拝堂はまだ外の気温とそう変わらない、何か羽織るものでも取りに行こうと奥へ向かったところで、彼に呼び止められる。

「まて、これを」
「ん、あ、え……あ、ありがとう」

 手渡されたのはブランケット。あまり見ないものだから、彼が物置か何処かから引っ張り出してきたものだろうか。
 そんなものを彼が用意しているとは思っておらず、驚きながらもそれを受け取り肩にかける。あまり厚手のものではないが、涼しくなりかけのこの時期にはこれくらいが丁度良い。

「夏も終わったというのに、日も暮れる時間に薄着のまま外に出るやつがあるか」
「いやあ、あはは……出た時はまだ暖かかったから」

 つい、と誤魔化すように笑いながらブランケットの端を握りしめ、そして、踵を返して部屋へと戻る彼の後ろについて歩いた。

 ──意外だ、彼がまさか、こんなもの用意してくれたなんて。

 だってそもそも、人に親切にするなんてこと、別に好きじゃないだろうし。
 だからこれは多分、良かれと思って……というよりは、「善良な」人間ならきっとこうするだろう。という彼なりの……なんていうか、気遣い? みたいなものなのだろう。

 それが例えば彼の本質なんて全然知らない人間に向けられているのならわかる、だけど、私は彼が本当はそんな人じゃないってわかってるし、わざわざそんなこと、しなくたって良いのに、と、少しだけ思った。

(やっぱり綺礼からしたら、私もその辺の他人も、そんなに変わんないのかな)

 ……だとしたら、流石に落ち込む。それはもう、すごく。
 逆に──大切に思っているからこそ、善良な……普通と呼ばれる人たちみたいに接そうとしてくれてる──なんて──

「…………ないよなぁ」

 そうだったら良いのに、と苦笑していると、いつの間にやらカップを手に持っていた彼が「どうかしたのか」と怪訝な顔をした。

「な、なんでもないよ!」
「そうか」

 彼の差し出したカップの片方を、お礼を言って受け取る。カップはほんのりと熱を持っていて、手のひらからじんわりと温かさが広がった。

「……ん、あれ、熱くないね」
「ああ」

 返事はそれだけ。私は口に含んだホットミルクの温度が思いのほか低かったことに驚いたが、彼の返事を聞いてそれが意図的なんだと気が付いた。

(……私が、猫舌だから……)

 それに、ほんのりと甘いこの味は……蜂蜜、だろうか。
 答えを求めるようにじっと彼の方を見つめると、「好きだったろう」と、また簡潔な返事だけを口にして彼はいつもの椅子に座った。

「……綺礼のは、コーヒー?」
「そうだが?」

 じゃあ、わざわざ別で作ってくれたんだ。……私が、甘いものの方が好きだから。

「──ありがと、綺礼」

 今度は何も返事はない。けれど、私はそれで充分だった、いいや、もう貰いすぎているくらい。

 そうするべきだと思ったからそうしている、それだけだと言われればそれだけだけど──
 彼が、私の好きなものを覚えていてくれて、私のためにわざわざ手間をかけてくれるのが、たまらなく嬉しかった。
 それはきっと、私のことを多少なりとも特別に見てくれているってことだと思うから。

 少なくとも……私にとっては、そう思えるほどのことだから。




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