「君」の味 終わらない。
——終わらない、終わらない、終わらない、終わらない……!
「…………〜〜っあ〜〜もぉ〜〜っ……!」
目の前のキーボードに突っ伏して、私は今日何度目かわからない嘆きの声を上げる。時刻は0時を少し過ぎたところ、無機質に点灯する電子時計のディスプレイが、なんだかやけに憎たらしかった。
「あとどれくらい……? あぁ……だめだ、まだ先が見えない…………」
映し出されるモニターの文字を目でなぞる。なぞったそばから目が滑る。数度そんな無為な行為を繰り返してから、私は両手で頭を抱えて再度うめいた。
私を悩ませているのはなんてことないいつも通りの仕事、ダヴィンチちゃんから「明日までになんとかよろしく」と言われた特に難しくもないもの……だったはずだ。そう、余計なトラブルさえなかったなら。
——そう、あの時、あんなことさえなかったなら……
…………いや、過去のことを考えてもどうしようもない、とにかく今はこれを早く終わらせる、それが何より重要だ。
「……?」
そんな私の部屋に少し乱暴なノックの音が響き渡る。返事をする気力もなく黙ったままでいると、私の返事を待つことなく「邪魔するぞー」という声と共に全身青の服を見に纏った男が私の部屋にズカズカと入り込んできた。
「……くーふーりん」
「? おう、お疲れだな、マスター」
一本に束ねた髪をたなびかせ、彼は何やら温かなカップを私の前に差し出した。お礼を口にしてそれを受け取ると、彼は「順調か?」とにやけた顔で問いかける。
「そう見える?」
「見えねーな、……あー、落ち着いたら食堂来いってよ、夜食があるぜ」
「誰が作ったやつ?」
「安心しろよ、俺じゃねぇ」
そういう意味で言ったわけではないのだけれど。カップに口をつけると甘い味が口一杯に広がった。ただのホットミルクだと思っていたのだけれど、どうやらハチミツなどなにか甘いものが入っているらしいようだった。
「……——キッチン、エミヤでもいた?」
「あ? いや、今日はあいつじゃなかったな……なんだ、あいつの飯じゃねぇと嫌ってか」
「そんなことないよ」
やだやだ、とわざとらしく肩をすくめる彼がおかしくて、私は小さく微笑んだ。
「別に、私はあなたが作ったご飯も嫌いじゃないよ、そりゃ凝ってはいないけど、私は好きだな——キャスター」
「………………あー…………、気づいてたのかよ……」
砂糖が溶けるみたいにゆっくりと、目の前にあったランサーの姿がキャスターの姿に変わっていく。私はにまにま笑いながら、「そりゃあ、まぁ、気づいたよ」ともう一口ホットミルクを口に含んだ。
「いつ気づいたよ」
「これ、飲んだ時に」
カップから香るのはハチミツの香りと、僅かにシナモンの香り。エミヤに勧められるでもなくこんな洒落たことをしてくれるのは、多分、ランサーじゃなくてキャスターなんじゃないかとそう思ったのだ。
「ランサークラスの俺はそんなに気が利かねぇか」
「ううん、気が利く、だから多分エミヤに止められでもしなければもっとハチミツいっぱいにしてくれるよ」
「……そいつは悪かったな」
拗ねたように唇を尖らせる顔が可愛くて、私はやっぱり笑ってしまう。せっかくランサーのふりまでしたのにバレてしまったのが気まずいのもあるのだろう。
「全然? ……実はね、誰にも言ってなかったけど私シナモン好きなの、だから嬉しい」
「へぇ……本当か?」
「うん、ほんと」
そうか、と口元を緩ませる彼にそもそもどうしてランサーのふりなんてしていたのかと問い掛ければ、彼はまた少しだけ口を曲げ、「その方が喜ぶかと思ったんだよ」なんて返答をされてしまった。
「そう思われてるんだ私」
「ちげぇのか」
「違うとは言い切れないけど……キャスターが来てくれたって同じくらい嬉しいよ」
「そうか」
変なところで謙虚になる男だ。それを不思議に思いながらぱちくりと瞬きをしていると、キャスターはからのカップを顎で刺しながら「おかわりは」と短く言った。
「じゃあ、せっかくなら貰おうかな……また持ってきてもらえるまでにもう少し仕事は進めておきたいから、一時間後とかに持ってきてもらえると嬉しい」
「ん」
短い返事をよこして彼はカップを受け取る。そのまま背を向ける彼に「あ、やっぱり私が食堂に行くよ、用意しておいてもらえる?」と告げればひらひらと手を振って応えられた。どうせなら、そのタイミングで食事も軽くいただいてしまおう。
「——夜食、楽しみにしてる。きっとそれもキャスターが作ってくれたんでしょ?」
「……あー、くそ、俺今だいぶ格好悪くねぇか」
そんなことないよ、という私の呟きは聞こえていただろうか。彼は部屋を出て、ドアは閉まり彼の赤い耳は見えなくなった。
約束の時間まであと一時間、私はさっきよりもずっと満ち足りた気持ちで、目の前のモニターと再度向き合った。
clap!
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