In the deep sea


「ねぇもういちど」


「うーん……」
「どうしたんすか?」

 事務所で唸る私に、レオが心配そうに声をかけてくれる。ありがたいことこの上ないが……今の私の悩みは、彼では解決できそうにないことなのだ。

「ん〜……ねぇザップ、参考がてら聞きたいんだけど」
「あ?」

 なので、私はレオ越しに、ど底辺モンキーザップへと問いかけた。……多分、こいつが一番適任だと思うし。

「もしその辺の女と生でヤってる時、クライマックスで『私子供ができない身体なの……♡』って、言われたらどうする?」
「ブッ……!」

 真っ赤な顔で飲んでいた紅茶を吹いたレオ。だと思った。多分そうなると思っていたから君には相談できなかったんですよねぇ。

「ばっかおめー、そりゃラッキー! っつってそのまま……」
「ザ……ザップさんあんたやっぱサイテーだよ!!」
「あぁ!? なーに言ってんだクソ陰毛、そのタイミングで言ってくんだから向こうもその気に決まってんだろ」

 やはり最適解、ザップは私の欲しかった通りの答えを口にする。本当に期待を裏切らないクソ野郎だ。

「だーよねぇー……ちなみにレオは」
「ぼっ……僕!?」
「こんな童貞クンに聞いたってわかるわけねぇだろ」
「まぁ参考がてらに」

 聞くだけ聞こう、聞いたとて損もないし。……まぁ、こっちもなんとなく返答は予想がつくのだが。

「二人して失礼だな……! でもそうすね、僕なら──やっぱ、悲しいっすね。好きな人にそんなん言われたら、流石に」

 ほら、やっぱり──そう言われると思った。

「は〜〜〜、好きなやつとは言われてねぇだろクソ童貞」
「僕はザップさんと違っててあたり次第に手を出すつもりはないので」
「ウワッ……相手がいねぇもんな……可哀想なやつ……」
「ムカつくなこの人」

 質問主の私を置いて、二人が普段通りのやりとりを始める。レオが童貞だとかザップはゴミだとかは置いておいて、とりあえずわかったのは私が比較的ザップに近い考えを持っていたということだった。

「うーん……やっぱり私もザップよりだったのか……ちょっと落ち込むな……」
「おいどーいう意味だ」

 どういうも何もそのままの意味だ。私は昨夜起きたことを思い返して、長い長いため息を吐いた。

「…………まずったかな」
「? それって……?」
「あ、スターフェイズさーん」

 レオに聞き返されたのは聞こえなかったことにして、遠くの机で書類のチェックをしていたスターフェイズさんに声をかけ、彼に近づく。……今日はこの三人以外に人もいないし、多少の下品な話でもきっと答えてくれるだろう。

「なにかな」
「スティーブンさんならどうします? ……女の人に、最中に子供ができない身体だって告げられたら」
「そうだね、『残念だ、君との子供をつくれないなんて』……と、言っておく」
「ひゅー! さすがですね!」

 軽く口笛を吹く私には目もくれず、彼は目の前の書類をテキパキと片していく。機嫌を損ねたわけではなさそうだが、特に心を傾けるほどの話題でもなかったのだろう。

「行きずりの女が相手ならね」
「本命だったら?」
「その言葉が本音になる」
「ひゅう……イロオトコ〜」

 これはスターフェイズさんが勝ちだな、と、何の勝負でもないのにそんなことを考えてしまう。その言葉が嘘か誠かはわからないが……なるほど、これが、女好きのザップと女タラシのスターフェイズさんの違いというやつか。

 ……まぁ、実はそんな悠長なことを考えているほど、楽観的な事態ではないわけで。
 簡潔な話、私はそのようなことを、事もあろうに彼との最中に口にしてしまったのだ。

 そう、彼──ツェッド・オブライエンとの行為中に。

 冷静に考えれば悪手であることは自明だったし、口にしてから「あ、これ、ツェッドくんには言わない方がよかったかも」くらいの自覚はあった。けれどまさか、彼が──

「──そう、ですか」

 なんて、悲しげな顔をしてしまうなんて……あまつさえ彼も彼自身も共に元気をなくしてしょげてしまうなんて思っていなくて。
 流石に続行不可となってしまった後に「すいません、今日はもう……」と謝られてしまった時の気まずさたるや……やってしまったと後悔するのは遅すぎたわけで。

 今朝なんかあまりの気まずさに「おはようございます」「あ、おはよう……」のやり取りしかできず──もう、あまりにも居た堪れないというか。

「やっぱりなんかあったのか、あいつと」
「アッ……い、いや……」

 スターフェイズさんがジッと私の瞳を覗き見る。流石に、この人にはバレてしまっていたようだ。名前ではなく「あいつ」と呼んだのは、何の話だ? と首を傾げる後ろの二人にはわからないようにという配慮だろうか。

「まぁ、君達のことだ、放っておいても大丈夫だろうが──任務には支障をきたさないようにしてくれよ」
「は、はは……大丈夫ですよ……多分」

 誤魔化し笑いで頬をかく。どうしても確信が持てないのは、昨夜の彼が見たこともないほど悲しい顔をしていたからだ。

「…………大丈夫、です」

 自身に言い聞かせるようにもう一度呟いてから、私は「用事がある」とだけ言付けて、彼が居るであろう温室へと足を向けた。
 
 
 
「──ツェッドくん」

 彼の水槽に声をかける。目的の人物はやはりその中にいて、私の呼びかけに応えることはなかったが、それでも淡々と陸へ上がる準備だけをして水面から顔を出した。

「……はい、なんでしょうか」
「うん……その……」

 勢いだけで来てみたは良いものの、どう話を始めていいかわからず私の言葉尻は小さくなる。しかしそのままではどうにもならないということはよくわかっていたので、意を決して「昨日のことだけど」と声を上げた。

「あの時は、ごめ──」
「──すいませんでした」

 私の言葉を遮って、何故か、彼が先に謝罪を口にする。

「な、なん……なんでツェッドくんが……」
「あんな状態で中断するなんて……貴方に、恥をかかせてしまいましたから」

 ──い、いい子だ……! あんなの、無神経なことを言った私の方が悪いというのに。

「い、いや……! 私の方こそごめんなさい、あんなこと、言っちゃって……」

 ──残念だ、君との子供をつくれないなんて。

 そんなスターフェイズさんの言葉を思い出す。彼が、私の言葉に傷ついたというなら、それは、きっと──

「──ツェッドくんは……子供、欲しい……?」
「!」

 人、三人分の距離。いつもよりも離れたその場所でも彼が息を呑むのはわかって、私も自然と全身が硬直するような感じがした。

「その……昨日のあれは、先天的な……あれの話で……絶対無理、とかじゃなくて、できにくいだけ、というか……可能性は0ではない、というか……なのに、あんな風に、言っちゃって……」
「……っ」
「だから……だから……──ツェッドくん、ごめんね、お願い……きらいにならないで」

 震える声も隠しきれず、滲んだ涙を堪えられず、私は俯いたまま彼にそう言った。
 その瞬間、私の視界に影が落ち……彼の冷ややかな腕が、私を包み込むようにして抱き締めた。

「……っ、貴女は、悪くないんです……! 僕が……」

 彼らしくもない強い抱擁と強い感情を含んだその声に、私は数度瞬きをする。悪いのは私のはずなのに、どうして彼がこんなに泣きそうな声を出すのだろう。

「ちが……わ、私が、無神経なこと、言って……」
「違うんです、違う……! 僕が、嫌になったのは、自分自身に対して、です……っ」

 彼の肌が震える。泣いていないのに、泣いているみたいに。そんな彼を優しく抱き返しながら、どうして? と聞き返した。

「……貴女が、子供ができないと聞いて、僕は……安心、してしまったんです」
「そんなの」

 それでいいんだ、そう思ってもらうために口にしたわけだし、実際、ザップなどは「ラッキー」なんて思うと言っていたし。
 それでも、彼のような人には罪悪感の元になるのだろうか。

「僕は……僕は、本当は、ずっと、怖かったんです」
「なに、が?」
「……貴女との間に、命が宿ってしまうのが」
「それは……きっと、みんな、そうだよ」
「いいえ、ちがうんです」

 そう言ったきり、黙り込む彼の言葉の続きを待つ。目をつぶって、二人分の鼓動に耳を傾けていると、彼が静かに呟いた。

「僕は、人類では、ありませんから──だから、もし、子を成したとして、一体どんなモノが貴女の中に宿ってしまうのかと──」
「──」

 それは……私では、きっと共有できない悩みだった。人類であり、宿す側である私には、絶対に。

「せめて、僕がそちら側であったなら……僕が、子を宿せるなら、きっと、もっと悩まなくて済むのに」

 やはりというか、彼は──自分の子がどうなるか、よりもまず、私の身体を、気遣っているのだ。
 自分が宿す側なら悩まない、なんて──私が、同じように思っているとは考えないんだろうか。なん、て。

「ツェッドく──」
「──なにより、それに恐怖しながらも、欲に抗えず貴女と身体を重ねている浅ましい僕を知られたくはなかった……!」
「……!」

 さらに強くなる彼の腕の中で私は息を呑んだ。黙っていると、二人分の早鐘が鼓膜を揺らし、それを聞いた私の心臓は更に大きく早く音を鳴らすようになる。あぁ、身体が、やけに熱い。

「ツェ、ッドくんは、真面目、だなぁ……」

 必死に絞り出したのは、そんな揶揄うような言葉だけ。彼は何も応えず、ただ、ただ強く、私の身体を抱きしめていた。

「今の、ってさぁ……要約すると、ツェッドくんは私のこと、好きで好きで仕方がない、ってこと?」
「……ふざけないでくださいよ、僕は真剣に……」
「私も真剣だよぉ……」

 弱々しくなってしまった私の声に思うところでもあったのか、彼がようやく私から身体を離す。恥ずかしいやら何やらで全身真っ赤になっていた私は、両手で顔を覆い隠しながら「みないで……」と言って一歩分だけ彼から距離をとった。

「……っ、…………っ!?」

 そんな私に釣られたのか、彼の頬もみるみるうちに赤みを帯びていく。言葉を失った彼の右手の人差し指を軽く片手で握りしめながら、私は彼の顔をゆっくりと見上げた。

「わ、私も……ツェッドくんのこと、大好き、だから……欲しいな、ツェッドくんの、子供……」
「……っ!? だ、だから、僕は……! その……っ」
「──大丈夫、私、怖くないから……ツェッドくんが相手なら、後悔、しないから……」

 昨夜は、あんなこと言ってしまったけど──非日常が日常のこのHLなら、もしかして、それも叶うのかも、と──真っ赤になった私達二人は、この街で出会えたことに感謝しながら、そっとその唇を重ね合わせた。


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