In the deep sea
シュガーソングを貴方と
「ツェッド君のお願いなんでも聞いてあげる」
私は機嫌よく笑いながら手に持ったグラスを傾ける。中身はもちろんお酒ではあるが、特に酩酊してむちゃくちゃを言っているわけではない。
だだ、ほんの少し、気分が良くなったので……目の前にいるこの青年をからかってみたくなったのだ。
「な、何を言い出すんですか、突然」
「なにをって……なんだろ」
ヘラヘラと笑う私を見て酔っていると判断したのだろう、彼は水の入ったグラスを私に差し出しながら「飲み過ぎですよ」とため息をついた。
「……ツェッド君の方がお酒は弱いじゃない」
「それは、まぁ……はい、ですが、今日はそんなに飲んでませんから」
手渡された水を飲み干し、その上で自分のグラスに入った酒も煽る。その様子を見た彼はやれやれとまた息を吐いているが、構うものか。
開けたグラスと瓶の数を数えるが、なぁに、大した量じゃない。いつもから考えればまだまだ宵の口というところ。私だって、チェインさんには及ばずとも酒には強い方なのだ。
「チェイサーを挟みながらだもん、そんな一気に酔ったりしないよ」
「それにしても今日はやけにペースが早いです」
「だって……みんな付き合ってくれないから」
──今日は事務所でみんなで飲もう! ……夕方、そう言った私から、レオやザップは目を逸らした。
「……なんで!」
「いやすんません、勘弁してください、僕明日もバイトが……」
「あ〜〜〜俺もちょっと用事がアンダヨ」
これは(少なくともザップは)嘘だ。たしかに飲む度に絡み酒をしている自覚はあるが、そんなに拒まなくたっていいのに。
「俺達も今夜は都合がつかないな、悪いね」
手をひらひらと振るスターフェイズさん、と、その後ろで申し訳なさそうな顔をするリーダー。これは多分、嘘じゃない。
ならギルベルトさんもついていくだろうし、KK姐さんとチェインさんは今日はいない……なら後は──
「──僕が付き合いますよ」
「へっ?」
声をかけるより早く、彼、ツェッドくんがそういうのが聞こえた。どうせ彼にも断られるものだと勝手に思い込んでいた私は、意外な返答に間抜けな声を漏らしてしまう。「僕では不服ですか」という彼の言葉に私は首を左右に振ることしかできなかった。
──そんなこんながあって現在に至るわけで。
「……それはつまり、僕一人ではやはり物足りないと」
「いーや? それは満足、満足だから、なんかお返しがしたいなって」
そして話は冒頭に戻る。私が再度「なにしてほしい?」と微笑みかけると、彼は少し戸惑うように顔を背けて「特には、なにも」と小さく呟いた。
「えぇー、つまんない、本当に何もないの?」
「ないですよ」
「本当に? ……なぁーんでもいいんだよ」
なんでも、の響きに彼が身を固くするのを見逃すほど私も酔ってはいない。にやりと笑いながら、私は隣に座る彼との距離を詰める。
「ち、近い、です」
「えぇ? ……ツェッドくん、私のこと嫌い?」
「そういうわけでは……」
「じゃあ、いいでしょ?」
肌が触れそうなほど近く、けれど決っして触れ合わないような距離。そこで私はもう一度「お願い、ないの?」と首を傾げた。
「なんでも一つ、叶えてあげるよ。……たとえば」
えっちなこと、とか。
そう囁く私に、彼は身を強張らせる。何をどこまで想像したのかはわからないが、彼の青い肌がみるみるうちに赤みを帯びていく、可愛いものだ。
「そ……そういう事は! あまり、軽率に口にしないほうが……っ」
「なんで? ツェッドくんだから言ってるのに」
「……っ!」
言葉を失った彼がはくはくと口を開閉させる。冷静沈着にも思えるが、彼は本当にわかりやすい事この上ない。今のは、驚きと照れと、多分ちょっぴり、期待もしてる、顔。
「……あーあ、ツェッドくんのお願いがないなら、ザップに電話して言おっかな、おんなじ事」
「なん……っ! や、やめてください……!」
スマホを取り出す私の腕を、彼の手が咄嗟に捕まえようとして──直前で二人揃って動きを止めた。おそらく、あの男に「なんでも」なんて言えば、性的かどうかに関わらずろくなお願いはされないだろうと確信してるのだろう。
「……というか、僕だから、じゃないんですか、それ」
「うん、ツェッドくんだから。……だから、言わないよ、ザップには」
今のは嘘♡ そう言ってまた笑うと、彼は不服そうな顔で腕を下ろす。
「でも……私酔ってるから、当て付けにメッセージくらいは送っちゃいそう」
「!!」
「どうする?」
悪戯に笑う私を前に、彼は焦ったり、悩んだり、ちょっと怒ったり、照れたりするような百面相を繰り広げ──最終的に、片手で顔を覆いながら「わかりました……」と言って一番長い息を吐いた。
「では、一つ、お願いをしてもいいですか?」
「どうぞ!」
ここで、「もうそんなこと言い出さないでください」とか、「僕を揶揄わないでください」とか……そんなことを言われてしまえば終わりだということに、私は薄々気が付いていた。
もしそうなるならそうなったで、つまんなーい、とは言いつつ、彼らしいお願いを笑い飛ばしてもう一瓶酒を空けてやろう、くらいに思っていたし──もし、逆に、過激なお願いをされたなら、それはそれで本当に叶えるのもやぶさかじゃないと考えていた。
だけど──
「では──手を、繋いでもらっても、いいですか……?」
「………………は」
驚愕で、ほろ酔い気分が一気に正気へと戻される。手を……? どんな隠語かと思案を巡らせるが、どうにもそれらしい解が見つからない。
つまりなんだ、えー、言葉通り、ただ手を繋ぎたいと、彼はそう言っているのだろうか。
「い、いい、けど……」
おずおずと差し出した私の手を、彼がとった。静かなその手つきはなんだかくすぐったさがあり、まるで壊れものを扱うかのような丁寧さすらあった。
「あの……?」
「……貴女の手は、温かい、ですね」
それは、まぁ、ツェッドくんよりは、そうかも……? そんなことを考えながら彼が私の手を撫でる様を見つめる。すべすべとした肌、私の手が温かいと言ったが、私からすれば彼の手はひんやりと冷たくて気持ちが良い。そして、手や指、爪の形まで確認するかのように動かされる彼の指の感触が、少しだけむず痒い。
「こ……こんなことで、いいの?」
「ええ」
細められる瞳、赤みのある頬……そんなに喜ばなくても、と呟きかけた時、私はあることに気がついた。
(私──いつのまに彼の表情の違いがわかるようになったんだろ)
出会ったすぐは、そんなこと絶対にわからなかった。むしろ、人類と違って、何を考えてるか表情が読みづらいとさえ思っていた。
だというのに今は、彼のこと、わかりやすい・・・・・・だなんて思ってしまっている。
(彼の表情が豊かになった……とか……いや……違うか……うん──私が、気づけるようになっただけだ)
気づけるようになるくらい、彼の事を見ていたってだけだ。そう思うと私の頬はどんどん熱くなっていく。……いいや、多分、お酒が回ってきただけだろうけど。
「……僕は、人類とは違いますから」
彼の言葉に今度は私が肩を震わせる。心の内でも読まれたのか、と思ったがどうやらそうではないらしい。彼はしんみりとした顔で、「異界側でもないですが」と心なしか触覚を少し下げた。
「僕の手では、貴女の肌を傷つけてしまうかもしれない。この見た目では、もしかしたら気味悪がられてしまうかもしれない……そう思うと、こんなこと≠ナすら勇気のいることなんですよ」
「! 気味悪がったりなんてしないよ」
「ええ、知ってます、貴女は……いえ、ここ《ライブラ》にいる人達そういう人だと──でも、もしかしたら、と」
思ってしまうことも、あるんです。そんな風に言って、私の手を見つめていた彼は、顔をあげた。彼の言葉は悲観的にも聞こえるものだったが……彼自身は、とても、晴れやかな顔をして、私に微笑みかけていた。
受け入れてくれて、ありがとう、なんて、そんなことを言いそうな、そんな、顔で。
「あの……もう少しこうしていて良いですか?」
「っんん……い、いいよ……好きなだけ……!」
彼が私の手を握る力が強くなる。あぁ、可愛い人だ。人類とか異界とかどちらでもないとかそんなのどうでもよくて……純粋に、ツェッド・オブライエンという個は、私にとって、可愛くて、からかいがいがあって、魅力的で素敵で──愛おしい──そういう存在だと、改めて思う。
「……ツェッドくん」
「? はい……あっ、もしかして、痛かったですか」
「いや、それは、全然……というか、手くらい、いつでも触らせてあげるからさ……その、他にお願いとか、ない?」
「ないです、僕はこれで充分で──」
「じゃあ──私が我慢できないから、ハグしていい?」
「な──」
彼の返事を聞くより早く、私は彼の細身の身体を抱きしめる。背中に回した腕に力を込めると、彼はしどろもどろになりながらも、そっと抱き返してくれる。
彼はやっぱり、ひんやり冷たくて気持ちが良い。けれど少しだけ、温かい。
その肌の温度と、重なる鼓動の音が心地よくて、私は静かに瞼を下ろす。
「…………あ、あの、そろそろ離してもらえると」
「もう少し」
「う……あの……はい……」
この腕を離したら、私から「好き」と言ってみよう。そんなことを考えながら、私は彼の腕の中で彼の名前を呼んだ。
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