ライオンの初恋


マスターボール級
〜待つのには慣れていたはずなのに〜


 あれから一週間──

「……………………来ないな……」

 バトルタワー内の一室で一人、ため息を吐く。先ほど入れたはずのコーヒーは既に冷め切ってしまっていた。
 今日もやはり彼女は来ない、というか、彼女が来たという報告が来ない。
 いや厳密に言えばバトルタワー自体には来ているようなのだ。彼女は相も変わらずここの常連で、だからこそスタッフのみんなにも「彼女のランクが上がる時には俺を呼んでくれ」というだけで伝わるくらいには顔を覚えられているわけで。

 しかしながら何故かみんなからの報告はない……まぁ、バトルタワーにはバトル以外にも利用できる施設や店があるから、それを利用しに来ているだけなのだろう。

「……そろそろ、君に会いたいぜ」

 また一つため息を吐く、そんなに会いたいのであれば自分から会いに行けば良いだろうとも思ったが、「会いに来てくれ」と言ったくせに俺の方から彼女を訪ねるのはいかがなものか。そもそも、会いに来ない、という事はつまりそういう事なのではないだろうか。そう考えると俺はただロビーに降りることすら躊躇してしまうのだ。
 レストランで困惑し涙を流す彼女の顔を思い出す。あれも困惑だけではなく、もしかしたら嫌悪からくるものだったのかもしれない。
 そう思うとまた心が沈む、何度目かもわからないため息を吐いた時、扉をノックする音が聞こえた。

「っ、お、おう! 入っていいぞ」
「失礼します、オーナー、確認したい事が……」

 入ってくるなり取り出される端末の画面に、ああ彼女の事ではないのか、と肩を落とす。どうやらあからさまに落胆してしまったのがバレたようで、部屋を訪れた彼は少し戸惑いながら「大丈夫ですか、オーナー」と俺を気遣ってくれた。

「あ、いや、すまない、君が悪いわけではないんだ、ただその……少し……気になる事があってな……」

 また長く息を吐いてしまう俺に、彼は少し考えるような顔をした後「オーナー、少し休まれてはいかがですか?」と提案する。

「いや、そういうわけには」
「幸い今日の午後は俺たちだけでもなんとかなる業務ばかりですし、オーナーは少しくらい羽を伸ばした方がいいですよ」
「し、しかし……」

 渋る俺にそれでも彼は「大丈夫です!」と言って胸を張る。結局俺は彼の勢いに負ける形で少し長めの休憩に入ることを決めた。


 
 そう、少し長めの休憩。気分転換に少し遠出をしてみようかとリザードンに乗り、ハロンタウンの方にでも行こうかと思い、その道中でターフタウンの上空を通った時に「そう言えば彼女はここの出身だと言っていたな」と思い出し本当に少しだけ立ち寄ってみたそれだけなのだ。

 それだけのはずなんだが、

「ここですねぇ」
「あ、あぁ……ありがとう、ヤロー……」

 何故俺は彼女の家に案内されているのか。

「俺がいうのもなんだが、その、君のところのトレーナーとはいえ勝手に彼女の家を教えるのはまずいと思うぞ」
「うーん、じゃけどダンデさんと仲良いのも知っとりますからなぁ、彼女、よくダンデさんの話しとるんですよ〜」
「そ、そうか……」

 彼女が俺の話を他の誰かにしている、というのはなんだか照れる、やはり彼女も俺のことが好きなのではないかと勘違いしてしまいそうだ。

「それに最近元気ないんですよ、なんだか悩んでいるようで……きっとダンデさんが来てくれたら喜ぶと思いますよ」

 本当にそうだろうか、と思ってしまうのは俺らしくもない後ろ向きな感情だ。手を振って去っていくヤローに手を振り返し、その背を見送ってからその家の扉に向き直った。

「あら? お客さん?」

 チャイムを鳴らそうとしたところで後ろから声が聞こえびくりと肩を揺らす。恐る恐る振り返ると、彼女によく似た顔で笑う女性が佇んでいた。

「あら? あらら? もしかしてダンデさんかしら」
「え、ええ、突然お訪ねして申し訳ありません、俺はバトルタワーの……」
「あらー! 娘からよく話は伺ってます〜! ささ、どうぞ入ってください!」
「あ、いえ、俺は……」
「遠慮なく〜! すぐ呼んできますから!」

 彼女の母であろう女性に促されるまま家に入ると、玄関口で見たことのあるタルップルの顔が見えた、恐らくアップルくんだろう。

「ぶも?」 
「やぁ、久しぶりだな」

 彼がいるという事は彼女も家にいるのだろう。案内された居間のソファに腰掛けてから、長い長い息を吐いた。

 ──これはまずいな。

 よく考えたら……いやよく考えなくてもまずいだろう。突然自宅を訪問してくる告白の返事待ちをしている男、普通に怖くないか? 本当に少し立ち寄るだけのつもりだったんだ、もし偶然会えたのなら嬉しいとは思っていたが、偶然会えたのはヤローの方で、何故か話の流れから巡り巡って彼女の自宅へ……

(自分のことながら、どうかしてるぜ……)

 そもそも、彼女がバトルタワーに来ないのは……俺に会いに来ないのは、そういうことだと思ってたんじゃないのか、俺は。だとしたら自宅まで押しかけるなんていうのは迷惑以外の何ものでもないだろう。
 俺は、彼女に会うべきではないのだ。

「……すいません、やはり今日は帰っ……」
「ママ〜、アップルが呼んでるみたいなんだけど、何かあったの〜?」

 トタトタと階段を降りてくる足音と、聞き慣れた、聞きたかった声がする。彼女の母が「ほら、あんたにお客さんだよ」と言うのと、彼女が俺の前に姿を見せるのは同時だった。

「あ……」
「お客さんが来る予定なん……て……? ……っ!? だ、ダダダダダダダダンデさん!?」

 久しぶりに彼女の顔を見れて、俺は間の抜けた声を漏らしてしまう。それとは正反対に、彼女はいつも通りの様子で俺の名前を呼んでいた。

「マ……お母さん!! ダ、ダンデさんが来てるならそう言ってよ!!」
「あらー? 言ってなかった?」
「言ってない! ……ダ、ダンデさん、ちょっと待っててください! すぐ部屋片付けてきます!」
「あと着替えもしてきなさい、あなた、部屋着のままよ」
「ッァーーーー!! 見ないで! ダンデさん見ないでください!!」

 相変わらず賑やかな子だ、俺は苦笑しながら俺の足元で走り回るアップルくんを抱えその頭を撫でる。

「おっ……お待たせしました! ダンデさん、さ、どうぞどうぞ! あまり綺麗な部屋ではないですけど……」
「いや、むしろいきなり訪ねてしまってすまないな」
「いえ! ……いえ! それは、全然……」

 彼女は程なくして息を切らしながら俺を呼びにきた。お邪魔します、と彼女の部屋の扉を潜ると、何体かのカジッチュが俺を出迎えてくれる。

「つがる、むつ、ボールから出ないの!」
「ぢゅあ!」

 どうやら二人とも彼女のポケモンらしい。

「本当に好きなんだな、カジッチュ」
「はい、へへ、可愛くて、この子たち」

 でも勝手に出てくるのはダメだよ、と彼等をボールにしまう。それから彼女は少し申し訳なさそうに「私の部屋椅子とかなくて……座布団で申し訳ないんですけど」と言って俺を部屋の中心へ促した。

「ああ、構わないぜ、ありがとう」
「いえ……その……の、飲み物! 用意してきますね!!」

 彼女は腰を下ろすこともなくまた駆け足で下の階へ降りていってしまう、アップルくんもどうやら部屋の隅で丸くなっているようで、手持ち無沙汰になってしまった俺は失礼にならない程度に彼女の部屋を見渡した。

 緑と茶でまとめられた家具や寝具はまるで森の中にいるかのような心地になる、アップルくんが眠っている区画は彼や他のカジッチュ達のスペースなのだろう、おもちゃなどが乱雑に床に散乱していた。

(あれは……俺のポスターか、しかも割と昔の、少し恥ずかしいな)

 彼女の寝台の側に自分の若い頃のポスターを見つけ頬をかく、やはり彼女は俺のファンなのだろうか。
 そうだとしたら、やはり彼女には悪いことをしてしまったのかもしれない。

(尊敬していた相手に突然あんなことを言われ、断ろうにも断りきれず……というところだろうか、本当に申し訳ないことをした)

 ふぅ、とまたため息をこぼしたところで、二つのグラスを手に持った彼女が部屋に戻り、テーブルを挟んで俺の真向かいに腰を下ろした。

「ど、どうぞ! そちゃですが!」
「ありがとう」

 お礼は言うが、お茶には手が伸びない。喉は乾いているはずなのに、何故かそれを飲む気にはならなかった。

「……あの、わざわざここまで来るってことは、何かご用があったんですか……?」

 彼女が小首を傾げる。だめだ、このままこれ以上彼女を不安にさせるわけにはいかない、俺は覚悟を決めて口を開いた。

「すまない」
「え……」

 謝罪を口にし頭を下げる俺に、彼女はうろたえる。それでも構わず、俺は続ける。

「……君が、俺に会いたくなかったのだろうということはわかっている、だからタワーにも来なかったのだと……それなのに、こんな風に君に会いにきてしまって、すまない」
「え、と……」
「だが、それでも……最後に一目、君の顔を見たくてな……申し訳ない、どうしても、君にもう一度だけ会いたかったんだ」

 彼女は言葉を探すように視線を彷徨わせる。彼女の寄せられた眉に心が苦しくなった、困らせたかったわけではないのに。

「本当に、すまない……今後は一切君には関わらないと誓う、だから、バトルタワーにも今まで通り……」
「ち、違うんです!!」

 俺の言葉を遮って、彼女が俺の手を取り叫ぶ。まさかそんなことをされるとは思っていなかった俺は、弾かれるように顔を上げた。
 ……いつも通り、耳まで赤く染めた彼女の顔が、そこにあった。

「違うんです、それは、その……」
「いや、無理はしなくていい、毎日のようにタワーに通っていた君が来なくなったのは、そういうことなのだろう」
「ち、違うんです、本当に、本当に違うんです……!」

 取れるんじゃないかというくらい必死に首を振る彼女に、「なにが違うんだ?」と尋ねると、彼女は俺の手をいっそう強く握りながら唇を薄く開いた。

「……か、勝てなくて…………っ」
「…………うん?」

 恥じらうように目を逸らし、か細い声を絞り出す。その口から紡がれた言葉に、俺は思わず首を傾けた。

「は、ハイパーボール級になってから他のトレーナーさん達が強くって全然勝てなくて、全然ダンデさんのとこに辿り着けなくて……で、でも、負け続けてるなんて恥ずかしいから、スタッフさんに、ダンデさんには内緒にしてくださいって、言ってたんです……それで……」

 勝てなくて……勝てなくて?
 そうか、それで、それでスタッフに口止めを、なるほどさっぱり報告も来ないわけだ。

「そうか……その可能性は……考えていなかったな……」

 彼女ならきっとすぐに勝ち抜けると思っていた、きっとすぐに俺の元に来ると思っていた。

「き、期待に応えられなくて、ごめんなさい」
「いや、君が謝る事じゃない」

 彼女の実力は良く知ってるはずだった。そうだ、確かに彼女は強いとはいえあそこに集まるトレーナーは強者ばかり、苦戦もするだろう。
 わかっていたはずなのに、なにを俺は勝手に焦って勝手に不安になっていたのか。

「……あー、そうか、そうだよな、うん」
「?」

 申し訳なさそうに眉を八の字に歪めて彼女が俺を見上げる。その仕草かとても可愛らしい。久しぶりに見た彼女は、どうやら待ち焦がれていた俺には記憶の中の彼女よりも魅力的に見えてしまうようだった。
 君はいつだってそう、素直でまっすぐで、こんなにも魅力的なのに、

「俺、今すごく格好悪いな」

 自分で「待ってる」と言っておいて、一人で勝手に焦燥感に駆られ、落ち込み、結局彼女に会いにきている。こんな感情も自分も初めてだ。

「君といると俺は格好悪くなってしまうのかも知れないな」
「だ、ダンデさんはいつでも格好良い、ですよ……!」
「ふ……ありがとう」

 彼女の手をようやく握り返す。それで彼女も手を繋いでいた事を思い出したのか、慌てながら少し身を引き「すいません、勝手に、手、握っちゃって……」と早口で呟いた。
 俺はなにも言わずに彼女の顔をじっと見つめる。目が合うといつものように目を逸らし、視線を彷徨わせてから俯いた。隠せていない耳が赤い。
 彼女の名前を愛おしさを込めて呼ぶと、恐る恐る顔を上げ、揺れる瞳で俺を見た。

「……っあ、あの……っ!」

 何かを言おうとする彼女の唇を人差し指で塞ぐ、俺が「それはまだにしてくれ」と微笑むと、彼女は涙を滲ませた。

「わ、私、あの時の返事を……」
「うん」
「私、早く伝えたくて、今なら」

 ゆっくりと首を横に振り、また下を向こうとした彼女の視線を繋ぎ止めるように、彼女の顔を覗き込む。

「その返事は、やはり待たせてくれ……俺のワガママですまないが」
「でも、私、いつになるか、わかりません」
「いい、待たせてくれ、それとも君はもう諦めてしまうのか?」
「そんなわけないです!」

 勢いよく顔を上げる彼女、前屈みになっていた俺のほぼ眼前に彼女の顔が迫る。未だかつてないほどの至近距離だ、今ならキスも出来てしまいそうなほどに。

「っっっっ!! ち、近っ……! ごっ、ごっ、ごめんなさ……!」
「うん」

 俺から逃げようとする彼女を、身を乗り出して抱き寄せる、俺たちの間に置かれた小さなテーブルが煩わしい。

「……しまったな、待つと言ったのに、早速前言を撤回しそうだ」
「ダン……ダンデさ……っ」

 今日はここまで、と自分に言い聞かせ、彼女の身体を離す。重なっていた心音はどちらのものかわからなかったが……どうやら、俺の心臓のものでもあったようだ。

「だから、早く俺のところまで来てくれよ、チャレンジャー……今度はちゃんと、待っているぜ」
 そう言って俺が笑えば、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。向日葵の花が咲いたような、俺の大好きな笑顔だった。


 
 ──その数週間後、彼女は見事バトルタワーを勝ち抜き俺に会いに来た。おめでとう、と言おうとした俺の言葉を遮って、彼女は誇らしげな顔でこう言った。
 
「──私も大好きです、ダンデさん!」


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