「イエス・キリストの黙示。」

「っ待って……!」

 飛び起きて、空へと手を伸ばす。
 そこに彼女がいるわけもなく、何もつかむことの出来なかった指は虚しく落ちた。

「……あ、……っ痛」

 ズキ、と動かした腕が痛み、もう一方の腕で抱えるようにして庇う。
 だがその腕を動かすだけでもまた傷が痛み、身をすくめようとして全身が痛んだ。

「〜っつ……! なんで、こんな」
「起きたの?」

 呆れたようなため息と共に、懐かしい声が耳をくすぐる。
 振り返ればそこにあったのは、赤い装束の彼女の姿だった。

「凛……! なんで、っていうか、ここは、私、なんで」
「ちょっと、質問はひとつずつにしなさいな」

 やれやれ、という顔で私の傍に彼女が腰を落とす。どうやらここは衛宮先輩の邸宅のようだ、何処かで見たことのある和風の部屋に、恐らく客用であろう寝具が広がっている。

「あの後、貴女が無茶をした後、大変だったのよ? 全く……魔術協会とのやりとりを私一人でしたんだから」

 相応の対価が必要よね! と鼻息を荒くしながら、彼女の手が私の額に触れた。

「……うん、熱は下がったみたいね? 貴女三ヶ月は寝込んでたのよ?」
「三ヶ月……⁉」

 そんなに、という気持ちとともに既視感を感じる。おそらく前にもどこかで同じようなことがあったのだろう。
 普通ならそこまで寝たきりでいればどこかをおかしくしていそうなものだが、私の身体は寝込む前と同じ、いやそれよりも良くなっているように感じる、聖杯の魔力のせいだろうか。

 三ヶ月間、私が寝ている間に起こったことを凛に尋ねる。
 桜は、聖杯から目を覚ました後しばらくは自責の念やフラッシュバックに苦労したが、今は前と変わらない生活を送れるようになったようだ。
 ライダーは結局最後まで生き残り、今は桜と共に日々の生活を送っているらしい。
 凛は今回……シュバインオーグの魔法モドキを行使したことやなにやらで魔術協会から目をつけられ…なにやら…なにやらを、なんとか、しようとしているところらしい、相変わらずトラブルの中心になるのが好きな人だ。
 衛宮先輩もなんとか一命を取り留めさせられ、なんとか、なんとか今も人としては現存出来ているらしい。だがまぁ所詮は凛の回復魔術、ある程度までしか霊基が回復出来ていないそうだ、そこは私が目を覚ましてから、助けてやった恩でなんとかしてもらうつもりであったと、なるほど、人使いが荒い。
 イリヤは……今もここ衛宮邸に頻繁に出入りしているようで「サクラも涼もお馬鹿さんだわ! 本物の器である私を無視して聖杯を体現させるなんて! 文句を言ってやるんだから!」と息巻いている、らしい。

 一人一人の話を聞いて、そうか、そうか、と頷いて見せる。
 だが、一番聞きたい人の話が聞けない。
 凛は忘れているのか、それともわざと話を逸らしたがっているのか。

「凛」

 聞くばかりだった私が凛に声をかけると、彼女はピクリと眉を動かし、「なによ」と返してくれる。

「……綺礼は?」

 前触れもなく本題を彼女へ問いかける。
 綺礼は、どこだ、と。

「……あれは、死体と変わらないわ」
「そんなの私も同じだったでしょう」

 今はもう動かない自分の心臓に手を当てた。
 鼓動はもちろん聴こえてこない、そうだ、私のココはもう聖杯の一部で出来ている。

「凛なら気づいたでしょう、私がもう人間とは違う何かになったって」

 凛は何も答えない、しかしその無言は肯定しているのと同義だ。

「なら、何故私を助けたの、私だって綺礼だって定義的には死んでいるのと同然なら、私だって見捨てておけばよかったのに、何故?」
「そんなの……」

 言葉を続けようとして口を開け、閉じ、また開ける。
 ……彼女の性格はわかっている、きっと見捨てることなんて出来なかったのだろう。

「…………貴女も、私の大切な妹分だから、それだけよ」

 予想通りの答えを、彼女は口にしてふいとそっぽを向いた。

(相変わらず、甘い)

 だが今回はその甘さに救われているのだ、野暮なことは口にしないでおこう。
 そんな彼女なら、遠坂凛なら、

「……貴女なら、綺礼を助けないわけがない」

 彼女の肩が震える、図星だ、彼女は性懲りも無く綺礼も助けようとしたのだろう。
 生かしておいても意味はない、利益もない、そこまで理解していながら結局情を捨てきれない、遠坂凛はそういう人間だ。

「教えて凛、綺礼は? 綺礼はどこ?」

 食い気味に彼女へ問う、早く教えて欲しい、私は彼の安否を確認出来なければ、ここでこうして生きる意味すらわからなくなってしまいそうなんだ。

「……この部屋を出て右隣の客間、そこに居るわ」
「……っ!」

 やっぱり、助けてくれたんじゃないか、と、喜びに胸が踊る、早速彼に会いに行かねばと腰を上げた時、

「でも、貴女と同じで目を覚ましていないの……三ヶ月間、ずっとね」

 その言葉に、動きを止めた。

「……綺礼、も、?」
「そう、呼吸しているようにも見えないし、心臓なんて元から止まってる……本当に、死体と変わりないのよ、アレは」

 言いにくそうに、凛が告げる。
 何も彼女に非があるわけでもないのに、何故か目をそらされる。彼女には、それが私にとってどれほど残酷な真実なのかが誰よりもわかるのだろう。

「……そう」

 少しだけ浮かした体を、また地につける。
 そうか、目を覚ましてはいないのか。
 もしかしたらとは思っていた、なにせあの場で私が出来たのは、彼に生命力代わりの魔力を供給することだけ。
 そして、聖杯とリンクしている私ならまだしも、ただ魔力を注ぎ込まれただけの綺礼が目を覚まさないと言うことは、つまり、

「……そっか」

 ぼんやりと自分の手のひらを見つめ、瞬きを繰り返す。
 まぶたを下ろすたびに視界がぼやけ、手の輪郭が定かではなくなっていく。

「……だめかぁ……」

 呟いた自分の声が震えていた。
 悲しくて、悔しくて、やっぱり悲しくて、
 聖杯までこの手に入れたのに、やっぱり彼を救うことは、私には、
 
「……お前の泣き虫は、相変わらずだな」
 
「……えっ……⁉」

 驚いた声をあげたのは私ではなく凛の方だった。
 当の私は声も出せず、唐突に現れたその男に目を奪われている。

「き、れい、?」
「勝手に殺されては敵わないな……誤診とは、凛、やはりお前はいつまでも不肖の弟子のままだな」

 そんな皮肉を聴き終わるか否かというところで、私は彼に飛びついた。
 三ヶ月間眠いっていたというのは本当なのだろう、体が思うように動かなかったが、それでもなんとか彼にたどり着く。
 彼も彼で久しぶりの活動に体がついてきていないのか、何時もならば軽々と受け止められるそれを受け、後ろへぐらりと傾き、そのまま倒れてしまった。

「……っ、ふ、まさか再会の瞬間にこのような抱擁を受けるとはな、この身には過ぎた歓迎だ」
「き、れ……なっ、ん、どう、し、」

 なんで、どうして、と、涙と鼻水でぐずぐずになりながら私は綺礼に問いかける。
 凛の話では、もう無理だということだったのに。
 もしや凛に謀られたのかと彼女を振り向けば、この中で一番現状が理解できないという顔をしていた、彼女からしても予想外の出来事のようだ。

「簡単な話だ、お前が活動を停止していたからだろう……聖杯である、お前が」
「わたし……?」

 言われてもよく理解が出来ず、首を傾げてしまう。つまり、私が起きたから綺礼も起きた、という事なのか。

「ちょっと待ちなさい綺礼、じゃあ何、貴方、聖杯である涼の眷属になったって事⁉」
「眷属……?」

 凛はなんの話をしているんだろうか、眷属……別に眷属という言葉の意味がわからないわけではないが、凛が何を意味してその言葉を使っているのかがよくわからない。

「あー……つまり、そうね、マスターとサーヴァントとも違うし……なんというか……」

 彼女も私に説明をしかねているようだ。
 まさかこんなところで魔術に対する知識の差で困ることがでるとは。

「簡単にいうとね? 今綺礼は貴方からの魔力で生きてるの、それはわかる?」

 当然だ、綺礼が聖杯の泥で生きていて、私が聖杯になったのならそうなるだろう。
 私はコクリと頷いて返事をする。

「そう、それでね、マスターとサーヴァントの契約みたいなものなら、マスターが死んでも暫くの間は自分の魔力で生存できる、…でも貴女と綺礼はそうじゃない、貴女からの魔力供給がなくなればその瞬間綺礼の心臓が止まるわ」

 それは、つまり、

「運命共同体……ってこと……⁉」

 私と、綺礼が……⁉

「……私深刻な事実を伝えたつもりだったんだけど」

 どうしてそう嬉しそうなのかしら、と凛が呆れてため息をついた。
 しかし私のこの反応はまだ予想の内だったらしく、まぁいいわ、と説明を続けてくれる。

「でも逆に言えば貴女からの供給がある限りよっぽどの事が無ければこいつは死なないってことも言えるわね、なにせ無尽蔵に魔力が供給されるんだもの」

 それはつまり本当に運命共同体ということか。

「なんなら寿命らしい寿命もないでしょうね、魔術でいくらでも若返ることが出来るわけだし……別に羨ましくなんかないけど……普通の人なら魔力を使い切って死亡、でもあなたの場合はマナも自分の魔力にできるから……人より長生きできるかしら……? でも二人分の魔力を消費するから……」

 あーややこしい! と凛が頭を抱えて叫び出す。
 その声につられて何があったのかと桜や衛宮先輩が部屋を覗きにやってきた。

「神崎! 言峰! 起きたのか!」
「涼ちゃん‼」

 二人が声をあげたのは同じタイミングだったと思う、が、それと同時に桜が私へと飛びついてきた。先ほど私が綺礼にしたように。
 必然的に私は綺礼から引き剥がされ、畳の上へ押し倒された。

「ぐぇ……」

 苦しさに呻く私はお構いなしに、桜が私を強く抱きしめる。

「涼ちゃんの馬鹿……! 私、私心配して……!」

 それはこっちのセリフだ、と言いかけて、泣きそうな彼女の顔を見て口をつぐんだ。

「私なんか、どうなってもよかったのに……涼ちゃんが、一人で、背負うことなんて」

 それだって、こっちのセリフだ。
 桜が一人で背負うことなんてないんだから。
 ここにきて私はようやく、自分にとって桜が大切な友人であったことに気づく。
 知らず知らずの内に、届かない相手に想いを寄せる者同士、惹かれあっていたとでもいうのだろうか。

「よかったね、桜、これで衛宮先輩と一緒に居られるね」
「涼ちゃん……!」

 泣きそうだった桜が、ついに涙を流して私をさらにきつく抱きしめる。

「……涼ちゃんも、よかったね」

 耳元でぼそりと、桜の声がして、

「これで、あの人とずっと一緒に居られるもんね」

 その言葉に思わず身震いをした。
 体を離した彼女は、いつもより少し暗い瞳で「でも私は先輩を傷つけたあの人のこと、許してませんからね?」と付け足した。

「桜、貴女やっぱり食わせ物ってやつだよね」

 そう言うと彼女は先ほどまでの涙など感じさせないような顔でニッコリと微笑んだ。

「全く、茶番はそこまでにして手を貸してはくれないかね、数ヶ月の運動不足が祟ったのかこの老体ではろくに立ち上がれなくてね」

 綺礼がやれやれといった顔でこちらに手を差し出す。私は少し慌てて起き上がり、彼の手を取って立ち上がらせる。

「ふ、人間の体も難儀なものだ、少しの暇でここまで身体が衰えるとは」

 そうは言うものの彼の身体はそこまで細くなったようには思えない、恐らく筋肉が落ちたのではなく動かし方を忘れただけであろう。

「何はともあれ、あんたも綺礼も起きたならやることが沢山あるわよ! 涼はまず聖堂教会に連絡を取りなさい、あぁそれと、綺礼、あんたは死んだことになってるから」
「な、」
「だろうな」

 凛の言葉に驚く私とは裏腹に、とうの本人は当たり前のようにその事実を受け入れている。

「当たり前じゃない! 涼、あんた、倒れる前の報告書、馬鹿正直に書きすぎよ⁉ あの報告書の後に『私が聖杯になって言峰神父も蘇らせました〜』なんて書くつもり? そんなことしたらただじゃすまないわよ⁉」

 それもそうだ、事実を報告するわけにはいかない、第三魔法である聖杯が、一個人に内包されたと知れればどうなるかがわからないほど私は馬鹿ではない。

「最悪幽閉され実験台だな」

 ニヤニヤと綺礼が言った。他人事だと思っているのだろうか、そうなれば綺礼だって道連れだ。

「ま、とにかくどうにか誤魔化すことね? ……それじゃ、私はもう行くけど……」

 チラリ、と凛がこちらを伺い、少しだけ笑って、じゃあね、また後で、と手を振った。
 桜も続いて部屋を後にする、キョトンとした衛宮先輩を、もう、先輩ってば気が利かないですね、なんて言って引きずりながら。
 部屋には綺礼と私だけが残されて、しばらくの沈黙の後、彼がおもむろに口を開いた。

「……私は、あそこで死ぬべきであった、そして私もそれを望んだのだ、なのにどうしてここにいる」
「そ、れは」

 彼の独白に、息がつまる。
 なにも映さない彼の泥のような瞳が、私を見た。

「……私が、綺礼に生きていて欲しかったから、私が、綺礼と生きていたかったから」

 たどたどしくなりながらも、なんとか彼に想いを伝えようと言葉を紡ぐ。

「私、どうしても、綺礼と一緒にいたくて、私、私の、ワガママで、貴方に生きていて欲しかったの、だから……!」
「そうか」

 私の言葉を聞き終わる前に、彼が遮る。
 彼が、目を閉じて、「そうか」ともう一度呟いた。

「……私はお前の眷属だ、主人がそう望むなら、そうあるしかなかろう」

 そう言って、遠くを見つめた。
 その瞳から彼の真意は汲み取れなかったが、彼も、少しは喜んでくれているだろうか、
 ……それとも、やはり完全に私のエゴなのだろうか、

「涼」
「なに?」

 私を呼ぶ声に、できるだけいつも通りに返事をして彼の顔を見る。
 ……少し、やつれただろうか、しかしその顔は大好きな彼のもので、胸が苦しくなった。
 嬉しい、ここに綺礼がいるのだ、あの聖杯戦争を越えた今日、ここに、
 私はやっと手にした幸せを噛み締めて、彼を正面から見つめる。彼も私を見つめ、その瞳には彼を見つめる私が映っていた。
 彼の手が伸ばされ、私の頬に触れ、静かに撫でる。思いの外優しいその手つきに、無いはずの心臓が高鳴り、そして私も彼に触れようと手を伸ばし――

「コトミネーー! 涼ーー! 起きたのねーー⁉」

 ……白い少女の登場に、その動きを止めた。

「いっ、イリヤ⁉」
「あら? お邪魔だったかしら?」

 わざとらしく笑う彼女は、まさに小悪魔だ。わかっていて部屋に入ってきたんじゃないだろうかと思わせるほどに。

「まぁいいわ! 私、あなた達に言いたいことがたくさんあるんだから! そこに座りなさい! ほら! セーザよセーザ! はーやーくー!」

 ぽこぽことイリヤはその小さな手で私と綺礼を叩く。
 その動きがなんだか可愛くて、少し笑ってしまった。

「……涼」

 もう一度、綺礼に呼ばれて、なに? と振り返ると、
 ――その唇を、彼の唇で塞がれた。

「んっ……⁉」

 驚いて目を見開き彼の胸を軽く叩いて抗議する。「あら、お熱いのね」というイリヤの声に、人前という羞恥も重なり、なおも反抗を重ねるが彼は中々どうしてびくともしない。
 少ししてようやく離れてくれた彼は、

「魔力供給だ、他意はない……どうした、期待でもしたのか?」

 と、意地悪く笑った。

「き、きれいの……ばかー‼」

 思いがけず大きな声が出てしまい、向こうの方から「どうした⁉」という衛宮先輩の声が聞こえる。走る足音が複数聞こえたので恐らく桜や凛も来るのだろう。
「賑やかね」なんてイリヤが呟いて、まるで私の気持ちを代弁しているようで、
 私はまだ少し怒りながら、そんな私を見る綺礼は妙に楽しそうで――
 
 
 
 ――それは、確かに私の幸せだった。
 何度も繰り返し夢見た、幸せな世界。
(いつか、貴方の幸せも)
 必ず、私が、
 
 
 
 
 
 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。
 もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、
 この書に書かれている災害を加えられる。 
 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、
 この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。 
 これらのことをあかしするかたが仰せになる、
「しかり、わたしはすぐに来る」。
 アーメン、主イエスよ、きたりませ。
 
 
 ヨハネの黙示録 終
○ ○ ○


clap!


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