後日談「師弟」


 毎週金曜の放課後、誰もいない——いや、私と彼の二人きりの屋上で、それ、はいつも人目を忍んで行われていた。

「——以上が、簡易結界の基礎中の基礎だ。……理解できたか?」
「はい! 先生! 全然わかりませ——っいたぁい!!」

 びっ、と右手を大きく上げると、私の脳天に彼の……十文字先生の拳が降ってくる。私は涙目になりながら患部を抑え「てをだすことないじゃないですかぁ」と抗議の声を挙げてみた。

「うるさい、何度目の説明だと思っているんだ、流石の私も手を出したくもなる」
「出しなくなっても出さないのが大人じゃないですか!? 教職者のくせにー!」
「今は学校の先生ではなく君の師匠として接している、時に師匠は弟子を殴るものだ」
「き、きいたことないですけどー!?」

 彼の何度目かのため息を聞きながら私もつられて息を漏らす。……いや、わかっているのだ、先生の怒りももっともで、私が本当に覚えが悪いのは変えようのない事実だということは。
 先生曰く、私は基礎の基礎の基礎からなっていない、と……例えるなら、「問題を見た瞬間、答えは頭に浮かぶものの、その解をどんな方程式で導き出したのかが自分でわかっていない」ようなものだと教えられた。

 だから、その方程式とやらを教えてもらっている最中……なのだが……

「うっ、うっ、うー! 先生〜! 休憩しましょう休憩〜! もう頭がパンクしそうです!」
「君は……はぁ、仕方がないな……まったく、何故こんなことをしているのか」

 手にしていた本を閉じ、彼はまた長く息を吐く。なぜも何も、私が先生に「弟子にしてください!!」と頼み込んで、彼が(私のしつこさに負けて)首を縦に振ったからそうなっているのですが。

「私も先生がまさかこんなに厳しいとは思いませんでした」
「……私が優しく見えるのかね」
「うーん、そうですよねぇ……」

 全然見えないですね、と続けた私を、彼がジロリと睨みつける。この流れは良くないような予感に、私は慌てて話題を変えた。

「あ、あー……っと、そういえば! 最近、母から聖杯戦争なるものの話を聞いたんですけど、先生は知ってます!?」
「あぁ……最近時計塔で噂になっているな」
「へぇー!!」

 先生の興味の矛先を変えることに成功した私は、そのついでに彼等の中ではあの聖杯戦争がどう処理されているのか探ることにした。それでそれで? と無邪気な子供のように話の続きを促すと、彼は少し考えるような素振りで顎に手を当てる。

「そんな儀式が本当にあるかどうかも定かではないが——どうやら、最近それに近しいものが行われた痕跡が発見されたらしい」
「へっ……へぇ〜!?」

 しまった、記憶は消えていても物的証拠が残っていたのか。察しの良い先生のことだ、何かしらの情報を得ていれば、もしかしたら私と、私の共犯者である大樹兄にたどり着いてしまうかもしれない。

「ち、ちなみに、どこで……とか、そういうのも噂になってるんですか?」
「いや、そういったことはまったく……なんだ、やけに知りたがるな」
「いえいえ!! ちょっとサーヴァントとやらに興味があったもので〜!!」

 ……嘘はついていない、うん。

 とりあえずのところは大丈夫そうだ、と胸を撫で下ろしてから、「先生だったら自分の相棒は誰を呼びたいですか?」と質問を返してみる。彼は「そうだな、使役するサーヴァントが誰であろうと最善は尽くすが」と前置きをした上で、

「——選べるなら、芯のしっかりした者が良い。落ち着いていて、それでも、熱いものを内に秘めているような」
「……!」

 白く長い髪を靡かせた、ある弓使いの背中を思い出す。なるほど、そうか、それならやっぱり、彼と彼女は最高の相性の二人だったんだろう。

(……それを、なかったことにしてしまったのは、少し、胸が痛いな)

 私は遠くの空を見上げながら、「そうなんですか」と小さく呟いた。

「まぁ……協力相手という意味でなら、君と手を組むのもやぶさかではない」

 ——そんな私の様子を勘違いでもしたのか、フォローのような言葉が彼の口から飛び出す。私は驚き顔を跳ね上げて、二、三度の瞬きのあとに「それって……私はすごいってことですか!?」と声を上げた。

「そうは言っていない」
「えー! じゃあ何で私を……ハッ、もしかして先生って私のこと好……!? 先生……ごめんなさい! 私にはまだそう言うのは早いかなって」
「ぶっ……! そんなわけ……生徒に手を出すわけがないだろう! どうしてそう思考が飛躍するんだ君は!」
「違いましたか……」
「そもそも孫ほど歳の離れた子供をそんな目でみるわけがないだろう」
「えっ!? 先生そんなにお年を召してるんですか!?」
「……精神年齢の話だ」

 そんなくだらないやりとりの後、私と先生はどちらともなく笑みをこぼした。そうして私が「それじゃあ、続きをお願いします」と言って教本を開くと、彼は意外そうな声を上げる。

「珍しいことだな」
「ふふ、早くすごくなって、いつか先生の方から力になってくれ〜って言わせなきゃいけないですからね!」
「ふ、よく言う」

 得意げな私につられるように、彼も口の端を持ち上げる。さぁ、改めて、基礎の基礎の基礎——の、さらにそのまた基礎のあたりから一生懸命学ぶとしよう——!
 

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