第一節「アイルランド北部、川の流れる森の中にて」
レポート番号「A:163011259」
これはアイルランド北部で発生した小さな特異点の記録である。
レイシフト実行者は、カルデア技術部所属職員神埼涼=Aこれは彼女のレイシフト適性のテストも兼ねているものだった。
以下、概要を示す。発生時期は――
「――令呪をもって命ずる、ランサー、今すぐここに戻れ!」
私の言葉と共に手の甲に焼けるような熱さと、周囲に風と魔力が広がっていくのを感じる。だがその声に応える者はなく聴こえるのはただ森の騒めく音だけだった。
ため息をつきながら適当な岩に座り込む、と同時にカルデアから通信が入り、おまけでもう一つため息を吐いた。
『あー、あー、神埼くん、この通信は聞こえているかな?』
「……はい、通信は良好ですよ、ダヴィンチ女史」
レイシフト直後からすでに疲れ切っている、といったような私の声に『元気そうで大変結構』と彼……彼女? は笑って言った。いつもであれば相手が上司であろうと皮肉には一言ないし二言は言い返すのだが、今ばかりはそんな余裕はない。
『君のレイシフト自体には問題はなかったようだが…一つ聞きたい。私たちが送り出したサーヴァントは確か三基、だったはずなんだけど……今、その場に確認できる反応は二基だけ、だ……一体何が起きているんだい?』
「……それは、こっちがききたいんですよ……」
――そう、足りていないのだ、一人。
この特異点にレイシフトすると決まった時、私は三基のサーヴァントに同行をお願いした――ハズだ。
レイシフト時も直前まで共にいた――ハズだ。
だというのに何故……いや、現地にいる私が原因を探っても仕方がない、そういうのはそれこそ通信機の向こうの人々のお仕事なのだから。
とにかく、どうやってはぐれた彼を探し出すか……あぁ、なんだって行方不明になったのが――
『居なくなったのは、ランサーのクー・フーリン、で間違いないかな』
――彼、じゃなきゃいけなかったんだ。
この地に降り立って数時間後。
ダヴィンチ女史との話は『こちらでも調べてみるけど、もし何かわかったことがあったらすぐに教えてね』と言って終わりになった。得られた情報といえば、カルデアに彼は残っていないことと、魔力の中心地近くに彼の霊基に近い何かがあるらしいということだった。
とりあえずのところ、私がしなくてはならない事は彼の捜索などではなく、この特異点を調べる事だ、という結論をもってカルデアとの通信は一旦切られてしまった。
何もない森の茂みを掻き分けて歩きながら今までで一番深いため息を吐く、すると後ろから「あー! やだやだ!」という私以上に不満そうな声が聞こえた。
「もー! どれだけ歩けば気がすむのよ! 絶対私のチャリオットに乗った方が早いわ! きっとその方が聖杯もクーちゃんも早く見つかるのに!」
「メイヴちゃん……」
先程移動を開始する際、歩くのは面倒だからチャリオットに乗れば良い、というメイヴの提案を「それでは目立ってしまうから」と断った。しかしここは北アイルランド……年代的には、アルスターやコノートの存在したという前一世紀と呼ばれる頃であるという点においては、メイヴのチャリオットなどは時代に合っているとも考えられる。だが、まだ何もわからないうちから人目につくような行為は避けたい、できる限り地味な手段で魔力濃度の高い地点へ向かおうとお願いしたのがついさっきのことである。
「私もう歩くの疲れちゃった、フェルグスゥ〜、運んでくれない?」
「心得た、しかしこんな状況でお前と肌を触れあわせて我慢ができるほど俺は紳士ではないかもしれんぞ」
「私はそれでも構わないわよ」
「いえ、私が構うんで、勘弁してください」
後ろで女王とその愛人、もう一基の英霊フェルグス・マック・ロイがなんだか妖しげな会話を繰り広げているのを聞いて頭が痛む。小さな特異点とはいえ、できる限り万全の体制で向かいたかった私は、自由に選んで良いと言われた三基の全てをアイルランドに関わる英霊で固めたのだ。
一人目は、コノートの女王、メイヴ。
二人目は、アルスターの勇士、フェルグス・マック・ロイ。
最後に、ここに居ない三人目、クランの猛犬、炎の戦士クー・フーリン。
(……そして私が一番信頼を置いていたサーヴァント)
もう一度だけ、ため息が漏れてしまう。考えたって心配したってどうしようもない事なのはわかっているが……憂鬱、だ。
(彼が私の安心毛布みたいなものだったのかも)
思い返せばカルデアに来てからは常に彼が隣にいてくれたんだと気づく、残りの二人が居ればそうそうピンチに陥ることもないとはわかっているが、彼一人の不在が私の心に暗い影を落としていることは確かだった。
「マスター」
鈴のような声が私を呼ぶ、メイヴの声だ。
どうしたのかと振り返ると、不機嫌そうな顔の彼女が腕を組んで私を睨みつけている。
「な、なに……かな……」
「心配しなくたって、クーちゃんはすぐ来るわよ」
ふん、と鼻を鳴らすようにしてからメイヴが私の横を通り過ぎ前へ出た。彼女が面白くなさそうなのは、彼がいないからというより、私が、彼が居ないというだけで不安を感じていることが原因のようである。その目が「私では不満なのか」と告げているような気がした。
「まぁ、だからこそクーちゃんが戻るまでは貴女を守っていてあげるのが私達の役目というところかしら?」
「その通りだな、ふむ、メイヴ、お前にしては随分と良いことを言う」
「メイヴちゃん……フェルグス……うん、ありが――」
礼を、伝えようとした時、私のすぐ横に何かが勢いよく突き刺さる。――槍、だ。
「……っは……!?」
「お出ましのようだ」
その槍はどうやら間違いでもなんでもなく私をめがけて投げられた物のようで、目の前でフェルグスが構えている様子を見るに、その軌道を彼が変えてくれたお陰で私は命拾いしたというところだろう。
「だ、誰!?」
投擲主のいる方へ問いかける、そこから出てきたのは猫背の男だった。
「なんだよ、確実に捉えたと思ったのによ」
現れた男は軽口とともにその手に持った槍を構える、どこかで伝え聞いたことのあるその構えに、私はひどく困惑した。
「……っ、ランサーと、よく似た構え……猫背の男……そしてその手に持った、赤い盾……まさか、赤枝の戦士……?」
「……へぇ、あんた俺を知ってんのか、だったら尚更生きて返すわけにはいかねー……なっ!」
突きつけられた槍の先が動いた、と感じると同時にフェルグスも動いた。その槍をはじき返し、私から少し距離をとったところで戦いを始めるつものようだ。
「あら、フェルグスったらせっかちなんだから……じゃあこっちも始めましょうか」
「こ、こっちもって……」
背後からけたたましい馬の鳴き声と地響きが聴こえ、振り向いた先の茂みから一騎の戦車が飛び出してきた。
「なっ……」
「おいでなさい、私の愛しいチャリオット!!」
メイヴの声とともに大きな二頭の牛とそれに引かれる籠のようなもの――つまりは彼女の戦車が現れる。
そうして二組の戦車は並走するように走り去り、その先からも争うような音が聞こえた。
先程の戦士がアルスター伝説の英雄の一人、勝利のコナル……かもしれないと言うのなら、おそらく戦車に乗っていたのもその仲間であろう。
ケルト神話において馬を操ることに長けていたアルスターの人間といえば、有名なのはクー・フーリンの親友であり侍従、ロイグだ。……頭が痛い、嫌な予感がしてきた。
「……というか、小さな特異点、って話じゃなかった?」
危険度が段違いだ。これはサーヴァント二基では、少し、心許ないかもしれない。
とにかく、カルデアに連絡を取った方が良いと判断した私は通信機を確認しようとソレを手にして、手元に――影が、落ちて、目の前に、てきが、
「……っ!」
避けようにも迎撃しようにも間に合わない、しまった、と後ろに少しだけ体重を傾けた私と敵の槍の間に、瞬時に一つの影が入り込む。
金属同士がぶつかる音と風圧に思わず目を瞑り――目を開けた時、目の前にあったのは見知らぬ青年の後ろ姿であった。
「だ、だれ……?」
「……説明は後だ、今はただ、俺はあいつらの敵なのだと理解しておけ」
揺れる金髪から覗く整った顔立ち、強い瞳、私の記憶にはない、だが、ここがはるか昔のアイルランドだとするのなら……
「――フェルディア! あなたフェルディアじゃないの?」
「……げ」
いつのまにか戻ってきていたメイヴちゃんの声に、フェルディアと呼ばれた青年がしかめっ面をした。フェルディア、その名はやはり聞いたことがある。ならばやはりここは――間違いなく、ケルト神話の世界なのだ。
「双方、武器を収めろ!!」
敵方の男の声でその場にいた全員がその手を止める。そして彼は他の戦士を引き下げながら続けてこう言った。
「異国の者よ、我等が王が対面をお望みだ――一緒に来てもらおう」