第二節「彼によく似た王様」
連れてこられたのは小高い丘の上にある大きな屋敷だった。立地や構造は何やらフェルグスが生前に住んでいたものに近いそうだ、本人がそう呟いたのが聞こえた。
似ている、ということはつまり、もしかしたら彼等の言う王≠ニいうものが、ここにいるのとはまた違う霊基のフェルグスであるかもしれない、ということである。
似たような前例はいくつもあった、それなりに覚悟をして臨まなければならないだろう。
「ここだ」
案内役の男が大きな扉を開き、中へ入れと促す。私達三人、そして先程メイヴに「フェルディア」と呼ばれていた青年は広間のような部屋へと足を踏み入れる。
その奥の少し離れたところに誰かがこちらに背を向けて立っているのが見えた。
「マスター」
フェルグスが私をかばうように一歩前に出る、それと同時に、その男はまるで今来訪者に気付いたといったような様子で「来たか」と振り返った。
その声に、やけに聞き覚えがあって、目が合ったその顔に、やけに見覚えがあって、
その、男は、まごうことなく……光の御子クー・フーリン≠サの人であって、
……思わず、いつものように彼を呼んだ。
「ラン、サー……?」
だが目の前の男から返事はなく、彼はいっそ人間離れしているほど美しい顔でこちらを見つめていた。
この仰々しい部屋のせいなのか、それとも神代と呼ばれるこの時代の空気のせいなのか、その男はいつもよりもずっと神々しく見える。いつもとは違う衣服や、身につけた宝飾もやけに様になっていて……あぁ、今なら確かに太陽神の息子と言われて疑う人間はいないだろう。
「……ちがう、んだ」
だからこそ、私は確信できた。これは私の知っているランサーではない≠フだと。
「違う?」
目の前の男がそう言って綺麗な赫の瞳を細めた。
「貴方を、よく知っているような気がしたけど……私の知っているクー・フーリンと、貴方は少し違うみたい……だと、思って」
「くー、ふーりん……」
私が彼の名前を口にすると、男はまるで初めてその名をきいたとでもいうように目をパチクリさせた。
……その反応はおかしい、ここが真にケルト神話の世界だというのなら、彼がクー・フーリンでないわけがないのに。
「……貴方はクー・フーリンではないの?」
そう問いを投げると、ふむ、と考えるように首をひねった後、
「あんたにとってどっちの方が都合がいいかによるな」
と言って無邪気な笑顔を見せた。
その笑顔は見慣れた彼のものと同じで、けれど少しだけ幼い≠謔、な、そんな印象を私に抱かせる。
(もしかして)
彼が、もし、まだ、クー・フーリンでないと言うのならば、彼の今の名前はきっと、
「セタンタ」
今度こそ私が彼の本当の名を呼ぶと、きょとん、と目を丸くしてから、「懐かしい名だ」と、心なしか、悲しみを帯びた表情で呟いた。
――その後の彼と、私達を案内した侍従の男の話を聞くと、彼はクランの館へ行くその日、ハーリングなどには参加していなかったのだと言う。だからクランの猛犬≠ニいう呼び名は与えられず、私が彼をそう呼んだ時にあんな反応をしていたようだ。ならば今の名前はなにかと問うたが、彼は「聞きなれないだろうから、セタンタと呼んでくれて構わない」と答えた。……私の知っている彼なら、幼名で呼ばれるなんて心底嫌がっているだろう。
彼は、セタンタは、彼自身がまだそう呼ばれていた時分に「聖杯」を手にしてしまったらしい。
勇敢な戦士に憧れる少年が聖杯に願うことなんて決まっている。
——「強くなりたい」「誰よりも」
そうして、その少年はいずれ手に入れるはずの力の全て≠その小さな身体に宿してしまったのだという――。
「今じゃ俺に敵う勇士は誰もいなくなった」
誇るでもなく目の前の青年……いや、少年は少しつまらなさそうにそう言った。
彼を見るに、推定十一、二の歳の頃だろうか、話と照らし合わせても聖杯が発生したのは昨日今日どころの話ではないらしい。
「……レイシフトの時代設定の精度、悪くないです?」
『いやー、さすがの天才でも出来ないことはあるものだねぇ』
通信越しにダ・ヴィンチ技術顧問の笑い声が頭に響く……少し癪に触った。
「……えーと、さっき説明したように、私達はそれを回収しなきゃならないんだけど……その……」
「いいぜ」
「えっいいの!?」
最悪この場で袋叩きにあうことも覚悟の上でいた私は、あまりの聞き分けの良さにそう聞き返してしまった。
「いいさ……力を手に入れて、確かに俺は強くなった、俺は王にもなった。だがな、俺に並ぶ戦士すらいねぇ、歯向かう国すら失くなった、愉しみという全てが、今の俺にはないんだよ」
だから、この願望器を明け渡す、と彼は言った。あっけないとは思うが、私の初のレイシフト実験は、これで無事に終われそうだ。
そうほっと胸をなでおろした時、だが、と彼が言葉を続ける。
「俺も一国の王だ……自分の国は守らなきゃならねぇ。ただで、とは言えねぇな」
にやり、と笑う彼の顔を見て背筋が凍る、恐ろしいほどに嫌な予感だ。彼の根本が私の知りうる彼と変わらないのなら、きっと要求は私にとって最悪なものだろう。
「俺たちと戦って、勝て。それが出来たならこの聖杯をお前たちにくれてやる」
「……やっぱり」
長いため息が口から溢れる、言い出すと思ったのだ、彼なら。
「それはどうやって勝敗を決めるの?」
これも予想ではあるが、わざわざそう言いだしたということはルール無用の乱戦を所望しているわけではないだろう。そう思い彼にそう問うてみると、「そうさね」と少し頭を悩ませる素振りを見せた。
「一日一人ずつ、お互いの戦士を競い合わせる……というのはどうだ?」
それはまるで、伝承にある浅瀬の攻防≠サのもののようだ。そう思った私が「丁度良い浅瀬にでも心当たりが?」と返すと、「よく知っているな」と言いながらこちらへ数歩歩み寄ってきた。
「お前たちは見たところ四人……お前自身は戦士ではないようだから三人か、こちらからも三人、一人ずつの一騎打ちだ。勝負がつかなければその次の日、それでもダメならまた翌日、武器は任せる、それでどうだ?」
目の前まで歩いてきた男が、品定めをするような瞳で私を見下ろす……どうだも何も、聖杯を回収するためにはその誘いに乗るしか私に道はない。ためらうことなく頭を縦に振ると、彼は心底嬉しそうに微笑んだ。
「そうと決まれば戦いの場に案内しよう。……あぁ、安心しろ、だまし討ちなんてつまらんことはしない」
侍従風の男に馬を引いてくるよう頼む彼は、やはりその愉しそうな顔を崩しはしなかった。
「……国を守るため、なんて、本当は貴方が戦いたいだけみたい」
思わずそう呟く。彼が強いということはわかっているし恐怖を感じないわけではないが、どうにも見知っている顔、いや、それより幼さの残る顔で喜ばれてしまうと気が抜けてしまうようだ。
「当たり前だ、久々の好敵手……槍を交わさぬわけにはいくまいよ」
だがその後そう言った彼のその顔は、間違いなく強者のそれであった。