第十一節「これは幸せのプロローグ」
カルデアに戻ってすぐ、私が目にしたのはランサーの姿だった。
なにもなかったかのように「よう」と手を挙げる彼の頬を一度思いっきりひっぱたいてから「今までどこにいたのか」と問い詰める。
「俺にもよくわからん、レイシフトした時の記憶が曖昧でな…ぼんやりとしか覚えてねぇんだよ」
「〜っ! ランサーの馬鹿! 色々と大変だったんだから…!」
可愛い女の子のようにぽこぽことランサーの身体を叩く、もちろん力だけは精一杯込めて、思い切り。
「いてっ、いて…いやしゃれになんねー、お前に殴られると普通に痛いんだっつーの!」
うるさい、肋骨の二、三本は折れてしまえばいい。
「あー、仲が良いところ悪いんだけど、説明させてもらってもいいかな?」
こほん、と咳払いをしたダ・ヴィンチ技術顧問の声に、慌てて姿勢を正し「お疲れ様です!」と挨拶をする。
「うん本当にお疲れ様、大変だっただろう? セイバーとライダーは先に戻っているから部屋で休ませてあるよ」
「それはなによりです、今回はとても助けられましたから」
「面倒ごとも起こしていたみたいだけどね?」
それは想定の範囲内だ、メイヴを連れて行くと決めた時点で覚悟はあった、そこまでの痛手はない。
「さて、それじゃあランサーくんのことなんだけど、霊基はたしかにアイルランドへレイシフトしていたんだ。だけど他の霊基に何故か混ざってしまったみたいでね、マスターである君が帰ってきたことによって彼もまたつられてここへ帰還できたということみたいだ」
「なるほど、じゃあ彼は本当になにがあったか知らないってことですか?」
「うーん、それはどうなのかな」
ダ・ヴィンチ技術顧問のどこか楽しそうな物言いに首を傾げる。天才にもわからないことはあった、ということだろうか。
「ランサー、何か覚えてることはある?」
「…あー、まぁ、あるといえばあるな」
なんだその曖昧な答えは。
「ふふ、そりゃあ答えにくいだろうさ。…実は彼が一体化していた霊基というのが、君がセタンタと呼んでいた彼、なんだよね」
「…え?」
セタンタと、ランサーが…なんだって?
「つまり、場合によってはランサー君は、君が毎夜彼とあんなことやこんなことを話していたことを知っているかもしれないってことだね? まぁ管制室では全てモニターされていたのだから、私はもちろん知っているのだけど」
「…!?」
脳が沸騰、した。いやこれは爆発か? とにかく頭部がマグマのように熱くなる。管制室の人間に見られているというのは覚悟はしていた。だが、ランサーにも聞かれていたかもしれないなんていうのは…そんな、だって、私は聞かれていないからって普段からは考えられないくらい彼のことを、
「恥じることはないだろう?話の中身だって大抵は、英霊クー・フーリンがどれだけかっこいいか…」
「あ! わー! わー!」
技術顧問の言葉を大声で遮る。彼は少し照れたような顔で「いやー、お前にあそこまで想われていたとはなぁ」と満足げに頷いていた。
「う、嘘…聞いて…」
「まぁ、そうなるな」
…終わりだ。こんな辱めを受けては死ぬしかない。もしくはこいつを殺すしか。
「ランサー…令呪をもって命ずる…」
「照れ隠しにすぐ自害させようとすんのやめろ」
屈辱だ。こいつの記憶を消すかこいつを消すかしないと私はもう生きて行けない。
そう思っているとなにやら遠くから慌ただしい足音が聞こえる。何事かと思って扉の向こうを見ると、リツカちゃんがこちらへ走ってくるのが見えた。
「か、神埼さん! 大変…!早く召喚の部屋に来てっ!!」
「な、なにが…わ!」
慌てる彼女に手を引かれ、つられて走る。彼女は途切れ途切れの息で「新しいサーヴァントが」「とにかくはやく」と私を目的の部屋まで連れてきた。
「一体なにが…」
彼女に背中を押されるように中に入ると、一人の少年がこちらに背を向けて立っていた。
…とても最近、私はその背中を目にしたことがある気がする。
「よぉ、あんたが俺のマスターか? 召喚に応じ参上した。俺はアイルランドを統べる王、名は——」
振り向いた彼と視線が交わる。少し小さな背、美しい青の髪、大きく開かれた赤の瞳…彼ははっと息を飲んでから、まるで宝物を見つけた子供のように顔を輝かせ、勢いよく私に飛びついた。
「…いらっしゃい、セタンタ。これからよろしくね」
「あぁ、これからよろしくな、マスター!」
そう言って私達は、あの夜のように心の底から笑いあった。