第十節「名前も知らないままの王様」
「今日はなんでもありにしよう」
そう言って槍を取ったセタンタに、フェルディアは眉根をひそめた。
「お前も一番得意な武器を取れ、フェルディア」
「…俺は」
「あの槍を取ってもいいんだぞ」
そう言われた彼がちらりと私達の方へ振り返り、もう一度彼に向き合ってから小さく首を横に振った。
…ゲイ・ボルクの話はフェルディアには伝えてあった。彼は「俺がそれを欲するまでは決して渡さないでほしい」と言っていたが、その表情を見るに、今はまだその時ではないらしい。
「いいや、俺は俺の槍で戦う。…さぁ、アルスターの戦士、太陽神ルーの息子よ、今日こそ決着をつけよう」
太陽が真上に登った頃まで彼らは槍で打ち合い——先にセタンタがその腰につけた短剣に手を伸ばした。呼応するようにフェルディアも短剣を取り、攻防はまだ続いていく。
「…っく!」
セタンタの鋭い一撃を、フェルディアは手に持った盾で上手くかわしていく。だが猛攻は止まることなく、次第にフェルディアは追い詰められていった。
(このままでは)
フェルディアを信じていないわけではない、だが、言いようのない不安が私の胸にはあった。
——伝承にある戦いと、あまりにも酷似している。
もし、もしその通りになるのならば、負けるのは、
「…フェルディア!」
彼を呼ぶ、私の手にはかの朱槍が抱えられていた。
「…!」
こちらに視線だけで振り返った彼が私の持つそれを見て目を見開く。そして何かに耐えるような顔で「だが、俺は」と口を動かした。
いつもの私なら、きっともう、フェルディアに無理やりにでもこの槍を使わせていただろう。それが任務のためだ、世界のためなのだから。
…ここまで待った、それだけで十分私は彼らの戦いに肩入れしていると言える。決着をつけさせてあげたいと…だが、もう、これ以上は、
「…そいつを寄越せ!」
「!!」
そう思っていた私に、フェルディアからそう声がかかる。私はフェルグスに朱槍を手渡し「投げて!」と叫んだ。
「お安い御用だ…!」
フェルグスが投げたゲイ・ボルクは放物線状を描き、フェルディアの真横に落ちる。彼はそれを手に取り、迷うことなくセタンタの腹へと突き刺した。
「…っぐ…!」
「……終わった…お前の死は俺のものだ、——。俺のもう一人の弟、俺の、勝ちだ」
静かな声だった。フェルディアが最後にこの戦士のことをなんと呼んだのか、この耳には届かない。私はついに彼の本当の名前だけは知ることができなかったのだ。
かくして、この国の王は、大地にその膝をついた。
「…あぁ、そうか、俺は負けたのか」
彼はうつ伏せで地に伏したままそう呟いた。ごほ、と咳き込んだ口からは血が溢れ、彼の命がそう長くないことを知らせている。
「…セタンタ」
「はは、情けねぇ姿みられちまったな」
ぐ、と両腕を使って起き上がろうとするももはやその力も残っていないようで、手は地で滑り、力なく大地に放り出された。
「勝てると、思ってたんだがなぁ…そうか、その槍が、お前の話していた死の槍か」
それは、勝てねぇはずだ、そう笑う彼の瞳はもう何も映してはいないようで、虚空を見つめながら、負けるってのは、悔しいもんだ、とまた咳をした。
「すまないが、立たせてくれないか…お前たちに背を向けたまま消えるのはごめんだ」
それを聞いたフェルディアが、無言のまま彼の身体を抱え肩を貸し支えてやる。彼は「助かる」と言いながら目の前の私を見るように顔をあげた。
「いや…良い戦い、だった…久しぶりに、こんなに熱くなった気がした…感謝するぜ、カルデアのマスター、フェルディア」
「…」
私は何も言えずに彼を見つめる。…感傷に浸るなんてらしくもない、けれど、彼の隣で笑っていたあの温かさを思うと、胸の痛みは取れそうにはなかった。
「昨日の夜の、話、俺は、本気だった、ぜ? 本気で、あんたと…」
「セタンタ…」
血の気を失った彼の頬を包むように両手を添える。そうして、もはや光を失いつつある彼の瞳をまっすぐに覗き込んだ。
「私もね、あなたの事好きだったよ。ランサーの代わりとしてじゃなくて、あなたが…。次に会えたら、きっと、本当の名前を教えてね」
「…! …そう、だな…考えとくぜ」
そう言ったきり彼は目を閉じ、ほどなくしてその体は魔力の粒子となって空へ還って行った。…その後には、金の盃だけが残されていた。
…実感はない、だが、これでこの特異点は修復された。
『あー、あー…修復お疲れ様、それじゃあ、早速で悪いんだが帰還の準備をするよー…』
ダ・ヴィンチちゃんからの通信を聴きながら空を見上げる。ひどくさみしい空に向けて、私は小さく「さよなら」と呟いた。