002

 翌日、遠野は何事もなかったかのように登校してきた。俺には目もくれずに自分の席に着き、さっさと授業の用意をして携帯をいじっている。
 俺はなんだか拍子抜けをして、やっぱり声もかけられずに遠野の背中を眺めていた。2年になって、遠野と同じクラスになってから毎日眺めてきた背中。昨日のことが嘘のように思えてくる。
 何事もなく午前の授業を終えたが、気が散ってまったく集中できなかった。昼食を終え、5限目は体育だったが、教師が出張のため女子と合同となり、歓喜する男子たちを横目に、一足先に更衣室へと向かう。
 更衣室のドアを開け、ロッカーを見て……固まった。あわてて辺りを見渡すと、どうも様子がおかしい。なぜか周りは整然と片付いており、こころなしかいいにおいもする。まさかここは、男子更衣室ではなく……。
 突然扉があいた。入ってきた女子生徒はよりによって遠野で、俺を見て目を丸くし、固まった。それからぽつりと低い声で言った。
「…何してんの?」
 完全に疑念のこもった声だった。
「違うって!」
 何も言われていないのに、俺の口から出た第一声はそれだった。余計に怪しいと自分でもわかる。やましいことは何もないはずなのに、冷や汗で背が冷えた。代わりに顔が熱くなってくる。
「本当に変態だったんだあ……。」
「違う!間違えたんだよ!」
「間違えるかなあ、普通。」
 今日の俺は普通じゃなかったんだよ、と言いそうになって、口をつぐんだ。昨日お前に見せられたものが頭から離れなかったんだなんて言えばそれこそ変態扱いされる。
 言い訳を考えていると、きゃっきゃと騒ぐ声が近づいてきて、本気でまずいと思った。しかしもう逃げ場はない。今出たら完全に見つかるし、ここは3階だ。
 俺が焦っていると、遠野はごく冷静につかつかと歩み寄り、用具入れのロッカーを開けて俺の肩を押し、そこへ押し込んだ。
「おい…」
 有無を言わさず遠野はロッカーの扉を勢いよく閉める。眼前が暗くなって、代わりに細くあいた穴から外の様子がかろうじて見えた。
「5限目が体育なんて最悪だよね〜」
「しかも男子と合同でしょー?まあ、バドミントンだから楽でいいかー。」
女子たちのはしゃぐ声が聞こえる。目の前には緊張した面持ちの遠野。しきりに友人に相槌を打ちながら、ひきつった笑顔でロッカーの前に立ちふさがってくれている。
「ねー、そういえば小夜、この間のことどうなったの?」
遠野の隣にいるらしい、この声はおそらく山岡が、明るい声で聞いた。
「何の話ー?」
返事をしたのは遠野ではない。遠野の反対側の隣にいる、この声は多分、木田だ。
「それがね、聞いてよ。小夜、また間宮先輩に告られたんだよ。」
俺は思わず声が出そうになり、こらえた。
「またあ!?何回目?」
「確か4回目。だよねー、小夜。」
「はは……。」
遠野は困った様子で苦笑している。こいつ、やっぱりモテるのか……。俺は内心穏やかではなくなる。
「付き合っちゃえばいいのにー。間宮先輩イケメンだし、サッカー部主将だし、いいじゃん!」
「うーん、でも、よく知らない人だし……。」
「4回も告られておいて、何言ってんの!友達からでも付き合ってみたら?」
おいおい、余計なことを言うな、木田。と、俺は内心で訴える。しかし遠野は気乗りしなさそうに苦笑したまま、曖昧な相槌でごまかした。
「てか小夜、着替えないの?」
ぎくり、とする。ここで遠野が着替えたら、俺から丸見えだからだ。
「う…うん。着替える…よ。」
そうせねばなるまい。俺は心臓がうるさくなってきて、周りの音がよく聞こえなくなってくる。
ガン、とロッカーのドアを、遠野がおもむろに荷物を当てて鳴らした。見るなよ、ということらしい。それから後ろを向いて、遠野はブラウスを脱ぎ始める……。
白い背中が露わになって、淡いピンクのブラジャーが見えた。まずい。非常にまずい。俺は唾液を飲み込み、息を殺す。遠野は素早くジャージを着て、スカートの下からズボンをはき早着替えすると、制服をゆっくりたたみ始めた。
「私、髪縛ってから行くから、先に行ってて。」
「ん、わかったー」
遠野を待っていたらしい友人たちにそういうと、ドアの音がして、ばたばたと何人も外に出ていく足音がした。それから数分して、物音がしなくなった頃、遠野がおもむろにロッカーのドアを開けた。
「とお…うっ」
腹をめがけて遠野のパンチが入った。
「変態。変態メガネ。馬鹿。変態。変態!」
「わるい、わるい。ごめんなさい。このとおり。ありがとうございます遠野様。」
ひれ伏すようなしぐさをして言うと、遠野はこらえるように口を引き結んで、ふん!とそっぽを向いた。
「見てないでしょうね。」
ぎくりとして、へらりと笑みを作った。
「見てないです。ピンクのブラなんて。」
「死ね!」
顔面に体操着袋が飛んできた。
「もうあんたなんて知らない。変態!言いふらしてやるから!」
「えっ、いやそれはちょっと待って」
俺の言葉も聞かずに、遠野は更衣室を飛び出していった。俺は廊下に人気がないことを確かめてから慎重に部屋を出て、男子更衣室へ急いだ。

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