喰えない優しさ
その日はフランキーさんが作ってくれたベッドで昼寝をすることにした。医務室の簡易ベッドとは違って、ふかふかでとても寝心地が良かった。
体調は万全ではない。やはり体に合わない食材を無理やり消化するには、かなりの体力を使うらしい。こんなに人間の食事を摂り続けた喰種は、どこを探しても私だけだろう。喰種が人間の食事を消化してしまうと体調不良を起こすと聞いていたけど、このまま摂り続けるとどうなるのだろう。さすがに死んでしまうのだろうか。誰もそんな事したという話を聞いたことがないので、わからない。
ぼんやりと考えながら目を瞑ると、すぐに睡魔に攫われた。
___夢を見ていた。
東京にいた時の記憶だ。喰種の仲間たちと過ごした日々が懐かしかった。仲間たちとの"狩り"で、私は心臓ばかりを好んで食べていた。私たち喰種を追う喰種捜査官からは、"ハート"なんて呼ばれていたっけ。あの日、他の仲間たちは無事に逃げ切れただろうか。また会えるのだろうか。私は一体どこに来てしまったのだろうか。
「化け物」
東京で人間から言われ続けた言葉。怯えた表情、軽蔑の目がその言葉と共に私を取り囲む。有象無象の人間が、やがてこの船のクルーに変わっていく。
「信じられない、騙してたのね。」
「化け物だ。」
「おれたちのことも喰う気なんだ。」
「気持ち悪い。」
「……俺の料理、吐いてたのか。」
ナミちゃん、ウソップくん、チョッパーくん、ロビンさん……サンジさん。クルー達の目は嫌悪の色に染まっており、軽蔑するように私を見ていた。それは、これまで人間から向けられてきた視線と同じだった。
ごめんなさい。違うの、あなた達のことは絶対に___
喰べないから。
言い返したいのに何故か声は出ない。そんな約束をした所で何になる?本当にそんな約束ができる?海の上で飢えが来た時はどうする?そして何より、本来の"食事"はどうするの?
「……!ハル……!!ねえ、大丈夫?」
優しく身体を揺すられ、酷い夢から現実へと引き戻される。現実では心配そうに、ナミちゃんがこちらを覗きこんでいた。優しくて暖かい手が、頬に触れる。
「泣いてるの?辛そうだったから起こしちゃった。休んでたのに、ごめんね。」
「ううん。ありがとう、ナミちゃん。すごく怖い夢を見てたの。起こしてくれて、助かった。」
目元を触ると、涙が滲んでいるのがわかった。先程までの悪夢で、まだドクドクと動悸がしているのを感じる。しかし、夢とは違ってナミちゃんは心配そうに、今度は私の頭に触れた。
「そう、大丈夫?顔色が悪いわ。」
「大丈夫、だよ。ありがとう。」
昼寝をして身体を休めるつもりだったが、悪夢のせいで余計に疲れてしまった気がする。
『最低だな、軽蔑する。』
夢の中でサンジさんに言われた言葉が反芻される。サンジさんに人間と同じ食事ができないことが知られてしまうことが怖い。これまでサンジさんが作った食事を吐いていた事を、サンジさんの料理を不味いと思ってしまう事を、本人に知られることが怖い。
喰種の私が、人間に嫌われたくないと思う日が来るなんて、思っても見なかった。東京では、生きていく為に人間に紛れて生活をする事も少なくはなかった。だが、人間とこんなにも長い期間寝食を共にすることも、ここまで濃密に関わることも、初めてだった。もちろん人間に、"仲間"だと言われたことも初めてだった。
しかし、それもすべて嘘があってこその関係。私が喰種であることを隠しているからこそ、彼らは私を受け入れてくれているという事実を、忘れてはいけない。
「ナミちゃん、次の島にはあとどれくらいで着きそう?」
「そうねえ。もう、あと数日だと思うけど。」
「そっか、ありがとう。」
「着いたらまず、買い物ね。ハルの服を揃えなきゃ!」
「そうだね……」
返事に困り、眉を下げて苦笑する。突然船に乗せられた私は、服を1枚も持っていなかった。この船では、ナミちゃんかロビンさんの服を借りて過ごしていた。特にナミちゃんは、所持している服の量が多くて、いつも快く服を貸してくれる。
「ナミちゃん。シャワー浴びたいから、また服を借りてもいいかな。」
「もちろん。今度はどれがいいかしら!」
これはまだ着てなかったわよね、これも似合いそうね、と楽しそうに服を選ぶナミちゃんを見ながら考える。いつまでも服を借りているのも申し訳ないが、いつまでも嘘をつき続けて、この船に乗り続けるほうが迷惑なのかもしれない。
賊を名乗ってはいるが、この船の船員たちが悪どい行動をしているところは見た事がない。皆が心優しく温かい、海賊と名乗るには似つかわしくない“善人”たちだ。
嘘を抱えたまま過ごすこの場所が、とても息苦しくて、とても居心地が良かった。
「あれ、ハルちゃん。どうしたんだい。」
ナミちゃんの服を持って、ダイニングの扉を開くと、サンジさんが夕食の準備をしていた。扉が開く音に振り返ったサンジさんは、「俺に会いに来てくれたのかい」と手を止めて嬉しそうに声を弾ませた。
「お水を貰おうと思って……」
「そーか、ちょっと待ってて。レモンは絞らない方がいいかな?」
「うん……ありがとう。」
自らキッチンに来たものの、先程の夢を思い出してしまい、目を合わせることができない。サンジさんは気づいているのかいないのか、いつも通りに水でさえも私の好みを把握してくれている。水の入ったコップをテーブルに置くと、椅子を1つ引いた。
「料理の邪魔、しちゃってごめんね。」
「とんでもない!ハルちゃんが来てくれたら、嬉しくってメシの準備も捗るよ!!」
「あ、でも、シャワーに行くから長居はしないよ。」
「え」
煙草を持つ手が止まって、口が半開きになっている。肩がストンと落ちて、わかりやすくサンジさんのテンションが下がってしまうのを感じる。そんな姿を見て、思わず口元が緩む。それを隠すように、一気に水を喉に流し込んだ。
「サンジさん、ありがとう。」
「ハルちゃん、」
空になったコップを差し出すと、サンジさんは私の手ごとコップを包み込み、じっと見つめてくる。驚いて、その手とサンジさんの顔を交互に見た。
「えっ……と、サンジ、さん?」
「ハルちゃん、何かあった?」
名前を呼び直して、サンジさんは少し眉を下げて問う。怖い夢をみた、そんな子供のような話をするのは気恥しかった。見つめ返したまま、困惑する。答えられずにいる私を見て、彼は表情を少し和らげる。コップを置き、私の手を両手で握り直して言う。
「ハルちゃん。……俺は、ハルちゃんの姿が見られるだけで嬉しいし、ハルちゃんが笑ってくれたらそれだけで幸せになるんだ。」
「……うん。」
「だから、ハルちゃんが元気がなければ心配になるし、ハルちゃんが苦しい時は俺も苦しい。」
「……うん。」
「ハルちゃん、何かあった?話したくねェことなら、無理に聞かねェ。でも、辛い時は力になりてェから、話してくれると嬉しい。」
「……うん。」
手は触れ合っているのに、甘い雰囲気とは違う。サンジさんの言葉に、表情に、喉の奥がキュッと締まるような苦しさと熱さを感じる。口を開けば何かが決壊してしまいそうで、声が出ない。彼の真剣な眼差しを正面から受け止め、ただただ頷くことしかできなかった。それを察してか、サンジさんは私の返答を待たずに扉までエスコートしてくれる。
「さ、ハルちゃん。シャワー浴びてきな。ちゃんと髪は乾かすんだよ。」
上手く言葉が出てこず、促されるままキッチンを後にした。冷たい水を一気に浴びれば、頭が冷えるだろうか。それとも、ゆっくり湯船に使って考えるべきなのだろうか。私は、この優しさをどうしたら良いのか。
ナミちゃんに借りた服をぎゅっと抱きしめて、大浴場へ向かった。
シャワーを終えて、甲板で風を浴びて涼んでいると、ナミちゃんに声をかけられた。体調を気遣ってくれたので、大丈夫であると伝えると、安心したように笑った。そのまま手を引かれ、ミカンの木の元まで連れてこられた。
「このミカンはね、私の宝物なの。」
ナミちゃんはミカンの木から実をちぎり、近くに座り込む。それに倣って、私もその横に腰を下ろした。
「私ね、最初はルフィ達のこと騙してたの。それで、船も奪って逃げたの。」
「え!そうなの?」
「そう、航海士は他を当たってって言ったんだけどね。だけど、あいつら追いかけてきて……」
ナミちゃんがミカンの皮を剥くと、ふわりと爽やかな香りが広がった。大切そうに実を眺めながら、彼女は語る。ナミちゃんの故郷が海賊に襲われて占拠されていたこと、その海賊をルフィくん達がやっつけてくれたこと、そして、そのミカンを育てていたナミちゃんの母親代わりだった人のこと。
「このミカンはね、ルフィ達が、仲間が守ってくれたお母さんの形見なのよ。ね、食べてみて。」
ナミちゃんは手元でミカンをひと房ちぎると、その手を私の口元まで伸ばした。
「私が……食べて、いいの?」
その手から、ミカンを受け入れることに戸惑ってしまう。私には、人間と同じ食べ物を味わうことができない。それがたとえ、彼女にとっての形見であり、宝物であっても。
「もちろん。ほら、遠慮してないで食べなさい!」
「わ、んん……」
「どう?」
口の中にミカンが入ってくる。本当は丸呑みしてしまうのが楽だけど、彼女の想いを受け止めたくなった。彼女の宝物のミカンを味わってみたくなって、咀嚼する。噛むと果汁が口の中に広がった。酷く苦い果汁が泥のように広がり、えづきそうになる。すぐに噛んだことを後悔した。顔に出さないように飲み込んで、ナミちゃんに笑いかける。
「おいしい!」
「でしょ!ほら、もっと食べていいわよ。」
「ありがとう、ナミちゃん。もらうね。」
残りのミカンを、嬉しそうにこちらに寄越してくれる。礼を言って受け取り、もうひと房ちぎると自ら口に入れる。
何度食べても、味は変わらない。でも、ナミちゃんは嬉しそうにこちらを見ている。彼女の特別で大切なミカンの味は、私にとっては最悪なものだった。だから、また嘘をついて食事をしてみせる事しか出来なかった。
「アンタが、どんな怖い夢をみたのかわからないけど、私たちがついてるから、安心しなさい。」
「……うん、ありがとう。」
「私たち、馬鹿でしつこいから、仲間の事はたとえ何があっても守るわよ。覚悟しなさい!」
そう言うと、私の背を軽く叩いた。
そういえばロビンさんにも同じ様なことを言われた。"仲間"ということは、もう彼女たちの中で共通認識になってしまっているらしい。"何があっても"なんて、彼らはまだ何も知らない。
少しの間お世話になっただけなのに。そのお礼に少し戦闘を手伝っただけなのに、そこまで好意を向けてくれるとは。
でも、勘違いしてはいけない、私が喰種であると知れば、彼らが離れていくことはわかっている。
「ね、ハルなら、1個までだったらミカンを勝手に食べても許してあげる。」
可愛らしくウインクをくれるナミちゃんに、曖昧に返事をして頷く。この前ルフィくんがこのミカンを食べようとしてるのを見つかって、ゲンコツを食らっていた気がする。
ナミちゃんが船内へ戻っていき、手元に残ったミカンを見つめる。すると、コーヒーの香りが漂ってきた。思わず振り返ると、視界で金髪が揺れた。
「ハルちゃん、湯冷めしてねェか?温かいコーヒー、どうかな?」
「サンジさん……!頂きたいです!」
ナミちゃんと入れ替わるように、サンジさんがコーヒーを持って現れた。先程のダイニングでの会話もあってか、気遣うように声を掛けられる。彼の淹れるコーヒーは、ミカンを食べた後のお口直しには最高だった。コーヒーの香りを胸いっぱいに吸い込んで楽しんでから、カップに口をつけた。
「ん〜、やっぱり最高!ありがとう、サンジさん。」
「ははっ、ハルちゃんは本当にコーヒーが好きなんだな。」
「サンジさんが淹れてくれたコーヒーが、好きなんだよ。」
「えっ、そっ、そっか。いやー嬉しいな。ホント……」
天才的に美味しいコーヒーを淹れてくれるサンジさんに、コーヒーだったら何でも良いと勘違いされてしまうのは癪にさわる。少し悪戯っぽく笑いながら、サンジさんをまっすぐ見る。すると、あんなに料理の腕に自信があるサンジさんが何故か頬を染めてしどろもどろになった。それがなんだか可笑しくなってしまい、肩を揺らして笑った。
「いつも褒められてるのに、今さら照れるの?」
「ハルちゃんに褒められると、なんか……嬉しいんだ。」
「私に……」
頭を掻きながら少し視線を逸らして話す様子を見て、胸の奥が軋んだ。そう、私にはサンジさんの料理を褒めることができない。もともと味がわからないから、食事を賞賛する語彙のレパートリーがない。甘い味付けのものに辛いと言ってしまう様な、間違った感想を伝えてしまうことが怖くて、詳細な感想を伝えることは避けていた。
「いつも言葉足らずだよね、私。せっかく作ってもらっているのに……黙って食べてて、ごめんなさい。サンジさんのご飯は、本当に美味しくて、あの」
「いや、そういう意味で言った訳じゃねェんだ!」
「ううん、サンジさんのご飯はみんな世界一美味しいって言ってるし、このコーヒーだって世界一美味しい。」
「ハルちゃん、そんな顔しないで。」
顔が見れず、カップを見つめて話す。
ふう、とサンジさんの口から長めに煙が吐き出された。その煙が、海風に攫われて消えていく。
サンジさんの手が、俯く私の頬に伸ばされる。泣きそうな顔をしていたのだろうか、優しく目元に近づいてきた指に思わず目を瞑る。そこには流れていない涙を拭うように、指が一瞬触れ、温もりだけを残してするりと手は下ろされた。
「ごめん。」
「ううん、私が悪くて……。サンジさん。あの、私、泣いてないよ?」
「あ、あぁ……さっき、キッチンに来てくれた時、泣いていた様にみえたから。」
「あ、あの時かぁ。恥ずかしいな。」
実は悪い夢をみて、とコーヒーを啜りながら話す。魘されているところをナミちゃんに起こしてもらい、さっきはミカンくれて、慰めてくれたんだと笑った。
「こんなくだらない事で、心配させちゃってごめんなさい。」
「いや……ハルちゃんが怖いと思う事、不安な事、俺で良ければ教えて欲しい。そんな辛い顔しなくていいように、守りてェんだ。」
「うん……ありがとう。サンジさんは優しいね。」
まさか人間に、『守りたい』と言われる日が来るとは。あまりにも真っ直ぐで、相手がサンジさんじゃなかったら告白とも捉えてしまいそうな言葉に、頬が熱くなっていくを感じる。
「ハルちゃん、実はスペシャルデザートを作ったんだ。」
「え?」
「ティラミスって知ってるかな?」
「うーん、聞いたことはあるかも……」
「コーヒーを使って作るケーキだよ。」
「そうなの……?」
コーヒーを使っているなら、食べられるかもしれない。初めて、ケーキを味わうことができるかも。サンジさんがそのティラミスを持ってきてくれた。見た目は普通のケーキに見える。"食べられる"という期待に胸を弾ませながら、口に運ぶ。
___不味い。
申し訳ないが、不味すぎる。コーヒーの香りは不味さの奥の奥の方に僅かに感じられるが、それよりも口の中いっぱいに広がる最悪な味がどうしようもない。
そういえば、たとえコーヒー味であっても人間以外のものは食べられないと、昔言われた事がある気がしてきた。思い出すのが遅かった。
「……。」
「え、あれ……?口に、合わなかったかい?」
ショックで黙り込んでいると、サンジさんが慌てだした。
「あ、ううん!美味しくてびっくりしちゃった!」
「そっか、良かった……」
サンジさんが安心したように笑った。それを見ながら、喉の奥に残る苦味を飲み込んだ。
ねえ、ティラミスって甘いの?苦いの?どんな味なの?わからないから、美味しいとしか言えないよ。
ここの人達は優しすぎる。
優しさを向けられる度に、喰種であることを隠している罪悪感で、苦しくなる。優しさが全て苦くて、甘い。その甘さを忘れないよう、静かに唾を飲み下す。
___お腹すいたな。