日常に溶けていく嘘



朝になり、医務室で目が覚めた。あのままふらふら歩いて、たどり着いたのはここだった。他に休める場所が思いつかず、考える余裕もなかった。

「チョッパーくん、ごめんなさい。お借りしました……」

シーツを整え、とりあえずラウンジへ向かう。身体が重たい、まだ少しふらつく感覚が残っているので、足元に力を入れた。どれだけ食べ物を受け付けないんだこの身体は、とため息が出る。

時間的にまだみんなが起きてくるには早かったらしく、ラウンジには朝食の準備をするサンジさんだけがいた。

真剣な眼差しで包丁を握っていたサンジさんは、私に気がつくといつもの優しい笑顔になった。

「おはよう、ハルちゃん!早いね。体調は?大丈夫?ちゃんと眠れた?」
「うん、大丈夫。サンジさんこそ、早いね。ちゃんと寝てるの?」
「俺は良いのさ、こいつは俺の役目だからよ。」

昨日はきっと遅くまで宴の片付けをしていたであろうサンジさんが、誰よりも早く起きて朝食の準備をしている。しかし、料理をしながら語るその表情は、いつか夢を語っていた時のようにきらきらと輝いていた。その姿をみて、私も自然と笑顔になる。

「はい。コーヒー、どうぞ。」
「わ、ありがとう。いい香り……」

とりあえずカウンターに腰掛けると、目の前にコーヒーが置かれる。香りを楽しみつつそれを味わい、一息つく。

「ハルちゃん、朝メシは?軽いので良かったら、すぐ出せるけど。」
「あー、えっと……私は、朝はコーヒーだけがいいかな。ありがとう。」
「そうか。腹が減ったら、いつでも言ってね。」

朝食は断ってしまったが、相変わらずサンジさんは優しい。コーヒーを飲みながら、キッチンで作業をする彼を眺める。流れるような動きで食材を扱っている。ハムを切る姿を見ながら、あれが人肉なら私も味わって食べることができるのに、とありえない想像をしてみる。

「毎日サンジさんの作った料理を食べられるなんて、この船の人達は本当に幸せだね。」
「そうだな、それなら俺も幸せだ。俺のメシで仲間が腹いっぱいになって、笑顔になって、幸せを感じてるってンなら、こんなに幸せなことはねェな!」

サンジさんは煙草を咥えたまま、にっと笑って話す。その笑顔を見て、私はなにも言葉を返すことができなかった。自ら振った話題であったが、その言葉は、胸に深く突き刺さった。彼にとっての幸せに、私は入ることができないのだ。

料理をする姿を見ながら、ふと思う。彼の料理を味わって楽しむことはできないが、こうして彼が料理をする姿を見ることは楽しい、と。今までは、キッチンのあるこのラウンジに来ることを極力避けていた。だから、こうして料理をする姿を見る機会もなかった。

ふいに、サンジさんと目が合ってしまう。「そんなに見られたら、照れちゃうな。」なんて頬を緩ませる彼に、前から確認したいことがあったことを思い出す。

あまり振り返りたくなかったが、意を決して聞いてみる。

「サンジさん、私のこと……誰にも言ってないの?」
「ハルちゃんのこと?」
「敵船で……私が、戦っていた時の姿のこと。」
「あぁ、言ってないよ。誰にも。」

私の突然の質問に、なんの話か合点がいった彼は、煙草を咥え直してからあっけらかんと答えた。

「どうして?」
「どうしてって……そうだな。あの時のハルちゃん、なんていうか、すごく怯えているように見えたんだ。」
「私が?」
「俺の気のせいかもしれないけど、ハルちゃんにとってアレは、人に見られたくなかったもんだったんじゃねェかって思って。」

ゆっくりと煙を吐きながら、言葉を選んで答えている様だった。吐き出された煙は、静かに換気扇へ吸い込まれていく。

あの時のサンジさんは、目をハートにしてよくわからないことを言っていると思っていたが、私の心の中の焦りを汲み取っていたらしい。

「うん……できれば、誰にも見られたくなかったな。」
「そっか、ごめん。俺、」
「いいの!サンジさんは何も悪くないから!むしろ、みんなに黙っててくれてありがとう。」

サンジさんは眉根を寄せて、視線を少し下にずらした。
油断して喰種の姿を見られた私に落ち度があると言うのに、申し訳なさそうにする彼に罪悪感を覚える。その謝罪に対して、顔の前で手を振って大袈裟に否定した。

すると、引き結ばれていた彼の口元が僅かに緩んだ。まっすぐな瞳が、再びこちらに向く。

「あのとき、本当に天使を見たと……綺麗だと思った。でも、ハルちゃんが望むなら、これからも誰にも言わない。約束する。」
「優しいね、ありがとう。」

また、喰種の姿を綺麗だと言われた。本当は、醜くて恐ろしい化け物の姿なのに。何も知らない彼には、赫眼も赫子も美しいものに見えていた。

「こんな、得体の知れない女を大切な仲間のいる船に乗せてて良いの?」
「そりゃまあ、ハルちゃんはミステリアスなところもあるけど。でもすごく良い子だって、俺には分かるよ。」
「なにそれ……根拠もないのに。本当はすごーく悪い悪魔かもよ?」
「あるさ。ハルちゃんは可愛い!それに、ふとした瞬間の物憂げな表情がとても綺麗で、何度見入っちまったことか!!」
「……それって、根拠になるの?」

少し自嘲的で、サンジさんにとっては意地悪な質問をしたと思った。しかし拳を握り熱弁する姿に、照れを通り越して呆れが声色に滲む。





そうして談笑しているうちに、ラウンジの扉が開いた。ナミちゃんとロビンさんが起きてきたみたいだ。

「んナミさん!ロビンちゃん!おはようございまァァァァす!!!」
「おはよう、サンジくん、ハル。」
「おはよう、ナミちゃん、、ロビンさん。」

ナミちゃんとロビンさんの姿を見るやいなや、サンジさんはすぐに飲み物を用意するためにクルクルと動きだす。ダイニングに入って来た2人は、席につきながら私を見た。

「あなた、昨日どこで寝てたの?朝起きたらいないから心配したのよ?」
「えっと、つい癖で医務室で寝ちゃって……ごめんなさい。」
「そう?今日からは一緒に寝るのよ?もうフランキーにベッドも用意してもらったんだから!」

チョッパーに完治宣言されてから、ナミちゃんには医務室ではなく女子部屋で寝起きするように言われていた。ナミちゃんの指示で、船大工のフランキーさんは恐るべきスピードとクオリティで、女子部屋に私専用のベッドを作ってくれた。しかし、初めて大量の食べ物を消化した夜に、人間の居る部屋で一晩過ごすことはとてもできなかった。

フランキーさんにも謝らなくてはいけないな、と思った。せっかくベッドを用意してもらったのに、使わずに医務室のベッドで寝てしまった。もしかしたら、後で寝心地はどうだったか聞かれるかもしれない。完成したベッドを見せてくれたフランキーさんはとても自慢げで、何故かとても嬉しそうだったことを思い出す。

きっとフランキーさんも、サンジさんと同じ。この船には、優しくて温かい人ばかりだ。

不意に、朝にふさわしい爽やかな音楽が聴こえてくる。ブルックさんのバイオリンの音だ。きっと、男子部屋でまだ寝ている船員を起こすために弾いているのだろう。

「やっと起きたか、クソ野郎ども……」

サンジさんが朝食の仕上げに取りかかる。きっとあのベーコンが多めのお皿がルフィくんので、砂糖たっぷりのミルクはチョッパーくんのだろうか。キッチンを眺めながらぼんやりと考えた。



麦わら海賊団の朝食は騒がしい。


寝起きからみんな元気だなぁ、とコーヒーを啜りながら朝食の風景を眺めて思う。ルフィくんは一口が大きくて、ゴムだから口がとんでもなく膨らんでいる。骸骨のブルックさんは、どうなっているのか分からない。口に入れたと思ったら、魔法のようにご飯が消えていく。あの身体だったら、喰種でもご飯が食べられるのかな。チョッパーくんは、小さい手で一生懸命食べていて可愛らしい。隣に座るロビンさんを見る、彼女は朝は紅茶だけで良いみたいだった。思わず笑みが零れると、ロビンさんと目があった。

「フフ、どうしたの?」
「あ、ううん。こんなに騒がしい朝食は初めてだから、なんだか楽しくて。」
「そう?いつもこんなよ。」

人間は、いつもこんなに食事を楽しんでいるんだ。東京での食事はいつも、追われながら、隠れながら、奪いながらだった。喰種の私は、果たしてこの輪に入れるのだろうか。




パスタは数本ずつフォークに巻いてから口に運ぶ。ポイントは1.2回だけ咀嚼してから一気に飲み込むこと、そのまま飲み込むと、数本飲みきれなくて噎せてしまう。ピラフはパラパラしていて、口の中で広がってしまうのであまり得意ではなかった。カレーは一口を調整すれば、飲み込み易くて助かった。東京で、喰種の仲間たちと"食事"の練習をしていた日々を思い出す。あの時は相当辛かったが、まさかこんな所で役立つとは。

共にダイニングで食事をすることで、麦わらの人たちとも精神的な距離が近くなったように感じた。食事を楽しむ人たちの中で、なんでもない顔をして異物を飲み下す。良かった、私は人間に紛れることができている。



今日もルフィくんの食欲は物凄かった。両隣に座っていたチョッパーくんとウソップくんは必死に自分のお皿を守っている。見かねたサンジさんが、大盛りのおかわりを用意していたけど、それを待てずに、ウソップくんのお皿からお肉が消えた。

「ルフィくんの身体って本当に不思議だよね。」
「あぁ、ゴムだからな!」
「こんなにたくさん食べて、こんなにお腹が膨れても、すぐに消化しちゃうもんね。」
「おう、ゴムだからな!」
「みんなのご飯まで食べちゃうなんて、本当に食べるのが好きなんだね。」
「うんうん、ゴムだからな!」
「ゴム……関係あるのかな?」
「ねェよ!!!」

私とルフィくんの会話に、ウソップくんがツッコミを入れる。そして自分のお皿からお肉が消えた事に気がついて、ルフィくんの肩をガクガクと揺らして怒っている。

「ウソップくん、私の、たべる?」
「お、おい!やめろ!!おめェからもらうと俺の命が……ゲフゥ!」

私のお皿からお肉を1つあげようと思って、フォークに刺してウソップくんの口元へ差し出す。しかし、お肉はは受け取られず、慌てたウソップくんにフォークごと押し返されてしまう。と、思ったら、サンジさんがウソップくんを蹴りあげてしまった。

「ウソップテメェ……!ハルちゃんのメシを狙った上にあーん……させようとしやがって!覚悟はできてんだろうなァ?」
「狙ってマセン!させてマセン!覚悟もできてマセン!!」

ウソップくんはブルブルと首を横に振っている。ああ、私のお肉をあげようとしてしまったことで、何か良からぬ誤解を産んでしまったらしい。ウソップくん、なんだかとっても申し訳ない。サンジさんは、額に青筋を立ててもう一度蹴ろうとしているのか、脚を持ち上げる。そこにナミちゃんの怒号が響いた。

「ちょっとアンタたち、うるさいわよ!もうちょっと静かに食事できないの!?」
「あァ、ナミさん!スミマセン……」
「ナミちゃん、これは私が……」
「ハル、アンタもよ?ややこしい事しないの!」
「う、スミマセン……」

一緒に怒られてしまい、肩が震える。ナミちゃんって容姿は可愛らしいけど、怒ると迫力があって恐ろしい。

「そうだぞー。おめーら。」
「ルフィ、おめェにだけは言われたくねェ!肉返せ!!」
「これは俺のだ!!!」
「うるさい!」
「スミマセン。」

間の抜けた船長の声にウソップくんが再び怒った、が直ぐにナミちゃんの怒号に2人とも沈められてしまった。

このやり取りを、ロビンさん、フランキーさん、ブルックさんがニコニコと嬉しそうに見ていた。これが大人の余裕なのだろうか。



それから私は、食事の時間の少し前にダイニングに行って、食事を準備するサンジさんを眺める事が日課になった。彼の食事を味わう事はできないけど、せめて調理過程を見ていたかった。その手さばきや表情を見ることで、何か彼の料理への思いを味わうことができるような気がしていた。


「毎度のことながら、流石の手際だねえ。」
「あぁ、ハルちゃんがいる時は、ちょっと格好つけてるからね。」
「え、そうなの?」

サンジさんはいたずらっぽく片方の眉を上げて、にかっと笑った。視線はすぐに手元に戻って、また真剣な表情に変わる。
カウンターに腰掛けて、サンジさんが料理をする姿を見ながらお話しをする。この時間が温かくて幸せだった。






やはり喰種の身体というものは厄介で、人間の食べ物ばかりを消化していると、体力が著しく落ちてしまった。私は体力回復と温存のために、隙あらば睡眠をとっていた。天気が良い日は、甲板の芝生で昼寝をするようになった。たまにナミちゃんが天候が変わるからと、部屋へ戻るように叩き起こしてくれることもある。


今日も昼寝をしようと思って甲板に出ると、チョッパーくんがおやつを食べていた。頬を綻ばせて。とても幸せそうに食べている。

「チョッパーくん、何食べてるの?」
「うん!わたあめだ。サンジが作ってくれたんだ!」
「チョッパーくんって、本当に甘いものが好きなんだね。」
「おう、サンジが作るプリンもすっごくうめぇぞ!ハルは、食べたことあるか?」
「うーん、ないかな?」

大好物の甘いものを片手に、とびきりの笑顔を見せてくれるチョッパーくん、可愛すぎる。

「じゃあさ、今度サンジに作ってもらおうぜ!」
「うん……一緒にお願いしようね。」

どうせ味なんてわからないけど。チョッパーくんと一緒なら、許されるかな、なんて。

「ハル、一口食うか?」
「え、チョッパーくん、わたあめ大好きなんじゃないの?いいの?」
「おう!一口だけだぞ!」
「ありがとう、いただきます。」

チョッパーくんの小さな手に、一口大にちぎられたわたあめがちょこんと乗っている。それを摘んで、口へ運ぶ。口に入れると、わたあめは直ぐに溶けた。飲み込む前に、口内へ味が広がる。最悪だ。口の中でヘドロが広がっていくみたいだった。思わず表情が歪みそうになるのを抑えて、チョッパーくんを抱き上げて誤魔化す。

「甘〜い!もっとちょうだい!」
「やめろ〜!もうやらねえぞ〜!!」

なんて、チョッパーくんとじゃれ合う。わたあめは、もう二度と食べたくない物として覚えておこう。




いつものように芝生で横になっていると、緑の髪が視界に入った。

「おい。お前、寝すぎじゃねェのか?」
「え〜、ゾロさんには言われたくないです。」
「俺は鍛錬してから、身体を休めてンだ。」
「私だって、日々頑張ってくれてる身体を休めてるんです〜!」

嘘ではない。こんなにも身体を酷使したことは今までないから。

「……体調悪ィのか。」
「そんな事ないですよ。眠いだけです。」
「そうか、チョッパーに言えよ。」
「だから、体調は大丈夫です。」
「……フン。」

納得したのかしてないのか、ゾロさんはその場で寝っ転がる。昼寝をするらしい。距離はあるけど、同じ場所で昼寝をする事に関しては、気にならないのだろうか。

「私、移動した方がいいですか。」
「別にいい。起こしたら斬る。」
「……斬れないよ。」
「あ……!?」
「……スヤァ」

刀なんかじゃ、喰種は斬れない。いや、ゾロさんの強さなら、もしかするかもしれないけど。ゾロさんが何か言ってたけど、寝たフリをして無視した。私に"飢え"がきたら、ゾロさんが私の事を斬ってくれるのかな。

瞼を閉じて、睡魔に身を委ねる。落ちていく意識の片隅で、サンジさんの叫び声が聞こえた気がした。

「いつもの時間にハルちゃんが来ないと思ったら…… テメェ!エロマリモコルァ!!!そ、添い寝だとォ!?その汚ねェ体をハルちゃんに近づけてんじゃねェよ!!!」
「添い寝ってほど近くねェだろ!!!」


遠くにサンジさんの怒鳴り声を感じながら、そろそろ起きてキッチンに行かなければ、と思う。日常の中で、キッチンでサンジさんと過ごす時間が、痛くて愛おしいものになっていた。この"痛み"が、私にとって食事の"味"になっていく。彼が料理をする姿が見られれば、人間の食事を飲み込んで消化する事も、痛いけれど辛くはない。


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