珈琲に溶かして





「〜〜♪」

キッチンで夕飯の仕込みをしながら、思わず鼻歌が漏れる。先の戦闘を終えた彼女は、チョッパーに連れられて診察を受けていた。その結果、驚くべき回復力によって、あの大怪我はほとんど完治していたという。つまり、普通の食事を摂って良いと主治医から許可が出た。

夕飯に何を作ったら喜んで貰えるだろうか、そればかり考えていた。今までは食事をあまり楽しめてねェ様子だったが、治療食でなければ料理の幅も一気に広がる。きっと今夜は宴になるだろうから、あらゆる料理を振舞って、彼女に楽しんでもらいてェ。彼女の喜ぶ顔を想像し、思わずニヤける口元を煙草で隠した。







「どうしよう……」

甲板で潮風を浴びながら、情けなく唸る。チョッパーくんの言葉を受けて、私は頭を抱えていた。どうやらもう人間の食事から逃げることは、難しそうだった。もちろんチョッパーくんの前では喜んで見せた。しかし、もう怪我人ではないということは、もう医務室には逃げられないということ。遠くからルフィくんの「今夜は宴にしよう!」という楽しそうな声が聞こえてきた。そして何より、サンジさんがすごく張り切っている気配を感じていた。

___いっそ、島でも見えて来ないかな。

地平線を睨んでみるも、何かが見えてくるわけでもない。怪我が治るまでは船に乗せてくれると、ルフィくんは言っていた。でも、島に着かないことには、船から降りることもできない。つまりこの嘘をつき続ける生活から、逃げられない。怪我が治っても人間のご飯を食べ続けていたら、島に着くより先に気が狂ってしまうんじゃないかと思う。




「……!」

不意に漂ってきた香りに、勢いよく振り返る。サンジさんがカップを持って、船内から出てきたのが見えた。目が合うと、柔らかく微笑んでこちらに近づいてきた。

「どうぞ、レディ。ブラックで良かったかな?」
「うん……!嬉しい、コーヒーだ!」

喰種にとって唯一味わうことのできるそれは、私も例外なく大好きだった。久しぶりのコーヒーだ。嬉しくて、カップの中の褐色を見つめていると、サンジさんが優しく笑った。

「あー、いい香り!飲む前からわかるよ、すっごく美味しい!サンジさんって天才だね!」
「あはは、そんなに喜んで貰えるなら、いつだって入れてあげるよ。」
「ほんと?嬉しい!」

目を伏せて、肺いっぱいにその芳ばしい香りを取り込む。じっくりと香りを楽しんでから、そっと口を付けた。

「ん……美味しい!なにこれ、バケツで飲みたいくらい美味しいよ!」
「ハルちゃん、そこまでコーヒーが好きだったのか……」
「元々好きなんだけどね。でも、これは今まで飲んだ中で1番美味しい!」
「そこまで褒められると、淹れた甲斐があるよ。」

いつもより数段テンションが高くなった自分の頬が、僅かに熱を持っているのを感じた。ちょっとはしゃぎすぎてしまったかな、と恥ずかしくなる。コーヒーを飲みながら、横にいるサンジさんをちらりと盗み見る。優しく細められた瞳が、こちらに向けられていた。彼が吐き出した白い息が、潮風に溶けていく。コーヒーの香ばしい香りに、煙草の香りが僅かに混じる。
とくん、と胸が弾むのを感じる。さらりと揺れる金色の髪が、綺麗だと思う。



『綺麗だ……』

喰種の姿を見られた時の、彼の言葉を思い出す。

今まで生きてきて、初めて言われた言葉だった。
あの時の彼の言葉からも、表情からも恐れや嫌悪の感情は感じられなかった。
そしてサンジさんは、私がその姿を人に見られることを恐れている事を察してくれている様だった。船に戻ってからも、あの時の姿については触れず、いつも通りに接してくれている。もちろん他の船員にも口外せずにいてくれていた。

綺麗で、素敵なのはサンジさんの方なのに。

こんなにも優しいサンジさんの作る料理は、一体どんな味がするのか。
私には一生、その味を味わう事ができない。

サンジさんの料理を美味しそうに食べる船員たちを見るのは辛かった。自分だけ味のわからない異物を飲み込む。そんな食事の時間が怖かった。

だから、私は1人で医務室に篭もり、用意してもらった食事を味わう事もできずに、無理やり飲み込んでいた。もちろん飲み込んだままでは体調を崩してしまうので、すぐに吐き出さなければいけない。

そして料理を出してくれるサンジさんには、美味しかったと嘘を吐き続けている。

だからこそ、サンジさんの入れてくれたこの1杯のコーヒーを、心から味わうことができて、本当に嬉しかった。

「こんなに美味しいコーヒーが飲めて、私は幸せだな。」
「そう言ってもらえると、俺も幸せだ。」
「サンジさん、本当にありがとう。」

言うことができない謝罪の言葉を隠し、感謝を伝える。サンジさんは隠された言葉に気づくことなく「どういたしまして。」と笑った。



「ハルちゃんはさ、好きな食べ物はあるかい?辛いとか、甘いとか、こういう味が好きだ、とかでもいいんだ。」
「好きな、食べ物?」
「せっかく今日から普通のメシが食えるんだ。ハルちゃんからのリクエストがあれば、なんだって叶えてあげてェんだ。何かあるかい?」
「えっと……なんでも嬉しい、かな。サンジさんが作ったご飯は、全部美味しいんだもんね。楽しみにしてるね!」

答えられなかった。まさかここで、好物は人間です、と言える訳もない。咄嗟に笑顔を作ったけど、上手く笑えているだろうか。
サンジさんは眉根を僅かに下げて、「じゃあ、楽しみにしてて。」と困ったような笑顔を浮かべた。その口元から白い煙が細く吐き出される。

ぐいっとコーヒーを飲み干して、空になったカップをサンジさんに押し付ける。

「ごちそうさま!本当に美味しかった、また飲ませてね!」
「あ、ああ……もちろん。」
「あ!ね、そろそろナミさんとロビンさんのとこに行かなくて大丈夫?」
「なんでナミさんとロビンちゃん?」
「ジュースとかお茶のお代わりとかさ!ね!?」

きっとそろそろ船内の2人に、声をかけに行こうかと思っていた頃合のはず。サンジさんとの時間は捨て難いものではあったが、これ以上はボロが出そうだった。2人のところに行くように提案すると、サンジさんは困ったような表情をした。それに気付かない振りをして、その背中を押して船内へとうながした。

「俺はもう少し話してェけど……。あ、ハルちゃんは、お代わりいいのかい?」
「う……私はこれからお昼寝できなくなっちゃうから、大丈夫!」
「そ、そっか。夜までには起きてくるんだよ。」

まだこの場に留まろうとしてくれるサンジさんの背中を、さらにぐいぐいと押す。サンジさんは辛うじて首だけ振り返って、お代わりを促してくれたが、誘惑には負けない。戦闘後だ、休息を取るために昼寝と言ってしまえば優しいサンジさんはこれ以上何も言えないはず。優しさを利用するようで申し訳ないが、宴まで休ませていただこう。

せめて夢の中では、みんなたちと同じテーブルで笑えているといいな。



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