03.贖罪の光

果たして、コンウェイの読み通り、ヴィスは寝台に寝そべっていた。
リカルドが軽くその肩を揺さぶると、薄らとその目蓋が開く。

「起きろ。……ルカが目を覚ましたぞ」

無事を確認した後ならばともかく、あれだけ心配しておいて、この熟睡ぶりはどうなのだろう。

ヴィスはそんな呆れ顔のリカルドを目で捉えて、ゆっくりと起き上がった。
まだ寝惚けているのか、感情の読み取れない無表情のまま、現在地を確認するように周囲を見渡す。

リカルドはとりあえずこれまでの経緯を話したが、相手は聞いているのかいないのか、ぼんやりと目を瞬かせるだけ。

「もっと喜んだらどうだ? ルカがあの怪我から三日で回復したのは奇跡だぞ」

「……ルカ……ああ、そうか。そうだったね」

やっと頭が覚醒してきたのか、ヴィスは伝えに来てくれたリカルドに有難うと言って、温泉に行くことを承諾する。

「ボーッとしちゃってごめんね。ちょっと嫌な夢見てたから」

「夢? 前世の夢か?」

「厳密には違うけど、似たようなものかなぁ。寝るといつもこうだから、あんまり寝たく無いんだけど……昨日はちょっと疲れちゃった」

「何だ、そんな理由で遅くまで起きていたのか? イリア達と同じように、ルカが心配で眠れないのかと思っていたが」

「勿論それもあるんだけどね。イリアちゃん達は大丈夫? リカちゃんも」

「俺は心配要らん。イリアはこれまでの反動で眠っているが、問題は無い。スパーダも他の奴らも、すっかり元気だ」

「そっか」

なら良かった、と言いつつ、ヴィスは不安の残る顔で呟く。

「……でもさ、本当は、こっちが夢だったりしない? ルカくんのことも、今のこの世界も……実際は、天上界が滅んだあの時に、地上の皆も死んじゃってて、転生者なんて都合のいい存在も、何もかも全部、俺の夢だったりしない?」

「何だ急に。馬鹿なことを言っていないで、さっさと行くぞ」

リカルドはそう一蹴して部屋を出ていこうとしたが、ヴィスはその場から動こうとしなかった。

「夢なんじゃないかな」

繰り返すヴィスの表情は真剣そのものだった。
リカルドは無視して行こうか悩んで、結局放っておけず、未だベッドから出ていない相手の隣に腰を下ろす。

「余程夢見が悪かったんだろうが、そんな馬鹿げた考えは捨てろ。間違いなく今のこれが現実だ」

「……うん。でも……リカちゃんのその励ましも、俺の勝手な妄想って可能性はあるし」

「お前の夢に出てくる俺は、随分と再現性が高いようだな」

「そもそもリカちゃんっていう存在自体、俺の想像上の人物なんじゃないかなぁ……輪廻転生はともかく、前世の記憶を持った生まれ変わりなんてそんな……」

「勝手に俺をお前のイマジナリーフレンドにするな。──もういい。夢と現実の区別をつけたいなら、手っ取り早い方法が一つある」

「え、ほんと?」

どうやって、と問おうとしたヴィスの横っ面を、リカルドの掌が叩いた。

バシーンと子気味良い音が鳴って、ヴィスは痛みに目を白黒させながら、真っ赤になった頬を呆然と摩る。

「どうだ、痛いか?」

「痛いよ……急に何するの……」

「それが現実の証だ」

悪びれもせずに言って、リカルドは手を差し伸べた。
ヴィスはまじまじとそれを見つめて、そっと掌を重ねて握る。

「ほら立て、もう行くぞ」

「あったかい……」

「当たり前だ。生きた人間の手だからな」

「生きた人間の手……」

オウム返しになっているヴィスに、リカルドの口から笑いが溢れた。
そして、乗せられた手を握り返す。


────生きている。


ヴィスはその言葉を、胸の内で何度も反復した。
恐怖に震えていた心が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

リカルドはこの状況に気恥しさを覚えて早々に手を放そうとしたが、ヴィスはしっかりと握ったまま、立ち上がってもなかなか放そうとしない。

「……おい」

「ん?」

「いつまで握っている気だ?」

「え、ダメなの?」

「誰かに見られて、妙な噂が立っても困る」

しょんぼりとした顔になりながらも、ヴィスは素直に手を解いた。
温かさの残る手を名残惜しそうに見つめる。

「そういった慰めが欲しいなら、店にでも行ってこい」

「店……?」

「知らないのか? 意外だな。興味があるならそのうち連れて行ってやる。スパーダ達には言うなよ」

「? うん」

ルカ達はもう先に入っていると番台に聞いた二人は、脱衣所でさっさと着替えて浴場──ここのものは露天風呂らしい──の扉を開けた。

並んでいる三人のうち、岩場に背を預けて寛いでいたスパーダは、「遅ぇーよ」と言いながらヒラヒラと手を振る。

「ルカくん、傷の具合どう?」

「もう平気。自分でも驚いたけど、痕も殆ど残ってないんだ」

「あれだけの傷がこんな綺麗に塞がったのはスゲェよな。昨日見た時はもうちょいヤバそうに見えたんだが」

「きっと皆が頑張ってくれたお陰だよ、本当に有難う」

「どういたしまして〜」

指先で温度を確かめながら入ろうとするヴィスを、風呂桶を持ったリカルドが掴んで引き戻す。

「先にかけ湯くらいしろ」

「わぷっ」

頭からお湯を被ったヴィスは、犬のようにプルプルと頭を振った。
体の汚れを落として入浴の許可を貰うと、湯に浸かって「はぁ〜」と息を吐く。

「あったか〜い、気持ちいいねぇ〜」

「うわ、お前なんだよその刺青。大人しそうな顔してそんなもん彫ってたのかよ」

「刺青? 入れてないよそんなの」

「じゃあその腕のは何だよ?」

ヴィスはスパーダの視線を辿って、右腕に浮かび上がっている図形のような模様を見る。

「これ? これは彫ったんじゃなくて、生まれつきあるんだよ。痣みたいなものかな〜」

「アザぁ? 変なアザだな」

「へぇ? ボクにも見せて欲しいな」

縁に座って足だけ湯に浸けていたコンウェイは、二人の会話に興味を惹かれてヴィスの近くへ移動する。

「……これは……どこかで見たことがあるような……」

「産まれたての赤ん坊に痣があるのはよく聞くけど、大人になっても残ってるのは珍しいね」

「痣にしては随分と整った形だな。祭壇や壁画に刻まれていた天上界の文字にも似ている気がするが……」

「やー、そんな全員に見つめられると、なんだか照れるなぁ〜」

「いや、別にお前を見てる訳じゃねーよ」

そんな会話に被さって、衝立の向こうからざぱーんという音が上がった。
続けて、アンジュ達の声が聞こえてくる。

「こらエル! 飛び込んじゃダメって、何度も言ってるでしょう?」

「んなアホな。この状況で飛び込まん方がおかしいで。それに、それを言うんやったら、ウチかてアンジュねーちゃんには隠しても意味無いって何遍も言うてるやろ? 隠しとっても横からはみ出しとるんやからな。えいっ!」

「あっ、ちょっとエルったら! もう、どこ触るのよ!」

「逆にイリアねーちゃんは隠れ過ぎてて、触りとうても触れんけどな。アハハハハ!」

「ふん。な〜によエル、あんたなんて隠すところも無いじゃない」

「ウチはええねん。将来性はあるさかい。その点、イリアねーちゃんは絶望的やな」

「……ッ! この口か! そういう事を言うのはこの口かぁッ!!」

「いててててて!」

どうやら衝立のすぐ向こうは女湯らしい。
女性陣の姦しい声を聞いて、男性陣は静まり返る。

「……あれ、なんで皆急に黙るの?」

「……いや、まあ、なんだ」

「うん……まあ、なんとなく……? でも、やっぱりいけないよね?」

「いいんじゃないかな。昨日エルマーナにそれとなく聞いたら、男性陣へのサービスなんだってさ」

「ああ……だからあいつ毎晩わざわざ大声出してんのか」

「だからって全員で聞き耳立てなくてもいいのに。リカちゃんのスケベ〜」

「俺だけそう言われるのは納得がいかん」

「ちょっと待って。じゃあ、イリア達は聞こえてること知らないの!?」

「バッカ! お前、そんな大声……」

慌ててルカの口を塞いだスパーダの健闘も虚しく、その声をキャッチした女性陣はピタリと騒ぐのを止める。

「ちょっとルカくん! 居るの!?」

「はぁ!? 男湯って離れてるんじゃないの!?」

「入り口は離れとるけど、湯船はすぐ隣やで。しかも中で繋がってんねん。ウチ、潜って探検してきた」

「ちょっとルカ! 早く出て行きなさいよ! 出て行かないとこうよッ!」

ガァン! と今度は拳銃の発砲音が上がった。
流石にこれには吃驚して、声を潜めることを忘れたスパーダが抗議する。

「なんで風呂に銃持ち込んでんだ! イリアお前、オレ達を殺す気か!?」

「お望みとあればね! って、スパーダも居たの!? 早く出て行けって言ってるでしょ!」

容赦の無いイリアの銃撃に、温泉を満喫している場合では無くなった男性陣は慌てて脱衣所に避難。

「あいつ無茶苦茶だろ!」

「あっはは! ルカくん達といると退屈しないね〜」

「笑い事じゃねーよ!!」

ぶつくさと言うスパーダ達の横で一頻り笑ったヴィスは、タオルで体を拭いながら呟く。

「はー、やっぱり、夢なんじゃないかなぁ」

「まだ言っているのか。これが夢なら、お前の夢は随分と物騒だな」

「だねー。でも、凄く幸せな夢だよ」

沢山の人が居て、絶え間なく声がする。
かつて見ていた世界。失われた筈の世界。

嬉しさと悲しさの入り交じった表情で、ヴィスは騒ぐスパーダ達を見つめた。
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