05.未だその心は知れず
はぁー、と深呼吸の後のような深い息を吐いて、汗だくになったヴィスは横で眠っているリカルドを見つめた。時刻は朝の六時になろうかという所で、体を休める事を諦めたヴィスは、鉛のように重い体を無理やりベッドから起こす。
(……こういうの、実際にしたの初めてだなぁ)
風邪でも引いているかのようだ。
体の内側が熱い。思考がぼんやりする。
肌に、舌先に、体の奥に、まだリカルドの感触が残っている。
された事を思い返すだけで、ゾクゾクとした感覚に襲われた。
知識としては知っているし、他の誰かがしているのを見たこともある。
だが当事者になった事は無かったし、なる事もないと思っていた。
それもまさか、相手がこの人だとは。
眠るリカルドの口元が兄者、と形作るのを見て、ヴィスはその頭を優しく撫でる。
気を紛らわせる事は出来ても、彼の心に空いた穴を塞ぐ事は出来ない。
後はもう、見つからず終いだったガードルが、奇跡的に生きていてくれる事を願うしかなかった。
ヴィスは術で体を拭うタオルやら下着やら新品のシーツやら、必要なものをポンポンと出して、情事の痕跡を綺麗に消していった。
首筋に付けられたキスマークはどうしようもないが、服の下なので見られることも無いだろう。
リカルドの身なりもある程度整えて、証拠隠滅を完了させたヴィスは一息つく。
(……無かったことにした方がいいよね? 多分)
想いを寄せ合う恋人同士ならば、思い出として残しておくべきなのかもしれないが。
泥酔した状態で、ただの憂さ晴らしにやった行為の記憶など、大事に取っておくようなものでも無い筈。
(変に気遣わせちゃうかもしれないし、忘れてくれてればいいんだけど……どうだろうなぁ。もし覚えてたらなんて言えばいいんだろう。俺は気にしてないから、リカちゃんも気にしないで、とか? う〜ん……)
まあ、リカルドにとっては大した事では無いのかもしれないし、本人のリアクションを見て、それに合わせよう。
ヴィスは考えるのをやめて、シャワーを浴びに部屋を出て行った。
ロビーには既にちらほらと人の姿があり、宿の外からは船の汽笛が聞こえてくる。
他の地域では、この時間帯はまだ静かなものだったが、マムートは違うらしい。
こんな朝早くから皆何をやっているのだろうかと、興味をそそられたヴィスは湯浴みを手早く済ませて一人街へと繰り出す事に。
行き交う人々の多くは船乗りや商人達だったようで、皆忙しなく走り回っていた。
そしてその中に、知り合ったばかりの女性二人を見つける。
相手もヴィスに気付くと、愛嬌たっぷりの笑顔で手を振った。
「お兄さん! 朝早いですね〜! それともオールですか?」
「オール?」
「あれからずっと寝ずに起きてたの? って事よ」
「ああ、そうそう。だからちょっと朝日が眩しいよ〜。君達は?」
「あたし達は仕事が終わって帰るところですよぉ〜。泥酔してたお客さん、あの後大丈夫でしたかぁ?」
「うーん、大丈夫……だとは思うんだけど……」
この二人になら話しても問題無いかと、ヴィスは今後の身の振り方のアドバイスを乞う目的も兼ねて、宿であったことを洗いざらい話した。
話の途中で、制服姿の女性が耐えきれず口を挟む。
「お兄さん達ってそういう関係だったんですかぁ!? あたしてっきりただのお友達だと……じゃあ、昨日のあの現場って実は修羅場だったんですか!? それとも、お兄さんはそういうの寛容な方なんですか!? 遊ぶのアリな人!?」
「え? そういう関係ってどういう関係?」
「だから、そういう事する関係ですよ! 恋人なのか愛人なのかセフレなのかは分からないですけどっ!」
「セフレ……?」
「こーら。大きな声でそういう言葉使わないの。ここは裏通りじゃないんだから」
「あっ、すみませんつい……」
てへへと口に手を当てて反省する女性に、また知らない単語が出てきて首を傾げていたヴィスは質問の機会を逃した。
「えーっと、少なくとも恋人とか愛人とかそういうのじゃないよ。お互いにそういう感情は抱いてないし」
「え? じゃあ何でそんな事したんですか? いくら酔ってるからって、その気が全く無い人とプライベートでそんな事しようと思わなくないですか?」
「そうなの? 俺そういうのよく分からなくて……普通はしないの?」
「普通って言い方はあまり好きじゃないけど、私ならしないわね。したいって気持ちにならないもの」
「まあ、誰でも何でもオッケーな人もたまに見ますけどぉ……そこまで奔放な人だったら、わざわざお店には来ないと思いますよぉ? 自分でウリとかした方が早いですし、儲かりますもん」
「じゃあ、リカちゃんは違うってこと?」
「一回相手したくらいで勝手なこと言うのも何だけど、あのお兄さんは選り好みするタイプだと思うわよ。貴方に気があるんじゃないかしら」
「ええ〜? まっさかぁ。リカちゃんの好みとか知らないけど、お店に行くくらいなんだから、君達みたいな子がタイプなんじゃないの?」
「そんなの分かんないですよぉ? お兄さんだって、お腹空いてる時に好物置いてるお店が無かったら、妥協して別のもの食べるでしょ? そういう事かもしれませんよぉ」
「本命に手が出せないから、お店で気を紛らわせるって人も多いからね。同性のお友達なら尚更じゃない? で、酔って理性が無くなって、我慢が出来なくなったとか」
「う〜ん……? でも、好きとか言われた訳でも無いし……酔っ払って見境無くなってただけだと思うけどなぁ……」
「まあ、貴方がそう感じたのなら、そうなのかもしれないわね。実際のところは本人に聞いてみないと分からないし、憶測で話すのはここまでにしておきましょうか」
「えー!? もっと深掘りしましょうよぉ〜!」
この話題そのものを楽しんでいたらしい制服姿の女性のブーイングに苦笑しつつ、もう一人の女性は続ける。
「それで、今後どうすればいいのかって話だったわよね。貴方はどうしたいの? 今回の事を無かったことにしたいのか、責任を取って貰いたいのか」
「俺? 俺は別にどっちでも……」
「どうでもいいって事?」
「そうじゃないけど、俺がどうかより、リカちゃんにとって良い方を選びたいなって。本人に聞くのが一番いいんだろうけど……忘れてた場合、隠しておくか正直に話すか、俺が決めなくちゃいけないから……」
だからどうしたらいいのかと思って。
神妙な顔で尋ねるヴィスに、女性二人は顔を見合わせる。
「忘れてたら、自分の好きにしたらいいんじゃないですかぁ?」
「自分の好きに……って、言われても……」
「……ねえ、貴方、相手のことを大事にするのはいいけど、それよりも先ず自分自身と向き合った方がいいんじゃない? 主体性があまりにも無さ過ぎると、相手だってどうしたらいいのか分からなくなっちゃうわ」
「んん〜……」
そうは言われても。自分がどうしたいのかなんて、考えたことも無い。
重要なのは他者の意思であって、誰かの決めたことを自分の意思で捻じ曲げるような事はあってはならない。
そう教えられて生きてきたし、自分もそう在りたいと思っている。
「じゃあもう成り行きに任せればいいんじゃないですかぁ? 忘れてるようなら、忘れたままにしておくって事で」
「そうだね……うん、そうしようかな」
「あ、そうだ。ついでにコレあげる」
女性は鞄からラベルの巻かれた小瓶を取り出して、それをヴィスに渡した。
「これは?」
「二日酔いに効く薬。必要ないかも知れないけど、話のきっかけにもなるでしょ?」
納得して有難く頂戴したヴィスは、二人と別れ宿へと戻った。