06.原罪が齎したもの
テノスに向かう道中、通り抜ける必要のある難所の一つ、レムレース湿原。その入り口に到着した一行は、広がる沼地と立ち込める霧に気後れして足を止める。
「うへぇ……なんやここ。ジメジメしてヤな感じやなぁ」
「あれ、なんだ……?」
キュキュが指し示した先の地面には、人のようなものが倒れていた。
人、と言っても、生きた人間ではなく亡骸の様だ。一つではなく、幾つかが同じような状態で無造作に転がっている。
どうしてこんな所にそんなものがあるのかと皆が不思議に思っていると、その視線の先でそれらが突如として起き上がった。
ギョッとして後退った一行に、動く骸が襲い掛かって来る。
「死体が動いてる……!?」
「そんな自然の摂理に反するような事、どうして……!?」
訳も分からないまま一先ずはそれを撃退し、先へ進む前に状況を整理しようと円になって話す。
「奴らの階級章から判断すると、ここが最前線だった時に戦死した兵士達だろうな」
「それってヤバくねぇか? ここには死体がてんこ盛りって事だろ?」
「ここから先は、動く死体まみれっちゅうわけかいな……気が滅入るなぁ……」
「死者が人を襲うなんて……これも無恵……天上界の消滅に関係あるのかしら……」
アンジュの考察を聞いて、ヴィスは荒れ果てている湿原を見渡した。
元々この場所は、小さな湖が無数にある、美しい場所だったのだという。
テノスからの雪解け水で土砂が流入し、長い年月をかけて今のような状態になったらしいが、それがここまで酷い有様になってしまっているのは、自然現象だけが原因ではないのだろう。
腐敗して脆くなっている橋から落ちたり、動く死体に追いかけまわされたりしながらも、一行は何とか湿原の出口まで辿り着いたが、出口の前にはこれまた無数の死体が待ち構えていた。
それらは黒いモヤに取り込まれて一つの大きな塊となり、見るも悍ましい怪物に変貌する。
「なんだこりゃあ!?」
「うえぇぇぇえ、キモっ……!」
「そんな……こんなことって……」
「アンジュ、何ボーッとしてるの! 来るわよッ!」
イリアとリカルドの銃口が揃って火を噴き、それを合図にルカ達前衛が敵に突撃する。
ヴィスは例によって一歩引いたところからそれを眺めつつ、いつもより動きの鈍いアンジュを中心に最低限のサポートをする。
アンジュの調子が悪い理由が判明したのは、戦いが終わってからの事だった。
大人しくなった化け物は、くぐもった声でオリフィエル――アンジュの前世の名を呼ぶ。
「あ……あなた方は……」
「く……暗い……ここは天上界では無い……のか……? 俺は……死んだ……のか……?」
「俺の体は……どこ……だ……センサスの奴らは……どこだ……」
「センサス? って事は、こいつらラティオの転生者なの……?」
イリアのその推理は当たってはいるのだろうが、この状態を転生と呼ぶのはあまりにも酷過ぎるとヴィスは思った。
ルカ達は普通の人間として転生出来ているのに、どうして彼らはこんな状態に陥っているのか。
思考を巡らせたヴィスは、一つの可能性に思い至る。
(彼らは、自分が死んだ事すらハッキリと理解出来てない……もしかして、崩壊に巻き込まれて死んだ人達……?)
ルカ達の前世であったアスラ達は、時期や詳細な原因こそ違えど、皆天上界の崩壊とは無関係に死を迎えている。
これまでの旅で出会ってきた他の転生者達にしてもそうだ。最たるは天上界であった戦で死んだ者達で、皆、死因は崩壊とは別のところにあった。
(創世力の世界改変に巻き込まれて死んだせいで、転生が上手く出来なかったんだとしたら……そのせいで、ずっとこんな場所で彷徨い続けているんだとしたら……)
これもまた、創世力が齎した悲劇の一つではないか。
言葉を失くし立ち尽くすヴィスの前で、アンジュは救いを求めるかつての同胞達に、弔いの言葉をかける。
「よく戦ってくれました。貴方がたの死は、安らかな光に満ちています」
「おお……オリフィエル様……」
「さあ、魂は正しき場所へ。暖かく、美しい彼方へ。我が祈りにて、彷徨う魂は救われん」
アンジュのその祝詞によって、彼女の転生者としての力は正しく発動した――筈なのだが、どういう訳か効力を発揮しなかった。
何かに阻まれるようにして、光は霧散し消えてしまう。
「そんな、どうして……彼らの魂は救われないまま、この地に留まり続けなければならないの……?」
「オリフィエル……様、どうして……貴方は、我々を裏切……」
「ここは寒い……寒いよ……助けて、助けて……」
「……っ!」
化け物の体から突き出た無数の人の頭が、口々にそう呟きながら消えていく。
正しく成仏出来たようにはとても見えない。恐らくは、戦いで弱り一時的に姿を消しただけなのだろう。
「私は……背負わなければならないのね。彼らの救われない魂も……ヒンメルの心も……」
アンジュはそう呟いて、思い詰めた表情のまま、開かれた道の先へ進んでいく。
仲間達も、ここであれこれ悩んでいても仕方がないと、それに続いた。
(違う……違うよ。アンジュちゃんのせいでも、オリフィエルくんのせいでもない……これは……)
ヴィスは何とか出来ないだろうかと懸命に知恵を絞ったが、今の自分には彼らを救う事など出来ないのだと痛感するだけだった。
「どうやら予想よりも、前線が北に移動している様だな」
湿原を抜けるなり、周囲の状況を確認したリカルドが仲間達にそう告げた。
「これなら、どこかに補給できる場所があるかもしれん」
「どういう事?」
「これだけ町から前線が離れれば、町と前線を繋ぐ中継地点がある筈だ。そこなら物資が手に入る可能性がある」
「そりゃ有難ぇな。ここからまた湿原を抜けてマムートに戻るなんて、まっぴらごめんだしよ」
「じゃあ、目ぼしい場所を見つけたら寄ってみようか」
「そうだね。休息が必要そうな人も居るみたいだし」
「それってアンジュの事?」
「勿論、彼女もだけど……もう一人、いつもと様子が違う人が居るでしょう? ほら、あそこに」
コンウェイにそう促されて、ルカ達は随分と遅れて最後尾を歩いているヴィスに気付いた。
キュキュとエルマーナは俯いている彼の元に駆け寄って、その顔を覗き込む。
「ヴィス、どうした? 疲れたか?」
「え? あ、ううん。大丈夫だよ」
「さっきんとこ、めっちゃ空気澱んどったもんなぁ。無理せんときやぁ」
「なんだ、具合が悪いのか? なら補給地でしっかり休んでおけ。戦場で倒れられても困る」
「はーい」
とは言え、先を急ぐ旅である以上、あまり悠長にしても居られない。
故に先の湿原で減ってしまった物資の補給だけ済ませて、休憩もそこそこに一行は戦場へと向かった。
一度経験済みとは言え、戦場の緊迫した空気はそう簡単に慣れるものではない。
びくびくとしながら小さな歩幅でゆっくりと進むルカに、先頭を歩くリカルドが檄を飛ばす。
「貴様ら! 何を呑気に歩いている! 此処は長閑な観光地では無いんだぞ!」
「リカルド、なんか変なスイッチ入ってない? あれ」
「だな。妙に張り切ってるし、やたらと注意してくるし」
「そんな事では死ぬぞ! とか、大声で叫んだりもしてるしなぁ」
まさしくエルマーナが言った通りの事を、直後にリカルドが叫んだ。
そのあまりの迫力と戦場への恐怖でルカは泣き出してしまい、それを見たアンジュが行き過ぎたリカルドを窘める。
だが、それで大人しくなったのは一瞬で、少し進めばまたリカルドは声を張り上げ始めた。
戦場の空気がそうさせるのだろうかと仲間達は苦笑し、愚痴を零しつつもなんとかそれについて行く。
「やれやれ。張り切るのはいいんだけど……大丈夫かな」
「? 何がだ?」
「このままだと、ちょっと良くない事になるんじゃないかと思ってね。まあ、ボクにはあまり関係無いんだけれど」
「?」
疑問符を浮かべるキュキュに、コンウェイは「後ろ、見てごらんよ」とだけ言った。
言われた通りにしたキュキュは、先ほどよりも大幅に遅れているヴィスを見つける。
リカルドもそれに気付いて、さっさと歩けと𠮟りつけたが、ヴィスの歩くペースは変わらない。
そして、リカルドの言う所の格好の標的≠ノなってしまっている彼は、危惧していた通り敵に見つかってしまう。
流石に無視も出来ないので、皆はヴィスの所まで引き返して敵を蹴散らした。
「ごめんね」と眉を下げて笑うヴィスを見て、そのあまりの緊張感の無さにリカルドが激昂。
「お前、ここが戦場だという事が分からないのか!? いつも歩いている街道とは訳が違うんだぞ!」
「分かってる、分かってるんだけど……」
「分かっているのなら走れ! お前一人が遅れただけで、ここに居る全員の命が危険に晒されるんだぞ!」
「それも分かってるんだけど、ただ……」
「いいや分かっていない! 事の重大さを理解しているのなら、今お前がすべき返事は以後気を付けます≠セけだ! そんな言い訳が出てくる時点でお前は――――」
「ストップ。そこまでにしておきなよ」
自分の目的と無関係の事には極力口を挟むまいとしているコンウェイは、日頃邪魔者扱いしている相手とはいえ、一方的に詰められているヴィスの様子に流石に見兼ねて割って入った。
「彼が遅れてるのは、ただの怠慢って訳じゃあないと思うよ。多分、走りたくても走れないんじゃない?」
「……何? どういう事だ?」
「足、痛めてるんでしょう? 今朝からずっと引き摺って歩いてるし」
リカルドはコンウェイに言われて初めてそれに気付いたが、他の仲間達は確かにその兆候はあったなと納得してヴィスを気遣う。
「今日はえらいゆっくり歩いとるなぁと思とったけど、何やどっかで怪我でもしたん?」
「いや、怪我とかじゃないんだけどね。ちょっと筋肉痛というか、思うように動かなくて……」
「あー、そういやお前、昨日海潜ったりしてたもんな。あの時に痛めたんじゃねーの?」
「気付けなくてごめんなさい。ちょっと見せて貰えますか? 私の術で少しは楽になるかも」
そう言ってアンジュが治療を始めるのを見て、リカルドは閉口した。
まさか。いや、どう考えても、ヴィスの不調は、昨晩の宿でのアレが原因だろう。
考えてみれば、彼は昨日から碌に休めてはいないのだ。そんな事ぐらい、いつもなら気付ける筈なのに、全くそこに意識が行っていなかった。
「……彼もおかしいけど、今日は貴方が一番おかしいと思うよ。何があったのかは知らないけど、らしくないんじゃないかな」
コンウェイにそう言われて、リカルドは益々眉間の皺を深くした。
ああ、確かにその通りだ。どう考えても、今の俺はおかしい。そしてそのおかしさの原因なら分かっている。
だからこそ、リカルドはコンウェイに、ヴィスの不調に気付いたのが、自分ではなくコンウェイであったという事実に憤りを感じた。
「……お前はあいつと仲が悪いものだと思っていたが、俺の思い違いだったか? 随分とあいつの事をよく見ているんだな」
「ボクが特別彼を見ていた訳じゃないよ。今日の貴方の視野が特別狭いっていうだけで。いつもの貴方なら、あんな分かり易い異変にはすぐに気付けたんじゃないかな」
「そんなに分かり易かったか? 他の誰も、お前ほどハッキリと認識してはいなかった様だが」
「随分と突っかかってくるね。何を勘繰られてるのか分からないけど、ボクは彼とは貴方達が知る以上の事は何も無いよ」
「俺は別にお前とあいつの間に何かがあると疑ってはいないが、そうやって念押しされると邪推してしまうな」
「邪推って……勘弁してくれないかな。本当に何も無いんだけど」
コンウェイは謎の思い込みで執拗に疑ってくるリカルドに完全に参っていた。
誰も気づいていないようだから、今回ばかりは自分が気遣ってやろうと、そういう気持ちでの発言だったのだが、どうやら裏目に出てしまったらしい。
そもそも、どうしてリカルドはここまで腹を立てているのか。面倒事に巻き込まれたくないコンウェイは、何とか彼の心境を汲もうとする。
「仮にボクと彼の仲が良かったとしても、何も問題は無いと思うんだけど。何がそんなに気に入らないのかな。まさかとは思うけど……」
「違う。そんな訳が無いだろう。ふざけた事を言うな」
「まだ何も言ってないんだけど? そんなに全力で否定されると却って怪しいね。さっきの貴方じゃないけど」
「いい加減にしろ。何が怪しいだ、馬鹿馬鹿しい」
リカルドはぶつぶつと文句を言いながら、座り込んでいるヴィスの前に背を向けて屈んだ。
「いつまでそうしているんだ。行くぞ、早く乗れ」
「え? 乗るって何に?」
「背負ってやると言っているんだ。お前のペースに合わせていたら日が暮れる」
「いやでもそんな、悪いよ。リカちゃんだって疲れてるだろうに……」
「いいからさっさと乗れ! グズグズするな!」
その剣幕に、これ以上渋るのは得策ではないと悟ったヴィスは、素直にその厚意に甘えることにした。
「ごめんねリカちゃん、迷惑かけて。無理そうだったら降ろしてくれていいからね」
「人一人背負った程度で音を上げるほど軟じゃない。それより、早くここを抜けるぞ」
そう言って、リカルドは先ほどまでと全く変わらぬスピードで歩いて行く。
問題が解決して良かったと仲間達もそれに続き、残されたコンウェイが何とも言えない表情になっているのをキュキュが物珍しそうに眺める。
『どうしたの? 置いて行かれるわよ』
『分かってるよ。……まさかキミに冗談で言った事が本当になるとはね』
『? 何の話?』
『妙な勘違いで嫉妬されて大変だって話だよ』
故郷で読んだ本に描かれていた彼は、もっと理知的で大人びた男性であった筈なのだが。
コンウェイは帰ったら注釈でも書き加えようかと考えながら、ルカ達の後を追った。