06.原罪が齎したもの

「マティウス! お前に創世力は渡さないぞ!」

広い飛行船内の入り組んだ通路を抜け、艦橋に辿り着いた一行は、並び立つマティウス達と対峙する。

「マティウス、あんた何でイナンナと同じ顔してるのよ。イナンナは私よ!」

「……本当に知りたいのか? その理由を」

「……!? 痛っ……頭が……!」

これまでよりずっと激しい頭痛に襲われて苦しむイリアを、マティウスは満足気に眺めて嗤う。

「お前のその痛みは、魂の痛み……真実を思い出したくないお前の魂が、そうさせるのだ」

「ど……どういう意味よ、それ……」

「いずれ分かる。そんな事よりルカ、お前はこちらへ来ぬのか? 今なら共に歩む道もあるのだがな」

「そ……そんな事する訳ないだろ!」

「いいや、お前はいずれ望んでその手を差し出す事になる。それこそが、お前の魂を救済する唯一の道だからな」

「けっ、そんなバカな話あるわけねぇだろ!」

「果たしてそうかな? まあいい。この距離なら、最早飛行船など不要。お前達の相手は、こいつに任せるとしよう」

マティウスが手を前に翳すと、ルカ達の前に巨大な鳥型の魔物が現れた。
更には船を焼き、周到に時間稼ぎの手筈を整えてから、シアン達を伴って去ろうとするマティウスを、ヴィスが呼び止める。

「君の目的に、シアンくんは関係ないよね。その子を巻き込まないで欲しいんだ」

「巻き込む? まるで私が、こいつを無理矢理連れ回しているかのような言い草だな。こいつは自分の意思で、私に従っているのだぞ」

「そうだ。マティウス様と一緒に居るのは、ボクが決めたことなんだ。お前には関係ない!」

「シアンくん、君は勘違いしてるよ。マティウスさんが創世力を使って叶えようとしている願いは、君の思い描いているものとは――」

「うるさいッ! ボクにはもうマティウス様しか居ないんだ! お前も、他の誰だって、ボクの事を助けてくれなかったじゃないか! そんな奴らの言うことなんか聞きたくない……!」

「そういう事だ。こいつの苦しみは、最早私にしか癒せぬ。お前も余計なことは考えず、与えられた使命を果たすがいい。いつまでもそんな戯れを続けていないで、在るべき場所へと帰ることだ」

「……与えられた使命? 戯れ? 在るべき場所? ヴィス、何の話だ」

リカルドの問いに、答えられないヴィスは黙って俯いた。
その様を見て、マティウスは滑稽だと嘲笑う。

「ソレが何なのか、お前達が分からない筈が無いのだがな。そうか、そんなにも思い出したくないか! ならば永遠に記憶に蓋をしたまま、真実から目を背け続けるがいい」

チトセとシアンを先に天空城へと飛ばしたマティウスは、魔物越しにヴィスを見遣る。

「お前達が忘れていようと、私は全てを覚えている。お前もそうだろう? 私を哀れに思うのなら、あの場所でもう一度、力を貸しておくれ」

そう言って、マティウスは天空城へと消えた。
このままでは墜落してしまうと、急いで魔物を片付けた一行は、炎に呑まれかけている船から脱出する。

「ああ〜、飛ぶ船、もたいない……」

「ホンマや、勿体ないなぁ……あれ一隻でも売り飛ばしたら、リンゴ一億万個は買えるやろに……」

「一億万個! そんなに買えるか、しかし!」

黒煙を上げて海に落下していく飛行船を、それより小さな飛行船の窓から眺めるキュキュ達が、無邪気にそんな感想を漏らす。

一方、天空城を目指し再度舵を取る羽目になったリカルドは、操縦室の隅で床に視線を落としているヴィスに話しかける。

「お前は、マティウスと前世から縁があったのか?」

「…………うん」

「何故黙っていた」

「言っても仕方ないかなって……」

「マティウスは色々と言っていたが、あれはどういう意味だ? お前の使命とは何だ」

「………………」

「……マティウスには言えるのに、俺達には言えないのか」

「違うよ。マティウスさんは前世のことを覚えてるから、俺の事が分かるだけ。マティウスさんが言ってた通り、本当はルカくん達だって、俺の事知ってる筈なんだ。でもあの子達は忘れてる。覚えていないのなら、そのままにしておいた方がいい」

「だから記憶喪失のフリなどしていたのか? ルカ達が思い出さなくて済むように?」

「それもあるし、他の理由もある。でももう、これ以上は隠し通せないな。天空城に行けば、きっと彼らは嫌でも思い出す事になる。……ヒンメルの転生者が記憶を取り戻していた上に、創世力を欲してたのは誤算だったよ。天空城さえ見つからなければ、嫌な事は全部回避出来たんだけど」

天空城が現存していると知られてしまった以上、創世力が誰かの手に渡るのは時間の問題だ。
今マティウスを止められたとしても、他の誰かが己が願いを叶えんとしてやって来るだろう。

「あーあ。なんでこうも上手くいかないんだろうなぁ。嫌になっちゃうなぁ」

苦笑と共に出たヴィスのその言葉は、声色こそいつも通りでも、これまでとは違う彼の本心が透けているようにリカルドには聞こえた。

「……ヴィス」

「あ、ごめんね、運転の邪魔だよね。静かにするね」

「別にそれはいい。この操縦にも多少は慣れてきた」

「え、もう? 凄いねリカちゃん、流石だね〜」

「……お前、ずっとそうやって生きてきたのか?」

「うん?」

「心の内を誰にも明かさず、一人で全て抱え込んで生きてきたのか?」


――――不意に部屋が静かになって、数秒、ゴウンゴウンという飛行船のエンジン音だけが空間を満たした。


船室から聞こえてくるエルマーナ達の元気な声を聞いて、笑顔のまま固まっていたヴィスが口を開く。

「……ダメかな? そういうの。俺はそうした方がいいと思ってたけど、良くなかった?」

「いや、別に責めているわけじゃない。お前なりに、色んな奴を気遣ってそうしていたんだろう。そのお陰で今日までルカ達が笑っていられたんだとしたら、お前のその努力は無駄じゃ無かったさ。……だが、恐らく俺はお前が隠していることとは無関係だろう?」

「うん、まあ、全く関係ない訳じゃないけど……ルカくん達みたいに直接俺と何かあった訳じゃないよ」

「だったら、俺一人くらいには、打ち明けても良かったんじゃないか?」

「うーん、でも、話してどうにかなるような事でもないから」

「だとしても、話せばお前の気持ちは少しは楽になったかもしれん」

「そんな事の為に、リカちゃんを巻き添えには出来ないよ」

「そんな事≠カゃない、大事な事だ。お前は辛かったんじゃないのか? ルカ達の為とは言え、真実を隠して嘘を吐くのも、忘れ去られたままで居続けなくてはならなかった事も……本当はお前も、あの輪の中に入りたかったんじゃないのか」

前世の縁で繋がれた絆。
記憶を共有する者達だけの世界。
それを外側から眺めることしか出来ない日々。

「あいつらに言えないのなら……せめて俺にだけは、言ってくれても良かったんだぞ」

再び静寂が訪れた。

長い長い沈黙の後、ヴィスが答える。

「……俺さ、関わった人みーんな不幸にしてるんだ。なのに、ごめんねって言うことすら出来なかった。気持ちを伝える術が無くて、見ている事しか出来なかった。生まれてからずっと長いことそんな風だったから……それが当たり前過ぎて、誰かに気持ちを打ち明けるって発想が無かったや」

困ったように笑って、それにね、と続ける。

「ルカくん達に嘘を吐くのも、忘れたままで居られるのも、元々は俺の咎によるものなんだから、辛いのも罰として受け入れるべきなんだよ。だから、これで良かったんだ。……でも、有難うね」

話している内に、飛行船は天空城のすぐ近くまで来ていた。
リカルドは横付け出来そうな場所を探して、そこに飛行船を停める。

「あ、もう着いちゃった? 運転お疲れ様〜」

「へぇ、ここが噂の天空城か……」

「来たことなんてないのに、何だか懐かしく感じるね」

「確かこの城はアスラがラティオから奪った後、センサスの砦として使われてたんだよな」

先に降りたルカ達がそう話しているのを聞きながら、リカルドもヴィスと共に船を降りる。
が、ヴィスは何故かその場で立ち止まった。

「……あのさ! 俺、ここに残ってもいい?」

「はぁ? 何でだよ?」

「帰りに飛行船が無くなってたら困るし、誰か一人くらい見張りが居た方がいいんじゃないかなーって思って。さっきみたいにマティウスさんに燃やされでもしたら大変だもん」

「あー、そらぁ確かにゾッとするなあ。ヴリトラん時みたく飛べるわけでもあらへんし、飛行船無いなったら帰れんようになってまう」

「でしょ? って事で、俺はお留守番しておくから、後の事は皆にお願いしてもいい?」

「しゃーねぇな。んじゃ、しっかり見張っといてくれよ」

「はーい! 行ってらっしゃい」

トントン拍子に話が進んで、割り込む隙もなく決定してしまった事に、リカルドが狼狽える。

「どういうつもりだ?」

「さっき言った通りだよ〜。それに今回はついて行っても、あんまり役に立てないだろうし」

「だからと言ってここに残る必要も無いだろう。仮に飛行船に何かあったとして、お前一人で対処出来るのか?」

「正直ちょっと怪しいんだけど、でも誰も見てないよりはマシじゃない? 飛行船が無いと帰れなくなっちゃうのは事実だし」

「それはそうだが……」

「それよりほら、早く行かないと。皆待ってるよ」

少し先で振り返って手を振っているスパーダ達を指して、ヴィスはリカルドの背を押した。
リカルドはいまいち納得がいかないまま、しかしここで時間を潰す訳にもいかないと歩き出す。

「――皆! ここ、足場悪いところ多いから気を付けてね! 落ちないようにね!」

「うん、分かったよ」

「えーっと、あと忘れ物とか無い!? 回復薬とかちゃんと足りてる!?」

「大丈夫大丈夫、足りてるわよ〜」

「なんか母親みてーだなあいつ」

飛行船から名残惜しそうに見送りを続けるヴィスに、「そんなに心配ならついて来ればいいのに」と皆が苦笑した。

ヴィスは遠ざかっていくルカ達の背中を見ながら、他に何か言っておくことは無いだろうかと考える。

「あとは……えっと……皆頑張ってね! 応援してるからね!」

張り上げた声に、既にシルエットになっていたルカ達が手を挙げて応えたのが見えた。
一人になったヴィスは、それでもまだ言い足りないと口を動かす。

「あとは……あとは何だっけ……言わなくちゃいけないこと、きっともっと他に沢山あるのになぁ……」

見えなくなっても、未練がましくずっとルカ達が歩いていった方を見つめ続けていたヴィスは、ぺたりとその場に座り込んで、周囲を見渡した。

かつて栄華を極めた天上界。
多くの神々で溢れ、同じだけの声に溢れていた古の楽園は、今や見る影もない。
在るのは崩れた石柱と、色褪せた草花、物言わぬ石像だけ。

いつも見ていた風景。飽きるほどに慣れ親しんだ世界。
またここに戻ってきた。悪夢のようなこの現実に。

(……リカちゃんの話したいことって、結局何だったんだろうなあ)


それがどんな内容であれ、ちゃんと聞きたかった。

彼が大事な§bだと言ったのだから。
「聞いて欲しい」と言っていたのだから。


(あと少し……あとほんの少しだけでいいから、時間があれば良かったのに。待っていられたら良かったのに)


――――でも、もう終わりにしなくては。


「……飛行船見張るって言ったのに、最後まで嘘ばっかりついてごめんね、皆。大好きだよ」

ヴィスが目を閉じると、その身体は俄に光り出した。
人の形をしていたその光が、ゆっくりと蛍のように散らばっていく。

風がそれを運んで、やがて消えると、その場所には飛行船だけが残された。
まるで最初から、そこには誰も居なかったかのように。
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