06.原罪が齎したもの

「さあ、イナンナ。献身と信頼の証を……地上と天上界を、今こそ一つに……!」

それは、長く待ちわびた瞬間だった。

戦に勝ち、ケルベロスの承認を得て、漸く手に入れた創世力。
積年の夢が漸く果たされる――その喜びに打ち震えていたアスラは、突如背後から刺されてしまう。

貫かれた体。
武器を伝って滴り落ちる血。
何が起きたのかを理解していない顔。

「ごめんなさい……アスラ。私、それだけは……!」

剣を――デュランダルを握っていたイナンナが、そう言って泣き崩れた。
痛みに立っていられなくなったアスラも、膝を折り床に掌を突く。

「馬鹿な……イナンナ、何故だ……?」

「アスラ……許して……」

泣きながら謝り続けるイナンナに、胸から剣を生やしたままのアスラが、悪夢でも見ているかのような心地で問いかける。

「初めから、こうするつもりで……暗殺が目的で、俺に近付いたのか……?」

「そう……センサスの将、アスラの心を奪い、暗殺する……それがラティオの元老院から私に下された使命……でも私は、貴方を愛してしまった……! ラティオを裏切りかねない程に……!」

「ならば何故……愛していると言うのなら、何故今こうして、お前は俺を……」

「貴方が遂げようとしている願い……地上人を天上界に帰す事だけは、許せなかったの……どうしても……!」

かつて豊穣の女神イナンナの母は、恵みを与える為に一人地上へと降りた。

しかし、地上の人間達は、そんな彼女の命を奪い、その骸を貪った。
神の肉を喰らえば不死になれるという、ふざけた迷信に踊らされて。

イナンナはその暴挙を許すことも、忘れることも出来なかった。
どれだけアスラを愛していても――否、愛しているからこそ、それを奪いかねない野蛮な地上の民を、この幸せな楽園に迎え入れようとするアスラの選択を、受け入れる事が出来なかった。

「地上人は、決して天上人とは相容れない……天と地が一つになれば、ただ混乱が生まれるだけ……更なる戦しか生まない……」

アスラとて、イナンナのそのトラウマを知らぬ訳でも、彼女の不安な想いに気付かなかった訳でも無い。

だからこそ、彼女のその疑心を取り除く為に、尽力してきたつもりだった。
言葉を尽くし、力を示し、長い長い時間をかけて、己が居れば大丈夫だと伝えてきたつもりだった。

それなのに。

「俺を……信じられなかったのか……? デュランダル、お前もか……」

「我はただの道具……人の道具に過ぎぬ……この様な結果になって、残念だ……」

アスラの血に染まったデュランダルが、アスラを貫いたまま言った。

アスラの瞳から涙が零れた。
拳を震わせ、歯を食いしばり、声を絞り出す。

「結局、失うのであれば……全てを手に入れても、失うのであれば……元より何も持たない方が良かった……俺の望んだ世界……世界は――――ッ!!」

アスラは悲鳴とも怒号とも取れる叫びを上げて、胸に刺さったデュランダルを手で圧し折り、イナンナの心臓を拳で貫いた。

そうして、三人は同時に絶命した。
主を亡くした創世力は、それでも、盟約に従ってその力を振るう。

世界が鳴動し、大地が割れた。
翼を持たぬ神々は、その隙間から、為す術もなく地上へと落ちていく。
翼を持つ者達も、体の端から徐々に石化していき、次々に石像へと変わっていった。

「天と地を一つに」というアスラの願いと、「天と地を分かれたままに」というイナンナの願い、相反する二つの願いを叶える為に。

創世力は、センサスもラティオも、天も地も関係なく、世界の全てを平等に呑み込んで行った。






全てを思い出したルカは、呆然と立ち尽くしていた。
その隣で、同じく記憶を取り戻したイリアが、頭を抱えて崩れ落ちる。

「そんな……そんなの、嘘……でしょ……? 嘘、嘘よ!! いやぁぁぁぁぁぁぁーーッ!!」

「……イナンナの裏切りが、アスラの魂に絶望と憎しみを刻んだ。そして、私が生まれたのだ」

「じゃあ……僕は? 僕はなんなの……?」

「私を怒りの化身だとするならば、お前はアスラの心の迷い、弱さに過ぎぬ。思い出せ、大義を阻まれた無念を! そして絶望を!!」

「そんな……僕は……ああ……あぁあ……!」

湧き上がる感情と記憶に翻弄されて、今にも精神が崩壊しそうになっているルカに、マティウスは手を差し伸べる。

「さあ行こう、我が半身よ。我々にはやる事がある」

「参りましょう、アスラ様。私はお二方の忠実なる僕……決してどこかの女のように裏切ったりはいたしませぬ」

チトセは未だ発狂状態のイリアを冷めた目で見下ろして言った。
立ち尽くしていたルカは、覚束無い足取りでチトセについて行く。

「駄目、ルカくん!」

「ゴラァ! ルカ! てめぇ……戻ってきやがれ!」

「なぁ、行ったらアカンて、ルカにーちゃん……!」

「本当にそれがお前の選ぶべき道か、ルカ!?」

「これは我々に与えられた責務なのだ。人であれ、神であれ、存在することが敵を生む……だから私は、世界を滅ぼさなければならない!」

「!? そんな、世界を滅ぼすだって……!? 貴方は理想郷を創るって言ってたじゃないですか!!」

話が違うと、ここまで黙って聞いていたシアンが吠えた。
マティウスは穏やかな顔で答える。

「理想郷だとも。全てが無くなれば、争いも憎しみも悲しみも生まれない。約束された悠久の平和、皆が平等な死を迎える世界……素晴らしいとは思わんか?」

「そんな……ボクは、世界を滅ぼす為に、利用されてただけだったの……? う……うわあぁぁぁぁぁあッ!!」

縋っていた最後の希望を失くしたシアンは、自暴自棄になってマティウスに特攻した。
だがその攻撃はあっさりと阻まれて、小さな身体はマティウスの術に吹き飛ばされる。

「世界の破滅……これもまた一つの救い。憎しみと裏切りのない世界を望むのなら、私と共に力を使うのだ。この創世力を……さあ!」

祭壇にあった創世力が、マティウスの手元へと移った。
それを見たシアンは、よろめきながら傷だらけの身体を起こす。

「ムダだ……お前達は同一人物、たとえ二人でも使えない……ボクは創世力の番人だったから分かる。信頼する者も、愛する者も居ないお前に、その力は使えない……」

「……では、もう一つの方法を取るしかない。ルカ、お前の心に住み着いた女……イリアの命で、創世力を使うのだ」

その言葉は、果たしてルカの耳に届いていたのだろうか。

茫然自失となっているルカは、ブツブツと呟く。

「天上界を崩壊させ……世界の皆を不幸にしたのは、魔王なんかじゃなく僕自身だった……全部、全部僕のせいで……! そんな僕なんか……消えてしまえばいい……! それが一番良いんだあッ!!」

ルカの感情に呼応して、その身に宿る力が暴走を始めた。
かつて天上界が崩れた時と同じように、大地が鳴動し、地面に亀裂が走る。

「マティウス様、城が崩れます!」

「まだ手はある……行くぞ、チトセ」

マティウスとチトセは、来た時と同じ転移術を使って逸早く脱出した。
揺れる足場に身体を揺さぶられながら、ルカの叫びで正気を取り戻したイリアと、スパーダ達は口々にルカの名を呼ぶ。

「聞いてんのかルカ! しっかりしろ! 目ぇ覚ませ!!」

「どうしよう、このままじゃ……!」

「……皆、飛行船に戻るぞ」

「でもルカが!!」

「お前達がここに残って死ぬ事を、あいつが望むと思うのか!?」

「だとしても、ルカを置いては行けねぇ!!」

梃子でもその場を動こうとしないイリアとスパーダに、リカルドはキュキュとコンウェイに目配せ。
指示を理解した二人は、ルカを見つめている二人を素早く気絶させて背負う。

「悪いが、お前達までここに置いていく訳にはいかん。アンジュ、エル、来い!」

名を呼ばれた二人は顔を見合せ、それからルカを見た。
今の彼には何を言っても効果が無い事も、近寄ることすら出来ないあの暴走を止める術が無い事も分かる。そんな状態でここに残っても、他の仲間を危険に晒すだけだという事も。

故に、皆はルカを残してその場を離れるしか無かった。
スパーダを背負って走るコンウェイの目に、横倒しになったアスラ達の像と、空になった祭壇が映る。

そしてそこに刻まれている古代の文字を見て、彼は息を呑んだ。

「……そうか……それか……! あの既視感は……あの痣は……、彼は、そういう事だったのか……!!」

頭を悩ませていた全ての謎が解けて、彼は思わずそう叫んだ。
崩壊する天空城に残されたままの創世力を目で探して、ずり落ちてくるスパーダを背負い直す。

「安心するといい、約束は守るよ。キミを怒らせるような真似はしない……ボクを殺さなかった事を、後悔させたりはしないよ」

それだけ伝えて、コンウェイは全速力で飛行船目指して走った。

ゆらゆらと揺れながら宙を漂っていた青い光は、それを見送ってから、シアンの傍に流れていく。

シアンはそれに気付いて、赤い瞳に涙を溜めた。

「ごめん……ボクが間違ってた……ボクは創世力の番人なのに……お前を守らなくちゃならなかったのに……あんな奴の言いなりになって、このままじゃ世界が潰される……!!」

零れ落ちた大粒の涙が、雨のように地面を叩く。
青い光は更にシアンに近付いて、その涙を拭おうとするかのように顔の近くで止まる。

「君が悪いんじゃないよ。君はもう、創世力の番人なんかじゃ無いんだから」

すぐ傍で声が聞こえた。

否、これはただの幻聴かもしれない。
それでも、シアンはその声に耳を傾ける。

「長い間ずっと、傍に居てくれて有難う。守り続けてくれて有難う。君のお陰で、俺は寂しくなかったよ。でもそのせいで、君には……君達には、耐え難く辛い想いをさせてしまった。本当にごめん」

二匹の犬が、シアンの両脇でクゥンと鳴いた。
青白い光の球を、ボールのようにペロペロと舐める。

「出来ることなら、君達の願いを一番に叶えてあげたかった。でも、俺にはこの力を自由に扱う権利が無い。始祖の巨人が定めた盟約に則ったやり方でしか、創世力の真の力は振るえない。だから、君が望む世界を、君に与えてあげることは出来ない。……役に立てなくてごめんね」

「……わかってる。最初から、ちゃんとわかってたんだ。わかってたのに……お前を責めるようなことを言ってごめん……」

「いいんだよ、責めたって。俺は君にそれだけの事をしたよ。本当はもっとちゃんと謝りたかったし、色々話したいこともあったんだけど……もう時間が無いね」

すぐ近くに石柱が倒れてきて、シアンの身体がびくりと跳ねた。
ケルとベロはシアンの服の裾を噛んで引っ張り、脱出を促す。

「理想郷とは違うかもしれないけど……君の居場所なら、マティウスさんの所以外にもあるよ。ガルポスのジャングルに居たあの愉快なおじさんだってそうだし……今あそこで泣いてる彼だってそうだよ」

シアンは力の奔流の中にいるルカを見た。
己の体が傷付いても構わず、喉が枯れても尚、彼は叫び、暴れ続けている。

「君の事を受け入れてくれる人が、この世界には必ず居る。それでももし君が生まれてきたことを嘆き、世界に絶望し、終わりを望むのなら……その時は、そうしてくれたらいい。マティウスさんと同じようにね。俺はそれを受け入れて、その悲しみに寄り添うよ」

崩壊の音が声を掻き消していく。
シアンは必死に声を拾おうと意識を集中させた。

「でも、生きることを望んでくれるのなら……マティウスさんを止めて欲しい。悲しみのない世界じゃなく、喜びに満ちた世界で、君達には生きていて欲しいんだ。俺の勝手な願望でしかないけど……君はどうか、皆と幸せに――――」

眼前に石柱が倒れてきて、光は消え、声も完全に聞こえなくなった。

シアンは名を呼ぼうとして、呼べる名など無いことに気付く。

「なんだよ……お前にそんなにハッキリ自我があるって分かってたら、ちゃんとした名前くらい、ボクが付けてやったのに……」

シアンは涙を腕で拭って立ち上がった。
そして、力を使い果たし、意識を失ったルカの方へと歩いていく。

「しっかりしろよ……お前には家族も、友達も、仲間だって居るんだろ……! こんなところで全部投げ捨てて死のうとするなよ……! 生きて帰るんだ……!」

自分よりも背の高いルカの身体を助け起こして、シアンは天空城にある非常用の転送陣にルカを引き摺って行った。ケルとベロも、その後を追う。

石柱に潰されて霧散した光は、上空で集まり、再び元の形に戻った。
そして、崩壊する天空城を離れ、創世力を求める者の元へと誘われて行った。
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