00.月満つれば則ち虧く
それからのリュイとユージーンの日々は、特にこれといった事件も無く、穏やかに緩やかに過ぎていった。毎日仕事をして、二人でご飯を食べて、休みの日には出掛けて。何か行事がある時は、多くの人と共にそれを楽しんだりして。
初めの数年はそのごく普通の暮らし≠ノ戸惑い、己の居場所を確保するのに必死だったリュイも、歳を重ねる毎に少しずつ肩の力が抜け、己のキャパシティを超えるような無理はしなくなっていった。
ただのお手伝い程度でしか無かった診療所での仕事も、知識と技術を身に付つけていくうちに、バースに留守を任される程になった。
共に過ごし成長していったアニーとは兄妹のような間柄になり、患者達――特に子供に人気の医者となったリュイは、かつてバースが言った通り、診療所の名物のような存在になっていった。
ハーフへの根深い偏見がある以上、全ての人に快く受け入れられるようにはならなかったが、それでも、王都に最初に来た頃に比べれば、リュイを異端視する者は随分と減った。
それに伴って、リュイも己を過度に卑下するような事は無くなり、ユージーンとの関係もより良好なものになっていった。
そして、リュイが王都に来てから、10年が経とうかという頃。
「……陛下の容態が芳しくないんだ」
並んだ夕食を前に、珍しく食が進んでいないのを見て、具合が悪いのかと問うたリュイに、ユージーンは箸を置いてそう返した。
「病気なんやんな。そんな酷いん?」
「ああ……最近はもう寝台から起き上がることすら出来ず、寝たきりの状態になっておられる。お身体も日に日に衰弱して……あれではいつまで保つか……」
ラドラスが病床に伏していることは、公にはされずとも既に噂になっていた。
ラドラスが居なくなっても、国が傾くようなことにはならぬ様準備はしてあるし、王位継承者のアガーテも、周囲の支えがあれば上手くやっていけるだろうとは思っている。
ただユージーンが憂いているのはそこではなく、カレギアをここまで導いてくれた偉大なる王が、原因不明の病に侵され死に瀕しており、かつ自分には何も出来ることが無い、というところにあった。
「もう随分と昔の話だが……お前と初めて出逢ったあの時、俺があの場に居たのは、陛下のご命令があったからなんだ」
「そうやったん? てことは、陛下も俺の命の恩人てことになるんかな。じゃあ、今度は俺が助ける番――て言えたらええんやけど……ドクターですら分からん病気を、俺がどうにか出来るとも思えへんしなぁ……」
「その事なんだが……最近バースに何か変わったところはなかったか?」
「変わったとこ? 何やその漠然とした質問。そもそも、俺最近ドクターに会うてへんもん。ずーっと城行ったまんまで、診療所の方戻って来ぇへんし……まぁ、陛下がそんな状態なんやったらしゃーないけど……アニーちゃんが寂しがっとるんよなぁ」
あんま表には出さへんけど、と付け加えて、リュイは今家に一人で居るだろうアニーに思いを馳せた。
彼女はバースを尊敬しているし、バースの仕事がどれほど重要なものなのかも理解している。
だから我儘を言うようなことはしないが、それでも、早くに母を亡くした彼女にとって、バースは唯一の家族だ。
時折窓から城を眺めては、悲しげな顔で溜息を吐いている彼女の姿に、リュイは心を痛めていた。
「俺がドクターの仕事代われたらええんやけど……流石に陛下の診察はまだ出来んからなぁ。陛下の病気のことも、アニーちゃんの事も、なんか俺に出来ること無いんかなぁ……」
「そうだな……何か出来ることがあればいいんだが……」
はぁ〜、と、二人は揃って溜息を吐いた。
それから、落ち込んでいても仕方がないと頭を振る。
「そう言えば、こないだ街でミルハウスト見かけてんけど、あっちもなんやめっちゃ深刻な顔しとってん。やっぱり陛下のこと気にしとるんかなぁ」
「ああ、勿論それもあるだろうが……恐らくそれとはまた別の事だろうな。心当たりがある」
「そうなん? ……それってあんま詳しく聞かん方がええ?」
「そうだな、あまり勝手に言い触らすのは良くないだろうが……まぁ、一言で言えば恋煩いのようなものだ」
「恋煩い……って、なんや思てたより可愛らしい悩みやな」
「確かに陛下の事に比べれば軽く聞こえるかもしれんが、これがまたかなり厄介な話でな」
「何それ、めっちゃ気になる」
「悪いがこれ以上は俺の口からは話せん。どうしても聞きたいのなら本人に聞いてくれ」
話している内にいつもの調子を取り戻してきたユージーンは、少し冷めてしまった夕食をパクパクと食べ始めた。
その様子にリュイもホッとして、己の分を食べ進める。
「聞いたら教えて貰えるん?」
「いや、恐らく無理だろうな」
「ほんならええわ。じゃあ代わりにユージーンの話聞きたい。ユージーンは好きな人とか居てへんの? そういう話聞いたことないけど」
「それは……………………」
興味深そうにじっと見詰めてくるリュイに、何と答えればいいか決めあぐねたユージーンは言葉に詰まる。
「え、居てるん?」
「……お前はどうなんだ?」
「質問に質問で返すんナシやで」
「……まぁ、居るには居るが……別にそれでどうこうしようという気は無いんだ。今の関係で満足しているし、それ以上のものは求めていない」
「何やそれ、勿体ない。好きなんやったらお付き合いでも結婚でもしたらええやん。何か問題でもあんの?」
そう言ってから、リュイはハッとして顔を上げる。
「まさか、俺と住んでるから遠慮してる、とかそういう話やないよな……? そんなん絶対やめてや。俺もう1人でも生きていけるんやから、邪魔やったらいつでも出て行くで」
「いや、そうではない」
「じゃあ他に何があんの。相手ヒューマとか? それとも……まさかアガーテ様とか?」
「それは俺じゃなくてミル――――」
ミルハウストの事だろう、と言いかけたユージーンは、咳払いで無理矢理誤魔化して言い直す。
「それより、さっき邪魔ならいつでも出て行く≠ニ言っていたが、そんなにあっさりと受け入れるのか?」
「だってここ元々ユージーンの家やし。俺のせいでユージーンが自分の幸せ諦めるようなことになるん嫌やし……」
「お前はそれでいいのか? 俺が他の誰かと一緒に住むことを選んでも、お前は気にしないのか?」
「気にせんて事はないけど……しゃーないやん。俺ただの同居人やし、奥さん出来たら出て行くしかないやろ?」
「ただの同居人…………」
と繰り返して、何やら難しい顔で押し黙ってしまうユージーンに、リュイはきょとんとする。
「あ、ただの≠チて言うたけど、俺はユージーンのこと命の恩人やと思とるからな。でも第三者から見たら、俺はユージーンの特別な何かっていうわけでもないよな〜って話」
「……確かに、今の関係だとただの同居人≠ナしかないのか……そうか……」
ユージーンはそこでまた沈黙。
暫く考え込んだ後、何か決意したような顔で口を開く。
「リュイ、確か明後日は休診日だな?」
「え? うん、せやけど……それがどうかしたん?」
「俺もその日は非番でな。用事が無いなら、少し付き合ってくれないか? 大事な話がある」
「えっ……付き合うんはええけど、何? 大事な話て。今じゃあかんの?」
「……………………」
「……………………」
「……今がいいのなら今言うが」
「…………ど、どういう類の話なん? 実は病気してるとか、仕事クビになりそうとか、そういう話とちゃうよな?」
「違うな」
「なら良かった……けど、そんな改まって大事な話て言われたら怖いんやけど……」
「怯えさせるつもりで言ったわけでは無いんだが……とにかく、明後日は空けておいてくれ」
ユージーンはご馳走様と手を合わせて、リュイの分の食器も纏めて流し台に持っていった。
有難う、と素直に後片付けを任せるリュイに、ユージーンは微笑みながら、
「聞きそびれたが……お前は今好きな相手は居ないのか?」
「……それ聞いてどないするん」
「どうもしないが、居るなら明後日の話はやめにした方がいいと思ってな」
「え。なんで? どういうこと??」
皿を洗い終わったユージーンは、手を拭いてからリュイの頭をぽんぽんと叩く。
「そういう類の話だ。されて困るのなら聞かなくていい」
「…………え、ちょお待って。え??」
「風呂に入ってくる」
「ま、待ってや、そこで逃げるんズルいで!」
赤くなって狼狽えるリュイを置いて、ユージーンはさっさと浴室に向かった。
一人になったリュイは、落ち着きなくその場をくるくると回る。
(……嘘、嘘やろ。そういう話なん? まさかそんな、ユージーンが俺の事そんな風に思っとるわけ…………)
だが文脈的に、話の内容はそれしか思いつかない。
リュイは「自惚れるな」と自分を咎めたが、耳と尻尾は期待にソワソワと動き、心臓はバクバクと脈を打つ。
(もし、もしホンマに告白とかやったらどないしよ。俺も同じ気持ちやって言うたらどうなるん……こ、恋人にでもなるん? 俺とユージーンが??)
その先を想像したリュイは、甘い痺れに身を震わせた。
緩む頬を叩いて気を落ち着かせようとしても上手くいかず、同居が同棲に変わればどうなるのか、といった想像が次々と浮かんできて止まらない。
(……あかん、まだ決まってもないのにこんな……もし違ったらどないするん。落ち着きぃや俺。気持ち悪いで)
今以上の関係になることなど、自分だって求めてはいなかった筈なのに。
そうなるかもしれないと示されて初めて、自分の欲深さに気付かされる。
それはシャワーに打たれているユージーンも同じだった。
今のままでいい、と言った気持ちに嘘は無かったが、リュイの口から「出て行く」という言葉が出た時、どうしようもなく焦ってしまった。それを止める権利がない現状を、嫌だとも思ってしまった。
彼をここに縛り付けるつもりなどない。
けれど――彼の隣に居られる権利を、他の誰かに簡単に譲りたくもない。
(さっきのあのリアクションは……期待していいのか? もし上手くいったら、これからは……)
と、暫しリュイと似たような想像に耽っていたユージーンは、我に返ると顔を洗って逸る気持ちを抑えた。