00.月満つれば則ち虧く
遠足前の子供さながら、まともに眠れない夜を過ごして、次の日。「リュイさん、今日はこの後何かご予定でもあるんですか?」
営業を終えて、後処理をしているリュイに、それを手伝っているアニーがそう問いかけた。
「え、なんで?」
「だって、いつもは時間なんて気にしないのに、今日は何度も時計を確認してるから……」
「えっ、うそ、めっちゃ無意識やった。ごめん。えーっと、今日やなくて明日やねんけど、久しぶりにユージーンと休み一緒で……それでちょっとまあ」
「何処か出掛けるんですか? いいですね! 明日は天気も良いみたいですし、楽しんできて下さいね」
天使の微笑みでそう言ってくれるアニーに、リュイは感謝しつつも眉を下げる。
「ほんまやったらアニーちゃんも、ドクターと遊んできて欲しいとこやけど……俺一人だけ浮かれとってごめんな」
「そんな、気にしないで下さい。父の仕事が今大変なのは、私も分かってますから」
「でもなぁ……」
花の盛りの女の子が、診療所と家の往復しか出来ていないのはどうなのだろう。
最近は流石に見兼ねて、買い出しなどの名目であちこちに連れ出してはいるが、いくら自分と一緒に出掛けたところで、バースと過ごす時間の代わりにはならない事はリュイも分かっている。
「ラドラス陛下のご容態が落ち着いて、父が帰って来られるようになったら、その時はうんと甘えます。だから、大丈夫ですよ」
その気持ちを汲んで言うアニーに、リュイは「ほんまにええ子やなぁ」と苦笑。
「なんか他に困ってることあったら何でも言いや。ドクターが帰ってくるまでは、俺がアニーちゃんの保護者ってことにしてるから」
「ことにしてる≠チて、何だか変な言い方ですね?」
「まだ自称やねん。ドクターの許可取ってへんし」
「許可なんて必要ないと思いますけど……?」
「あかんよそんなん。無許可でもええってなったら、勝手に保護者面する奴が大量発生するかもしれんやん」
「まさか!」
その様を想像してクスクスと笑うアニーに、つられてリュイも笑う。
せめて彼女が健やかに居られるようにと願いながら、リュイは差し出されたハーブティーを口に運ぼうとしたのだが、
「――――っ!?」
「きゃあっ!?」
突然、外から凄まじい爆発音が聞こえてきて、リュイはカップを置いて立ち上がった。
「なんや今の音……!?」
「わ、わかりません……事故でも起きたんでしょうか……?」
「ちょお見てくるわ。危ないかもしれんから、アニーちゃんはここ居りぃ」
「は、はい。気をつけて……」
気をつけて下さいね、とリュイを見送ろうとしたアニーは、最後まで言い切ることが出来なかった。
ドアノブに手をかけていたリュイも、その異変に気付いて振り返る。その頭に、不意に水滴が落ちた。
反射的に顔を上げると、そこへ更に水がポタポタと落ちてくる。
その水は見る間に増え、診療所内は雨に降られたかのように水浸しになっていく。
一体この水は何だ、どこから来ているのかと、訳も分からずリュイが困惑していると、同じく水に打たれていたアニーがその場に蹲る。
「アニーちゃん!? どないしてん、どっか具合悪いんか?」
アニーは苦しげに顔を歪めて胸を押さえながら、途切れ途切れに答える。
「わ……わかりません……でも……この雨みたいな現象……私と共鳴してるような……」
「共鳴……?」
まさか、彼女のフォルス能力だろうか?
だがアニーにはこんな力など無かった筈だ。
リュイは不思議に思いながら、アニーの傍に屈む。
「今気を緩めたら、酷いことになる予感かするんです……だから……私が耐えられているうちに、リュイさんは逃げて下さい……」
「何言うてんねん。こんな状態のアニーちゃん放って行けるわけないやろ」
「でもこのままじゃ……!」
「大丈夫大丈夫。仮にこれがフォルスの暴走なんやったら、アニーちゃんが落ち着いたらええだけの話や。ほら深呼吸。俺の真似してやってみぃ。はい吸ってー」
アニーの背を擦りながら、リュイは息を吸い込んだ。アニーも素直にそれに倣う。
数秒止めてから、吸った時間の倍ほどかけて吐き出し、吐ききったらまた同じリズムで吸い込む。
何度かそれを繰り返しているうちに、雨のような現象も少しずつ収まっていった。
やがて完全に止まると、アニーは安堵してリュイに礼を言う。
「有難うございます……でもどうして急にこんな……」
「う〜ん……何でやろなぁ。普通はこんな急に発現するようなこと無い筈やけど……せや、外の様子も見に行かな。アニーちゃんは……今一人にすんの心配やけど、外連れていくんも危ないし……」
「私なら大丈夫です。外で何が起こってるのか分かりませんけど……もし事故の類なら、診療所を使えるようにしておかないと。だから、私はここで待ってますね。さっきの雨で濡れてしまったものも、交換しておきます」
「……わかった、じゃあお願いするわ。でも体調には気ぃつけて、無理せんときな」
「はい。リュイさんもお気をつけて」
今度こそ無事見送られて一人外に出たリュイは、診療所のある通りを出て駅の方へ向かった。
あれだけの大きな音が出るような事故など、汽車の衝突や脱線ぐらいしか思いつかない。
そして、実際にその音の出処は汽車だったのだが。
それは異変の一端に過ぎなかった。
「…………な、なんやこれ……何が起こっとんねん……」
炎に焼かれながら彷徨う人。
雷撃をあちこちに飛ばしている人。
竜巻に吹き飛ばされる人、水に呑まれて溺れる人。
それらから逃げ惑う人々。
駅に向かう途中、リュイの目に飛び込んできたのは、そんな地獄のような光景だった。
(皆アニーちゃんと同じで、フォルスが暴走しとるんか……? まさか。こんな大勢フォルス能力者が居てるわけあらへん……殆どがヒューマやし……)
フォルス能力を有するのは、多くはガジュマだとユージーンから聞いたことがある。
ヒューマの能力者も居るには居るが、それは極々稀なことで、能力者だけで構成された王の盾であっても、該当するのはサレぐらいのものだとリュイは聞かされていた。
だが今、目の前で暴走を起こしているのは、半数以上がヒューマだ。
(どないなっとんねん……1人2人ならともかく、こんだけおったら落ち着かせることすら……どこから手ぇつけたらええんや……)
とりあえず転がっている怪我人の救助が先かと、動けなくなっている人々にその場で応急処置を施していると、炎に包まれた人がよろめきながら近付いてきた。
避けようにも、患者達はまだ動けない。
なので近寄ってくる相手をどうにかしようとリュイは立ち上がったのだが、火の爆ぜる音に混ざって、たすけてくれ、という声が聞こえて――相手を蹴り飛ばすなり何なりしようと構えていたリュイは硬直してしまった。
「た……助けたりたいけど……でも無理なんやって、俺フォルスなんか使えんし……消化器も水も無いし……お願いやからこっち来んとってや……」
そう懇願したところで、相手には当然通じなかった。
躊躇っている間にも距離は縮まり、燃える炎がリュイに触れる寸前、笛の音がしたかと思うと、相手はピタリと動きを止めた。
炎はそのままくるりと向きを変えて、近くで暴れていた水の能力者と正面からぶつかって鎮火する。
何が起こったのかと目を丸くするリュイの前に、笛を携えた蝙蝠のようなガジュマがふわりと降り立つ。
「怪我はありませんか?」
「な……無いけど……あんたが助けてくれたん? どうやって……」
「私の音のフォルスは、音を聴いたものに暗示をかけることが出来るのです。――それより、城下の診療所で働いている、リュイという名のハーフの青年……というのは、もしや貴方のことですか?」
「え、うん。せやけど……あんた誰やっけ?」
「私は王の盾のワルトゥと申します。隊長が貴方を心配しておられました。無事で何よりです」
「王の盾の隊長……って、ユージーンか! ユージーンは大丈夫なん? これ何が起こっとんの? 」
「詳細は我々も分かってはいませんが、今は王都全体が同じ状況です。隊長は王の盾を率いて、正規軍と共に事態の収拾に動いています。今のところ、怪我などはされていませんよ」
「そっか……じゃあ、暴走しとる人らはそっちに任してええ? 俺は怪我しとる人らを診療所に連れてくから」
ワルトゥは了承して、先程やっていたように、暴走した能力者同士をぶつけて能力を相殺する、といったやり方で鎮圧していった。
リュイはその手際の良さに感心しながら、応急処置の終わった怪我人を一人ずつ診療所に運ぶ。
「アニーちゃん! ごめん手伝って!」
「え? ――――はい、どうぞこちらへ!」
リュイの言葉に一瞬キョトンとしたアニーは、怪我人を見て直ぐに状況を理解し、綺麗にしたばかりのベッドに誘導。
リュイが外から怪我人を連れてきて、アニーがそれを玄関で受け取ってベッドへ運ぶ。
バケツリレーのように何度もそれを繰り返して、あっという間に病床は満員になった。
それでもまだ患者は増え続けるので、床にタオルやシーツを敷いて、そこに寝かせるしかなかった。
足の踏み場も無いような状態で、リュイとアニーは懸命に治療に当たった。
他の医院に応援を頼もうにも、どこもかしこも患者が一杯で、皆それぞれの場所で頑張る事しか出来なかった。
休む間もなく治療に専念しても、全く終わりは見えず。
外の騒ぎが納まっても、日付が変わって朝になっても、王都の医者達ははひたすらに働き続けた。