00.月満つれば則ち虧く

一通りの治療が終わって、漸く一息つけるようになったのは、騒ぎがあった次の日の深夜になってからだった。

アニーは疲れ果てて机に突っ伏したまま眠ってしまい、それを見たリュイは「ほんまにお疲れ様」と小声で労いながら、その身体を彼女の部屋のベッドに運ぶ。

仕事だけでも相当な負担だっただろうが、彼女の場合はその直前にフォルスの暴走まで起こしている。
そんな状態でよくこの修羅場を耐え抜いてくれたものだと、リュイは申し訳なさと感謝を感じながら、静かに部屋を後にする。

「お邪魔しまーす! ……うわっ、すっごいよコレ。思ってたよりヒドイ状況だね……」

不意に玄関からそんな子供の声が聞こえたので、新しい患者かと思いながら見に行くと、そこに居たのはアニーと歳の近そうな、鮮やかな紅の髪をもつ少年だった。

怪我人にも病人にも見えないが、もしかするとアニーの友人だろうかと考えていると、開けられた扉の陰に隠れていたユージーンが顔を出す。

「忙しいところを邪魔してすまない。様子が気になって見に来ただけなんだが……今は大丈夫か?」

「うん、まあ一応は。でもまだ油断出来ん状態の患者さんばっかりやから、目は離されへんけど……それよりその子は?」

「ああ、こいつは昨日の騒ぎで暴走していたフォルス能力者の1人でな。暴走の影響か、自身に関する記憶を失っているんだ。それで俺が一時的に保護している」

「へぇ……そら大変やったなぁ。記憶が無いっちゅーことは、名前も分からんの?」

「うん……でも、ユージーンが新しい名前をくれたんだ。マオっていう名前。だから、キミもそう呼んでネ!」

「マオな。俺はリュイっちゅーねん。色々大変やろうけど、ユージーンの傍やったら他より安全やから、安心しぃな」

そう言って頭を撫でると、マオは照れくさそうにしながら、「ボク、そんなに子供じゃないよ」と唇を尖らせた。

「リュイはユージーンの友達?」

「友達……まあ友達? なんかな? 俺もマオと同じくらいの歳の頃に、ユージーンに保護して貰てん。で、そっからずっと一緒に暮らしてる」

「そうなんだ? ボクと同じ記憶喪失ってコト?」

「そこはちょっと違うねんけど……せや、ユージーン、今日約束しとったのに、何の連絡も出来んでごめん……」

「この状況では仕方がない、気にするな。それより、お前は昨日から休んでいないんじゃないか? 今のうちに少しでも寝た方がいい」

「いやアカンよ。今アニーちゃんが休んどるから、俺まで寝たら患者さん見とく人居らんなる」

「患者を見ているだけでいいのなら俺にも出来る。もし異変があれば起こすから、一度休め」

「せやけどベッドもあらへんし……」

「バースの部屋を借りればいいだろう。あいつなら文句は言わない筈だ」

「いやそんな勝手に……ちゅーか、そういやドクターは? 多分こっちと同じような感じで忙殺されとるんやろうけど……」

渋るリュイをベッドに連れていこうとしたユージーンは、その質問に神妙な面持ちで歯切れ悪く返す。

「まあ……お前の想像している通りではあるんだが……それに加えて、昨日の騒動が起きる直前に、ラドラス陛下が逝去なされたんだ」

徹夜と疲労でウトウトしていたリュイは、逝去という一言で大きく目を開く。

「――――なんやて!? そんなん一大事やん! そんな状況でこっち来とって大丈夫なん!?」

「寧ろこのタイミングでないと、抜けて来られそうに無かったのでな。今後は暫く城に缶詰め状態になる。数ヶ月もすれば落ち着くだろうが……」

「そっか……じゃあ、ドクターもまだ暫くは帰って来られへんのやな。アニーちゃん今精神不安定やろうから、会わせてあげたかってんけど……」

「アニーが? 何かあったのか?」

リュイは昨日の雨のような現象と、恐らくはそれがアニーのフォルスの暴走によるものだということを話した。
大丈夫なのかと心配するユージーンに、リュイは「今は落ち着いとるよ」と言って、ベッドで眠っているアニーの姿を見せる。

「アニーちゃんもやけど、他の人らも、なんであんな一斉にフォルスが使えるようになったんやろ」

「……思い当たる節はある。ただ、確証が無いままに話して、無用な混乱を招きたくはないんだ」

「そか。じゃあ原因究明はお任せして、俺は怪我した人ら治すん頑張るわ。こっちも診療所に籠ることになるやろから、暫く会えんくなるけど……」

「そうだな……まあ、お互い数ヶ月の辛抱だ。落ち着いたら少し長めに休みを取って、何処か旅行にでも行こう。今日話したかったことも、その時に伝えさせて欲しい」

ユージーンは垂れてしまっている耳ごとリュイの頭を撫でた。
その心地良さで一度離れた睡魔が戻ってきて、しっかりと上がっていたリュイの目蓋が徐々に下がり始める。

「寝たらアカンねんて……起きとかな……」

「いいから休め」

「ようない……ドクターに任されとるんやから……俺がしっかりせな……しっかり……」

うつらうつらと体を揺らしながらも抵抗を続けるリュイに、ユージーンは全くしょうがないと言いたげに眉を下げて笑い、頭を引き寄せて自分の体に凭れ掛からせた。

軽く抱きしめられるような形で、赤子を寝かしつけるかのように尚も頭を撫でられ続けたリュイは、やがて眠りに落ちる。

「……頑張り屋さんなんだネ」

「ああ。こいつは昔からそうだ。長所でもあるが、短所でもある」

「短所? なんで?」

「以前、限界を超えて頑張り過ぎたせいで、倒れたことがあってな。最近はそれほど無理はしなくなったが、未だにこうして自分のことを後回しにする癖がある。こういう事があると特にな」

「そっか。だから心配で見に来たんだ?」

「まあ、それもあるが……今日は本来なら、一緒に過ごす予定だったんだ。事件のせいで潰れてしまったが……少しだけでも顔が見たくてな」

前髪の隙間から覗くリュイの寝顔。
出逢ったばかりの頃は、マオと同じように、あどけなさの残る可愛らしいものだったが、25歳になった今の彼は、凛々しく美しい。

(……綺麗だな、本当に)

最初はハーフとしての特徴にばかり目が行ってしまっていたが、それに慣れた今となっては、別のところに目を惹かれる。

ふとした仕草や表情に、見惚れるようになったのはいつからだっただろう。
護ってやりたいという気持ちが、ただの庇護欲ではなくなったのは、いつ頃だっただろう。

「ユージーン、なんだかお父さんみたいだネ」

自分のその心境の変化を改めて実感していたユージーンは、マオのその言葉に後ろめたさを感じて苦笑する。

「まあ、こいつの成長を10年近く見てきたわけだからな。最初は保護者のようなものだったし、今も多少はそういう気持ちもある」

「多少なの? じゃあ他はどんな気持ち?」

「それは秘密だ」

「ええーっ? なにそれ、教えてヨ〜!」

仲間外れにされて頬を膨らませるマオに笑いながら、ユージーンはポンポンとその頭を叩いて宥めた。
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