00.月満つれば則ち虧く

それから数ヶ月後。

「ああ〜! やぁーっと終わったぁ〜!!」

椅子に凭れながら大きく伸びをして、それからばたりと机に突っ伏したリュイは、患者の居なくなった静かな診療所でそう叫んだ。

役目を終えたベッドのシーツを取り替えながら、アニーがクスクスと笑う。

「お疲れ様でした、リュイさん」

「有難う〜。アニーちゃんもほんっまにお疲れ! もう今日はこれで店じまいにして、あとはゆっくり休も〜」

「でもまだお昼ですよ?」

「ああ……せやった……でも今日くらい早めに閉めてもバチ当たらんのちゃう? ずっと休み無しでやって来てんから」

「それはそうですけど……リュイさんがそんな風に弱音を吐くの、珍しいですね」

「だって、過去一忙しかったし……ろくに寝てへんし……ユージーンにも全然会われへんし……元気出ぇへん……これ以上頑張られへん……」

耳と尻尾をこれでもかと言わんばかりに垂れさせて呟くリュイの姿は、さながら家で飼い主を待つ大型犬のようで。
いつもは頼もしい彼が何だか可愛らしく見えてしまい、アニーはその背をよしよしと撫でる。

「アニーちゃんかてドクターに会いたいやろ?」

「そうですね……もうずっと会ってませんし……」

「せやんなぁ。城の方は今どないなっとるんやろ……ちょっと見に行ってみる?」

「えっ、でもそんな、急に押し掛けると迷惑なんじゃ……」

「ちょっとくらい大丈夫やって。診療所の方が落ち着いたから手伝いに来た、とか言えばええやん? ほんまに手伝い必要としてるかもしれへんし、ドクターかてアニーちゃんに会いたがってるやろうし」

悩んだアニーは、しかし父に会いたいという気持ちの方が勝り、リュイのその提案に乗ることにした。

やっとアニーとバースを会わせてやれる、自分もユージーンに会える。
元気を取り戻したリュイは、診療所の戸締りをして、アニーと共に意気揚々と王城行きの汽車に乗り込んだ。

線路を走る車体から伝わってくる緩やかな振動と、窓の隙間から入ってくる風に揺られながら、流れゆく王都の街並みをぼんやりと見ていた二人は、気が付けばお互いに寄り掛かって転寝してしまっていた。

到着を知らせる汽笛で目を覚ますと、乗り過ごしてしまわないようにと急いで降りる。

「着いた〜。外から見た感じは特に何ともなさそうやな。門兵さんに声掛けてみよか」

「はい。えーっと身分証は……」

アニーが小さな鞄を漁って身分証を取り出すのを待っていると、門の向こう側からミルハウストがやって来た。

足を揃えて敬礼する兵士達に「ご苦労」とだけ返した彼は、次いでその先に居るリュイ達を見つけて立ち止まる。

「君は……驚いたな。まさかもう話が伝わっているのか?」

久しぶり! と挨拶しようと片手を上げかけたリュイは、突然そう言われて中断する。

「へ? 何の話?」

「……違うのか? ならばどうして此処に……いや、今はどうでもいい。来てくれて助かった。丁度君達を呼びに行く所だったんだ」

「君達て……俺とアニーちゃん?」

自分はともかく、アニーはミルハウストと特に交流があるわけでは無い筈だ。
一体彼女に何の用だと訝しむリュイの隣で、身分証を探す必要が無くなったアニーも、不安げな顔で尋ねる。

「……もしかして、父になにかあったんですか?」

「ああ。……実はつい先程、ケビン・バース氏が城内で刺されたんだ」

「!?!?」

「はぁ!?」

全く予想していなかった回答に、アニーとリュイは揃って目を見開く。

「な……なんやそれ! なんでドクターが刺されなあかんねん!?」

「詳しい経緯は今調べている。すまないが、私から伝えられることは何も無い」

「ち、父の容態は!? 無事なんですか!?」

「今は城の医師達が治療を行っている。まだ意識はあるが……とにかく、急いで来てくれ」

ミルハウストはそう言って踵を返し、二人を治療室へ案内した。
一通りの処置を終え、後は近くの病院へ搬送する準備が終わるのを待つしかない状態の医師達は、アニー達を気遣って一度部屋の外に出る。

「お父さん!!」

「おお……アニー、アニーなのか……?」

「ドクター、何があってん!」

ベッドに横たわるバースは、虚ろな目で二人を見た。
アニーは震える手でバースの手を握り締め、リュイもベッドの傍に寄って傷の具合を確かめる。

包帯が巻かれている状態では傷の深さまでは分からなかったが、少なくとも刺されたのが心臓であるらしい事は見て取れた。

アニーもそれに気付いて、顔面蒼白で歯を食いしばる。

「アニー……すまない……お前を1人にしてしまう……不甲斐ない父を許してくれ……」

「何言ってるの!? しっかりしてお父さん! こんなの……大丈夫だから! 絶対に助かるから……!」

「リュイ……どうか、どうかアニーを頼む……」

「アホなこと言いなや!! 俺みたいな何処の誰かも分からん奴に、大事な娘任してええんか!?」

「はは……そうだな……確かに君は……何処の誰とも知らない、私とは何の関係もない赤の他人でしかなかった……なのに、それでも君は……私やアニーをこんなにも大切にして、10年もの間支えてくれた……本当に感謝している」

「そんなん今言わんでええねん!! そんなんええから、しっかりしてぇや……! アニーちゃんずっと待っとってんで!? ドクターの居らん間もずっと頑張って……せやのにこんなん、あんまりやんか……!」

「まったくだな……アニー、寂しい思いをさせてすまなかった……もっと一緒に居てやれれば……これから先も、お前の成長を傍で見ていたかった……」

「見れるよ! これから先もずっと、お父さんがおじいちゃんになっても、私ずっと傍に居るから! だから……!」

堪えきれずに、アニーの瞳から涙が溢れた。
バースはそれを、握られているのと逆の手で優しく拭う。

「お願い、死なないで……! 私を独りにしないで、お父さん……!」

絞り出すような声で懇願するアニーに、バースはただ「すまない」と謝ることしか出来なかった。
優れた医者であるが故に、彼は己がもう助からないことを悟っている。

「リュイ……もう一つ、頼みがあるんだ……君に頼ってばかりですまないが……どうか聞いて欲しい……」

これ以上アニーを不安にさせてはならない、バースを困らせてはならないと、拳を握りしめて悲しみに耐えるリュイは、何、とだけ返す。

「ユージーンを……ユージーンを助けてやってくれ……ユージーンを……」

「は……? ユージーン……? ユージーンがどないしてん……助けてって、何……」


――――そう言えば、どうして今この場に、ユージーンは居ないのだろうか。


バースがこんな状態になっていると聞けば、彼は真っ先に駆け付ける筈だ。
任務で外に出ているのかもしれないが……困惑するリュイに、バースは最期の力を振り絞って続ける。

「頼む……彼は、私の親友なんだ……私の大切な……っ、がはっ!!」

「お父さん!? お父さん!!」

吐血し、それ以上喋ることが出来なくなってしまったバースは、苦しげに呻いて、やがて静かになった。

錯乱したアニーが叫ぶように呼びかけるのを聞いて、外で待機していた医師達が慌てて戻ってくる。

脈を測って瞳孔の状態などを確認した彼らは、悲痛な顔で頭を振る。

「いや!! お父さん、お父さん!! どうして!? どうしてこんな……!!」

泣き崩れてバースの体に縋り付くアニーに、リュイは何と言ってやればいいのか分からなかった。

窓越しに、兜を外して胸に抱いたミルハウストが、目を閉じて黙祷を捧げているのを見つけて、リュイはそっとアニーの傍を離れて彼の元へ。

「……なぁミルハウスト、ちょお聞きたいんやけど……ユージーンはこの事知っとるん?」

「…………ああ」

「ほな今何処で何しとるん」

その問いに、ミルハウストはすぐには答えなかった。

沈黙が流れて、暫くしてから、固く閉じられていたミルハウストの口が開く。

「……彼は今、島の北東にあるバルカ収容所に居る」

「収容所……? 何でそんなとこ居るん。犯人捕まえたんがユージーンてこと?」

「いや……そうではない。そうではないんだが……ただ、何と説明すればいいのか…………」

酷く疲れた顔で頭を振るミルハウストに、何が何だか分からないリュイは疑問符を浮かべる。

「正直なところ、私にも何が起こっているのか……どうしてこんな事になったのかが分からないんだ。酷い悪夢でも見ているような気分だ……」

「ごめん、何言うてるんか全然わからんねんけど……」

「……順を追って話そう。まず、今回の件が発覚したのは、とある兵士からの報告が発端だった。ドクター・バースが血を流して倒れていると……それを聞いた我々は、急ぎ現場に向かった。確かにそこには、報告の通りバース氏が倒れていた。その後は見ての通りだが……問題は、何故そうなったのか、誰が刺したのか、というところだ」

「せやな。容疑者らしき人とか、実際に刺されたとことか、誰か見とらんの?」

「刺された瞬間を見ていた者は居ない。だが、現場にはバース氏の血を浴びた男が立っていて……彼は我々にこう言ったんだ。バースを殺したのは俺だ≠ニ」

「何やそれ。そんなんもう犯人で確定やんか」

「だが、動機がわからない。それに、兵に見つかってから我々が駆け付けるまで、逃げる時間は幾らでもあった筈だ。なのに彼は逃げもせずに即座に自首した。……おかしいと思わないか?」

「……真犯人が別に居るっちゅーこと?」

「私はそう思っている。……いや、そう思いたいだけなのかもしれないな。なにせ本当に……有り得ない事なんだ。彼がバース氏を殺す筈が無い……」

「なんや、ミルハウストの知り合いなん?」

ミルハウストは頷いて、それから、重々しい口調で告げる。

「…………ユージーンなんだ」

「……え? 何が?」

「今話していた、バース氏を刺した犯人……あの時兵士が見たのは……現場に居たのは、ユージーンなんだ…………」


ミルハウストが言った言葉の意味を、リュイは理解することが出来なかった。


呆けているのを見て、ミルハウストがもう一度、同じ言葉を繰り返してから言う。

「信じられないのは分かる。私も同じ気持ちだ。だが…………」

「いや……そんなわけないやん。ユージーンが? ドクターを? 世界で一番ありえへん」

「だが事実なんだ。状況証拠は揃っているし、本人も認めている」

「そ……そんなわけないやろ!? 冤罪に決まっとる!!」

「私もそう言ったさ!! これは何かの間違いだと!! なのに本人が……他の誰でもないユージーン自身が、己が殺したのだと言って引かないんだ……!」

悔しげに拳を震わせるミルハウストは、とても冗談を言っているようには見えなかったが。
それでも、リュイはその話が、出来の悪い冗談にしか思えなかった。

(ありえへん……そんな、そんなわけない。ユージーンがドクターのこと殺すわけが……)

ふらふらと数歩後退ったリュイは、その足取りのまま猛然と駆け出した。
目指す場所は当然、バルカ収容所だった。
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