00.月満つれば則ち虧く

「こんな事になって、本当に残念ですよ。ユージーン隊長」

冷たい石造りの牢の中で、バースの血に塗れた己の手を眺めていたユージーンは、檻の外に立つサレに視線を移した。

「そう思っているようには見えないが?」

「おや、そうですか? でもまあ、僕はともかく、他は皆嘆いていましたよ。あのユージーン隊長がまさか……ってね」

「……………………」

「確かに驚きはしましたけど、考えてみれば、それほどおかしな事でもありませんよね。あの医者はヒューマで、隊長はガジュマ。仲良くしている方がおかしい」

「それは違う。種族の違いで啀み合うなど……」

「では他にどんな理由があるって言うんです?」

「……………………」

「まただんまりですか。王の盾の隊長と言えど、王室お抱えの医師を理由もなく殺めたとなれば、処刑も有り得ますよ?」

「……そうだろうな」

全く張り合いのないユージーンのリアクションに、サレは「虐め甲斐がないなぁ」と言いたげに肩を竦める。

「まあ、隊長がそれで納得していらっしゃるのなら、僕はそれでいいと思いますけど……ミルハウスト将軍やワルトゥなんかはどうでしょうね? その他の、貴方を信頼し尊敬していた兵士達も……疑念がおかしな方向に集まらないといいですけど」

「……? どういう意味だ」

「ヒトはあらゆる物事に、納得のいく答えを求めるものですよ。例えば、今回のユージーン隊長の乱心とも言える行動は、誰かに唆されでもしたんじゃないか……とかね。ほら、前々からユージーン隊長は悪魔に魅了されている≠チて噂も流れてますし」

「は? 悪魔? 何の話だ」

「あのハーフのことですよ。隊長が彼にご執心なのは、もう皆知っていますからね。それを面白く思わないヒトや、疑問視しているヒトが、結構居るみたいですよ? そういったヒトからすれば、今回のことはあのハーフが何かしたんだ≠チて考えになるんじゃないですか? 例えば、貴方と仲の良かった医者に嫉妬して、彼を排除する為に、貴方にありもしない話を吹き込んで……とかね」

「馬鹿馬鹿しい。何が悪魔だ。何が嫉妬だ。あいつのことを知りもしないで、よくもそんな……」

「仕方がないですよ。現にあのハーフと親交があるのは、貴方やあの医者ぐらいのものなんですから。その医者が死んで、貴方も居なくなったら……疑惑の目を向けられている彼は、これからどんな扱いを受けるでしょうね?」

「…………!! やめろ、あいつは関係ない!!」

ユージーンの顔に焦りと動揺が浮かんだのを見て、その様を見たがっていたサレは満足気に嗤った。

「僕に言われても困りますよ。僕が扇動しているワケじゃ無いんですから」

「ならお前から言ってくれ。今回のことは俺が勝手にやったことだ。リュイはこの件について何も知らないし、関与もしていない」

「貴方の信者達がそれを聞いて、はいそうですかって納得すると思います? 無理ですよ。それも彼を庇う為に言っていると思われるだけです」

「……ならどうすればいい」

「そうですねぇ……あのハーフと縁を切ればいいんじゃないですか? それが一番手っ取り早くて、効果的な方法だと思いますけど」

――――サレのその言葉こそ、ユージーンを惑わせる悪魔の囁きそのものだった。

だが、罪人となってしまったユージーンが、檻の中からリュイを護るには、その言葉に従うほか無かった。







息を切らしながら、リュイは1人収容所の前に立っていた。

来たはいいが、中に入って確かめる勇気が出ない。確かめるのが怖い。
そんな風に尻込みしていると、中から誰かが出て来た。

相手はリュイの姿を認めると、やけに嬉しそうな顔で「どうも」と挨拶をする。

「こんな所で何しとんねん、サレ」

「何って、我らが隊長殿に別れの挨拶をしていたんだよ。そっちこそ、こんな所に何の用だい? ――――なぁんてね。分かってるよ。君も隊長に会いに来たんだろう?」

「……………………」

「彼なら一番奥の牢に居るよ。君と話したがっていたから、早く行ってあげるといい」

そう言って去っていくサレをリュイは訝しげに見ていたが、今はあんな奴の事はどうでもいいと、思考を切り替えて収容所の中へ。

幾つも並んだ牢には、罪人であろうヒューマやガジュマが収監されており、皆檻の中から荒んだ目を向けてきた。
リュイはなるべく目を合わせないようにしながら、静かに奥へと歩いていく。

ユージーンがこんな場所で、彼らと同じようにこの檻に入れられているなんて、信じられない。
彼はそんな扱いを受けるような人では無い筈なのに。罪など犯す筈が無いのに。

だが、サレの言っていた通り、ユージーンは確かに最奥の檻の中に居た。
それを目にしたリュイは、更に彼の身体に血が付いているのを見て、そんな、と呟く。

「ユージーン……なあ、嘘やろ。皆がありえへんこと言うねん。あんたがドクターを刺したって……」

「事実だ」

間髪入れずに、ユージーンはハッキリとそう答えた。
リュイはふるふると首を振って、うわ言のように「嘘や」と繰り返す。

「だって、そんなことする理由があらへんやん……」

「……理由はどうあれ、俺がバースを刺したのは事実だ。確認が済んだのなら帰れ。そして、もうここには来るな」

「待ってや。そんなん全然納得出来ひん。おかしいやん。なんでユージーンがドクターを……」

「いいから帰れと言っている!!」

怒声と共に叩きつけられたユージーンの拳によって、鉄格子がガシャン!!と音を立てた。
リュイは一緒怯んだが、このまま帰るわけにはいかないと食い下がる。

「せめてその理由だけでも教えてぇや。自分で考えても、何も思いつかへんねん。ドクターがユージーンに殺されるようなことするとも思えへんし、ユージーンが理由もなく殺すとも思えへん。不慮の事故って言われるんが一番しっくり来るけど……それやったら、殺したなんて嘘つく必要もあらへんし。なぁ、なんでなん?」

「……………………」

「黙っとったら分からんて。お願いやから、何とか言うてよ……」

すっかり弱りきっているリュイを見て、ユージーンの心は揺らいでいた。

洗いざらい全て話してしまいたい。
バースの死を、今のこの心の痛みを、彼と共有したい。抱きしめ合いたい。

けれど――――――――

「……あいつがヒューマだからだ」

適当な嘘が思いつかなかったユージーンは、サレの言葉を借りることにした。
本当のことは言えない。何があったのかを伝えてはならない。

「前々から、気に食わないと思っていたんだ。ヒューマのくせに生意気な奴だと思っていた」

「何言うてんねん。そんなわけ……」

「お前もそうだ。俺がお前を助けたのは、単に仕事の一環に過ぎなかった。なのに、バースが俺にお前の世話を押し付けて……本当はうんざりしていたんだ。そのことをバースに伝えたら、あいつが怒り出して……だから俺は……」

「……嘘。本当にそんな理由で、お父さんを殺したの……?」

ユージーンの言葉にそう返したのは、リュイを追って来ていたアニーだった。

ショックで暫しその場に立ち尽くしていた彼女は、牢の前まで来ると、そこに居るユージーンを睨み付ける。

「父は最期まで、貴方のことを親友だと言っていたわ。自分が死にそうになっている時に、何度も何度も貴方の名前を呼んで……リュイさんだってそうよ。今日城に来たのだって、彼は貴方に会いに……私だって、貴方を信じてたのに……!!」

アニーの声は、悲しみと怒りに満ちていた。
自分の言葉が、行動が、彼女を傷付けたのだと思い知らされて、ユージーンの心が軋む。

「ヒューマだから何だっていうの……お父さんが何をしたっていうの……! そんな理由でヒトを殺めることが許されるのなら……私も貴方を……ガジュマを憎むわ!」

「…………………………」

「この人殺し! 裏切り者!! ガジュマなんて……ガジュマなんて大っ嫌いよ!!」

アニーはそう叫んで、泣きながら収容所を出て行った。
ユージーンはただ、その謗りを受け入れるしかなく、檻の中で唇を噛む。

「……アニーちゃん泣かしてまで、なんでそないな嘘吐くん」

「……嘘じゃない、本心だ」

「ほんなら何でそんな辛そうな顔しとるんよ」

「…………俺のことより、アニーを追いかけてやったらどうだ。これ以上ここに居ても意味は無いぞ」

「……ほんまにあんたがドクターのこと殺したん?」

「しつこい奴だな。何度聞かれても答えは同じだ」

「理由も教えてくれへんの?」

「理由ならさっき話しただろう」

堂々巡りで埒が明かない。
ユージーンの頑なな態度に、リュイの心は少しずつ擦り切れていく。

「……じゃあ、話って何やったん? 忙しいの落ち着いたら、俺に話したいことあるて言うてたよな。あれ何やったん」

「それは……さっき言った内容がそれだ。お前と暮らすのが嫌になったから、出て行ってくれと言うつもりだった」

「ほんまに?」

「ああ」

「ほんまにそう思っとるんやったら……そんな理由でドクターを殺せるんやったら、今ここで俺のことも殺しぃや。鉄格子の隙間から手ぇ出して、首締めるくらいやったら出来るやろ」

ほら、と、リュイは首を曝して、鉄格子に顔を近付けた。
俯いていたユージーンは顔を上げて、何を、といった表情でそれを見る。

「俺はユージーンに拾て貰て幸せやったけど、それがユージーンにとってそんなにも重荷やったんなら、死んで詫びるわ。ドクターが死んだんも俺のせいって事になるし……そんなん、申し訳なさ過ぎて生きてられへん」

「待てリュイ。お前には何の非も無いだろう。一緒に住むことになったのは、お前が眠っていた間にそういう話になったからで……お前が詫びる必要など何処にも……」

「そんなん関係あらへんよ。あんたがドクターのこと殺したんは、俺をどうするかで揉めたせいなんやろ? せやったら俺のせいやん。俺が居らんかったら、あんたはドクターのこと殺すことも無かったんやろ?」

「いや、それは…………お前のことはあくまでも口実で、俺は前々からバースのことを嫌って……」

「そんなわけ無いやろ!!」

ガァン!! と、今度はリュイが鉄格子を殴り付けた。
その拳に額を乗せて、歯を食いしばる。

「……10年傍で見とったんやで。あんたとドクターがどんだけ仲良うて、どんだけお互いを信頼しとったか、俺は知っとんねん。その相手殺しといて、理由がヒューマだから≠セの、前から嫌いだった≠セの……そんなんで言い包められるわけ無いやろ。ナメんのも大概にしぃや」

ユージーンはそれに言い返そうとして――――しかし言葉が何も浮かんでこなかった。
声色と表情から、リュイの感情が伝わってくる。

「言えん事情があるんやろうけど、そんな下手な嘘吐かんでもええやろ。あんたとドクターの付き合いの長さには及ばんけど、俺かてずっとあんたらと一緒におったのに……なんでそうやって蚊帳の外にしようとすんねん……」

リュイは拳を解いて鉄格子を握り締めた。
俯いて表情が見えなくなっても、ユージーンには彼が泣いていることが分かった。

「結局俺はユージーンにとって、ただの同居人でしか無かったん……?」

「………………っ!」

――――違う、そんなことは無い。

ただの同居人では無くなったから。バースやアニーと同じ、ともすればそれ以上の特別な存在になったから、だからこそ言えないんだ。
遠ざけることで、お前を護りたいだけなんだ――――

ユージーンは、口を衝いて出そうになったその言葉を飲み込んだ。

彼を護る為に。
アニーを護る為に。
バースを護る為に。
己は非情にならなければならない。

例え本来伝えたかった言葉と真逆の言葉を言うことになっても。

「……その通りだ。お前はただの同居人で、俺にとっては赤の他人でしかない。10年前からずっとそうだ。俺がお前のようなハーフに、何か特別な感情を抱くとでも思ったのか?」

――――頼むから、こんな酷い言葉を信じないでくれ。

ユージーンはそう願ってから、いや信じて貰わないと困ると、己の考えを否定した。

だが、相手を説得するためのものだとしても、今の言葉はあまりにも――――

「……それは、そうやな。確かに、そう言われたら、俺の言うてることの方がおかしいな……」

酷く落ち着いた声だった。

さっきまで声色に滲んでいた怒りや悲しみは消えていて、今の言葉から感じ取れるのは諦観だけ。

「正直ちょっと自惚れとったわ。なんか、長いことあんたらと一緒に居ったせいで、そういう普通の価値観みたいなもん忘れとったかもしれん」

ユージーンと暮らすようになった時に、思っていた筈だった。
「ハーフの自分が、いつまでもこんな幸せの中に居られる筈がない。いつか絶対に大きな揺り戻しが来る」と。

けれど、ユージーンが、バースが、アニーが、ミルハウストやその他の優しい人々が、それを忘れさせてくれていた。
自分は彼らと同じヒトなのだと、幸せになる資格があるのだと思えるほどに。

「目ぇ覚めたわ……何を勘違いしとったんやろ。アホらし……」

鉄格子を握っていたリュイの手から力が抜けて、滑り落ちる。
そのまま牢から離れ、フラフラと収容所の出口の方へと歩いていく。

「……ハーフや無かったら良かったのになぁ……」

檻の中でユージーンが最後に聞いたのは、リュイの切実な嘆きだった。
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