00.月満つれば則ち虧く

それから1ヶ月ほど。
絶対安静を解かれて無事退院を認められたリュイは、わざわざ迎えに来てくれたユージーンと共にバルカの街を歩いていた。

「怪我はもう完全に治ったのか?」

「殆どはな。まだ通院はしてって言われたけど、自分ではもう全然気にならんで。痛みもあれへんし」

そう返事をしながらも、リュイの目はユージーンの方を向いておらず、物珍しそうにあちこちに視線を飛ばしている。

「バルカに来るのは初めてか?」

「うん、そう。めっちゃ広いなぁここ。人もぎょーさん居るし、店も色んなんあるし。なんか時々笛みたいな音も聞こえるけど、何?」

「あれは街の中を走っている蒸気機関車の汽笛だ」

「きかんしゃ.....て何? 走ってるて事は馬車みたいなもん?」

「まあ、移動手段という意味では同じだな。診療所と家の往復だけならわざわざ使う必要も無いが、興味があるのなら今度乗ってみるといい。――それより、頭のソレはバースに貰ったのか?」

ソレ、と言うのは、リュイの頭に乗っている鍔付きの帽子の事だ。
リュイは耳を隠しているそれを深く被り直して頷く。

「俺はあんま気にしてへんねんけど、悪目立ちしたらユージーンに悪いと思て、ドクターに何か隠せるもんないかって聞いたら、これくれてん。昔使てたやつなんやって」

「別に俺も気にはしないぞ。お前が望んで被っているのなら止めはしないが、そうでないのなら隠す必要は無い。そうしていると窮屈だろう」

「うん。こんな風に隠したことあらへんし.....ほんまは隠すん嫌やねん。なんか騙しとるみたいやろ?」

「なら外しておけ。俺のことは気にしなくていい」

「ん〜.....じゃあ次からはそうする。こんな人多いとこで急に外したら皆ビックリするやろし、せっかくドクターに貰たのに、使わんのも勿体ないしな」

「そうか。まあ、確かにそれはそれで似合っているから、気が向いた時は被ればいいさ」

「そーする。ほんで、このでっかい建物があんたの家?」

キョグエンでは見かけない縦長の建造物。
今目の前にあるものに限らず、バルカの建物はどれも背が高く、密集している。

「この建物全てが俺の家なのではないぞ。これは集合住宅と言って、各階層で世帯が分かれているんだ。一軒家よりも手狭だが、俺のような独り身には丁度良い」

「へぇ〜。でもそれやったら、俺が住んだら丁度良くなくなるんとちゃう?」

「いや、狭いとは言っても、一家族が住める程度のゆとりはある。ただ家具は無かったのでな。お前が入院している間に一通り揃えてはおいたのだが.....」

「えっ?」

話している間に玄関の前に到着し、ユージーンが取り出した鍵を鍵穴に射し込んで回す。
そうして開かれた扉の向こうは、部屋数こそ少ないものの、二人で暮らすには充分な広さと機能を備えた立派な住居だった。

リビングを抜けて寝室を覗いたリュイは、そこにベッドが2つ置いてあるのを見て焦る。

「嘘やろ、ほんまに2人分ある.....わざわざ買うたん?」

「ああ。とは言っても必要最低限だがな。服などは特に好みがあるだろう」

「ありえへん.....自分何考えとるん.....」

「なんだ、何が不満なんだ」

「ちゃうやん、なんでわざわざ買うたんかて聞いてんねん。買わんでええのに.....」

「寝床は必要だろう。俺と同じベッドで寝たいのか?」

「そんなん言うてへん。けど俺の寝床なんかそのへんの床でええねん。こんなちゃんとしたベッドら用意せんでも.....お金勿体ないやろ」

「だから、金の心配は必要無い。有意義な使い道も無く持て余していたくらいだ」

「ほな募金でもしたらええやん。こないなハーフになんか使わんでも.....」

治療費や入院費然り、一体自分の為にどれだけのお金が消費されたのだろうと、リュイは嘆いて頽れた。
ユージーンがその頭の帽子を掴んで外すと、収納されていた耳がぴょこんと立ち上がる。

「俺は価値あるものに金を払ったと思っているのだがな。お前がハーフである事で周囲からどんな扱いを受けてきたのかは知らないが、少なくとも俺はお前をハーフだからという理由で差別したりはしない」

「.....まさかあんたも命に色は無い≠ニか思てるん?」

「ああ。俺はまだバースほどの域に達してはいないが、そういった差別や偏見は極力無くしていきたいと思っている。周囲にそれを強いる事は出来ないが.....自分はそう在りたい」

そう言って、ユージーンはリュイの傍に屈み、片方の手を差し出した。

「お前と暮らす事で、俺がまだ知らないことを、少しでも知れればと思う。これから宜しく頼む」

握手を求められているのだと理解したリュイは、「やっぱり変な人」と心中で思いながら握り返す。

「他に何か必要なものがあれば言ってくれ。――そうだ、合鍵を渡しておかないとな。俺は仕事で殆どここには居ないが、お前は好きに使ってくれていい。出掛ける時は戸締りだけ頼む」

「え、なんやそうなん? そういや、仕事て何しとるん?」

「一応軍人だ。正規軍とは所属が違うがな」

「ふーん?」

王の盾どころか正規軍の事すら録に知らないリュイは、首を傾げながらも特に深堀りはせずに流す。

「じゃあご飯とかも要らん感じなん? せめて家事くらいやろうと思てたんやけど」

「いや、朝と夜は家で食べているが.....出来るのか?」

「そこそこは。プロみたいなんは無理やけど、炊事洗濯掃除と、家事全般一通りは出来るで」

「それは頼もしいな。お前が苦では無いのなら、やって貰えると助かるが.....」

「ほな朝と夜は作るわ。昼は? お弁当とかは要らんの?」

「それは流石にお前の負担が大き過ぎないか?」

「別に。いっつも朝昼晩と皆の分作っとったもん」

「.....皆? 誰かと住んでいたのか?」

入院中にバースから聞いた話だと、親も居らず家も無かった筈だが。
兄弟でも居るのだろうかと思いながらユージーンが問うと、リュイは歯切れ悪く答える。

「一応そうやけど.....家族とかそういうんや無いねん。あれを家とも思てへんし。なんちゅーか.....職場? みたいな.....?」

「成程。住み込みで働いていたのか」

そういうわけでも無いのだが、通りで身形が綺麗な筈だとユージーンが納得したので、リュイは否定しなかった。

「あとはあれ、マッサージとかも出来るけど」

「ほう、マッサージか。あまり経験は無いが興味はあるな」

「ほな今やる? ちょうどベッドあるし。服脱いで寝転んどいてくれたら、あとはこっちで勝手にやるから」

「わかった。任せる」

そう言って、ユージーンは鎧――有事に備えて非番の時も常に着けているらしい――を外して、上半身を晒してベッドに寝転んだ。

腕捲りをしてその足元に屈んだリュイはきょとんとする。

「.....何で下は着たまんまなん?」

「ん? 下も脱がないといけないのか?」

「いやだってマッサージて.....ちょお待って、マッサージてなんの事やと思とるん?」

「? 整体のようなものじゃないのか?」

――――数秒、微妙な沈黙があった。

リュイは暫く固まった後、何もせずにすっくと立ち上がる。

「ごめん。ちゃうねん。そういうマッサージは俺出来ひんねん」

「いや、別に謝ることは無いが.....俺の方こそ何かおかしな事を言ったか? 別にどんなマッサージでも構わないが.....」

「いやいいわ。やめとく。多分あんたが想像しとるんと全然別モンやから。その気無いんやったら気分悪してまうやろうし.....」

気分が悪くなるマッサージとは一体どんなものなのか。

見当もつかないユージーンには、気まずそうに目を背けて言うリュイの気持ちが全くわからなかった。
それはそれで興味はあるが、本人がやめると言うのなら仕方ないと諦めて身を起こす。

「わざわざ脱がしといてごめん。せやけどソレが目的や無いんやったら何の為に連れ帰ったん?」

「別に何かを期待して助けたわけでは無いぞ。目の前で死にかけているのに、放置するわけにもいかんだろう」

「それだけ? ほんまにそれだけで助けて家にまで上げてんの?」

「ああ」

「は〜、あんためっちゃええ人なんやな.....そんなんもうボランティアやん。表彰して貰いや」

「それほどの事でも無いだろう。ヒトとして当然の行いだ」

「当然やあらへんよ。ドクターにも言うたけど自分らおかしいで。――ところで、マッサージは出来んでも肩揉むくらいやったら出来るけど.....それでもええ?」

「ああ、なら頼む」

そうは言っても、肩を揉むのは別に上手くもなんとも無いのだが。
大丈夫だろうかと不安を抱きながらも、リュイは黒く短い獣毛に覆われた両肩に手を置く

「うわ、めっちゃ気持ちええ」

「……それは俺の台詞じゃないのか?」

「手触りの話。毛並み綺麗やなぁとは思とったけど、サラサラっちゅーかすべすべっちゅーか……頬擦りしたなるな」

そんな感想を零しながら、リュイは指先に力を込めた。
ユージーンの反応を見ながら、適宜押す場所を変えて、力加減を調整する。

「どう? 痛ない?」

「大丈夫だ。丁度良い」

「良かった.....せやけどあれやな、全然肩凝ってへんな」

「日頃から動かしてはいるからな。お前の方が凝っているんじゃないか?」

「あー、それはあるかも。入院中ずっと寝とったからなあ」

「なら次は俺がやろう」

「えっ、俺はええよ。恩人にそんな真似させられへん」

「駄目だ。ちゃんと解しておかないと筋肉が痛む」

「ええ〜?」

と、納得のいかなそうなリュイをベッドの縁に座らせたユージーンは、その肩に触れて驚く。

「薄いな。退院したばかりでは仕方ないが.....」

「俺が薄いんやのうて、あんたが分厚いねん。あんたに合わせたら皆ムキムキになってまうやろ」

「別に俺を基準に考えてはいないが、力を入れると折れてしまいそうで怖いな」

「流石に折るんは勘弁してや。ドクターに怒られてまう」

笑いながら、リュイは邪魔にならぬよう、肩にかかる長い髪を前に流した。

服や髪の隙間から覗く白い肌や細い首は、武人のものとは全く違う。筋肉の盛り上がりがないなだらかな首筋のラインはどこか艶かしく、ユージーンは一緒ドキリとしてしまった。
だがすぐ我に返って、割れ物を扱うような手つきで肩を揉み始める。

「.....どうだ?」

「どうって、全然力入ってへんやん。くすぐったいんやけど」

「そうか。ならもう少し強くするぞ」

徐々に圧力を増していくと、ベッドに横たわっていたリュイの尻尾がパタパタと動き始めた。

「このぐらいが良いのか?」

「うん。誰かにして貰うん初めてやけど、めっちゃ気持ちええなぁ。それかユージーンが特別上手なんかな」

「褒めても何も出んぞ。それとも、煽ててこれから毎日させようという魂胆か?」

「そんなんちゃうて。ほんまに気持ちええもん。天国みたいやわ」

「大袈裟だな」

「大袈裟やないよ。別に肩揉みのことだけを言うとるんやないで。こんな風に扱うて貰たん初めてや。後でどんな揺れ戻しがあるんやろて怖なるけど」

怪我を治して、家に泊めて、肩を揉んでいるだけ。ユージーンにとっては何も特別な事では無いのだが、リュイはそれを奇跡のように語る。
一体これまでどんな暮らしをしていたのだろうと想像して、ユージーンは肩を揉んでいた手をリュイの頭に乗せて撫でた。

「ん? どうしたん急に」

「いや、なんとなく撫でたくなった」

「何やそれ」

リュイは「やっぱ変な人やな」と笑いながら、嬉しそうに尻尾をパタパタと振った。
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