00.月満つれば則ち虧く

「さってと。ほんなら次は掃除でもしよかな」

翌日。仕事に向かうユージーンを見送り、食器類を片付け、衣類の洗濯も済ませたリュイは、部屋を見渡しながら言った。

帰ってきた時に驚かせてやろうと意気込んでいたのだが、思いの外、家の中はどこも綺麗に片付けられていた。
物もそれほど多くは無く、それぞれあるべき場所にきちんと置いてある。放置してあるゴミも無いし、キッチンや浴室にも目立った汚れは無い。

よって、軽く床を掃いたり拭いたりする程度しか出来ることはなく、1時間もせずに掃除は終了してしまった。
気合十分だったリュイは、これではやり甲斐が無いと少々落胆する。

(でも、一人暮らしでこんな綺麗にしてんのは凄いなぁ。キョグエンの人らなんか、金に物言わして家事なんか他人任せにしとるんが殆どやったのに……)

キョグエンの富豪ほどではなくとも、ユージーンも使用人を雇う程度のお金ならあるだろうに。
こだわりが強いのだろうか。だとすれば、自分があまりあちこち触るのも良くないなと、リュイは掃除用具を片付けてエプロンを脱ぐ。

(あと出来ること言うたら料理くらいやな。昨日の夜も今日の朝もお弁当も、材料買いに行かれへんで簡単なもんしか作れへんかったけど、今晩はちゃんとしたもん作りたいなあ)

かと言って、食材を買うお金はユージーンから預かったものなので、あまり勝手に使い過ぎるのも良くは無いだろう。
恐らくユージーンは気にしないのだろうが、居候の身からすれば極力浪費は避けたい。

(自分のお金で買えたら一番ええんやけど……この街、ハーフ雇ってくれるとこあるんやろか……今度の診察の時、ドクターに相談してみよかな)

何にせよ、ここであれこれと考えていても仕方がない。
まずは食材屋を見つけなければと、リュイは空の買い物袋を片手に街へと出掛けた。







それから数時間後。
バルカの街の中をひたすら歩き回っていたリュイは、未だ食材屋を見つけられずに困り果てていた。

――――広い。広すぎる。

キョグエンも土地自体はそれなりに広いのだが、あちらは建物の数がそれほど多くは無いので、目当ての店を見つけることはそう難しくは無い。

一方で、この王都バルカはとにかく建物の数が多い。
その上、外観は王城と博物館を除けばどれも似たようなものばかりなので、軒先に吊るされている看板を一つ一つ確認しなければ、店なのか住居なのかすら判別がつかない。

(あかん。こんなんしてたら日ぃ暮れてまう。どっかに案内所とか無いんやろか……)

そんな風に、迷子の心地で大通りをウロウロとしていると、

「――そこの君。少しいいだろうか」

不意に背後から声をかけられた。
振り向けば、街のあちこちに立っている兵とよく似た、しかしそれらよりも立派な鎧に身を包んだヒューマの男性と目が合う。

「今朝方からずっと街の中を歩き回っていると聞いたのだが、何か困り事だろうか? 見たところ旅行者の様だが、連れは? 王都へは何をしに?」

「え。あ、いやその、別に旅行者やないねんけど……食材屋を探してて……」

「食材屋? それなら宿屋のある建物に一軒入っているぞ。一通りはそこで揃うが、新鮮な魚が欲しいのなら、王都を出て港の方に行くといい」

「宿屋……その宿屋っていうのは何処に……?」

「街の正門の近くにある。私も丁度見回りでそちらの方面へ向かうところだ。良ければ案内しよう」

「えっ、ほんまに?」

渡りに船で助かったと、リュイは喜んでその申し出を受け入れた。
有難うと言うリュイに、男はどこかホッとした顔で頷き歩き出す。

「旅行者では無いと言っていたが、店の場所が分からないという事は、まだ王都に来て日が浅いのか?」

「えーっと、来たんは一月くらい前なんやけど、ずっと診療所におっただけやから、街のことはまだ全然分からんねん。買い物は今日が初めてやで」

「そうか。それならば迷うのも無理はないな。次からは立っている兵や店の者に声をかけるといい。皆君を心配していたぞ。私のところに何件も報告が来るぐらいにはな」

「え。そうなん? まあでもそうか、目立つよなぁやっぱ……」

晒している耳をピコピコと動かして、リュイはちらと行き交う人々を横目で見た。
何人かとは視線が合ったが、皆気まずそうな顔をしてすぐに目を背ける。

「騒がせるつもりやなかってんけど、なんかごめんやで」

「悪いことをしている訳では無いのだから、謝る必要は無いさ。だが、何かトラブルに巻き込まれはしないかと心配にはなるな。誰か付き添ってくれる者は居ないのか?」

「二人暮らしやねん。厳密には俺はただの居候やけど。ほんで、家主さんはお仕事中。せやから付き添いは無理」

「そうか……困ったな」

「そんな心配して貰わんでも大丈夫やて。あれやったら次からは帽子被ってくるけど、どっちにしろ騒ぎなんか起こさへんよ。俺がなんかしたら家主にも迷惑かかるし……ハーフの言うことなんか信用出来んかもしらんけど、ほんまに悪いことする気あれへんから」

リュイの言葉に、男は驚いた顔をして、それから「参ったな」といった風に眉を下げた。

皆が心配している、という言葉で濁したが、実際に男が方々から受けた報告は、街中に現れた正体不明のハーフが、どの店にも入らずに長時間彷徨いていて怪しい≠ニいう類のものだった。

声をかけたのも親切心ではなく、何か犯罪的な行為を企んではいないかと確かめる為だ。
男はリュイがそれを見抜いていた事を理解して、素直に謝る。

「疑って見てしまってすまない。だがどうか、兵士達は恨まないでやってくれ。彼らは王都の安全の為に、どんなに些細な事であっても見逃すわけにはいかない。決して君一人だけに目くじらを立てているわけでは無いんだ。許してくれ」

「別に謝らんでええよ。実際怪しかったやろうし。それに、そっちがどんなつもりでも、こうやって案内して貰えて助かったしな。あんたに声かけて貰われへんかったら、今日の晩御飯無しになってたかもしれん。せやから、それでチャラな」

「そう言って貰えると助かる。――さて、食材屋はこの建物の中だ。他に寄るところは?」

「あらへんよ。買い物終わったら真っ直ぐ家帰るから、ご心配なく」

「そうか。では、私はこれで失礼する。もし何かあったら、近くの兵に知らせてくれ」

「はーい。――あ、ちょお待って。あんたの名前だけ聞いといてええ?」

男は「知らなかったのか」と言いたげな顔をしてから、「申し遅れてすまない」と前置いて答える。

「ミルハウスト・セルカークだ。君の名も教えて貰えるだろうか」

「リュイ。リュイ・ユーシェン。孤児みたいなもんで、こっち来るまでちょっと特殊な暮らし方しとったから、身分証とか持ってへんねんけど……」

「いや、そこまで要求するつもりはない。名前だけで十分だ」

それではな、と言って、ミルハウストは兵や民と挨拶を交わしつつ、キビキビとした動きで王城の方へと歩いて行った。

兵士達から報告を受け取っているという事は、彼は街中に立っている兵よりも上の立場の者なのだろう。

ユージーンと同居して早々に、そんな相手に目を付けられてしまうとは。
この調子では、ユージーンの疫病神になってしまうなと、リュイは溜息を吐いた。







そうして、材料片手に帰宅した時には、既に陽が落ちかけていた。
買ってきた品々を机の上に並べて一息ついたリュイは、さて何を作ろうかと考える。

買う時になって気付いた事だが、店に並べられている品はキョグエンとはかなり違っていた。
王都なだけあって品揃えは申し分無かったのだが、香辛料の多いキョグエンに比べると、そういった系統の品数はあまり多くはなく、代わりに扱ったことの無い食材が多々あった。

料理はそれなりに出来るつもりでいたが、それはあくまでキョグエンの食文化においての話。
昨日ユージーンに得意だと言った手前、今更泣き言は言えないが、果たしてユージーンの口に合うものを作れるのかどうか。

(そういや、ユージーンて辛いの平気なんやろか。他所の人らはあんま唐辛子食べんみたいやしなあ……)

キョグエンの名物は香辛料がたっぷり入った真っ赤な麻婆豆腐で、リュイもそれを好んで食べていたが、旅行者は一口食べただけで悶絶し倒れていた。ユージーンがそうなっては困る。

(ちゅーても、香辛料使わん料理てあんま知らんしなあ……辛さ控えめにしたら大丈夫やろか。あとはデザートに甘いもん出したら何とかなる……よな?)

分からない事で気を揉んでも仕方がない。
とりあえず今日は自分が美味しいと思えるものを作ってみようと、リュイは早速調理に取り掛かった。
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