00.月満つれば則ち虧く
なんだか今日は疲れたな、と、仕事帰りのユージーンは重い足取りで家路についていた。別に特別何かがあった訳では無いのだが、王の盾の問題児たるサレやトーマの手綱を握るのは、それだけで心身にかなりの負担がかかる。
命令には従う分、まだ救いがある――と思いたいが、それも自分やワルトゥの目がある時に限っての話だ。
あの二人は隙あらば、各々の秀でたフォルス能力で他人を甚振ろうとする。それも、あくまでも任務遂行の為という体で。
もしこれが正規軍での話であったならば、彼らのような非人道的な人間は即クビになっていただろう。
しかし王の盾という組織は、残念なことに彼らのような人物こそ留め置くしかない。
言うなれば王の盾とは、フォルス能力者を収監する檻のようなものだ。能力者がその力の使い方を誤らぬよう、統制する為の組織。サレとトーマのような者の為にこそあるようなものだ。
つまり隊長である自分は、彼らがどんな振る舞いをしようと、切り捨てる事など出来はしない。
ユージーンはその事実に、沈んでいた気分が殊更に沈むのを感じた。
集合住宅の階段をいつもよりゆっくりと登っていくと、不意に何処かから良い香りが漂ってきた。きっと何処かで誰かが晩御飯の支度でもしているのだろう。
特に結婚願望があるわけでも、一人暮らしで不自由しているわけでも無いが、こういう時に家でご飯を用意して待ってくれている相手が居てくれれば、と思うことはある。
結婚したからといって、必ずしもそういう暮らしが出来るとは限らないが。ユージーンの疲れた頭は、癒しを求めて理想的なパートナーの姿を思い描いていた。
そんなこんなで自宅の前まで到着したユージーンは、そこで漸く料理の匂いが目の前の部屋から漂っていることを知った。
無人の筈の家の中からどうして――と、そこまで考えて、忙しい1日のせいですっかり頭から抜け落ちていた事実を思い出す。
(そう言えば、昨日から一緒に住んでいるんだったな)
取り出しかけた鍵をしまって、ユージーンは扉を開けた。
明るく、いつもより温度が高く感じる廊下の奥から、エプロン姿のリュイがひょっこりと顔を出す。
「おかえり! 良かった、ちょうどご飯出来たとこやねん。あ、でももし先に風呂入りたいとかやったら、そうしてくれてもええで。沸かしてあるから」
それだけ言って、リュイは頭を引っ込めた。
ただいまを言いそびれたユージーンは、その光景にふっと笑みを零して、リビングに向かう。
テーブルにはキョグエンの郷土料理と思しき品々が、大皿に盛った状態で並べられていた。
取り分ける為の小皿を線対称に置いたリュイは、じっとユージーンを見つめる。
「食べる? 後にする?」
「先にいただこう。冷めてしまっては勿体ない」
それを聞いて、リュイはニコニコ顔でエプロンを脱いで着席。槍を置いたユージーンも対面に座る。
「何作ったらええか分からんかったから、とりあえず今日は俺の得意なやつ作ってん。全体的に辛さはかなり控え目にしたんやけど、もしアカンかったら無理せんでええから。味も、気に入らんかったら調味料とか好きに足して」
自分では美味しく作ったつもりやけど、と言いながら、リュイは麻婆豆腐を口に運んだ。
ユージーンもそれに倣って一口食べて、少し不安そうなリュイに見守られながら咀嚼して飲み込む。
「どう? どう?」
「美味い。辛さも丁度良い具合だ」
「ほんまに? じゃあこっちのは?」
リュイは空いたユージーンの取り皿に、春巻きやら酢豚やら春雨のサラダやらをポンポンと乗せていった。
そしてまたユージーンが食べるのを緊張した面持ちで見守る。
「あ、そう言えば嫌いな食べ物とか無い? 今更やけど」
「いや、特に食べられないほどのものは無い。どれも美味いぞ」
「ほんまに? お世辞やない?」
ユージーンは頷きながら、発言の裏付けにパクパクと料理を食べ進めた。
「お前も食べないと無くなるぞ」と言われて、腹ペコだったリュイは慌てて自分の分を確保する。
「良かったあぁ〜。口に合わんかったらどないしようかと……あ、ちなみにデザートもあるねんけど」
そう言いながら、リュイはテーブルの端に置いてある皿を中央に移動させた。
皿の上には、湯気の立っている白い饅頭が二つ。
「これは?」
「甘い餡を小麦粉の生地で包んだやつ。ほんまは桃の形しとるんやけど、色付けるやつが売ってなかったから、今回はただの丸型になってしもてん。でも味は同じやから」
ヒューマと違って一口が大きいユージーンは、各料理を一人前分あっという間に平らげてから、その饅頭を手に取った。
そのまま丸ごと口に放り込もうとしたが、リュイに「火傷するで」と言われたので、二つに割って冷ましてから食べる。
裏漉しされた独特の甘みのある餡と、ふかふかな生地だけのシンプルな料理だったが、濃いめの味付けかつ辛い料理の後に食べるものとしては最適だった。
顔を綻ばせて一気に食べきってしまったユージーンは、すぐに無くなってしまったことが残念だと言いたげに、空になった掌を見つめる。
「もしかして、甘いもん好きなん?」
「ああ……」
「ほな俺の分もあげるわ」
「いいのか?」
「うん。気に入ってくれたんやったら嬉しいし」
どーぞ、とリュイが差し出すと、ユージーンは礼を言ってそれに齧りついた。椅子の下で、長いしっぽが揺れている音がする。
まさか甘いものが好きだとは。
ただの辛さ対策として作ったものだったが、こんな事ならもっと多めに作っておけば良かった。甘味のレパートリーは多くないが、これからはお菓子作りも頑張ろう。
美味しそうに食べるユージーンを微笑ましく見守りながら、リュイは密かにそう決意した。
「片付けは俺がやっとくから、ユージーンは風呂入り。明日も仕事なんやろ?」
そう促されて、一人浴室に向かったユージーンは、お湯の溜まった浴槽に身を沈めて、ぼんやりと天井を眺めていた。
心身を蝕んでいた倦怠感が消えていくのを感じる。
こんな風に、身の回りの事を誰かにして貰ったのは、子供の頃以来だ。こんな生活を続けたら駄目になってしまいそうな気がするが、今はこの安らぎを享受したい。
そう思って目を閉じて――――次に目を開けたのは、浴室の扉を叩く音が聞こえてからだった。
眠ってしまっていたことに気付いたユージーンは、心配して呼びかけてくるリュイに大丈夫だと返して風呂を出る。
「ごめん、急かしてしもた?」
「いや、寝てしまっていたんだ。起こしてくれて助かった」
「あ、やっぱり? えらい長風呂やから、もしかして〜と思っとってん。のぼせとらん?」
「……少しだけクラクラする」
「あかんやんそれ。ちょお待っとって」
バスタオルでわしわしとユージーンの濡れた体を拭いていたリュイは、そう言って一度その場を離れた。
ほんの数分で戻ってきて、冷水に浸したタオルと水の入ったコップを手渡す。
「これ飲んで、着替えたらすぐ寝り」
「ああ……すまんな、何から何まで任せてしまって……」
「何言うてんの。何から何までする為に居るんやから、いくらでも甘えてや。必要やったら背中も流したるで」
「いや、そこまではいい」
「せやんな。ユージーンはそういうんとちゃうわな」
ユージーンは≠ニいう言い方が少しだけ引っかかったが、のぼせてホワホワとしている思考ではそれ以上のことは考えられず、ユージーンは再びバスタオルで体を拭い初めたリュイにされるがままになった。
若干ふらついた足取りのユージーンを無事ベッドに送り届けたリュイは、相手が眠りに落ちたのを見届けてから、自分も風呂に入った。
傷跡はもう塞がっているので、いつもしているように念入りに全身くまなく洗って、上がった後は髪の手入れをする。こういった行いはキョグエンで暮らしていた頃からの習慣だった。
手間暇かけたところで、ハーフという最大かつ致命的な欠点がどうにかなる訳でも無いのだが、だからこそヒューマやガジュマよりも手入れには時間をかけて、少しでも身綺麗にしておかなければならない。
そうすれば、魅力的には見えずとも、周囲に与える不快感は最小限で済むからだ。
そういう風に教育されてきたし、もっともだとリュイは思っていた。
反面、それだけの為に、これだけの手間と時間を費やすのも馬鹿馬鹿しいと思うこともあるが。
(……俺、ちゃんと役に立っとんのかな)
ユージーンが色を求めていないのなら、その分他の事で奉仕し、価値を感じて貰わなければならない。
要望があればどんなものでも応えるつもりでいるが、今のところユージーンは特に何も言ってこない。
(もっとああしろこうしろて言うてくれてもええんやけど……満足して貰えとるんかなあ。我慢してへんやろか)
ブローを終えて寝室に戻ったリュイは、眠っているユージーンを隣のベッドからまじまじと見つめた。
(……こんなええ人に拾て貰て、一生分の運使い果たしたんとちゃうかなあ)
出来ることなら、ずっとこの環境の中に居たい。
その為には、やはりもっと自分の価値を高めなければ。もっと役に立たなければ。
まあ先ずはやはりお金を稼ぐところからだなと、今後の予定を頭の中で組み立ながら、リュイも静かに眠りに落ちた。