00.月満つれば則ち虧く

「ドクターどないしよ。ユージーンお弁当忘れてったみたいやねん」

リュイが助手――或いは研修医――として、バースの仕事を手伝うようになって久しく。

王都での暮らしにも、ユージーンとの生活にも慣れてきた頃のとある朝。
診療所に顔を出すなり、リュイは手に持った巾着袋を見せながらバースにそう言った。

言われたバースは「それは困ったな」と言いながら、頭に乗せていた眼鏡を掛け直す。

「届けたいんやけど、俺ユージーンの職場が何処にあるか知らんくて……ドクター知っとらん?」

「知っているよ。カレギア城だ」

「え、カレギア城? ってあの、街のてっぺんにあるでっかい城?」

「そう、そのお城だよ。届けに行くのなら、ついでに私のおつかいも頼まれてくれないか? そうすれば、城の中にも入り易いだろう」

バースは引き出しから手紙と小包を取り出すと、身分証と一緒にリュイに手渡した。

「正門の前に見張りが立っているから、その人達にドクター・バースの代理で来た≠ニ伝えるといい」

「わかった。けど、これ誰に届けたらええん?」

「最終的にラドラス陛下の元へ届くのなら、誰に預けてくれてもいい。迷うようなら、弁当と一緒にユージーンに渡してくれ」

「ちょお待って。陛下って王様やん。ドクター王様の面倒まで見とるん? そんな凄い人が、何でこんなとこで診療所なんかしとんの?」

「何故って……その方が、より多くの人を助けられるからだよ。ラドラス陛下は私の救うべき大切な患者だが、他の誰であってもそれは同じことだ」

「いやいやいや。いくら命に色は無い言うても、流石に王様と平民を同じ扱いにしたらマズいんとちゃう? ようそれでクビにならへんなぁ……」

まぁ、それだけバースの医者としての腕が優れているという事なのだろう。

非常識さに少し呆れつつも、それが許されるだけの功績と人望を持つバースを、そんな人の下で働けている今の自分を、リュイは誇らしくも思った。

「ところで、以前私がプレゼントした帽子はまだ持っているかな?」

「ん? うん。今日は家に置いてきとるけど、たまに被って出掛けとるよ。なんで?」

「城に行くのなら、被って行った方がいい。……城には色んな人がいるからね」

バースがこんな風に耳を隠すことを勧めるのは珍しい。
その苦々しい表情を見て、今の言葉が自分を案じての事だと理解したリュイは、それに素直に従うことにして、帽子を取りに一度家に戻った。







そうしてヒューマへの擬態を完了し、カレギア城の麓にまで来たリュイは、眼前に聳える巨大な門と、それよりも高く聳える城の威容に圧倒されていた。

遠くから見たことは何度もあるが、これほど間近で見たのは初めてだ。
その様を見た門兵達は、「どこの田舎者だ」といった目を向けながら、何の用かと尋ねる。

バースに言われていた通り、身分証を提示して要件を伝えると、すぐに入城の許可が降りた。
これなら用はすぐに済みそうだと安堵したのも束の間、城の中に足を踏み入れたリュイは、広いエントランスの中央で立ち止まる。

前にも廊下。右にも廊下。左にも廊下。
それぞれの廊下の壁には、統一されたデザインの扉が幾つも並んでいる。そして、廊下の先にはまた別の廊下が見える。

(…………。え、これどう進んだらええん? 適当に進んだら絶対迷うやん……)

近くにいる兵を呼び止めて尋ねてみるも、聞かれた側も似たような風景ばかりの城内の道順をどう説明すればいいのか分からず、かといって持ち場を離れて案内するわけにもいかず、「他の人に聞いてくれ」と逃げていくだけだった。

虱潰しに当たろうにも、部屋の数が多すぎる。一つ一つ確認していたら日が暮れてしまう。
さてどうしたものかと廊下を行ったり来たりしていると、

「おや? 見慣れないヒトが居るね。誰かのお客かな? それとも侵入者?」

不意に背後からそう声を掛けられた。

振り返れば、そこに居たのはワン・ギンの客の中にでも居そうな、貴族のような風体の少年。

「えーっと、ドクターの遣いやねんけど……そっちこそ誰?」

衣装に似合う端正な顔立ちのその少年は、リュイのその問い掛けに怪訝な顔。

「何だいその喋り方? 見たところヒューマのようだけど、それならちゃんとヒトの言葉で喋ってくれないと」

「いや、普通にヒトの言葉やねんけど。それよりあんたは誰やねんて」

「キミみたいな妙な喋り方をするヒトなんて、僕は見たこと無いけどね。まあいいや。――僕はサレ。王の盾のサレだよ」

「王の盾……? 何やそれ、聞いたこと無いけど」

「まあそうだろうね。知らないのならそれでいいよ。キミみたいなヘンテコなヒューマとは、一生縁がないだろうから」

なんや一々トゲのある言い方しよるなコイツ。

王都に来てからこれまで、バース、ユージーン、ミルハウストといった良識のある人物とばかり接してきたリュイは、この手のタイプは久しぶりだなと思いつつ「ああそう」と受け流す。

「で、城に何の用だって?」

「せやから、ドクター・バースの遣いやって。ユージーン捜しとるんやけど、部屋何処にあるんか分からんねん。あんた知らん?」

「ドクター・バース? ……ああ、あの変わり者の医者か。それがどうしてユージーン隊長の部屋を探しているんだい?」

「隊長? ユージーンて隊長さんなん?」

「そうだよ。王の盾のね。それにしても、キミって喋ることだけじゃなく、会話のキャッチボールすらまともに出来ないんだね?」

「気になること先に聞いただけやんか。ドクターから預かったもんの他に、もう1個届けもんがあんねん。それがユージーン宛やから捜してんの。部屋の場所知らん?」

「さぁ、どうだろうね? 教えてあげてもいいけど、キミ態度悪いからなぁ」

「うわ、しょーもな……見た目以上に中身子供やん。ユージーンがいっつも疲れた顔して帰ってくる理由がよう分かったわ。可哀想に……」

と、リュイが素直な感想を零した瞬間。

「――――ッ!? 痛っ!?」

ヒュン、と風切り音がしたかと思えば、ナイフで切りつけられたかのように、至る所がひとりでに裂け、肌から血が流れた。

何が起こったのか分からなかった。が、サレが意地の悪い笑みを湛えているのを見て、ああこいつがやったんだなと理解して睨む。

「腹立ったらすぐ暴力て、益々子供っぽいで」

「キミの方こそ、これしきのことで腹を立てるなんて、子供っぽいんじゃないかな?」

「はいはい。もうええわ。これ以上あんたと喋っとっても時間の無駄やし、自分で探すわ」

そう言ってズレた帽子を被り直そうとつばを掴んだリュイは、その先端がぱっくりと割れている事に気付いた。
外して目で確認してもやはり結果は同じで、サッと青冷めてワナワナと震える。

「ありえへん……ドクターに貰った大事なもんやのに……何してくれんねん……」

流石に許せない、もう怒ったとサレに掴みかかったリュイは、何やら相手が驚いた顔をしているのを見てキョトンとする。

「何やその顔」

「……そうか。キミが最近ウワサになってた、例のハーフってわけだね。ドクター・バースの遣い≠ナ気付くべきだったよ」

「!? なんで――――」

なんで分かったのかと問おうとしたリュイは、手に持っている帽子を見て口を閉じた。
頭上では、露になった耳がピンと立っている。

「サレ! こんな所に居たのか。もう休憩は終わりだぞ」

「おやユージーン隊長。丁度いいところに。貴方にお客人ですよ」

「客?」

サレの対面からやって来たユージーンは、互いの間に居るリュイを見てギョッとする。

「リュイ!? どうして此処に……いや待て、その傷はどうした?」

「この紫男にやられた」

「何?」

「待ってくださいよ隊長。先に喧嘩を売ってきたのはこの男ですよ。そして今僕は暴力を振るわれている真っ最中です」

「誰がいつ暴力振るったねん。まだ服掴んどるだけやろ」

「まだ≠チて事はこれからするって事じゃないか。隊長が来なければどんな酷い目に遭わされていたことか……」

「急にか弱いフリすなや気色悪い」

「暴力的な上に口も悪いなんて最悪だね」

「やめろ二人とも。……とにかく、事情は後で聞かせて貰う。サレ、お前は任務に戻れ。リュイもその手を離すんだ」

怒りの収まらないリュイは、けれどもユージーンの前で殴り合いを始めるわけにもいかず、渋々手を離した。

サレはやれやれと言った顔でよれた襟元を直してから、「じゃあね」と涼しい顔をして去っていく。

「なんやアイツほんま腹立つ……次会ったら絶対しばいたる……」

「落ち着け。何があった?」

「いや何も無かってんけど、シンプルにあいつの態度が悪くて腹立ってん。何なんあいつ、何様なん?」

「サレは誰に対してもそういう振る舞いをする。気にするな。それより、どうしてお前が城に? 俺に何か用か?」

「お弁当届けに来てん。今日忘れてったやろ。あと、ついでにドクターのおつかいでコレ」

リュイはユージーンの両手に、弁当箱の入った巾着袋と、バースから預かった小包をそれぞれ乗せた。

小包の宛名を見て納得したユージーンは、「これは俺が届けておこう」と懐にしまう。

「弁当の件は本当にすまなかった。怪我は大丈夫か?」

「怪我って言うほどのもんでもあらへんよ。向こうも本気や無かったやろうし。こんなもん猫に引っ掻かれた程度の……?」

と、喋っている最中に、不意に目が眩んだ。
突然ふらついて倒れそうになるリュイを、ユージーンが支える。

「どうした、大丈夫か!?」

「いや、なんかちょっと目眩しただけ……もう平気。ごめんごめん」

「サレに何かされたのか? 一度バースに診て貰った方がいい」

「そんな大袈裟な。大丈夫やって。それより俺も早よ戻って仕事手伝わな。ユージーンも仕事頑張ってな!」

「あっ、おい! 今日は休んだ方が……」

と、ユージーンが止める間もなく、リュイはブンブンと手を振りながら駆けて行ってしまった。
仕事を放り出して追いかけるわけにはいかないので、ユージーンはそれを見送る事しか出来ない。

(何かあったとしても、診療所でならすぐに対処してくれるだろうが……本当に大丈夫なのか?)

今日は仕事を早く終わらせて早く帰ろう。
ユージーンはそう決めて、届けてもらったお弁当を平らげると、休憩もそこそこに任務へと戻った。
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