02.花は折りたし梢は高し
薪拾いのついでに川の水を汲んできたフォレストは、それを起こしたばかりの火の上に置いて煮沸している間、テント作りを手伝おうとしたのだが、思いの外手際の良いレフォードによって、それは既に終わっていた。「何だ、何か文句でもあるのか」
「いや、もっと苦戦するだろうと思っていたのでな。驚いているだけだ。慣れているのか?」
「慣れていては悪いか?」
誰もそんなことは言っていない。
どうしてそう、こちらの言動に逐一目くじらを立てるのだろうと辟易しながら、フォレストは「気になったから聞いただけだ」と答える。
「任務で外に寝泊まりする事も多いからな。他の審問官は野営などせず町の教会の世話になっているが、僕は仮面を着けていないせいで、一人だと審問官と信じて貰えない事があるんだ」
「ああ、それも気にはなっていた。どうしてお前は仮面を着けていないのだ?」
「僕はあの仮面はあまり好きではない。素顔を隠すのは悪党のやる事だろう。我々は悪事を働いている訳では無いのだから、堂々としていればいい。そうすべきだ」
「……悪事を働いていない=H」
あれだけの数のレイモーンの民を、牢に閉じ込めて死なせておいて?
それまで平静を装っていたフォレストの表情が崩れた。
落ち着け、抑えろと脳が叫んでいるが、今の発言は流石に聞き流せない。
「悪で無ければ、お前達のやっている事は何だと言うんだ? 正義か?
初めて「リカンツ」という言葉をヒトに投げつけられた時と同じ怒り。
ティルキス達との交流や、14年の歳月で薄れていた闘争本能のようなものが、ふつふつと底から沸き立つのをフォレストは感じた。
突然口調と声色が変わったフォレストに、その気迫に気圧されそうになったレフォードは、負けじと相手を睨み返す。
「貴様も魔物が居れば、それが善か悪かなど考えずに殺すだろう? それと同じことだ。ヒトの世に紛れ込んだ
「――――――――ッ!!」
ブチリ、と、何かが千切れる音がした。
フォレストは、未だ鎧を着けておらず、剥き出しになっているレフォードの首を片手で鷲掴んだ。
そのまま身体を持ち上げて、首を圧し折らんばかりの強さで締め付ける。
気道を塞がれたレフォードは、軋む骨の音に死を予感して震えた。
(……っほらみろ、やっぱり
内から湧き上がってきたその怒りで恐怖を制したレフォードは、あらん限りの力を拳に込めて、フォレストの頭を殴った。
その衝撃でほんの一瞬相手の力が弱まった隙に、身を捩って拘束から抜け出すと、近くに置いてあった槍を手に取り、咳き込みながらも素早く構える。
「漸く、本性を表したな……! いくらヒトと仲良くしていようが、どれだけヒトのように振舞おうが、貴様らの本質はソレだ!」
「………………! 違う、俺は……私は……」
頭を殴られたお陰で多少自制心を取り戻したフォレストは、フラつきながらも必死に衝動に抗っていた。
一方のレフォードも、先程死にかけたせいで直ぐには近寄れず、慎重に間合いを見計らう。
「私は……今の私はもう、ヒトを傷付ける為に、この力を使ったりはしない……ティルキス様の従者となった時に、私はこの胸にそう誓ったのだ。頼む、私をリカンツにさせないでくれ……」
「リカンツにさせる? 他人のせいにするな。貴様は最初からリカンツだろう。でなければ、あの醜い獣の姿は何だ? 今の暴力は何だ? 貴様らはヒトとは決定的に違う!」
「だとしても! ヒトとは違っていたとしても私は……レイモーンの全ての民は、ヒトと手を取り合い、共に生きていけると信じている!」
「そんな訳があるか! 貴様らのその夢見がちな世迷言はもう沢山だ!!」
突き出された槍の穂先を躱したフォレストは、それを握るレフォードの目を見て息を呑んだ。
その瞳に浮かんでいる感情は、ただの嫌悪などでは無かった。
知っている目だ。怒りと憎しみに満ちた目。何か強い決意を湛える目。
ティルキスと出会う前の、かつての自分と同じ目。
ヒトを敵と看做し、排除する事を望んでいた頃の目。
まるで昔の自分を見ているかのような心地になって――――フォレストは飛び込んできた相手の身体を咄嗟に抱き留めた。
予想外の動きに面食らって硬直したレフォードは、すぐに我に返って離れようとしたが、自身を抱き締める力はより強くなる。
「な……何だ、何のつもりだ貴様! 離せ!!」
「聞いてくれレフォード! 私はお前と争うつもりも、傷付けるつもりも無いんだ! こんな事はもうやめろ!」
「やめろだと!? ふざけるな! 僕は異端審問官だ、貴様らを殺すことが僕の使命だ! 貴様に戦意が無かろうが知ったことか!」
フォレストの体越しに槍を短く持ち直したレフォードは、その穂先をフォレストの背に突き立てようとしたが、首元に相手の手が触れた瞬間、先程の恐怖を思い出して全身が強ばり、槍を落としてしまった。
フォレストもそれに気付いて手を退けようとしたが、離せばまた暴れられてしまうだろうからと、申し訳なく思いつつもそのままにしておく。
「落ち着いてくれ……首を絞めたのは私が悪かった。もう二度とあんな真似はしない。だから話を聞いてくれ」
「何を今更……取り繕っても無駄だぞ。化けの皮はもう剥がれたんだ。先の姿を、ティルキス達にも見せてやるといい。そうすれば、あの二人の目も覚める」
「……ルビアはともかく、ティルキス様は、私のこういった面を既に知っている。あの方は全て知った上で、それでも傍に置いて下さったんだ。真に誇り高い存在というものを、私はあの時に初めて理解した。理解して……私もそうありたいと思ったのだ」
またそんな適当な作り話を……と訝って、レフォードは相手を睨んだが、フォレストの面持ちは真剣そのものだった。
「だから、お前がどんな人物であれ、暴力で捩じ伏せるような真似はしたくは無い。私を受け入れてくれとは言わないが……今は矛を収めてくれないか」
「……断る。言っただろう。そちらがどう思っていようが、僕には関係無いと」
「断られると、離すわけにもいかなくなるのだが……ずっとこのままでいいのか?」
がっちりと掴んで――というより、抱き締められている状態のレフォードは、いいわけがあるかとフォレストの腕の中で藻掻く。
「どちらにしろ、これ以上は勘弁してくれ。流石にもう疲れた……」
二度の獣人化に、度重なる戦闘と川下りのお陰で疲労困憊のフォレストは、暴れるレフォードを抱き抱えてテントの中に入った。
そして倒れるように寝袋の上に転がって、腕の中で喚いているレフォードを他所に寝に入る。
それを見たレフォードは、自分の怒りが赤子の癇癪のように扱われていることと、そんな相手に全く歯が立っていないという事実に、わなわなと震え出した。
「くそ……馬鹿にするなよ……! こっちは本気で……!」
こんな奴のいいようにされて、何も出来ないで居る自分自身が情けない。許せない。
しかしこの状態では何を言っても惨めになるだけだと、レフォードは罵詈雑言を並べ立てようとする口を結んで耐えた。
フォレストはやっと静かになってくれたかと安堵したが、薄目で相手の様子を窺って、その瞳が潤んでいるのを見てギョッとする。
「な……な、何も泣かなくてもいいだろう」
「うるさい……! 別に貴様に泣かされている訳では無いし、そもそも泣いてなどいない……!」
「いや……だがどう見ても泣いて」
「うるさいと言っている! 黙れ! 貴様には関係無い!」
堪えきれなかった悔し涙が、一滴だけ眦から零れた。
レフォードはそれ以降喋ろうとはせず、俯いて啜り泣くだけだった。
どう扱えばいいか悩んだフォレストは、頭を撫で背を叩いてみたが、余計に怒りを買ってしまい途方に暮れる。
――――もういい、寝てしまおう。
そう決めて、フォレストは瞼を閉じた。寝首を掻かれては困るので、レフォードは抱き締めたままだ。
一方のレフォードは、本当に眠ってしまったフォレストをぶすくれた顔で見る。
(……何が真の誇り高さ≠セ。そんなもの、リカンツに理解出来てたまるか)
自分は真に誇り高い者を知っている。
そしてそれを奪ったリカンツ共を許さない。
拘束が緩んだら抜け出して、外に落としたままの槍を回収して、それでこいつの心臓を突き刺してやる。
レフォードはそう決意してその時を待っていたが、残念なことに睡魔に負ける方が早かった。