02.花は折りたし梢は高し
食器類を川で洗って片付け、火を消してテントも畳んで、さあヤスカの町に帰ろうとしたフォレストは、「おい何処へ行く! 誰が戻っていいと言った!?」
レフォードのそんな怒りの声で、何故ここに居たのかを思い出して足を止めた。
「……やめにしないか? せっかくの良い気分が台無しになる」
「貴様の気分など知るか! 僕は貴様の首を獲る為に来たんだぞ!」
「そうか、残念だ。寝食を共にして、少しは情が湧いたのではないかと期待していたんだが」
「その程度の事で情など湧くか!」
と、槍を手に突っ込んでこようとするレフォードに、フォレストが待ったをかける。
「戦うのならせめて鎧を着てくれ。そんな薄着では、うっかり殺しかねん」
実際昨夜そうなりかけた事もあり、レフォードは素直にそれに従ったが、着替えながら不愉快そうに言う。
「後で後悔するなよ。こちらは貴様が薄着だからと言って、容赦はしないぞ」
「それで構わん。私は鎧など無くとも問題はない」
確かに、フォレストの鍛え抜かれた逞しい筋肉は、鎧に負けずとも劣らぬ強度があるように見えた。
が、着替え終わったレフォードは、
「……僕は異端審問官だぞ? 図体のデカいリカンツの相手は慣れている」
そう言って、フォレストの視界から消えた。
実際には素早く間合いを詰めて背後に回っただけなのだが、油断し切っていたフォレストの目はその速さについて行けなかった。
一拍遅れて振り向いた時には、槍の穂先が眼前に迫っていた。
慌てて避けたが回避しきれず、フォレストの頬に裂傷が出来る。
「貴様のように、ヒトを脆弱だと見下して驕るリカンツは何人も見てきた。全員牢獄へ送ってやったがな!」
レフォードは攻撃の手を緩めず、高速の突きを繰り出す。その勢いは、まるで嵐の雨のようだ。
なるべく相手を傷付けないようにと、斧を使う事を躊躇っていたフォレストは、そんな優しさを見せている場合では無いなと柄を握った。
そして、遠慮なくあちこちの皮膚を抉っている槍を斧で叩き落とす。
穂先が地面に刺さって一瞬の隙が生まれたレフォードに、フォレストは蹴りを入れた。
それを篭手で受け止めたレフォードは、引き抜いた槍と一緒に数メートル後ろへずり下がる。
攻撃を受け止めた腕は衝撃で痺れていた。
ジンジンと響くような痛みを感じながら、レフォードは槍を握り直す。
(あの筋肉はハリボテでは無い様だな。鎧越しでもこのダメージか。奴の攻撃を何度も受け止めるのは無理だな……)
元々、リカンツとの戦闘においては、極力攻撃を喰らわない様に立ち回っているのだが、フォレストはこれまで遭遇してきた他のリカンツよりも動きが速い。
(――だが、速さなら僕の方が上だ!)
幾度も繰り返してきたリカンツとの戦いによって磨き上げられた俊敏さで、レフォードは再びフォレストの背後に回った。
相手が反応する前に攻撃を終わらせる――そのつもりで繰り出された突きは、しかしフォレストの斧によって阻まれた。
フォレストはレフォードが視界から消えた瞬間、また背後を取られることを予想し、槍を横倒しに持って一回転していた。
丁度それがレフォードの攻撃のタイミングと噛み合って、擦れた刃同士がギィンと音を立て火花を散らす。
防がれると思っていなかったレフォードは、次の行動に移るのが遅れた。
それは致命的な隙だった。フォレストはもう一周すれば、確実にレフォードの身体を真っ二つに出来る。
頭でそれが分かっていても、一瞬の判断の遅れのせいで、レフォードは避けられない。
(しまっ――――――――)
己の未熟さを呪いながら、強ばった表情で斧の軌道を見ていたレフォードだったが、それはレフォードの身体に到達する前にピタリと止まった。
来るであろう痛みに耐えようとして息を止めていたレフォードは、フォレストの不可解な動きに困惑する。
「ど――――どうして、何故止めた?」
「言っただろう。私はお前と争うつもりも、傷付けるつもりも無いと。……こんなことは無意味だ」
「無意味だと? 貴様にとってはそうでも、僕にとっては意味のある事だ。ここで貴様と仲良しごっこに興じるよりも遥かにな」
「仲良しごっこか……私は遊びでやっていた訳では無かったのだがな。お前がどれほどの信念を持って異端審問官をやっているのかは知らないが、私がヒトと仲良くあろうとする想いの強さは、お前の執念にも負けてはいないと思うぞ」
「それこそ無意味だろう。ヒトとリカンツが仲良くして何の得がある?」
「そうだな……少なくとも、互いに大切な人を奪われる心配はなくなるのではないか?」
フォレストのその一言で、面倒そうに受け答えしていたレフォードの表情が変わった。
目を見開き、黙したまま暫く相手を凝視していたレフォードは、逡巡の後答える。
「僕は……貴様らリカンツを排除することでそれを叶える。僕はその為に……」
「そうか。それがお前の戦う理由なら、私の案もそう悪くは無いと思わないか? 争えば助かる命は一つだが、手を取り合えば二つになる。どちらかが不幸になるより、どちらも幸せになれる解決策の方が魅力的ではないか?」
と、斧を下ろして差し出されたフォレストの手を、レフォードはじっと見つめてから、ふるふると首を振って拒絶。
「リカンツの言う事など信用出来るか……貴様らはそうやってヒトを騙し、油断させて殺すつもりなのだろう? リカンツがヒトを助けようなどと思う筈が無い……貴様らもヒトを疎み憎んでいる筈だ。そうだろう?」
「確かに、ヒトを忌み嫌うレイモーンの民も居るだろう。だが私は違う。でなければ、例えティルキス様のご意向であったとしても、お前を何度も助けたりはしなかったさ。今お前が無事で居ることが、私の言葉が嘘では無い事の何よりの証拠だろう。……信じてみてはくれないか?」
フォレストは手を引っ込める事無くそう言った。
だがレフォードは先と同じリアクションをするだけ。
(……話を聞いてくれているという事は、私の提案にも少しは価値を見出してくれているのだろうが……あと一押しが足りないか。何か……何か良い手は無いか……?)
口下手なフォレストには、レイモーンの民を嫌うレフォードを口説き落とす強力な台詞は思いつかなかった。
こういった事はティルキスの方が得意だ。彼をお手本にすればいいのだろうが、それは先程からやっている。
そもそもヒトと仲良くしようという思考自体、元はと言えばティルキスの受け売りのようなものなのだ。もしかすると、レフォードにあと一歩届かないのは、そのせいなのかもしれない。
(そうは言ってもどうすれば……こいつをヒトだと思うから上手くいかないのか? 同郷の仲間だと思えば……こういう時は……)
かつて雪深い故郷に居た頃を思い出してみたフォレストは、そうして思いついたことを口に出す。
「なら勝負で決めよう。私が勝ったら、お前は私の意見を聞き入れる。お前が勝ったら、私のことは好きにするといい」
「? 勝負なら先程からやっているだろう」
「勝ち負けの明確なルールを決めるんだ。例えばそうだな……先に手足以外の部分が地面に着いた方が負け、というのはどうだ?」
「そんな事でいいのか?」
先程まではフォレストの方が優勢だった。あのまま戦っていればフォレストは勝てただろうに、本当にただ転ばせるだけで勝ちを譲って貰えるのなら、乗らない手は無い。
「だが仮に僕が負けたとしても、リカンツ共と仲良くするつもりは無いぞ。そんな事をするぐらいなら死を選ぶ」
「それでは勝負の意味が……と言いたいところだが、今回は譲歩してやろう。なら代わりに、レイモーンの民をリカンツと呼ぶのをやめて貰う」
「……納得はいかないが、まあいいだろう。僕が勝てばいいだけの話だからな。――で、もう始めていいのか?」
「そう急くな」
フォレストは落ちている枝を拾って、レフォードから少し離れた地面に線を引いた。
そしてその枝を線の端に突き刺して、自身は更に向こうへ。枝がちょうど二人の真ん中に来るように距離を取る。
「その枝の影が線に重なったら開始だ。フライングはその時点で負けにする」
「成程、日時計か。リカンツでもその程度の知恵はあるんだな」
「……お前はレイモーンの民を何だと思っているんだ?」
「リカンツはリカンツだろう」
それ以上の説明は必要ないと言いたげに簡潔に答えたレフォードに、言い返しかけたフォレストは我慢して飲み込んだ。
互いの主張を通すのに、言葉を交わす必要はもう無い。その為の勝負だ。
二人が見守る中、日時計は太陽に合わせて少しずつ動き、やがて定められた時刻を指し示した。
それと同時にレフォードの姿が消え、例によってフォレストは即座に振り向く。
が、そこにレフォードの姿は無かった。
(!? ――――しまった、逆か!)
対処される事を見越して、今回は背後に回らず正面から接近したレフォードは、フォレストの足元に屈んで軸足を払った。
バランスを崩し後ろに傾いたフォレストは、咄嗟に両手を地面に着いて、近くにいるレフォードを両脚で挟むと、そのままバク転の動きで投げ飛ばす。
それは筋力のあるフォレストだからこそ出来る芸当だった。
足を払った時点で勝利を確信していたレフォードは、それが覆えされて慌てふためく。
(――落ち着け! 身体が地面に着かなければいいんだ、体勢を立て直せば……)
そう考えて、宙を舞いながら空中で身を捩り、何とか着地出来たレフォードだったが、
「!? おい、後ろだ!」
突然フォレストがそう叫んで、直後にレフォードは背中から何かに突き飛ばされて倒れる。
「!? なっ――、魔物……!?」
振り返ったレフォードが見たのは、サイのような見た目の巨大な魔物。
確かにこの辺りには魔物が出るとフォレストも言っていたが、まさかこのタイミングで出会すとは。
再び突進して来た魔物を躱したレフォードは、槍をその胴体に突き刺した。駆け寄ってきたフォレストの斧もそれに加わる。
トドメは刺せなかったが、魔物はすっかり怯えて一目散に逃げていった。
まあ今はこれでいいかと、危機が去った二人はふぅと息を吐く。
「無事か? 怪我は?」
「鎧のおかげで無傷だ。だが……」
さっき倒れた時に、身体が地面に着いてしまった。
これで負けになるのは悔しいと視線を落とすレフォードに、それを察したフォレストは、
「今のはカウントしなくていい。魔物がやったことを、私の手柄にするのもおかしいだろう。仕切り直すぞ」
そう言って、一人スタート地点に戻った。
レフォードは「えっ」という顔をして、その場に立ち尽す。
別に、決めたルールには「お互いの攻撃のみ有効」という文言は無かったのだから、フォレストが今のを無効とする必要など無い筈なのに。少なくとも自分なら無効になどしない。
相手が甘くて得をした――が、レフォードは素直にそれを喜ぶ気にはなれなかった。
遅れてスタート地点に戻って、簡易日時計を設置し直しているフォレストに怪訝な顔で問う。
「……勝つ気が無いのか?」
「まさか。だが、あんな事故で勝敗を決めるのは流石にな」
フォレストは「誰でもそう思うだろう」といった風に言った。
彼にとってはそれが普通のことなのだろう。
スポーツマンシップや騎士道精神にでも則っているかのようなその在り方に、レフォードは苛立ちを覚えた。
リカンツのくせに、と呟くレフォードは、日時計など全く見てはおらず。
立てた枝の影が、新たに引いた線に重なった瞬間に飛び出したフォレストは、相手を押し倒してからそれに気付いた。
受け身すら取ろうとしないレフォードの頭を咄嗟に庇って、手の甲を地面に打ち付けたフォレストは、痛みに一瞬息を詰める。
「……っ、どうした? 私がフライングをしたか?」
フォレストの片手を枕にした状態で組み敷かれたレフォードは、フォレストの不安を首を振って払った。
「……どうして庇った?」
「お前がボーッとしているからだろう。今の勢いで頭を地面にぶつけたら危なかったぞ」
「だから、それが分からない。何故僕の怪我を心配する必要がある?」
「何度も言っているだろう。私はお前を傷つけるつもりは無いんだ」
「だからそれが分からないと言っているんだ!!」
レフォードはフォレストの胸倉を掴んで吼えた。
フォレストに優しくされればされるほど、レフォードの精神は蝕まれていく。
「貴様はリカンツだろう!! リカンツはこんな風にヒトを庇ったりはしない!! こんな――――ッ」
己の命を脅かす相手にまで情けをかけるフォレストと、命の恩人に牙を剥いている自分。
これではまるで、こちらの方が
認めない。認めたくない。
リカンツは敵だ。暴力の化身だ。ヒトと相入れる事など決して無い。殺し尽くす事でしか、この争いは終結しない。
「認めない……貴様の主張も存在も、僕は絶対に認めない……!」
また涙目になっているレフォードに、負けを認めたくないのかと勘違いしたフォレストは、「ならば3回勝負にでもするか?」と提案してみたが、理不尽に頬を叩かれただけだった。