02.花は折りたし梢は高し
そして夜。予想していた通り、一行はヤスカでもう1泊する事になった。
3つ取った部屋の内の1つに居るレフォードは、夕餉を済ませ、シャワーも済ませ、さあ後は眠るだけだという状況で、鎧を着たまま槍を握ってベッドの上に座っていた。
同じく諸々の用事を済ませて部屋に帰ってきたフォレストは、その光景を見て思ったことをそのまま口にする。
「……お前は何をやっているんだ?」
「別に」
ぶっきらぼうに答えたレフォードは、空いた方のベッドに座るフォレストをじっと睨む。
「何だ?」
「別に」
「別にという事は無いだろう。お前は誰かと同じ部屋で寝る時は、いつもそうするのか?」
「ヒトにはしない。ヒトにはな」
「成程」
フォレストは売られた喧嘩をその一言で投げ捨てて、「気が済んだら寝ろ」と言って横になった。
わざわざ自分の部屋に運び込んで、逃げるなよと何度も凄んだからには、夜に何かしらのアクションがあるのだろうと警戒していたレフォードは、何事も無くあっさりと寝てしまったフォレストに拍子抜けした。
それでも気を弛めることなく、寝返りを打つフォレストを長々と睨み続けていたが、やがてすーすーと安らかな寝息が聞こえてきたところで脱力する。
(なんだ、何か企んでいたわけじゃ無いのか?)
ならあれだけ「逃げるな」と言っていたのは何だったのだろう。
ベッドを降りて忍び足で近付き、念入りに相手が寝ているのを確認したレフォードは、漸く槍を置いて鎧を脱いだ。
首を刎ねてやりたいところだが、流石に宿のベッドを血塗れにするのはいただけない。何より、失敗した時が怖い。
恐らくはロミー達も追ってきているのだろうし、フォレストやカイウスをどうにかするのは、彼女らと合流してからでも遅くは無いだろう。
武装を解いた瞬間に襲いかかって来るのでは無いかとも思って身構えていたのだが、フォレストは物音に一瞬眉を寄せた程度で、起きることもなくそのまま眠っている。
ベッドに寝転んだレフォードも、久しぶりのまともな寝床の感触にすぐウトウトし始めたが、やはりフォレストが気になってなかなか眠りに落ちることが出来なかった。
1時間ほどしてからやっと寝息を立て始めて、ずっと寝たフリでそれを待っていたフォレストは、片目を開けてそれを確認。
何をするつもりも無いが、異端審問官が槍を持って見張っている中、それを気にせず無防備に眠れるほど、フォレストは不用心では無かった。
レフォードのその行動の原因が、自分の言った台詞――単にレフォードを近くに置いておきたかっただけなのだが、言葉選びが不適切だった――にあるとは思っていないフォレストは、これでやっと眠れるなと、目を閉じて夢の世界へ旅立とうとしたが、眠りの深さがその域に達する前に、突然レフォードが飛び起きた。
「…………っ! はぁ……はぁ………っ」
胸を押さえて苦しそうに呼吸を繰り返す様に、発作か何かかと思ったフォレストは、流石に放っておけず身を起こす。
「大丈夫か?」
声をかけると、レフォードは弾かれたように顔を上げた。血の気の引いた顔が恐怖に引き攣っている。
フォレストが何を問う間も無く、レフォードは忙しなく周囲を見渡すと、壁に立て掛けてあった槍を掴んだ。
「来るなリカンツ!! それ以上近付いたら殺してやる!!」
「なっ……おい、待て、落ち着け。急にどうしたんだ」
まさか呪縛のプリセプツで操られでもしているのかとフォレストは一瞬思ったが、レフォードのその錯乱状態はすぐに治まった。
今居る場所がヤスカの宿で、目の前に居るのがフォレストだと理解すると、レフォードは壁を背にずるずると床に座り込む。
「……なんだ、夢か……そうか……」
酷く疲れた様子でそう呟くレフォードに、もう近付いても大丈夫だろうと判断したフォレストが傍に屈む。
「夢? なんだ、寝惚けていただけなのか? 相当酷い夢を見たんだな」
「………………」
乱れた呼吸と心音を落ち着かせながら、レフォードは心配そうに見てくるフォレストを、決まりが悪い顔で見つめ返した。
「……夢の内容は、聞かない方がいいか?」
「…………、…………いつもの悪夢だ。夢の中の僕は幼くて……一人家で両親の帰りを待っているんだ。そうしたら、外からリカンツ共の笑い声が聞こえてきて……家に押し入ってきたそいつらの手に、父上と母上の首が……っ」
話しているうちにその光景が浮かんだのか、レフォードの呼吸がまた荒くなった。
フォレストはその体を抱き寄せて、背を撫でる。
「落ち着け、大丈夫だ。嫌な夢だったな。だが、ここにそんな奴らは居ない。仮に来たとしても、私が追い払ってやる。だからもう大丈夫だ」
子をあやすように言われて、強ばっていたレフォードの全身から徐々に力が抜けていった。
そして、そのままフォレストの腕の中で、すやすやと眠ってしまう。
その様に「こいつもまだまだ子供だな」と笑って、フォレストはレフォードをベッドに運んだ。
握られた手を解いて槍を床に起き、さて自分も寝直すかと隣のベッドに移動しようとすると、レフォードが唸り出す。
悪夢の続きでも見ているのだろうか。
フォレストがぽんぽんと優しく体を叩いてやると、レフォードの眉間に寄っていた皺が消えた。
だが、良しもういいな、と離れようとすると、またうんうんと唸り出す。
(…………。まさかこいつ、隣に誰かが居ないと、まともに眠れないのか?)
親と毎晩川の字になって添い寝でもしていたのだろうかと思いながら、フォレストは試しに隣に寝そべってみた。
すると人の気配を感じたレフォードはコロンと転がって、昨夜と同じように擦り寄ってくる。
(私は別にここで寝ても構わんが……こいつは起きた時に態度が180度変わるからな……)
感謝されるのならともかく、レフォードの為にやった事で罵倒されたくは無い。
さてどうしたものかと悩むフォレストに対し、悪夢から解放されたレフォードは穏やかに眠る。
(……まあ、こいつより先に起きて離れればいいか。また途中で飛び起きて暴れられてもかなわん。それに……)
寝ている間だけは、彼はこうして素直に甘えてくれる。自分を受け入れてくれる。
起きている時もこうであってくれればいいのだがなと思いながら、フォレストは目を閉じた。
玄関先に集まっていたリカンツから悲鳴が上がった。
下卑た笑みを浮かべていた男が、一人、二人と視界から消える。
誰かが助けに来てくれたのだと、家の中で震えていた僕は悟った。
しかし誰だろう。殺された両親の筈は無いが、他に助けに来てくれる人に心当たりなど無い。
随分と数の減ったリカンツの群れの向こうから、レフォード、と呼ぶ声が聞こえた。力強い男性の声。
知っている声だが、はて誰だっただろうか。
考える僕の目の前で、また一人、リカンツが殴り飛ばされて消えた。
強いな、と思った。
僕にもあれぐらいの力があれば、とも思った。
気が付けば、手には槍が握られていた。
小さかった手も体も大きくなっている。恐怖は消えて、僕は玄関を塞いでいるリカンツに槍を振るった。
リカンツは血を流して倒れる。僕は返り血を浴びながら、次々と敵を倒していく。
そうして何十人ものリカンツを殺し尽くして、最後の一人に僕は槍を向けた。
相手はどこか悲しい顔をして、僕の槍を掴んだ。
レフォード、と僕の名を呼ぶその声は、先程からずっと聞こえていたものと同じ。
ああそうか、僕を助けようとしてくれていたのはこの人か。なんだ、それなら敵じゃないな。
そう理解すると同時に、しかし「それはおかしい」と心が叫んだ。
だって、だって――――こいつも、あいつらと同じリカンツじゃないか。
目蓋を上げれば、宿の天井が目に写った。
登り始めたばかりの太陽に照らされた空の青白い光が、カーテン越しに薄暗い部屋をほんのりと照らしている。
耳元ですぅすぅと寝息が聞こえた。
頭を横に倒して確認すると、眠っているフォレストの顔がすぐ近くにあった。
レフォードはドキリとしたが、すぐに離れようという気持ちにはならず、体を相手の方に向けて、じっとその寝顔を見つめる。
前回と違って、体は拘束されてはいなかった。
今は相手の片腕が、腹の上辺りに乗っかっているだけ。
悪夢に苛まれた心を、その僅かな重みが癒してくれた。
二人分の体温で暖められた布団も、規則正しい呼吸の音も。ずっとこうしていて欲しいと思うぐらいに心地好い。
(…………でも、この人はリカンツだ)
どうして彼はヒトでは無いのだろう。ヒトであってくれれば良かったのに。
そうすれば――――
(……そうすれば、何だ? 戦わずに済んだ、か?)
少し違う気がするが、何れにせよ甘えた考えだなと、レフォードは自嘲気味に笑う。
復讐の為に槍を握って、最初の一人を殺した時に、レイモーンの民と和解するという道は消えたのだ。今更それを変えることなど出来ない。
そんなことは最初から承知しているのに。別にそれで問題など無いのに。
どうして今、自分の選択を後悔しそうになっているのだろう。
他の選択肢など無かった。両親を亡くした悲しみと怒りを消化するには、復讐の道を選ぶしか無かった。
けれどもし、もしも14年前のあの時に、その悲しみを受け止めてくれる誰かが居てくれたら、こんな寂しい生き方をしなくて済んだのだろうか。
フォレストにとってのティルキスがそうであったように、自分にも、優しく暖かい道を示してくれる人が居てくれたなら――――彼らのように笑って生きていられたのだろうか。
(……違う。僕はそんなことは望んでいない。両親を奪ったリカンツ共に復讐するんだ。それだけでいいんだ。それだけで……)
本当にそう思っている筈なのに、何故か視界は涙で滲んだ。
何も辛いことなど無いのに。
泣く理由など無い筈なのに。
俯せになり、枕に顔を埋め、すすり泣く声を押し殺していると、徐にフォレストの腕が動いた。
ぽんぽんとレフォードの背を二、三度叩いた手は、上に移動して髪をくしゃくしゃと撫でる。
違う。そんな風に慰められたい訳じゃない。
リカンツにそんな事をされても、余計に惨めになるだけだ。
今すぐこの腕を払い除けて、槍を取って、こいつを殺すんだ。
審問官として生きてきたレフォードの脳がそう命令した。
従おうとしたレフォードを、フォレストが自分の方へ引き寄せて抱き締める。
「……逃げるなと言っただろう」
眠たそうな、寝言のような声だった。
実際寝惚けているのかもしれないが、どちらにせよレフォードはそれを拒まなくてはならなかった。
ならなかったのに、出来なかった。
一人では絶対に得ることが出来ない熱に包まれて、理性が、決意が、覚悟が、グズグズに溶かされていくのを感じる。
「……っ、なら、逃げられないように、してくれ……」
それはとても狡い言葉だった。
相手をリカンツと罵るくせに、その温もりだけを求める自分の我儘を、全てフォレストのせいにしようとしている。
だがその心を見透かしている筈のフォレストは、レフォードのその我儘を拒まなかった。
言われた通り、レフォードを一層強く抱き締める。
――――ああ、このまま朝なんて来なければいいのに。
レフォードは己で立てた誓いに背いている今の自分を天から隠すように、カーテンの隙間から差し込む光に背を向けて目を閉じた。