03.心内にあれば色外に現る

レイモーンの都に着いたのは、それから数時間ほど経ってからの事だった。

あの場所から離れればレフォードの幻覚のような症状も落ち着くのではないかとフォレストは思っていたのだが、どういう訳か都に近付くにつれ、彼の容態は悪化していった。

軽く過呼吸のような状態になっているのを見て、フォレストはかつてここに住んでいたのであろうレイモーンの民達の亡骸――傍目にはただの石像のようにも見える――に断りを入れてから、近くの建物の中に入ってレフォードを降ろす。

見つけてすぐの頃は錯乱しているだけに見えたが、今は見るからに具合が悪そうだった。
唇は紫色になっており、頻りに「寒い」と言って身体を震わせている。

(風邪でも引いたのか……? 確かにこの辺りは昼と夜の寒暖差が激しいが……いや、今は悠長に考えている場合では無いな)

フォレストは己の手袋を外し、同じく篭手を脱がせたレフォードの手を握った。
その手が異様に冷たくなっていることに驚きつつ、相手を落ち着かせる為に「大丈夫だ」と優しく摩る。

「黒い影とやらはまだ見えるのか?」

「見える。ここの方がずっと多い……」

部屋の中にも居るのか、喋っている間もレフォードの目はその影を追い、落ち着きなく動き回っていた。

フォレストはそんなレフォードの顔を掴んで、自分の方に向かせる。

「そいつらに構うな。俺だけを見るんだ」

「む、無理だそんなの」

「無理じゃない。それより、鎧も脱がせるぞ。いいな?」

「は? な、何で……」

「今のお前は身体が冷え過ぎている。温めた方がいい」

「温めるってどうやって……」

「俺の体温を分ける。何もしないよりはマシだろう」

フォレストはレフォードの鎧を手早く脱がせて肌着だけの状態にすると、その身体を抱き寄せた。
更に上からレフォードが身に着けていた大きめのマントを羽織り、腕の中に収まっているレフォードを包み込む。

また暴れるだろうな、と思いつつフォレストはレフォードの背を摩ったが、予想に反して今回のレフォードは大人しかった。
乱れていた呼吸と心拍数は徐々に穏やかなものへと変わり、体温と血色も戻ってくる。

「……レイモーンの民は、特殊なプリセプツが使えるのか?」

「特殊なプリセプツ……? 俺は知らないが」

「ならこの影は何なんだ。獣人の姿をしているし、僕を襲ったんだぞ。レイモーンの民がやったとしか思えない」

「まだ居るのか?」

「居る。ずっとこっちを見てる」

顔を上げたレフォードは、一瞬その影の方を向いたかと思うと、すぐに背けてまた縮こまった。
フォレストは影の正体について考えを巡らせる。

「……もしかすると、ここで死んだ者達の霊なのではないか?」

「霊? 霊だと? 本気で言っているのか?」

「ここは戦場だったんだ。表に並んでいた亡骸を見るに、その最期は華々しいものでは無かったのだろう。成仏出来ずにこの辺りを彷徨っていてもおかしくはない」

「…………仮にそうだとして、どうして僕が襲われるんだ」

「そこまでは知らん。お前から同胞の血の匂いでも嗅ぎとったのではないか?」

フォレストはそれをただの推論として述べたつもりだったが、レフォードは酷く思い詰めた顔で押し黙ってしまった。

長い沈黙の後、成程、と覇気のない声で答える。

「お前はいいのか。同胞殺しを裁かなくて」

フォレストは、レフォードがそれをどんな気持ちで言っているのか分からなかった。
ただの嫌味や軽口にしては、あまりにも重々しく聞こえる。

「裁いて欲しいのか?」

「まさか。だが、お前達に報復される覚悟くらいは常にある。易々と殺されるつもりはないが……こんな風に、優しくされる権利もない。お前がヒトと仲良くしたがっているのは分かったが、相手を選んだ方がいい」

「前にも言ったが、選んだ上で今こうしているのだが」

「…………異端審問官が憎くは無いのか?」

「憎いが、お前のことは嫌いではない」

「……………………」

「お前はどうだ。やはり未だに俺のことも憎いのか?」

レフォードはきゅっと唇を引き結んだ。
フォレストはそれを拒絶と受け取ったが、レフォードの指先はマントの端を掴んでいるフォレストの手に触れている。

一度マントを手放して、フォレストがレフォードの手を握ってみせると、レフォードも柔く握り返して来た。
彼の瞳は、繋がれた手を焦がれるように見つめている。

「お前達は僕の敬愛する両親の仇だ。お前にとっても、僕は同胞の仇だろう。仲良くするのなら、もっと早くに……お互いの大切なものを奪い合う前に、出逢うべきだったんだ。この身体に染み付いた血は、もう落ちない。一度犯した罪は消えない」

「……そうだな。だが、それでも共に歩いていくことは出来る。それを決めるのは過去や立場じゃない。必要なのは受け入れる心と、向き合う覚悟だけだ」

「言うは易しだな。生憎と、僕はお前ほど強くは無い」

「俺も強い訳じゃない。立ち上がれたのはティルキス様のお陰だ。お前も一人で立ち上がれないと言うのなら、俺が支えになる。だから……過去と決別しろとは言わないが、これからの関係を、少しだけ前向きに考えてみてはくれないか?」

不意に唸り声のようなものが聞こえて、霊の声だと思ったレフォードはマントを引っ張ってフォレストに縋った。
フォレストは「隙間風の音だ」と笑いながら、自分の方を向いたレフォードの身体を再度抱き竦める。

「レイモーンの民や魔物は怖がらないのに、幽霊には随分な怯え様だな」

「こ、攻撃が効かなかったんだ。なのにあっちは触れてくる。お前が来る前に首を絞められて……殺されたかと思った」

「今は?」

「……今は何もしてこない。お前が居るからじゃないか」

「ならば朝までこうしておくか。暖も取れて一石二鳥だ」

「暖ならいつもの様に火を起こせばいいだろう」

「無理だ。燃やせるものがない。この辺りは植物の類が一切生えていないからな」

確かに、砂漠にもこの遺跡にも、枯れ木どころか雑草も生えていない。
レフォードは周囲を見渡してからフォレストを見て、「こいつはこんな薄着でどうして平気なんだ」と思いながら尋ねる。

「そう言えば、ティルキス達はどうしたんだ?」

「別行動だ。都で落ち合う約束はしている」

「……まさか僕を捜す為に別れたのか?」

「ああ」

「…………。………………すまなかった」

かなり小さな声で、レフォードは申し訳なさそうに言った。
レイモーンの民だと知ってからは、何があっても謝罪も礼もしなかった彼の口から出たその言葉に、フォレストは微笑む。

「せっかくなら、謝罪より礼が聞きたい」

ただの独白のつもりだったレフォードは、聞かれていたことを知って、気まずそうに顔を背けた。

「ティルキス達だけにして大丈夫なのか?」

「道に迷う心配はあるが、まあ大丈夫だろう。寧ろティルキス様は、アーリアに良い所を見せるチャンスだと張り切っているだろうな」

「…………可哀想に」

「ん?」

「何でもない。ただ、助けて貰った礼代わりに一つだけ忠告しておいてやる。教会の人間を、そう簡単に信用しない方がいい」

「それは…………以前アーリアの様子がおかしかった事と関係のある話か?」

「どうだろうな。そもそも、僕だって教会の人間だ。言うことを鵜呑みにする必要も無い」

「ふむ……まあ、仮にアーリアに何か裏があるのだとしても、それも含めて相手と向き合うのがティルキス様だ。だから、お前が心配する必要は無い」

「別に心配はしていないが……大した器だな」

「ああ。俺の尊敬する自慢の主人だ」

誇らしげに言うフォレストに、そういった相手を持たないレフォードは、強い信頼で結ばれている二人の関係を妬ましく感じた。

自分には居なかった。救いを与えてくれる人も、導いてくれる人も、寄り添ってくれる人も。

「……ん? どうした?」

上目遣いでじっと見詰めてくるレフォードの目が何かを訴えている。
フォレストはそう感じたが、その心の中までは読み取れなかったので、素直に問う。

「……なんでもない」

「本当に?」

レフォードは言葉の代わりに、石壁を背に座るフォレストの肩に頭を預けた。
寂しさで冷えた心の痛みを、こうして抱き締められている間だけは忘れることが出来る。

「……疲れたか?」

「……そうだな。疲れてる」

「ならばもう寝ろ」

フォレストの手がレフォードの髪を梳くように撫でた。
優しい。暖かい。まるで両親に甘えていた頃に戻ったような心地になる。

「……お前がただのヒトなら良かったのに」

以前にも思った事だが、今回はあの時よりもハッキリと、何故そう思うのかを理解出来た。

フォレストにもそれは伝わったが、己に流れているレイモーンの血も自身を構成する大切な要素の一つだと考えているフォレストは、

「……或いは、お前の両親が殺されていなければ良かったな」

賛同する代わりにそう返した。

「犯人はもう捕まっているのか?」

「ああ。すぐに処刑されたと聞いている。……せめて、どうして僕の両親を殺したのかと問いたかった。皆に慕われる優しい人達だったんだ、とても。殺される理由など無い筈なのに……だからこそ許せないんだ」

善良な人の命を平気で奪う野蛮な獣。
教会が広めたリカンツ、という呼称は、顔も知らない犯人に当時抱いた印象そのものだった。

「けれど、お前と居ると分からなくなる。お前は……少なくとも今のお前は、見境なく人を襲うようなケダモノには見えない」

「今の俺はリカンツではなく、レイモーンの民だからな」

「同じじゃないか」

「違う。レイモーンの民は誇り高き種族だ。お前の両親を殺したレイモーンの民は、確かにリカンツだったのだろう。だが、同じレイモーンの民であっても、俺とそいつは同じでは無い。カイウスも、ラムラス殿もだ。それを分かって欲しい」

「……………………」

「ヒトの中にも野蛮な者は居るだろう? ラムラス殿を殺したロミーのようにな。俺も初めは、ロミーもお前も同じ異端審問官という括りで見ていた。だが今は、お前とロミーが同じだとは思っていない。だから、出来るのならお前にも、俺を俺として見て欲しい。お前の両親の命を奪った憎いリカンツの一人ではなく……フォレスト・ルドワウヤンとして見て欲しいんだ」

レフォードは顔を上げてフォレストを見た。
すぐ近くに相手の顔がある。見下ろしてくる金色の瞳に、ヤスカでもこんな事があったなと回想しながら、あの時感じていた嫌悪感や警戒心がすっかり無くなっていることに気付く。

緊張とは別の感情が小さく胸を叩いている。
目を逸らしたいのに、逸らせなくなる。

フォレストも、レフォードに向けられる視線があの時とは違う――――拒絶ではなく、戸惑いや恥じらいを含んだものであることに気付いていた。
だが、恐らくはこれまでの生き方や考え方が、その奥にある感情の発露を阻んでいる。

その蓋を開けて欲しいのに。頑なに本心を明かそうとしないレフォードの態度が、焦れったくて仕方がない。
あと少し。本当に、あと少しで手が届きそうなのに。

「!? な、なんだ、何を……」

元々近い距離にある顔を更に寄せて、コツン、と額をくっ付けてくるフォレストに、レフォードは驚き硬直してしまった。

お互いの呼吸を肌で感じる。唇は今にも触れ合ってしまいそうだ。

「……は、は、離れてくれ。近い」

フォレストはその訴えを無視して、指先でレフォードの首筋や耳をなぞり、その手を頬に添えた。
この部屋に来た時の冷たさが嘘のように、レフォードの肌は熱を帯びている。

「――――っ、僕は異端審問官だぞ!?」

「だからどうした」

レフォードが持ち出してきた両者の間を隔てる壁を、フォレストは一撃で砕いた。
何か言わなければと思っても、言葉が何も出てこない。レフォードは肉食獣に捕食される寸前の小動物の気持ちになる。

「……か、揶揄い目的でやろうとしているのなら、やめてくれ。僕は……それは、冗談では済まされない……」

「……ならば、本気であれば良いのか?」

ほんの少し意地悪をして、気持ちを揺さぶろうとしただけで、本当にするつもりなど無かった――――さっきまでは、そうだったのに。

きゅ、と目を瞑ったレフォードを見て、フォレストはそのまま口付けてしまった。

唇の先端が触れた瞬間、レフォードの身体がピクリと震え、ぁ、と小さく声が漏れた。
怯えて逃げようとするレフォードの後頭部を、フォレストが掴んで引き寄せる。

部屋は静かになった。
周囲に居た黒い影はいつの間にか消えていて、夜風の冷たさも、隙間風の音も、どこか遠くへ行ってしまう。

レフォードが嫌がってはいないことを目で確認すると、フォレストは角度を変えてより深く口付けた。
合わさった口の隙間から、ぬるりと舌が入り込んでくる感覚に、レフォードはゾクゾクと痺れる。

味わうように口内を舐めるその舌の動きは、捕食されているかのような錯覚をレフォードに与えた。

――――怖い。でも、気持ちいい。

次第に思考がぼんやりとして、理性や自制心が薄れていく。

やがて、抵抗を示していたレフォードの手は、「もっと欲しい」と言うように、フォレストの服の裾を俄に引っ張り始めた。
一生懸命舌を絡ませようとしてくるレフォードに、フォレストも応える。

枯れた土に雨が降り注いだ時のように、ずっと欠けていた何かが満たされていくのをレフォードは感じた。
熱い。甘い。フォレストを求める気持ちが止まらない。

「…………んっ、は、ぁ」

暫くして解放されたレフォードは、散々掻き混ぜられた二人分の唾液を飲み込んで、濡れた口元を指で拭った。

終わった瞬間、凄まじい背徳感と羞恥心に襲われて、フォレストから顔を背ける。

「……思いの外積極的だったな」

「ち、ちが、う、今のは、僕は、僕はそんなつもりは……」

「その言い訳は流石に苦しくはないか? 確かに先に手を出したのは俺だが、お前も随分とがっついて――――」

「がっついてない!! お前がっ、お前が止まらないから……!」

「そうか。まあお前がそう言うのなら、今回限りにしよう」

「えっ」

明らかに残念そうな顔をしたレフォードは、しかし直ぐにブンブンと頭を振って「当然だ!」と吠えた。
その様に、フォレストはくつくつと笑う。

「もういいだろう。素直になってくれ」

「素直だ!! 勝手に決めつけるな!!」

――――ああもう、本当に面倒な男だな。

フォレストはそう思ったが、以前と違って気分は悪くはなかった。
自分に向けられている明確な好意を感じる。それが嬉しくて、思わず笑みが零れる。

見透かされてしまったレフォードは、それ以上何も言えず、真っ赤な顔のまま閉口して俯いた。
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